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第四一話 光竜の匂い

雷韋(らい)

 陸王(りくおう)は井戸を探して辺りを見回しながら、少年に声をかけた。

「精霊の流れで、井戸は見つけられんか?」

「あ、そっか」

 近くに井戸があるなら、水の精霊が漂っているはずだった。無闇に探すより、精霊の流れを見る方がよほど簡単に井戸が見つかるだろう。

「えっと」

 雷韋は神経を研ぎ澄ませて、精霊の流れを見た。確かに水の精霊はいる。それがどこから漂ってきているのか、雷韋は追い始めた。

「向こうから流れてくるみたいだ」

 言って、宿の前を通り過ぎ、南の方角へ向かう。そちらには数軒の建物が並んでいた。それの裏側から水の精霊は流れてきている。

 並んでいる建物は民家だった。一軒だけ納屋と共に厩舎のある大きなものがあり、ほかは納屋が併設されているだけで、至って一般的な大きさだった。

 うち、大きな建物の周りに水の精霊が多く集まっていた。

「この建物の裏だよ、きっと」

 雷韋が案内するままに陸王がついていくと、確かに建物の裏、というよりは少し離れた場所に屋根と滑車が(しつら)えられた井戸が見つかった。井戸の背後には林もある。

 井戸を見つけて、早速、陸王は水を汲み上げた。

 陸王の汲み上げた水を掌に掬い取り、雷韋は真っ黒に汚れた腕を擦り洗いしようとしたが、陸王がそれをやめさせる。

「自分でやると、服に黒い血の染みがつくぞ」

「あ……」

 雷韋から納得したような、今気付いたとでも言うかのような、妙な声が漏れた。

 雷韋の着ている服は、赤地に、原色の糸を使って植物や鳥の刺繍が施されたものだ。はっきり言って派手としか言いようがなかったが、雷韋のお気に入りだ。それに染みをつけたくない気持ちの方が強かったのだろう。

 陸王も雷韋が何を考えているかくらい分かっている。だから雷韋の腕を取って、陸王が血を洗い流し始めた。

 水で手を濡らして、血糊を丁寧に洗い流していく。水に溶け始めた血が粘つきをみせるが、構わず陸王は洗い流していった。

 とは言え、血を洗い流している方の手を釣瓶(つるべ)の中に入れることは出来ない。血液で釣瓶が汚れてしまうからだ。面倒にはなるが、片手で水を汲み、片手で雷韋の腕を擦る。

 その動作を暫く繰り返し、ようやっと雷韋の腕は綺麗な肌色を取り戻した。

 綺麗になった腕に、瘡蓋が水にふやかされてその周囲を白くしているのが残る。

「どうする?」

 陸王は雷韋を見ることもなしに言ったが、雷韋にもその意味は分かったので、剥がしてしまうように頼む。

 返事も返さずに、陸王は瘡蓋(かさぶた)に爪を立て始めた。最初は肌にくっついていた瘡蓋だが、周りからゆっくり爪を立てていくと、やがていくつかに分かれて剥がれ落ちるに至る。

 瘡蓋の下は()(さら)な肌だった。切った痕さえ残っていない。

 それを確かめると、陸王から軽い溜息が漏れた。雷韋も綺麗になった自分の腕を見る。

「やっぱ、治ってたな」

「あぁ」

 言いながら、陸王は中の水を捨てた釣瓶を井戸端に置いた。

「あんがとな、陸王。お陰で腕綺麗になったし、服も汚れなかった」

 雷韋は素直に嬉しげに礼を言うが、それに返る言葉は何もなかった。不可思議に思って、井戸の枠に手を置いたままの陸王に近寄っていった。

 雷韋の見た陸王の横顔は、酷く難しげだった。

「どうしたんだよ、陸王」

「少し、血に当たった」

「ご、ごめん……」

 遠慮したように雷韋が言うと、陸王は苦笑を零した。

「こいつはお前のせいじゃねぇ。どうしようもない問題だ。それ以上に、ちと考え事もあった」

 雷韋の不安げな視線を受けて、陸王は言う。

「今夜のお前の居場所だ。どこにいても安全とは言えん。すっかり匂いを覚えられちまっただろうからな」

「ん~」

 雷韋は上目遣いに空を見上げて、思いを巡らせた。そんな雷韋を横目に見て、陸王は言った。

「例え俺と一緒にいて神聖語(リタ)に護られていたとしても、安全とは言い切れんのだ」

 それを聞いて、雷韋は昨夜のことを思い返した。神聖語で聖典を朗読する中に陸王がいたことを。あれでは陸王が辛すぎるだろうと思ったのだ。魔人である陸王なら抵抗は出来るとしても、肝心なときに足を引っ張られることになるかも知れないと思う。

