第二八話 卑小な者ども
陸王は、村長を甚振っていた兵士を睨め付けながら、鎖帷子を着けた兵士に静かに返した。
「誰が誰を惑わせただと? 巫山戯るのも大概にしろ」
だが、激情は隠さない。きつく眉根を寄せ、鼻っ面に皺が寄っているのがその証だ。
何度訴えても吸血鬼の存在を信じようともせず、そのせいでこれまでこの村の者が苦しんできた事実。
昨夜は陸王の考えと紫雲の存在で、なんとか首の皮一枚のところで村の者がやっと救われた晩になったこと。
その事実を以て、吸血鬼がいると証拠立ったことを告げたかと思えば、ペテン師扱いで兵士が自分を捕らえに来たこと。
それで飽き足らず、無抵抗な者を虎の威を借りて鞭でしたたかに打ち据えたこと。
そのどれもこれもが、陸王には気に食わないことばかりだということを、腹の底から吐き出した。まるで反吐を吐くように苦々しく、憤懣やるかたなしに憤ろしく。
「手前ぇらの目的はなんだ。……妄言を吐くと言って、領民を見殺しにすることか」
最後の最後、陸王はそう低く呟くように言った。
陸王の言葉を聞いても、兵士達は皆にやにやと笑っているばかりだった。誰も彼もが、全く小馬鹿にしている。
その有様に、陸王はふっと激情を引っ込めて、痛みに蹲る村長を立ち上がらせてやった。彼は頭をしっかり庇っていたというのに、顔にも血の滲んだミミズ腫れが幾筋も出来ていた。ここへやって来ていきなり鞭打たれたか、それとも腕でも庇いきれなかったのか。
「あんたはもう行け。ここにいる必要はねぇ」
陸王に言われて、村長は兵士達と陸王とを見比べて様子を見ていたが、兵士達からはなんの声もかからず、陸王はそっと背中を押し出してくれた。おろおろする様子を見せていたが、陸王の送り出しに勇気付けられるように村長は一歩を踏み出した。
が、目の前の兵士から乗馬鞭を胸に突きつけられて押し止められる。
「おっと、首謀者は村長とそこの侍、あとは修行僧だったな。修行僧はどこにいる。領主様から直々のお召しだ」
にやついた顔は変わらなかったが、声には脅すような響きがあった。
村長はそれに怖じ気づいたように一歩後ろに下がったが、陸王はそうではなかった。
風切り音がして、一拍ののち、村長に突き出されていた鞭の半ばほどから先端が落ちた。
「な、なんだ?」
兵士が思わずという風に口にすると、今度は目の前に刀の切っ先が突きつけられる。
陸王が素早く吉宗の刃を抜くと同時に鞭を断ち切り、そのついでのように兵士の鼻っ面に切っ先を突きつけたのだ。
一瞬のことにて、誰もその場から動こうとはしなかった。
いや、動けなかったのだ。
切っ先を突きつけられた兵士も、何が起こったのかまだ理解出来ない顔をして、ぽかんとしている。目も口も開きっぱなしで、まるで子供の描いた下手くそな落書きのような顔をしていた。
「悪いが、修行僧はこの村にはいねぇ。だからと言って、どこにいるかなんざ答える気もねぇぞ。あいつはあいつで、忙しくしているだろうからな。用があるなら、俺だけを連れて行け。昨夜のことは、俺の出した案だからな」
陸王が言い終わった途端、抜け、と兵士二、三人の声がかかった。それに呼応するように、周りを取り囲んでいる十数人の兵士達は腰から剣を抜き払って陸王を牽制し始めた。
兵士達の手にある十数本の剣は、朝陽を反射して、ぎらりと閃く。
その有様に、村長は短くか細い悲鳴を上げて、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
陸王に切っ先を向けられている兵士も剣を鞘から抜き払ったが、僅かずつ移動してみても吉宗の切っ先は兵士から逸らされることはなかった。
切っ先を向けられたままの兵士は、
「刀を退けろ。俺に傷一つでもつけたなら、次の瞬間、お前は四方八方から串刺しだ」
そう脅してきた。
陸王はその言葉に片笑む。
「へっ。怖ぇことを言うもんだな」
言う口調は、表情と同じに皮肉にも楽しげだ。
が、何を思ったのか、陸王は兵士の眼前に突き出していた切っ先を逸らすと、そのまま吉宗の刃を鞘に収めてしまう。それだけにとどまらず、鞘に収めた吉宗を腰帯から引き抜くと、兵士に突き出した。
