第四七話 突撃
陸王と紫雲、二人の駆る馬は闇を切り裂き血の匂いを追いながら、小振りの岩のように点在する切り株の間を抜けて駆けて行く。
東寄りに北へ向かっていくと、いつしか小さな明かりが、ぽつぽつと見えてきた。
城壁の上で焚かれる篝火の明かりだ。
城壁の門は二重になっていて、その造りと明かりの点在ようからして進行方向より更に東に城門は位置しているようだった。東へ向かえば、先だって陸王が通った街道があるのだろう。
城壁を抜けなければ、砦を護る空堀を越えることは出来ない。
昼間でも城塞への道は閉ざされていて、夜なら尚更、外敵に備えて警備を厳重にしていることだろう。
陸王は腹の中で、「さて」と唸る。一体どうやって内部に入り込んだものかと考え込んだのだ。血の匂いは真っ直ぐ砦を目指して北上している。そのまま向かって行っても、砦の横っ腹に突き当たるだけだ。しかも、その手前には空堀が二つある。だから城門から入らねばならないが、跳ね橋も上がっているはずだった。
夜間のこと故、城壁の歩哨には、二つの明かりが街道に近づいていることはすでに気付いているだろう。陸王の顕している光の球だ。松明や篝火などよりよほど明るいから見えているはずだ。それを計算に入れ、陸王は街道まで移動してから改めて砦へと向かった。
砦は夜の闇の中に、薄暗く立ち塞がっているように見える。狭間からは人影が見え、篝火の明かりに幽鬼のように浮かび上がっている姿があった。街道を辿れば、その様がどんどん近づいてくる。
砦が近づいてくるほど、誰かの怒鳴り声もした。どうやらそれは、数人の声のようだった。耳をそばだててみると、誰何しつつも駆ける馬の停止命令を出しているように聞こえた。
城門から届く声に、先を行っていた陸王が堀より三メートルほど手前で馬の脚を止める。それに続くように、紫雲の駆る馬もゆっくりと速度を落とした。
「こんな深夜に何者だ!?」
城門の高い場所から声が響いてきた。
「先だって、レイザスから連れてこられた侍だ。その前にも領主に会いに来ている。当番じゃなくとも、俺が連れてこられたことの報告くらい受けているだろう」
陸王が大声で返すと、何やら城門の上で話し合いが始まった。何を話しているのか知らないが、彼等とは距離がありすぎて、話の内容が聞こえてくることはない。が、ややしてから、
「せっかく釈放されたのに、自分から戻ってきたのか? 今度はなんの用だ。朝まで待てんのか? それとも化け物が現れたから助けを求めに来たか?」
さっきとは別の声が返ってくる。そのいい口は、明らかにこちらを嘲っているものだった。
陸王はそれに苛立つ風もなく、静かに息を吐き出すと紫雲に声をかけた。
「俺に続け」
たった一言だったが、腹積もりのある口調だ。思わず紫雲は城門に灯っている篝火から、陸王に視線を移す。
その視線を横目に、陸王は城門へと返した。
「化け物は出た。こんな事を言ってもどうせ信じんだろうが、その化け物がこの砦の中に逃げ込んだのも確認している」
「化け物が砦に逃げ込んだ? 馬鹿も休み休み言え。貴様、頭がおかしいんじゃないのか?」
「あぁ、お前らならそう言うと思っていた。だからここは力尽くでまかり通る!」
言葉が終わったと同時に、陸王は上がっている跳ね橋に向かって手を伸ばした。片手で印契を作り、そのあと陸王が短く魔代語を口にしたのを紫雲は聞いた。
直後、城門の入り口が大音響を伴って爆発する。跳ね橋と内側の二重の門まで吹っ飛んだのだ。
爆発時の音に怯んだ馬を陸王はいなして、濛々と煙を上げる城門に向かって馬を駆った。紫雲の馬も怯えを見せていたが、陸王に遅れるまいと強引に馬腹を蹴って進める。
城門は煙に覆われているが、陸王には確信があったのだろう。跳ね橋も門も完全に破壊されているという確信が。破壊された門に向かって、陸王は空堀を越えるつもりだと紫雲は理解していた。
馬を駆る先の闇の中で、黒々と口を開けている空堀が目前に迫る。
陸王は空堀の縁ぎりぎりで馬を操り、堀を飛び越えると、危なげもなく土埃や煙で充満している城壁内に乗り入れた。爆発で騒ぎを起こしている兵士達には見向きもせず、第二の空堀にかかっている内側の跳ね橋の上を馬で駆けて行く。内部の城門は開きっぱなしになっていたため、二度目の術を使わなくとも楽に城門を突破できた。
突然、城門から爆発音と共に煙が上がったのを確認した砦の兵士達が城門まで集まろうとしている中に、陸王は馬を乗り入れる。折角入り込めたのに、ここで雑兵に捕まるわけにはいかない。馬の速度を落とさぬままに、血の匂いを辿って目標を定める。
匂いは砦の奥まで続いている。あちこちに焚かれた篝火に照らされて、砦の一番奥に塔を備えた邸が見通せた。血の匂いはそちらの方から漂ってくる。
確信を持って陸王は馬を進めたが、ちらと背後を確認する。紫雲が上手くついてきているかが気になったからだ。
少し遅れていたが、紫雲も馬を駆っている。
陸王は腹の中で、「上出来」と呟いて顔を前方の邸に向けたが、その瞬間、何かが顔面を掠めた。
はっとして城壁を見遣ると、そこには弓を構えた多数の兵士の姿。彼等がそれぞれに陸王と紫雲とを狙って矢を放っていたのだ。
