第四二話 凶暴化
その日は、陽が高いうちに昨夜斬り付けた吸血鬼の血の跡を辿って、どの方向へ逃げたかを探っていた。
陸王は村の若い連中と手分けして探していったが、畑には血痕が点々とあるものの、その先は森の中に続いていて、血痕は見つからなかった。樹上に滴り落ちているのだろう、血の匂いが漂っていた。その匂いで辿れるかとも思ったが、途中から血の匂いも霧散してしまっている。
つまり、昨夜は血臭の消えているこの辺りで自力で怪我を治療するかどうかして、逃げていったというところだ。完全に治癒させたか、止血程度の治療で済ませたかは分からないが。
なんにせよ、追える手がかりが途絶えた。上手く逃げられて、酷く腹立たしく歯痒い思いだ。
午前中で捜索は終了させ、皆をそれぞれ自由にさせた。
昨夜、眠っていない者もいるのだ。食事を摂らせて、仮眠くらいはさせてやりたい。
今夜もまた、何が起こるか分からないのだから。
陸王自身も休めるときに休んでおかないと、このままでは動けなくなりそうだと己を危ぶんだ。二日、まともに休んでいないのだ。今夜で三日目に突入する。
本来、陸王は三日程度の徹夜なら問題なく動けるが、昨夜から今朝にかけて雷韋の血の匂いに当てられている。それ以上に、神聖語を自分で唱えた。それもあって少々どころか、かなり辛いのが現状なのだ。
村の者は今夜で二日目。昨夜が初めての避難だったためだ。それから言えば、まだ余裕はあるだろう。壮健な若者も多い。それ以上に、昨夜休んで待機させた男達もいる。男達の半数は、交代して休めるのだ。
探索を終了させて少し経ち、既に村の者は森の中から消えている。村の外れでいつまでも彷徨いていても意味がないからだ。
陸王があとに残ったのは、血の匂いを確認する為だ。だが、どれだけ入念に鼻を利かせても、血臭は途中で霧散している。代わりに木々の匂いが充満していた。
「……戻るか」
諦めたように吐息と共にぽつりと口にして、陸王も森をあとにした。
畑の方から戻ると、紫雲と出会した。昨夜のことがあったから、レイザスから戻ってきたのだろう。
「陸王さん、今までどこに?」
出会って早々の一言だ。何やら焦った風がある。
「どこって、村の連中に聞かなかったか? 昨夜のことは知っているだろう。吸血鬼を斬り付けたことも」
「えぇ、知っていますよ。それで?」
「奴の血の跡を辿っていたんだ」
そこまで言って陸王は「で?」と、今度は逆に紫雲を促した。
紫雲の表情が一気に苦々しく歪む。
それを見て陸王は、まさか、と思った。今朝、一時課すぎまで陸王は雷韋と共にいた。雷韋の腕を洗ってから宿に戻ったからだ。そのあとすぐに村長が男達を伴って宿へやって来て、吸血鬼の血痕を追うことになった。話をしている間、雷韋は不安げな顔はしていたものの、大人しくしていたので紫雲の方から何も連絡がなかったと思っていたが、違ったのかも知れない。いや、もしかしたら血痕を辿りに行ったあとに紫雲から連絡があったか。もしかしたら、紫雲の思念に気付かなかったのかも知れない。それどころか、無意識のうちに交信を絶っていたか。
紫雲は焦りを見せている。理由はどちらでもいいが、陸王の知らないところで何かがあったのだろう。
「何があった。話せ」
紫雲は小さく頷いてから語り出した。それも辺りの目を憚る風にして、人気のないところまで陸王を連れて行ってから。
元の場所では、近くで危機感の欠片もない子供達が遊んでいたり、疲れを滲ませる男達が休んでいたり、昨夜、事なきを得た女達が陽の光を浴びながら胸をなで下ろしている様子を見せたりしていた。
陸王と雷韋は酷い目に遭ったが、結果として雷韋が襲われたことにより、この村自体に実害はなかった。昼間だけでも、日常を取り戻していてもおかしくはない。
「昨夜、貴方が吸血鬼を追い払ったあと、別の村が襲われました。確か、ルアドと言う村だったかと」
