第六二話 残酷な着地点
村長が宿から出て行くのを見送って、雷韋が、はぁと深い溜息をついた。
「結局、今回の件ってどうなるんだろ。俺は吸血鬼を殺したらそれで終わりだと思ってたんだけどな」
「事は簡単なことじゃなかったってこった。よりにもよって、領主が匿っていたわけだからな」
「下手を打てば、領主が惨殺されかねませんね」
雷韋は紫雲の言った『惨殺』という物騒な言葉に驚いて声を上げた。
「まさか、そこまではないだろ!?」
「いや、ないとは言えん」
雷韋の言葉を陸王が否定する。
「なんでだよ。だって、そりゃ領主だって匿ってたのは悪かったけど、それって人質取られて仕方なくだろ?」
「戦う気概も見せねぇで、領主は唯々諾々と吸血鬼に従った。そのせいで大勢の生命が失われたんだ。報復にはそれだけの理由で充分だろう」
「だけど!」
雷韋が大声を上げると、紫雲が静かな口調で言い遣った。
「雷韋君。今、生き残っている人達は偶然無事でいられただけです。私達がこの土地に偶然足を踏み入れ、君が助けようと言わなければ、今頃この村の女子供がかなり殺されていたでしょう。そこまで追い詰めたのは誰だと思いますか?」
「そりゃ、領主だけど……でもさ」
「確かに自分の娘は可愛いだろう。失いたくないと思うのは親心だ。だが、領主には領民を護る義務がある。それは領民の生殺与奪の権を握っているのとは違うぞ。なのに玄芭は見捨てたんだ。護る義務を捨てた。領主としての役割を放棄したも同然だ。それで村人に平静を保てってのは酷な話だろうが」
「じゃあ、領主が義務を捨てたってんなら、領民の義務って何さ。さっきから領主の義務の話しかしてない」
雷韋の言うのに、陸王は呆れた眼差しを向けて説明してやった。
領民は税を納めることを義務として負っている。そこには金銭の納入、徴兵、邸の奉公に出ることも含まれている。その代わり、何事かあったときには領主に護って貰う権利が発生する。
領主は領民から税を取る権利を持つ代わりに、領民に不測の事態が起きれば兵を動かす義務を負っているのだ。
持ちつ持たれつの関係が生まれ、それで上手く事を回していると言っていい。なのに領主は義務を怠ったばかりではなく、本来あってはならない生殺与奪の権を行使した。
つまり、贄を差し出したのだ。
領民も、己の知らないところで贄として差し出されていれば、報復を考えてもおかしくはない。いくら農民達に戦ってきた歴史がなくとも、領地全ての村民達が手を組めば領主一人くらいならどうとでも出来る。砦にいる兵士だって専属の者ばかりではない。以前、陸王が出会ったレイザス出身の兵士もいたように、ほかの村からも出ている者がいるのだ。一時的な徴兵だ。そう言う意味では兵士達も一枚岩ではない。事の真相を知れば、領主を村民達の前に引き摺り出すこともしようものだ。
そうなれば、領主の首が落とされる可能性もでてくる。
「待て、待て、待てってば!」
雷韋は聞くに堪えなかったのか、陸王の言葉を遮った。
「分かんないわけじゃないよ、陸王の言うこと! でも、それでもやっぱり、全部終わった事だって考えらんないのかよ」
「無理だな」
陸王は雷韋の言葉を容赦なく一刀両断にした。
「例えばだが、お前は領主のせいで俺が吸血鬼に殺されたとしたら、それを許せるのか?」
「そ、そんな事……そんな……陸王は吸血鬼になんか負けないよ」
やっと絞り出したという声で答える。
「俺が一介の領民で、お前の兄貴だったとしたならどうだ? 対でもなんでもねぇ。ただの人間のお前の兄貴だ。殺された元凶が領主だとしたら、どうなんだ? しかも、屍食鬼になって、お前の目の前で村人に始末をつけられたとしたら?」
「そんなの、あり得ない。あり得っこないよ! だって……!」
狼狽える雷韋を、陸王は睨み据えた。
「考えることをやめるな。お前が考えることを拒絶した先のことを、村の連中は嫌と言うほど見て、味わってきたんだ」
流石に雷韋も抗いようがなくなったのか、それまで抱きしめていた椅子の背凭れを更にきつく抱きしめて、俯いてしまう。
「陸王さん、言い方がきついですよ」
雷韋の言われように紫雲が庇ったが、陸王は知らぬ顔だった。
その時だった。宿の主人が慌てたように入ってきたのは。
「すまない、村長からついさっき聞かされたもんでね。食事を作るのはいいが、ここ数日の間に宿の食料も悪くなる前に使っていて碌なものが作れないが、あり合わせでいいかねぇ?」