陸王の騎乗している馬の首と腿に一本ずつ矢が突き刺さり、痛みのために馬体が均衡を崩す。それを倒れないように御しつつ、陸王は腰から吉宗を抜き払った。馬だけではなく、自分の身も護らねばならないからだ。それと同時に、馬腹を蹴って馬に気を入れる。矢に当たったせいで速度が落ちているのだ。これではいい的だ。前方からも槍を手にした兵士達が迫ってくる。
ここはさっさと進むべきだと判断し、陸王は一気に兵士達のもとへ突っ込んでいった。兵士を蹴散らすのは陸王にとって容易いことだったが、逆に兵士達がいることで矢の攻撃が止まるかも知れないと考えたからだ。
槍を持った兵士達とは混戦になったが、案の定、矢が射かけられることはなくなった。それをいいことに、陸王は自分と馬に向けられて突き出される槍を次々と叩き斬って、進路を切り開いていった。
陸王の操る馬が速度を落としたことで、紫雲の馬が脇を通り過ぎていく。
陸王の視界に入った紫雲の姿は、手綱を口に咥え、右腕に鉤爪を嵌めているところだった。兵士達に囲まれることなく素早く進んでいくが、その代わり矢の攻撃に晒されている。だが紫雲は、口に咥えた状態の手綱を上手く操って、矢の命中先を先読みするように矢を避け、時には一気に速度を上げて確実に矢の命中する場所から逃れていく。
それを見て、陸王もこんなところでもたもたしている場合ではないと、更に無理に馬を進めていった。槍を突きつけられるのが邪魔だったが、適当に槍を切り払って包囲網を抜けようとする。
その時、進行方向から紫雲が馬を駆ってきた。もう手綱を咥えてはいない。手で扱っている。
蹄の音で気付いたのか、兵士達が突進してくる馬に驚いて道を空けた。
陸王までの道が空いたことを確認して、
「案内を!」
紫雲が叫ぶ。
それに流されるように、陸王もさっと馬を駆り出した。槍兵に邪魔をされていたときとはまるで比べものにならない速度をいきなり出して、二人は邸へと向かった。周りでは馬に跳ね飛ばされる兵士もいたが、陸王と紫雲にとってそれは些末なことでしかなかった。
それこそ、もしかしたら吸血鬼の存在を知りつつも、匿っている者がいるとも考えられたからだ。例えそれが主君の命令だったとしても、その可能性がある限り、兵士に対して覚える慈悲はない。中には、本当に知らずに匿っている者がいることもあるだろう。
それでも、『知らなかった』ではすまされないのだ。それくらい多くの生命が散っていったのだから。これまでにも、吸血鬼が巣くっている兆候は何かしらあったはずだ。玄芭と玄史が隠し通そうとしていたとしても、気付こうと思えば気付ける可能性はあった。
いつの時代のことだか知らないが、砦を護るために無理に森を切り開いてまで外敵の動きを知ろうとしたくらいには、歴代の領主は外敵に用意周到だった。そんな周到さを吸血鬼一匹によってこじ開けられたのだ。身内を人質に取られているだろうことは容易に想像出来る。だからこそ、村を見捨てたのだ。村一つくらいの犠牲で身内が救われるのなら、安い手打ちと思ったに違いない。とは言え、同時に、奴を滅ぼして欲しいと思っているだろうことも容易に想像出来た。人質がいるからこそ、陸王らとこれまで手を組むことは出来なかった。だが先だって、玄芭は吸血鬼の屍体を持ってこいと言った。何があったか知らないが、急に手を組むことになったのだ。いよいよ追い詰められでもしたか。そんなことが陸王の頭の中で回る。
玄芭は吸血鬼の屍体を用意しろと言っておいて、陸王達のことは兵士には知らせなかったらしい。それもそうかと陸王は思った。まさか兵士達に、吸血鬼を匿っているとは言えまい。
所詮、吸血鬼に付け込まれるような隙を与えた領主達が悪いのだ。
それはもしかしたら不可抗力であったかも知れないが、それはそっちの事情だろう。陸王達には関係ない。
ただ玄芭としては、下手を打てば身内がどうなるか分からない恐怖はあっただろうと思う。ただし、その代わりというように、村を贄に捧げるのはどうなのか? 陸王はそこを問題視した。
もうかなりの人数が犠牲になっているのだ。身内が可愛いのは分かるが、他者を犠牲にしていい理由にはならない。
いやしくも領主たらんとするならば、領民を護る事こそが肝要だ。綺麗事なのは分かっている。それでも領主として取るべき行動は、外敵に対して領民を捧げることではない。飽くまでも庇護することだ。
それが人の上に立つ者の覚悟であり、良識だ。
これをなくせば、人は去って行く。あとに残るのは没落の道のみだ。
領主として良識を取るか没落の道を選ぶか、それは勝手にしろと思う。ただ、今の陸王は雷韋を救いたいのだ。村の者達のことはどちらかというと、もうどうでもよくなっていた。始まりは金になるのなら、雷韋の言葉を聞くのも悪くないという程度だった。雷韋によく見られもしたかった。だから領主に見限られている村の者達のために動いたのだ。
それが今はもう、そんな悠長なことを言っていられなくなっている。雷韋の生命、延いては己の生命にも障りが出てきた。己の生命は当然だが、雷韋の生命も陸王が握っている。
なんとしても、吸血鬼を滅ぼさなければならなくなったのだ。




