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第13問 どんな環境が空野詩織を優しくしたのか

 空野(そらの)の背(せな)を追(お)って、緑葉(みどりば)で木暗(こぐら)い細道(ほそみち)を通(とお)り抜(ぬ)けると、見知(みし)らぬ奥地(おくち)だった。

 藤村(ふじむら)は目(め)を疑(うたが)った。

 夏空(なつぞら)のほとり、青垣山(あおかきやま)に囲(かこ)まれた、草深(くさぶか)くも瑞々(みずみず)しい田野(でんや)は、まるで隠里(かくれざと)。

 藤村(ふじむら)が足(あし)を付(つ)けていた舗道(ほどう)の、アスファルトの薄氷(はくひょう)は、履(ふ)むだけで壊(こわ)れそうだった。

 いや、とうに舗道(ほどう)は罅割(ひびわ)れて、その裂目(さけめ)から草木(くさき)が吹(ふ)き出(だ)していた。

 古(ふる)びて褪(あ)せたアスファルトの黒(くろ)が、鮮(あざ)やかな緑(みどり)で埋(う)もれんばかりに。

「道(みち)破(やぶ)れて大地(だいち)在(あ)り」

 空野(そらの)が仙女(せんにょ)の如(ごと)く詠(うた)う。

 懐(なつ)かしい、と藤村(ふじむら)は思(おも)った。


 目(め)が寤(さ)めた。

 まるで旅先(たびさき)で、雅(みや)びな表通(おもてどお)りから外(はず)れた途端(とたん)に、入(はい)り込(こ)んでいた裏通(うらどお)りが、寂(さ)びていたような気分(きぶん)だ。

 藤村(ふじむら)はdépaysemen(デペイズマン)tを覚(おぼ)えた。

 このdépaysemen(デペイズマン)tとは、「生活環境(せいかつかんきょう)の変化(へんか)に戸惑(とまど)い、途方(とほう)に暮(く)れて、居心地(いごこち)悪(わる)く覚(おぼ)える違和感(いわかん)」を指(さ)す。

 藤村(ふじむら)は違和感(いわかん)を探(さぐ)る。

 後(あと)から振(ふ)り返(かえ)ると、あれはああいう事(こと)だったのかも知(し)れないと思(おも)う。

 藤村(ふじむら)は憶測(おくそく)する。


 空野(そらの)は徒歩(とほ)で通学(つうがく)していた。

 遥々(はるばる)と長(なが)い道程(みちのり)を、てくてくと時間(じかん)をかけて。

 ずっしりと重(おも)い学生鞄(がくせいかばん)を登山家(とざんか)のように背負(せお)って。

 華奢(きゃしゃ)な肩(かた)をみしみしと軋(きし)ませながら。


 何故(なぜ)、空野(そらの)は徒歩(とほ)で通学(つうがく)するのか。

 まず、バスが無(な)いから。

 バスは廃線(はいせん)になって久(ひさ)しい。

 次(つぎ)に、自転車(じてんしゃ)が使(つか)いにくいから。

 勾配(こうばい)の急(きゅう)な坂道(さかみち)が多(おお)い。

 路面(ろめん)も凸凹(でこぼこ)である。

 自転車(じてんしゃ)がガタガタすると体(からだ)もグラグラする。

 バランスを取(と)り損(そこ)ねやすい。

 人(ひと)を轢(ひ)きかねない。

 最後(さいご)に、家族(かぞく)の自家用車(じかようしゃ)で送迎(そうげい)して貰(もら)うのが、申(もう)し訳(わけ)ないから。

 故(ゆえ)に、消去法(しょうきょほう)で、徒歩(とほ)しか残(のこ)らなかった。


 空野(そらの)は帰(かえ)るのが早(はや)かった。

 何故(なぜ)、空野(そらの)は早々(はやばや)と帰(かえ)るのか。

 田舎(いなか)には街灯(がいとう)が乏(とぼ)しいので、暗(くら)くなると危(あぶ)ないから。

 と仮定(かてい)すると、辻褄(つじつま)が合(あ)わない。

 空野(そらの)は、日没(にちぼつ)が遅(おそ)い夏(なつ)でも、帰(かえ)るのが早(はや)かったから。

 もし、裏事情(うらじじょう)があったとしたら………。


 空野(そらの)の家(うち)には、空野(そらの)の祖母(そぼ)が居(い)る。

 空野(そらの)は、母(はは)が妹(いもうと)を養(やしな)う間(あいだ)、祖母(そぼ)に育(そだ)てられた。

 空野(そらの)は祖母(そぼ)に懐(なつ)いていた。

 ところが、その祖母(そぼ)が、認知症(にんちしょう)を患(わずら)った。

 そして、祖母(そぼ)は不安(ふあん)が募(つの)ると、孫娘(まごむすめ)の空野(そらの)を迎(むか)えに、空野(そらの)が通(かよ)っていた小学校(しょうがっこう)の門前(もんぜん)まで押(お)し掛(か)けた。