話を聞けば、レイザスの者が使いに行った先だったらしいが、吸血鬼のことを村の者達は真剣に取らなかったらしい。ほかの村のことだとばかりに考えて防備を一切しなかったために、結果として二家族が失われ、ほかに数軒の家で祖父母や両親の片方が食い殺されたというのだ。しかも、三人に吸血の痕があったと。結局、屍食鬼は計で八人でたと言う。それでも幸いと言うべきか、三人の子供が屍食鬼に変化する前に解呪されたとも紫雲は語った。
紫雲からの報告を聞き、陸王は吸血鬼が雷韋の血の匂いに酔って凶暴化したのだと思った。これまでは一晩に一人の犠牲者だったはずが、ルアドの犠牲者は辛うじて救われた三人の子供を含めても、最低でも十数人もでている。ほかに、屍食鬼に襲われて食い殺された者の数を入れてみれば、あまりにも多すぎる数だ。それ以上に、吸血鬼はここ二日間、獲物を手に入れられていない。ただでさえ、かなりの飢えを感じていたはずだ。
その合算がこれだ。
ルアドからの報告が入ったのは、夜が明けてからだったという。時間的に考えても、陸王が吸血鬼の血の跡を追っていったあとのことだ。その間、雷韋の傍から離れていたが、雷韋と紫雲はずっと繋がっていた。逆に、陸王はその時既に雷韋とも意識を繋げていなかった。紫雲は言わずもがな。だから雷韋が知ったところで、陸王側が断ち切ってしまっていては知らせようにも知らせようがない。雑音程度には聞こえるだろうが、意識していなければ頭に入ってこないだろう。だからと言って、雷韋が外に出ることは許されていない。
雷韋は宿に押し込められていた。隔離されたり閉じ込められたりしているわけではないが、陸王から「ここで大人しくいていろ」と言い含められていたのだ。
「村長に知らせた方がいいな。この話はほかの村にも伝えたのか?」
陸王が紫雲に問うた。
「えぇ。レイザスに報告が届いて、すぐに知らせに人をやりました」
「だとしたら、吸血鬼は一つところを狙うわけじゃねぇってことが伝わったわけだな。まぁ、大方、雷韋の血に酔って凶暴化したんだろうが」
最後に、小さく溜息をつきつつ陸王は紫雲に言葉を向けた。
「宿の近くに黒く変色した血痕があったのを見たか?」
「見ました。地面が大幅に真っ黒になっていましたね。傍を通ったときには、何人かの人達が水を撒いていましたが」
「掠り傷のような傷口から、あれだけ大量に血が噴き出したんだ。吸血鬼が飛んで逃げていく際にも、血の匂いがあとを追ったはずだ。魔気で変質させられて腐敗臭がしていたが、魔族にとっては間違いなく芯には血の匂いを感じることが出来る。特に相手は血を糧にする化け物だ。間違いなく血臭を嗅ぎ分けているな」
「貴方にも感じられましたか?」
紫雲の問いに、陸王は嫌そうな顔をしながらも頷いてみせた。陸王にとっては忌々しい限りだ。
それを見て、紫雲は不安げな顔つきになる。
「やはり、雷韋君を狙ってきますか?」
「間違いなく狙ってくる。標的は雷韋だが、村の連中にも危害が及ぶ可能性もある。それも含めて、村長に忠告してこなけりゃな」
「半端に終わらせられませんね」
「今夜こそ片をつける。行くぞ」
陸王は紫雲に顎をしゃくって行き先を示した。
行き先は、今朝、雷韋の腕を洗った井戸の傍にあった納屋と厩舎のある大きな家だ。そこが村長宅なのだ。家の中にいずとも、近辺にはいるはずだ。今夜のことは、まだ何も決まっていない。陸王としても、今朝は体調的に万全ではなかった。陽が昇ってから村長は男達数人と連れだって宿にやって来たが、すぐに陸王から血の跡を追う話が出てしまったため、陸王も休めなかったし、村長とも今後のことはまともに話し合っていなかったのだ。もうそろそろ、いい加減、村長も首を伸ばしきっているに違いない。想像でしかないが、すぐにでも今後のことを話し合いたいだろう。
なんと言っても、レイザスから始まった策は陸王の案なのだから。その策をとらなかった村が襲われた。それを聞けば、更に真剣味も増すだろう。
例え狙いは雷韋にあったとしても、村人に被害が出るとも知れないのだから。




