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第三七話 神聖魔法とその影響

 陸王(りくおう)は覚悟を決めて、片手で印契を作り、片手を雷韋(らい)の胸の上に置いた。一つ息を吸い込み、吐き出す息に乗せて神聖語(リタ)を一言口にする。

 途端、物凄まじい圧迫が陸王を襲った。身体中どこからでも絞め殺されそうな、凄まじい圧迫感だ。内側から腐れてくるような感覚さえもある。

 言葉を一つ発音するだけで、身体が震える。

 陸王はそれでも神聖語を止めなかった。

 絞め殺されそうだからなんだというのか。雷韋が死んでしまえば、陸王も死ぬ。解呪のための神聖魔法(リタナリア)を使ったところで、苦しみの程度は知れているのだ。確かに苦しいが、本当に死んでしまうと言うことはないはずだ。ただ、内部から湧き上がってくる神聖語の威力が強すぎる。外から感じるのとは雲泥の差だった。それでも、神聖語がどれだけ己を蝕もうと、やめる気はなかった。やめたら最後、雷韋は間違いなく死ぬ。そうなれば自分も死ぬ。どれだけ不利益を被ろうとも、雷韋の解呪だけはなんとしてでも成し遂げる腹積もりだ。

 陸王の中にはそれだけだった。

 助けることが出来るのに助けられない方が、不利益なのだ。

 それこそ、取り返しがつかない。

 時に歯を食い縛ることもあるが、震える声で陸王は言葉を紡ぎ続けた。

 雷韋の顔が苦痛で霞んで見えなくなりそうになりながらも、陸王は星明かりの中で言葉を止めることはなかった。

 だがある瞬間、陸王は言葉を途絶えさせて雷韋の上に倒れ込んだ。

 同時に、雷韋の身体から、大量の真っ黒な靄が吹き出す。

 神聖魔法が結ばれた結果だ。

 陸王にとっては永い永い時間だったように思うが、実際には僅かばかりの時間だった。

 雷韋の中から吹き上がった靄は、辺り一面を覆い尽くすほどもある。魔気だ。

 鬼族であるために、身体の中で食らった魔気が倍増していたのだ。しかも受けたのは、レイザスの者達と同じに濃い魔気だった。これが人間族を神聖魔法で解呪したものであれば、ここまで濃く漂ったりしない。一気に吹き出しても、すぐに消え去る。

 雷韋の場合、吸血鬼の魔気だから特別こうなったようだ。雷韋には濃すぎたのだ。

 陸王は一気に吹き出た汗に(まみ)れながら、雷韋をその場から離そうと、小さく細い身体を抱き上げる。靄として顕現しても、中にいれば再度影響を受けると判断して雷韋を連れ出そうというのだ。

 靄の外には出られたが、雷韋がいた近辺を中心に、五メートル四方ほどが魔気で覆われている。

 足下がふらつくが、靄の外へ抜け出した辺りで何人かの人の声が聞こえてきた。

 陸王が突然飛び出していったのを確認した者達が、あとから群れてやって来たのだろう。遠くはあるが、いくつもある松明の灯し火がやけに明るい。反対に、陸王は雷韋を取り返すのに必死で、光の球さえ顕現するのを忘れていたほどだ。

 陸王は松明の明かりを目にして、その場に力なく膝をついた。自分自身でしたことだが、神聖魔法に攻撃を受けたのだから膝をつくのもしょうがない。雷韋はおそらくもう大丈夫だろうが、陸王の方が今や青息吐息だった。抱え上げていた雷韋も、身体から力が抜けて地面に下ろしてしまう有様だ。

 陸王は二度呼吸を喘がせたが、すぐに雷韋の腕に巻いてある腰帯を外した。神聖魔法で祓ったから、もう出血も血液の色も常に戻っているはず。傷口自体はそれほど深くも大きくもないのだから。

 真っ黒に濡れた腰帯を解くと、腕から僅かばかり流れ出している血液は思った通り赤く、量は少ない。傷口から血が滲み出ているといった具合だ。傷の程度からすれば、このまま放置しても勝手に治るだろう。鬼族というのは、外傷に強い身体を持っているのだ。以前、雷韋から聞いたことがあった。多少の切り傷なら、見ている間に治る。それもこれも、天敵が魔族であり、魔族と戦うために身についた特異性なのだと。