「こいつが怖ぇんだろ? だったらこいつを持って行け。その代わり、村長には手を出すな。昨夜のことは俺の策だといっただろう。村長は俺の言うことに従っただけだ。なんの責任もねぇ。責があるとしたら、俺だけにある」
その時の陸王の顔からは既に笑みは消えさって、真剣な面持ちがあるだけだ。
さっきまで切っ先を向けられていた兵士が一歩前に進み出て、仕返しのように陸王から乱暴に吉宗を奪い取る。それから隊長と覚しき鎖帷子を着た男に眼差しを向けた。
隊長は小さく頷いて、陸王に縄を打たせた。
陸王は無抵抗に後ろ手に縛り上げられ、更にその上から身体も拘束された。縄を打たれている間、陸王は抵抗らしい抵抗も見せず、ただ黙ってじっとしていた。
恰も、やりたいようにやれとでも言わんばかりに。
兵士達が陸王を縛り上げると、隊長が「修行僧はどこにいる」と詰問してきた。さっきの陸王のように剣の切っ先を顎先に向け、厳しい目を向けてくる。周りの兵士達も鞭の先で小突いてきた。
どうやら彼等は抵抗しない者、大人しくしている者には強いらしい。
典型的な弱者だ。大人しくしている陸王を小突いて威張り散らしてはいるものの、少なくとも強者の姿ではない。
全く卑屈で矮小な、小者のすることだ。
「さぁ、言え。修行僧はどこにいる」
隊長がきつく当たるが、陸王はつまらなげに返すだけだった。
「今頃はどこかほかの村にいるだろう。どことは知らんが」
「どうしてほかの村にいる? お前らが騙したのはこの村の連中だけだろう」
「お前ら、報告は受けているんだよな? 昨夜、この村は吸血鬼に襲われた。辛うじて深刻な被害は出なかったが、吸血鬼はこの村の対応を見て、ほかの村に目を向けるかも知れんのだ。そのことを村の連中は、ほかの村に知らせに向かっている。修行僧もその中にいるが、どこに向かったかまでは俺は知らん。あいつだってガキじゃねぇんだ。自分の頭で考えるだろうよ」
陸王は話を適当に逸らしつつ、起きている事実を口にした。人を騙くらかすには、事実の中にほんの少しだけ嘘を交えるのがいい。それだけで人は、嘘や隠し事を見抜けなくなる。
実際のところ、紫雲はゴザック村に行っているが、当然それは言わない。真実の中の嘘、隠し事だ。
兵士達はこの村に侍と修行僧がいて、村人を騙していると思い込んでいる。それなのに修行僧がいない。近隣の村を廻っているとしても、どこに向かったのか分からない。少なくとも陸王は言わなかった。陸王と紫雲のたった二人がいると聞いたから、十数人でやって来たのだ。これから陸王を護送するとして、ほかの村に回すだけの人員はなかった。下手に人数を割けば、護送する陸王に逃げられる可能性もある。
そこで例の兵士が、未だ縮こまってしゃがみ込んでいる村長に向かった。向かいがけに、近場の兵士から乗馬鞭を奪い取る。
「なぁ、村長。お前なら知ってるんじゃないのか? 村の連中も向かったと言う事だし、その中に混じって修行僧がほかの村を廻っているんだろう? どこに向かったか知ってるんじゃないのか、ん?」
兵士は村長の丸まった背中を鞭でさすりながら問いかける。
村長はまた鞭打たれるのが怖いのか、身体を細かく震わせていた。そして言うのだ。
「わ、私は、馬をお貸ししただけです。ほかに知らされたのは、吸血鬼は招き入れない限り家屋の中に入ってこられないということだけです。ほかの詳しいことは何も……何も」
村長は早口で捲し立てて、それだけだった。
兵士は面白くなげに舌打ちをし、改めて陸王を苦々しく見遣った。痛めつけた村長が口を割らないということは、本当に彼は知らないのだろうと兵士は思ったのだろう。一方で、全てを知っていそうな陸王は、どんなにきつく詰問したところで口を割らないだろうと思えた。そも、彼等兵士達はペテン師を捕らえて砦に連れて行くことが使命なのだ。尋問や拷問をする為に来たわけではない。例えしたくても、そうする権利はなかった。せいぜいやって、村長を痛めつけたのと同じ鞭打ちが精一杯だ。




