第四六話 巣くう場所
陸王は紫雲に森を抜けた先にある草原へ向かえと指示したが、彼からは困惑した気配が伝わってきただけだった。森の果てには、森を切り開いて無理矢理作った草原があることを説明したのだが、よく理解が及ばなかったらしい。仕方なしに陸王は、今、自分の前に広がっている情景を感覚だけでもいいからと精霊に様子を送らせるように意識した。この有様が、砦を外敵から護るために作られたものだろうことも同時に言葉で伝える。
歪な切り株がそのまま放置されているのは、攻城戦用の櫓を運び込むのを不可能にするためだ。櫓を運び込むことが出来るのは、街道を通ってまっすぐ砦前の城門に向かう道しかほかにない。
陸王自身も改めて思い出すと、切り株だらけの草原に城壁の外には二重の空堀、城門は堀と同じに二重になっているその様に、籠城戦を想定してよく考えて作られていると思う。
それらを説明してから、陸王は推察した吸血鬼の居場所を教えた。当然ながら、紫雲からは驚きの思念が伝わってきた。よもやのことであるからだ。
『吸血鬼が領主のもとに巣くっているというのは確かなことですか?』
『多分な。吸血鬼を徹底的にいない者として扱ってきたことが証拠だろう』
『身内を人質に、ですか』
『汚ぇやり方だが、多くの獲物を手に入れるのにはいい策だ』
陸王の言葉に、紫雲が嘆息をついたような気配があった。吸血鬼の思考を理解しているような陸王に呆れたのかも知れない。
陸王にとってみても、近しい存在だからこそ相手の考えが読めると言う事もある。こんな自分の勘を、内心忌々しく思うが、分かってしまうのだからしょうがない。だからと言って、そんな感覚についてあれこれを考えるほど暇でもなかった。今はやるべき事がある。吸血鬼が流した血の匂いもはっきり分かるのだ。
追跡するのは容易なことだった。
『とにかく、早く森を抜け出せ』
陸王が伝えると、一瞬、紫雲が何かを伝えかけた気配があったが、それが伝わってくることはなかった。返ってきた返答は、
『分かりました』
と言う、事務的なものだった。どこか鼻白んだ風でもある。
陸王は一人、紫雲の対応に苦笑した。紫雲としても、陸王のことが気に食わないのだろう。魔族ではなく魔人とは言っても、陸王は紛れもなく『魔』に連なる者だ。魂がいくら北方守護神・黒狼であろうとも、お互い人としての感情がある。これまでの人生経験から、相容れるものと容れないものがあるのは当然だ。特に紫雲は修行僧だ。魔物や魔族を調伏する者。『魔』に連なる陸王にいい感情を持ちがたくて当然だった。
陸王だって正直に言えば、紫雲を好ましいとは思っていない。腹の底に、いけ好かないという感情が常にある。あるが、それをどうこうしようとは思わなかった。そんな感情がある、と認識しておくだけで充分だ。面白くない感情をほじっても、いいことは何一つない。いたずらに面白くない気分になるだけだ。阿呆らしいと思うから、自分の腹の底はほじくらないようにしているのだ。
特に紫雲に関しては。
種族としてなら、魔に連なる者と修行僧は敵対する者同士だ。本来は相容ることは出来ない。それでも辛うじて相容っているのは、魂の次元で仲間だと言われているからだ。
四獣。あるいは守護四天帝。
世界を四方から護る神々の総称だ。
陸王も雷韋も紫雲も、このうちの三柱だと告げられた。残る一柱はまだ『青蛇殿』と呼ばれる、己の神殿で眠りに就いている。
だがこの事実は、つい最近知らされたことだ。
陸王には未だに信じ切ることが出来ない事柄だった。
これまで様々な場所を点々として生きてきた。一番長くいた場所は日ノ本の波羅密という町だ。そこで少年時代から青年になるまでを過ごした。陸王にとって、いい思い出もあれば、辛い思い出もある特別な場所だった。
日ノ本では未だ神と人、そして妖と呼ばれる摩訶不思議な生き物が混在して生きている。神は天つ神と国つ神の二つに分かれていて、天つ神は高天原と呼ばれる次元の異なる世界にいる。そこから日ノ本の人々を見守っているのだ。国つ神は、今では土着の神々と言っていい。元々地上にいた神々ではあるが、人間と妖が共存することを望んでいる。
日ノ本も大陸と同じように、既に人の世になっているが、国つ神は時に人のため、時に妖のために行動したりする。つまり、地上に生きる者全ての均衡を保っている神々と言えるだろう。光竜の起こす流れは日ノ本にも及ぶが、それよりもっと細かな部分で日ノ本の神々が全てを回しているのだ。
そんな神なら陸王も知っているが、まさか自分が『神』と総称される存在であろうとは思ってもみなかった。
ある日、唐突に突きつけられたのだ。
しかも告げたのは紫雲だった。天主神神義教に仕える修行僧である紫雲が。
天主神神義教はつまり、人間族が太陽神・天慧のために作った宗教だ。絶対神を天慧とし、崇める。
アルカレディアと呼ばれるこの世界の絶対神は、実際には光竜だ。天地を開闢し、世界の様々を創ったのだから。
しかし人間族は、『人間族』と言う人族を創造した天慧を唯一無二の神として崇めている。彼等は原初神が光竜であることは認めているが、唯一神としているのは、この地上に生み出してくれた天慧なのだ。
それでは四獣――守護四天帝とは何か。光竜と同じく獣神であり、光竜が世界を創造するのを手伝った神々だ。四獣は光竜ほど大きな力は持たない。一柱、一柱は光竜に比べて弱いと言う。けれど四獣が集まったとき、大きな力を発揮するのだ。その力は光竜と同等と言われている。