 身体に傷をつけて、魔気で濁った血を排出しながら戦わねばならないからだ。

「おい、陸王さん! 何がありなすった?」

 陸王と雷韋のもとにやってくる者の中から声がかかった。陸王は疲れ果てていて、それに応える術を持っていなかったが、次々と現れる男達に目だけは遣った。

 男達の中には、陸王の背後に棚引く黒い靄に目を遣る者も多かった。

 それを見遣って、陸王は力なく言葉を放った。

「司祭か助祭を連れてきてくれ。あの黒い靄は魔気だ。祓って貰う。だからって、迂闊に近づくんじゃねぇぞ。魔気に当てられる。そのくらいには濃く強い影響のある魔気だ」

「魔気? 魔気って、魔族の? あんな風に見えるもんなのかい?」

「そうだ。雷韋が、こいつが魔気を受けた。それを祓ったから目視出来る。特別なんだ」

 陸王が言うと、男達がざわめいた。僧侶でもないのに魔気を祓うことが出来るのかというざわめきだ。

 それに対しては、神聖魔法を使ったとはいえないため、日ノ本特有の術である陰陽術で悪しきを祓ったと言っておいた。

 嘘ではないが、本当でもない。陸王は簡単な根源魔法と魔代魔法、それに体術である気功法しか使えないからだ。理論的にはこの通り神聖魔法も使える。が、魔に連なる者にとっては、自分で自分を攻撃したようなものだ。緊急事態だったため今回はこうして使ったが、二度と雷韋に魔気を食らわせることはしないと心で誓った。

 陸王が、「陰陽術で」なとど弁解したのは、この場を取り繕うためだ。その方が何かと都合がいい。大陸の者には日ノ本のことは分からない。だから、これでいいと思った。実際、陰陽術で穢れを祓うことは出来るのだし。陸王が使える使えないかは別にして。

 男達は互いに顔を見合わせて、日ノ本ってのはよくわからんが凄いな、とか、向こうにも魔術はあるのか、など口々に話している。

 陸王は疲れた溜息を吐き出して、

「それよりも僧侶だ。呼んでこい。じゃないと、いつまでも魔気が蟠ったままになるぞ。俺は雷韋(こいつ)を祓うのに慣れない術を使ったせいで、体力を使い果たした。もう一度魔気を祓うことは出来ん。早く連れてこい」

 陸王に再度催促され、男達の中から二人が納屋の方へ駆け戻っていった。

 それをよそに、

「それにしても、なんだか腐ったような変な臭いがしないか?」

 誰かが言った。

 陸王はそれを聞いて、人間にも感じられるほど臭うのかと思った。それだけ雷韋の血が変質していた証拠だろう。

 魔気に当てられた濁った血は確かに腐敗臭を感じるが、その臭いの中心には相変わらず甘い匂いがある。

 雷韋を取り戻してほっとはしたが、今回のことで雷韋自身もどれだけ相手が悪いのかが分かったというものだ。同時に、吸血鬼はいい獲物を見つけたというところだろう。

 雷韋を隠す必要がある。街に戻らせようかとも考えたが、奴はもう雷韋の匂いを覚えたはずだ。どこへやっても、きっと見つけ出してしまうだろう。それなら自分と一緒にいさせた方がいいと思った。

 とは言え、相手は今夜も怪我を負った。手応えは感じたが、実際のところ、どの程度の怪我を負わせたかは判別出来ない。

 雷韋にとって、神聖魔法は特に害を受けるものではない。今夜のように聖典の朗読をしている場所に置いた方が安全だ。陸王にはきつい場所ではあるが、傍に置いておく方が安心出来る。ならば傍に置いておく方がいいだろうと素直に思えた。常の安堵感を感じることが出来るからだ。雷韋が視界のうちにいるだけで、安堵する。

 雷韋と出会って、陸王の中で変化した部分だ。

 今回は、下手に隔離をしたせいで襲われたのだ。奴は肌からでも雷韋の血の匂いを嗅ぎ分けたに違いない。でなければ、宿には向かわなかったと考えられる。きっと家々に女子供がいないことで、レイザスの一件を思い出すだろう。だとすれば、納屋を探すはずだ。そこで狩りが成功するかしないかの結論は別として。