 吸血鬼がもしやってきて、その際、陸王が神聖語を無効化しようものなら、吸血鬼に陸王の正体が知られてしまう可能性もある。

 それは絶対にまずいと、陸王は雷韋に語った。また、これから街に戻ったとしても、吸血鬼は雷韋を捜すかも知れないことも告げた。

 魔族にとって、鬼族は最高の獲物だ。みすみす見逃してくれるとは思えない。もし見つかりでもしたら、陸王も紫雲もいない状態で雷韋がどうなるかなど知れている。雷韋自身も、昨日のことで充分すぎるほど理解していた。

「俺と街へ戻るって手もある。お前は一人にしちゃおけんからな。だからと言って、俺とお前が逃げ出して、吸血鬼がお前を諦めて村を襲うって可能性だってあるんだ。どの村でも納屋に女子供を収容している。そう手配した。その上で、神聖語の詠唱で結界じみたものを作って女子供を護ってるんだ」

「神聖語の詠唱してるんなら、この間より随分ましなんじゃないのか? 魔族には手出ししようがないじゃんよ」

「いや。力技で一息に押し入られでもしたら、神聖語の詠唱なんざその騒ぎで止まっちまう。そうなれば、いくらでも奴の自由に出来る。お前以外にも、ほかに獲物を攫うことだって簡単だろう。昨夜はお前が標的になったお陰でほかが助かったってだけだ」

「それはそうかも知んないけど……」

 むぅっと雷韋は短く呻いた。呻いてすぐ陸王に顔を向ける。

「じゃあさ、村以外のどこでもいいからさ、穴掘ってくんないかな?」

「あ?」

 陸王は怪訝な顔をして雷韋を見遣った。

 雷韋曰く、光竜(こうりゅう)の眷属──獣の眷属は光竜の加護を受けている。獣の眷属を創造した光竜は現在、大地と同化して眠っているのだ。創造主として、光竜と獣の眷属は匂いが似通っているという。だから土の中に身を忍ばせれば、始まりの獣の眷属である鬼族の血の匂いは掻き消されるだろうと。怪我も何もしていない今の状態なら、光竜の匂いでごまかせるはずだと雷韋は言うのだ。

 陸王はそれを聞いて、馬鹿なと思う。確かに鬼族は光竜に一番最初に創られた人族であり、仮にも神格を持つ種族だ。だからと言って、土の中に身を潜ませれば、匂いを掻き消すことが出来るなぞ馬鹿らしい妄言としか言いようがない。

 陸王は雷韋の言葉を否定するように、(かぶり)を振った。

「そんな方法で逃げおおせられるなら、魔族に襲われる獣の眷属はいないだろう」

「でも、そうやって隠れてる獣の眷属は多いって魔術の師匠は言ってた。獣人達は人間の村みたいにして暮らしてる連中も多いけど、洞窟に住んでる奴らの方が圧倒的に多いって。妖精族だってそうだ。大地に近い植物に囲まれたり、小人族(ミゼット)だって洞窟の結界の中に隠れ住んでるのが多いらし……」

 皆まで言わせずに、陸王は雷韋の口を手で塞いだ。

「だからって、お前までそうする必要はねぇだろう。お前が殺されれば、俺も死ぬ。だから今夜はお前は俺といろ」

 陸王を見つめる雷韋の瞳が不服げに揺れる。

「確かにお前の言っていることには一理あるのかもしれん。俺は獣の眷属のことには詳しくないからな。だが、それでも信じられん。今のはお前の妄言だと思っておく」

 雷韋の口から手を離し、陸王は井戸を覆う屋根の下から出た。

 いつの間にか陽は昇って、既に一時課にはなっている頃合いだった。

「雷韋、今の話は紫雲にも届いてるのか?」

 雷韋は渋く頷いただけだった。

 その様子に、紫雲からも妙案は出ていないのだろうと推測する。紫雲だってまさか地面に穴を掘って、穴熊のようにそこに隠れることが安全とは思わないだろう。

 彼は彼で別なことを考えているはずだ。そう思う。

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