光竜と違って四獣の伝承は人間族の中には当然の如くないが、ほかの人族の中にもほとんど残っていないのが現状だ。この世で一番最初に創られた人族は鬼族だ。四獣の先兵として創られた種族故に、神格を持っている。その鬼族最後の生き残りが雷韋だ。しかし、最後の一人故に、一族の記憶は雷韋の中にはない。赤子の頃に一族は絶えてしまった。
雷韋を偶然に拾って育てたのは人間だ。人間族には天慧の教えばかりがある。人間に拾われ、養われた雷韋もそれに従って生きていることが多い。ただ雷韋は魔術師でもある。正確には精霊使い。それ故に自然の理を重視して動くことも多かった。
光竜は獣神故、光竜に生み出された眷属は『獣の眷属』と呼ばれるが、雷韋の中にある伝承などの知識は人間族のものか、あるいは魔術の師である光の妖精族から伝えられた妖精族の知識や伝承だ。光の妖精族も古い種族だが、四獣の伝承は残っていなかったらしい。だから、雷韋も四獣のことはほとんど何も知らなかった。
このように、光竜はともかくとして、四獣の伝承はほぼ地上から消えている。例え伝承があったとしても、天主神神義教からすれば異端の神々の物語だろう。認めることはないと思われる。
だと言うのに、修行僧である紫雲が四獣のことを陸王と雷韋に語ったのだ。これは異常なことだ。天慧を唯一絶対神とする僧侶が異端の神々の話をし、しかも自分達の魂は四獣の魂であり、大地と同体になっている光竜が、今、この時代に地上に排出したというのだから。
初めてそんな話を聞いたとき、陸王には妄言としか思えなかった。信じる信じないの話以前のものだったが、その話の外で様々あり、結局としては雷韋が信じると言ったことから、なし崩し的に陸王も信じてみようかなどと思ったのだ。
陸王は北方守護神・黒狼として。
雷韋は南方守護神・赤獅として。
四獣であることを信じるということは、同じ四獣であり、西方守護神・白虎である紫雲を信じることと同義だ。同じ四獣だから、魂の次元でも仲間として。
それでも好かないものは好かないのだ。これは理屈ではなく、陸王の素直な感情だ。第一、紫雲も似たようなものだろう。陸王の抱えている屈託と同じように、彼も陸王を好まない屈託を抱えているに違いないのだ。
ほんの少し、陸王が魔族めいた理屈を見せただけで、紫雲の感情が半ば抜けるほどだった。魔族は紫雲にとって、どこまでも敵でしかない。
そう教育されて育ってきている。
陸王は苛立ちを吐き出すように、大きな舌打ちをした。闇の中に舌打ちの音がすっと吸い込まれて消えていったが、陸王の中に苛立ちはそのまま残った。
くだらないことを思い出して、頭の中に巡らせてしまったからだ。切っ掛けは紫雲の反応だったが、それに引き摺られていらないことを考えてしまった自分が悪い。
余計、腹が立つ。
自分に対しての苛立ちは、なかなか消えてくれなかった。
陸王は気分を入れ換えるように大きく息を零して、闇の中に目を馳せた。
背後は真っ暗な森が闇よりも濃くどっしりと構え、空には星々が煌めいている。深い星空の中に細い月が頼りなげに浮かんでいるのは、なんとなくそこだけが寂しげに見えた。
余所に視線を転じると、紫雲から再び声が届いた。
『今、森を抜けました。陸王さん、どこです?』
『抜けたか。明かりは連れてきているな』
陸王が紫雲との別れ際に、光の球を置いてきたことを言っているのだ。あれは根源魔法を使うことが出来れば、作った者ではなくとも意識するだけで移動させることが出来る。だが紫雲は根源魔法を使うことが出来ない。そんな場合、手で掴まえて物理的に連れてくるしかないのだ。また、術者である陸王が意識しない限り、消えることはない。だから陸王は『連れてきているな』と言ったのだ。
『今も手に掴まえていますよ』
『そいつを放せ。俺のもとまで呼ぶ。そのあとをついてくりゃいい』
『了解です』
紫雲の返事を聞き、陸王は宙に手を差し出した。そして、小指からり曲げように二度、三度と手招きをする。紫雲のもとにある光の球を誘っているのだ。
陸王が光の球を呼び始めて少しすると、馬の蹄の音が遠くから耳に届いてきた。音の方向を見れば、光の球が小さく遠目に見える。まだ点のような光だったが、思っていたよりもずっと西側から蹄の音と光は確実に近づいてきている。陸王も馬首を巡らして、光の側へと馬を駆った。
ややもすると、光の球に照らされて、馬上の紫雲の姿が見えてきた。向こうからも陸王の姿が確認出来ているだろう。
「お前、随分と西に出たな。北東だと言っただろう」
合流して陸王からの第一声だった
「無茶を言わないでください。昼間と違って、正確な方角が分かるわけじゃないんですから」
文句めいた口調の紫雲だったが、すぐに気を入れ換えて問うてくる。
「それにしてもなんです、この草原は。辺り一面、切り株だらけじゃないですか」
「言っただろう。砦を護るために、無理に切り開いた土地だと。しかも攻城戦用の櫓を近寄らせねぇ為に、切り株の根は残したままだ」
陸王の言葉を聞いて、紫雲は蔑むような視線を辺りに馳せて溜息をついた。心底から呆れているのだろう。
「それで、吸血鬼のあとは追えるんですか? 砦にいるだろうという事でしたが」
「あぁ、おそらく間違いない。血の匂いが北、僅かに東寄りから漂ってくる。向かえば砦に辿り着くと俺はみている」
「では、すぐにでも向かいましょう」
陸王はそれに対して一度頷くと、再び馬首を巡らして馬を駆った。