 そんな事を考えていると、声をかけられた。

「陸王さんよ、その真っ黒な布はなんだい? あっちの地面にも何かが染みているようだが」

「このガキの血だ」

 吐き捨てるように返す。

「え? それって血なのか? インクみたいに真っ黒じゃないか」

 別の男が声をかけると、陸王は心の内で舌打ちした。今は疲れ果てていて、返事をするのも億劫なのだ。吉宗もさっきからずっと鳴いて知らせている。早く鞘に収めて手元に戻してやりたいとは思うが、少なくとも話さなければならないことがあるのも事実だった。

 一度大きく息を吸ってから答える。雷韋が魔気を浴びて、血を変質させたことから皮切りに、この腐敗臭も変質した血液のせいであることも全て話した。全く一方的な言い方ではあったが。

 内心、嫌々ながら答えてから、陸王はふらりと立ち上がった。

「おい、大丈夫かい? あんた、ふらついてるじゃないか」

「大切な拾いものがあるんだ」

 陸王はまず、男達の一人から松明を奪い取るように手にして魔気の靄の中に入っていった。靄の中に入っていく陸王の後ろからは、危ないんじゃないのかとの声がいくつも上がったが、彼は無視して入っていった。そこで鞘と小柄を拾い、煙の中から現れると、今度は放り出したままの吉宗を拾い上げて、ようやく鳴く刀を鎮めてやった。

 陸王は大儀そうにそれらを終えると、再び雷韋の元まで戻ってきて少年を抱き上げる。奪った松明は近場に放った。雷韋を抱き上げながら松明を持つのは不可能だからだ。

 歩き出した陸王は納屋の方へは向かわなかった。宿の方を向いてゆらりゆらりとゆっくり歩いている。

 その様はどこか幽鬼めいて、残された男達を心持ちぞっとさせた。

 陸王が雷韋を抱えて宿の前の階段に腰を下ろしたとき、助祭の一人がやって来たのが見えた。黙って様子を窺っていると、連れてきた男達に魔気の靄を示されて驚いていた。

 当然と言えば当然だ。あんなに濃い魔気は普通お目にかかれない。人が一生を生きてきて、たった一度でも見られるだけで奇跡だ。本来なら、一生かかっても見られない。

 離れた場所から様子を窺ったままでいると、助祭が神聖魔法を使うのが分かった。神聖語が小さく聞こえてきて、神聖魔法を発現したと思った途端、ぞっとした。神聖語の影響だ。とは言え、さっき自分で神聖語を紡いだときのような強烈な反応は受けなかったが。

 あれはやはり、自身で唱えたからこそのものだろう。身体の内側から締め付けられ、腐れてしまうような感覚を受けたのだ。己の内側から引き出すのと、他者が唱えて外側から受けるのとでは感覚が全く違うのを思い知った。

 助祭が靄に向かって神聖語を紡いで煙を直接腕で祓うと、煙はふっと消えていく。大量に漂っていたのに、一度祓っただけで完全に掻き消えたのだ。

 さすがは聖職者と言ったところか。

 陸王の身体の内側には、未だに己で唱えた神聖魔法の名残がある。正直、それがかなりきつい。意識をしっかり保っていないと倒れてしまいそうなほど、あとからあとから影響が及んでくる。未だに己で放ったものに、己が攻撃されているのだ。

 陸王は今夜、生まれて初めて神聖魔法を使った。雷韋を救うにはそれしか方法がなかったからというのもある。そのことに関しては後悔はない。ただ、己をうつけだと思った。魔族にとって神聖魔法は唯一の毒だ。それを忘れていたこと、甘く見積もっていたこと。あまりにも自分は愚かしかった。

 今、こうして階段に腰を下ろし、雷韋を抱いているだけでもきつい。精一杯の空元気で(くずお)れるのを我慢しているのが現状だった。

 そんな陸王にも、僅かだが元気の源となるものが存在した。

 抱いている雷韋から来る魂の影響だ。それがほんの少しだけ、陸王に元気を与えてくれる気がする。至近距離にいることで、魂が共鳴を起こしているのだ。その事実が陸王の平静を保つ源になっている。だから苦しくとも、雷韋を助けられてよかったと思うのだ。

 雷韋をこのまま膝上に抱いて、眠ってしまえればどんなにか楽だろう。ここから納屋へ戻る体力は流石にない。もとより、あそこでは未だに神聖語が唱えられているのだろう。そんなところに今行ったら、完全に参ってしまう。だからここに腰を下ろしたのだ。

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