「えぇ、構いません。お手数をお掛けしますが」
紫雲が答えると、宿の主人の方が申し訳ないような顔になる。
「いやいや、吸血鬼を殺してくれたって言うじゃないか。あたし達にゃ、そんな事は出来ないからねぇ。全くすごいもんだよ」
主人は台所に入ってもまだそんな事を言っていた。だが、吸血鬼がどこにいたのかなどは口に出していないので、その辺りのことはまだ聞かされていないのだろう。知らされていたら、こんなに明るくしてなどいられないはずだ。
主人が台所であれこれと食事の用意を始めつつも「全くたいしたもんだ」などとくどくど言うのを遮るように、雷韋が少し不機嫌そうな口調で声をかける。
「おっちゃん、部屋の鍵は開いてんのか?」
「あぁ、鍵かい? こっちにあるよ」
言うのを聞いて、雷韋は主人のところまで行って鍵を借り受けると、そのまますっと二階へ続く扉を開けて階上へ行ってしまった。その際、陸王達二人を振り返ることもしなかった。
その様を目で追っていた紫雲だったが、吐息をつくと陸王へ視線を馳せた。
「傷ついてますよ、あの子」
「放っておけ。情けをかける相手を間違っていやがる。ああいうのは、手前ぇの身に置き換えねぇと分からん」
言ったかと思えば、そこでようやく席に着いた。さっきまで村長が座っていた椅子に。
「それでも、あれはよくない言い方です。追い詰めてどうするつもりですか。理解しようにも、あれでは理解出来ませんよ」
「あいつだって馬鹿じゃねぇ。頭冷やして考えてみりゃ、見えてくるものもあるだろう」
「その結果が突き放しですか」
「放っておけ。それより、まだ聞いていないことがある」
陸王は片手を卓の上に置き、指先でとんとんと卓を突きだした。その仕草に陸王の苛立ちを感じて、紫雲は声を潜めて口を開いた。何かよくないことを聞かれると思ったからだ。
「どうしました」
「結局、何体出てきたんだ?」
陸王も声を潜めて尋ねる。視線は自分の指先に向けられていて、紫雲の方は向いていなかったが。紫雲は心の中で「あぁ」と嘆息した。また玄芭のことを考えて苛立っていると知ったからだ。その結果の犠牲者の数。
「二四人分出てきました」
それを聞いた陸王の指が止まり、目も瞑ってしまう。
「何を考えているんです?」
「二次被害も含めて、五〇人以上の被害が出ているなと思ってな」
「そうですね。村一つ分ほどになりますか」
「被害がでかすぎる。領主一人分の生命で賄えるかどうかだ」
「それは……」
紫雲は言いさして、途中で止めた。陸王の言葉を考えてしまったからだ。
陸王も陸王で考えていた。
領主である玄芭一人の生命で領民達の怒りが収まらなければ、次なる贄が必要になる。領民達の怒りが次にどこへ向くのか見当もつかないが、領主を殺しても大臣である玄史が殺されないことは確実だ。次期領主になって貰わなければならないからだ。なんだかんだ言っても、領民には領主が必要になる。領民の権利であり、領主の義務がそこにはある。税を納める代わりに領地を治め、村を外敵から護って貰わなければならないのだから。それから言っても、玄芭は生命を以て償う必要がある。現領主である限り逃げられない。
玄芭一人で足りない場合、次は誰に? 原因となった姫君か? 子供をなくしている親も沢山いる。あり得そうだ。
「陸王さん」
紫雲が静かに声をかけたとき、陸王がそれまで瞑っていた目を開けて、紫雲に視線を合わせた。
「なんとか領主の首一つで収まって欲しいもんだがな」
紫雲はその言葉に緩く首を振った。
「こればかりはどうなるか。結局は、領民が納得する形まで持っていかなければならないでしょうから」
陸王はそれを聞いて、苦々しい顔になるばかりだ。
「どうなるにせよ、私達の問題ではありません。私達には口を挟む権利さえないんですから」
「だが、領主一人で終わらなかった場合、下手を打てばあの姫さんに矛先が向く。間違いなく元凶の一旦ではあるからな」
「それは流石に避けたいところですね。元凶と言えば元凶ですが、彼女は被害者でもあるんですから」
「それが子供をなくした親に響くかどうかは怪しいな」
「実際問題として、確かにその壁にはぶつかりますね。とても難しい問題です」
陸王はそれに「あぁ」と返してから、無言になった。紫雲も色々と思うことがあるのだろう。口を閉ざして考え込んでしまった風だ。
場には、店主が鼻歌交じりに料理を作る音だけが響いていた。




