第八〇話 掛け金の掛け間違い
「そんなのない! 俺はあんた達と仲良くしたいし、あんた達にも仲良くして貰いたいんだ。だって、仲間なんだから。そうだろ? 仲間だって、あんたが言ったんじゃんか。それなのに、早速、仲間割れすんのか? 俺達、羅睺を倒さなきゃなんないんだろ? 神様を相手にするんだったら、こんなところで仲間割れなんかしてちゃ駄目だ。俺達みんな、目的が一緒なんだから。青蛇だって、これから……」
言葉を一方的に吐き出す口に、紫雲は人差し指を当てた。雷韋の言葉も思わず止まる。
「そんなに簡単なことではないんです。残念ながら」
紫雲は静かに言った。口端には自嘲の笑みが見えるが、眉根は困ったように顰められている。
そんな紫雲を、悲しそうに雷韋は見遣った。
これは二人の問題で、端から手出しが出来るようなことではないと、紫雲の表情から悟ったからだ。
雷韋は俯き、「分かったよ」と一言だけ答えた。視線も床に落ちる。
「すみません、雷韋君」
「……そん代わり、俺の言ったことも忘れないでくれよ。少なくとも俺は、あんたのこと仲間だって思ってるからさ」
上目遣いではあったが、しっかりとした口調で言う。それに対して、紫雲もしっかりと頷いて返した。
「有り難う。覚えておきます。決して忘れませんよ」
「ん。んじゃ、上戻ろっか。話が進展してっかも知んねぇし」
「それはいいんですが……」
急に紫雲の声から緊張感が失われる。どこか砕けたような感じだ。
「雷韋君、その服ですが、洗いませんか?」
「え?」
急に話が飛んで、雷韋も反応に困った。最初は紫雲を見、次に自分の腹を見た。
赤い生地に、原色の糸を使った刺繍が施されている派手な服が血塗れになっている。愛鈴の身体を使っていた吸血鬼の動きを封じようと、背中から羽交い締めにしたせいだ。その上、吸血鬼の血管に貫かれて雷韋の血も染みている。これまで血で濡れている感覚はなかったが、指摘されると、下着のシャツまで血に塗れて肌にべったり張り付いているのが感じられて正直、気持ちが悪い。それ以上に、この派手な模様の服は気に入っている。だから血で汚れたままなのは嫌だった。血液の汚れは落ちにくいが、このままの状態よりは洗った方がいいに決まっている。
「そ、だな。洗った方がいいかも」
「では、私の荷物の中から石鹸を取ってきて貰えますか? 私はたらいを借りてきますから」
「でも、宿のおっちゃん、寝てないかな?」
「起きていると思いますよ。私達が戻ってから、さほど時間は経っていませんから」
雷韋が困惑げに言うと、紫雲はなんでもないことのように返してきた。
「ん~、そっか。んじゃ、紫雲の荷物から石鹸な」
「それと手拭いも一緒にお願いします。君の身体も拭かなければ」
「分かった。すぐ戻ってくるから」
「お願いします」
そうして一階でそれぞれ分かれて、雷韋は二階へと向かった。
部屋に戻ると、陸王を中心にして、村長達が玄史に話を持っていくかどうかを話し合っていた。雰囲気から察して、玄史と話し合うということで大勢が決しつつある。
それを横目に、雷韋は紫雲の荷物の中から石鹸と手拭いを取り出すと、再び一階へ下りていった。
一階では宿の主人と紫雲が何事か話している最中だった。
「これ以上、何も起こらないといいんだがなぁ」
「今度こそ吸血鬼は殺しましたから、もう何も起こらないと思うんですが」
「そうならいいけど」
ぼそぼそと言葉を交わしているのが耳に入った。
「紫雲? 持ってきたぜ」
雷韋は言葉を交わしている二人に、己の不安を払拭するように声をかけた。
「あぁ、雷韋君」
雷韋の声に振り返る。それと同じくして、店主も紫雲に声をかけた。
「たらいは使い終わったら、適当にカウンターの辺りにでも置いておいてくれ。俺はもう少し休ませて貰うよ。とは言っても、眠れないとは思うがね」
「すみません。有り難うございます」
店主に礼を言って、紫雲は雷韋と連れ立って外に出た。
紫雲はこの村に、以前から二日滞在していたことがある。井戸のある場所は分かっていた。逆に、雷韋は全くの不案内だ。紫雲の向かう先にただくっついていく。が、紫雲の向かう先はどんどん村から離れて行った。歩いている途中で、雷韋が連れている光の球が井戸らしきものを捉えたが、紫雲はそれに見向きもしなかったのだ。