 しかし、中学生(ちゅうがくせい)の空野(そらの)はもう、小学校(しょうがっこう)には居(い)なかった。

 小学校(しょうがっこう)に居(い)たのは、同(おな)じ孫娘(まごむすめ)でも、妹(いもうと)の方(ほう)だった。

 祖母(そぼ)には妹(いもうと)が誰(だれ)か分(わ)からなかった。

 惑乱(わくらん)する祖母(そぼ)を、妹(いもうと)は言(い)い包(くる)めて連(つ)れ帰(かえ)った。

 妹(いもうと)はまだ、小学生(しょうがくせい)だったのに。

 空野(そらの)はショックを受(う)け、罪悪感(ざいあくかん)を覚(おぼ)えて、祖母(そぼ)を看(み)るようになった。

 幼(おさな)い頃(ころ)から髪(かみ)の長(なが)い少女(しょうじょ)のまま。

 小(ちい)さく変(か)わらない体(からだ)のまま。

 たとえ食(た)べられなくなったとしても。

 徘徊(はいかい)しかける祖母(そぼ)を家(うち)に留(とど)めるために。

 病気(びょうき)に苦(くる)しむ祖母(そぼ)が、少(すこ)しでも落(お)ち着(つ)ければ良(よ)かった。

 可愛(かわい)い妹(いもうと)が、少(すこ)しでも伸(の)び伸(の)びできれば良(よ)かった。

 認知症(にんちしょう)への対応(たいおう)に苦慮(くりょ)する母(はは)が、少(すこ)しでも安心(あんしん)できれば良(よ)かった。

 妻(つま)が介護(かいご)のために仕事(しごと)と収入(しゅうにゅう)を減(へ)らさざるを得(え)ないからこそ、家計(かけい)を支(ささ)えようと我武者羅(がむしゃら)に働(はたら)く父(ちち)が、少(すこ)しでも休(やす)めれば良(よ)かった。

 空野(そらの)自身(じしん)は死(し)んでも良(よ)かったのか。

 家庭(かてい)が機能不全(きのうふぜん)に陥(おちい)り、不足(ふそく)するリソースを補(おぎな)うために、空野(そらの)は人柱(ひとばしら)に立(た)った。

 圧倒的(あっとうてき)な脅威(きょうい)を前(まえ)に、サバイバルメカニズムが起動(きどう)して、防衛(ぼうえい)反応(はんのう)としてFawn(フォーン)(迎合(げいごう))して、共依存(きょういそん)した。し過(す)ぎてしまった。

 と考(かんが)えると、空野(そらの)は死(し)ぬほど生(い)きたかったのだ。

 家族(かぞく)を生(い)かして、自分(じぶん)も生(い)きようと、優(やさ)しく愛(あい)して、儚(はかな)くなった。

 そう思(おも)うと、悲(かな)しくて遣(や)り切(き)れない。


 空野(そらの)は人形(にんぎょう)みたいだった。

 弱者(じゃくしゃ)に優(やさ)しく寄(よ)り添(そ)うよう、無自覚(むじかく)にプログラムされたケアロボットみたいだった。

 だから、藤村(ふじむら)は、空野(そらの)に優(やさ)しくされても、何(なん)となく弱者(じゃくしゃ)として扱(あつか)われているようで、情(なさ)けなかった。

 とても、藤村(ふじむら)が藤村(ふじむら)である故(ゆえ)に、特別(とくべつ)に好(す)かれているなんて、信(しん)じられなかった。

 正直(しょうじき)、信(しん)じきりたかった。


 藤村(ふじむら)は苦(くる)しむ。

 あくまでも憶測(おくそく)で。

 改(あらた)めて思(おも)い知(し)る。

 実(じつ)は空野(そらの)を知(し)らない事(こと)を。

 藤村(ふじむら)は虚(むな)しくなる。

 寂(さび)しい。

 切(せつ)ない。

 感情(かんじょう)だけが、本当(ほんとう)だった。

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