それを越えて、村の外れに向かっていく。
「紫雲、井戸ならさっきあったぜ?」
「井戸ではなく、川に向かいましょう」
「川? だって川じゃ、水を汲む桶がないじゃん?」
そう言って、明け初める中で紫雲がたらいを抱えた腕を覗き込むようにして確認すると、たらいを持つ手に手桶もしっかり持っていた。
雷韋が「あ!」と声を上げるのと同時に、紫雲は小さく笑い声を立てた。
「抜かりはありません」
どこか楽しそうに雷韋に言う。
そんな紫雲に、ちぇっと舌を鳴らした。
「心配して損したぁ」
面白くなさげに言う雷韋に、紫雲は見守るような眼差しを向ける。
そんな視線を向けられて、雷韋は不思議そうに紫雲に目を遣る。何故そんな眼差しを向けているのか、不思議に思ったのだ。
じっと雷韋が見つめていると、紫雲はおもむろに口を開いた。
「ねぇ、雷韋君」
「ん?」
気持ちと同じように、雷韋から不思議そうな声が上がる。
「いつか、聞いてくれますか?」
「え? 何をだ?」
「私の過去についてです」
「あ」と雷韋は小さく声を零した。
「話せるようになるのがいつになるかは分からないんですが、聞いて欲しいんです。いえ、吐き出したいという方が正確でしょうか」
言う紫雲から、雷韋は視線を逸らした。
「あのさ、それって、紫雲が凄く傷ついた過去のことなんだよな? 俺なんかにはきっと想像すら出来ないくらい、凄く傷ついた過去」
紫雲は肯定はしなかったが、否定もせず、ただ雷韋を見つめていた。
「そんな大事なこと、俺なんかが聞いてもいいのか?」
「君が、私を仲間だと言ってくれたから、だったらいつかはと思ったんです」
「うん……」
返答はしたが、雷韋は考え込んでしまった。視線を足下に落として、暫し無言になる。
紫雲は雷韋の返答を待った。この小さな少年が、何かを一所懸命に考えているのが分かったからだ。だから責っ付くような真似はしなかった。
黙々と歩いて行く前方に雑木林が見えてきた頃、やっと雷韋は口を開いた。視線も紫雲に向けられている。
「話してくれって言っておいてなんだけどさ、それ、俺が聞いていいことなのかな? だって、俺はあんたの対じゃない。それって、まずは青蛇に話さなきゃならないことなんじゃないか?」
雷韋の言葉に、紫雲は驚いたように瞬きした。そこまで考えてはいなかったからだ。正直、言われて初めてはっとした。紫雲は雷韋から視線を外して、
「たしかに。それはそうですね」
真剣な声で返す。
紫雲の口調に、雷韋は慌てたように付け足した。
「いや、聞きたくないってんじゃないんだ。ただ、なんとなく、俺なんかが踏み入っていいのかなってさ。あんたの心の傷のことは、青蛇にしか聞く資格がないんじゃないかって思ったんだ。上手く言えないけど、青蛇に話して、そのあとも俺に話してくれる気持ちがあったら、その時は聞くよ。俺が初めて聞いても、なんにも責任なんて持てないからさ。慰めることさえ出来ないと思ったから」
そこで紫雲は自嘲気味に笑った。
「そうですよね。君は私の対じゃない。何を血迷ったことを言ったんでしょうか」
言う紫雲の横顔に苦みが走る。
「紫雲、誤解すんなよ? 俺は聞きたくないわけじゃないんだって。でも、慰めることも出来ねぇし、話聞くことしか出来ないって思って。だって、紫雲、滅茶苦茶傷ついたんだろ? それくらいは分かる。でも、俺なんかが何言っても、心の傷広げるだけかもって、それが怖くてさ」
紫雲は前方を向いたまま頷いた。
「そうかも知れません。あれから何年も経つのに、一向に癒える気配がない。私の心は、魂は散々傷つけられて、穢されたままです」
その言いように、雷韋は言葉を失った。『魂が穢された』などと言う強い言葉を使うという事は、よほど酷い目に遭ったに違いないと思ったのだ。
そのまま、二人の間から言葉は消えた。
雷韋にはどう紫雲に声をかけていいものか分からなかったし、紫雲は雷韋に対して見当違いなことを言ってしまったという後悔に似た気持ちがあったからだ。互いに言葉など交わせる状態ではなかった。




