第二九話 暴走
兵士はもう一度舌打ちをし、村長から離れて陸王の頬を乗馬鞭で一度だけ打ち据えた。
鞭の勢いに陸王は顔を逸らしたが、すぐに自分を鞭打った兵士を見遣る。頬に赤い線が走っていたが、陸王は涼しい顔をしてみせた。実際、彼にはこの程度の怪我など怪我のうちにも入らない。
そんな二人の無言の応酬を眺めていた隊長が、四、五人にここに残って修行僧を探すよう指示し、それでも修行僧がいなければほかの村に向かうように更に指示を下す。陸王が捕まったことで村長はなんとか兵士達の輪から逃れられたが、残りの兵士達は全員騎乗させて隊長は自分も騎馬にまたがると、陸王を取り囲ませるようにして歩かせ始めた。
陸王を縛り上げた綱の一端は、背後から陸王を引っ張るように結ばれていた。それを隊長が陸王の隣に並んで、手綱と共にしっかりと握りしめている。
馬を進める速度は、馬にとってみれば速くはないとは言え、遅くもない。ぎりぎり陸王が歩いていられる程度の速度は出ていた。
騎馬の速度の出し方に、陸王は内心でうんざりする。ぎりぎり歩いていられる速度とは言え、馬に合わせた速度なのだ。
地味な嫌がらせだった。
陸王が僅かでも遅れれば、無理に引っ張られる形になるだろう。ましてや誤って足を縺れさせたりすれば、嫌がらせは更に酷くなると言うものだ。馬を止めることなく、陸王を引き摺ってでも連れて行く気だろう。考えなくてもそれくらいは簡単に思い描ける。寧ろ、それを楽しみにしている風もあるのだ。
陸王がうんざりするのも当然だった。
だが、ただで操られてやる謂れはない。陸王は胸の内で『状況が分かったか?』と紫雲に告げる。
雷韋との接触が断たれたあと、彩加が村長の危機を告げたときから、彼は風球で紫雲に注意を促していたのだ。状況を伝える最中に特に言葉を交わすことはなかったが、紫雲は黙ってこちらの状態を伺っていた。
陸王が紫雲に向けてはっきりと胸中で言葉を発したのは、この時が初めてだった。
それまで様子を窺っていた紫雲はこのことに対して、ただ『了解』とだけ返してくる。
これだけの状況を知らせれば、紫雲は紫雲でどうにかするだろうと思う。なるべくなら見つからないことが最善なのだが、どうするかの判断そのものは紫雲に任せようとも思った。
二人で堂々と乗り込むのも、あるいは悪くない考えでもあるからだ。あとから紫雲が追いかけてくることも出来る。
陽はまだまだ高い。昇ったばかりだ。
時間は充分にある。
他の村のことはレイザスの男達にも任せてあるのだ。しかも皆、駄馬ではあるが、馬で移動している。各村の村長がどこまで真剣に話を聞いてくれるか分からないが、レイザス村が被害に遭ったことは確実なのだ。連絡係になった男達の中には、吸血鬼が大きな蝙蝠に変化して逃げ出したのを見た者もいる。彼らに、危機意識があるだろうことを陸王は信じたかった。
腹の中でそんなことを考えていると、まだ繋がっている紫雲の思念に驚愕の色が現れたのを感じた。
向こうで何かがあったのだ。
心の中で呼びかけると、紫雲から大変な返事が返ってきた。
雷韋がゴザック村に向かうと言っているらしい。紫雲は今、ゴザックの村に赴いて、一緒に来てくれたレイザスの男と一緒にいる。説明は紫雲からもしたが、話の途中から連れの男に変わって貰ったようだった。陸王から連絡が行ったからだ。陸王の状況に、紫雲が何事かを考えているところに雷韋から連絡が行ったのだ。
それも突然。
冗談ではないと思った。吸血鬼がうろうろする中に鬼族がやってくるとは、正気の沙汰とも思われない。
陸王は雷韋に思念を送ってみたが、未だ雷韋の方で思考を閉ざしているようだった。でなければ、紫雲と意識を繋げている雷韋のとんでもない発言が陸王にも聞こえてきてもよかったからだ。それがないということは、雷韋の方で閉ざしてしまっているということだ。
陸王の頭の中に、紫雲が必死に雷韋を留めようとしている声が聞こえるが、状況は芳しくないようだった。
言いだしたら聞かないところがあるのが雷韋だ。
陸王は閉ざされている雷韋の思念の壁に穴を開けるように、何度も何度も少年に呼びかけた。それがどう響いたのか知らないが、いきなり『煩い!』と雷韋の声変わりもしていない甲高い声が頭の中に響き渡った。
煩いと怒鳴られたが、陸王はそれどころではない。吸血鬼が昨夜の件で、いつどこに現れるかも知れないのに、危険に近づこうとしている雷韋に頭ごなしに逆に怒鳴り返した。『邪魔だ、来るな!』と。
雷韋の思念と繋がったせいか、紫雲の声も聞こえてくる。
『雷韋君、危険です! 陸王さんの言うとおりですよ。来てはいけません。街で待っていてください。必ず迎えに行きますから』
『やだ。行くったら行くんだ! もう決めたから』
雷韋から、腹を括った感情が流れ込んでくる。
『もし君に何かがあったら、陸王さんまで巻き込むことになるんですよ? それは分かっているでしょう』
紫雲の必死の宥めにも雷韋の感情は揺らがなかった。
『昨日の奴はヤバい! 精霊が伝えてきた気配だけで俺は昏倒しちまったんだぞ』
『だからこそじゃありませんか。君には危険すぎる相手です』
『だから行くんだろ。二人だけじゃ手に負えないってば! 俺にも手を貸すことが出来ると思うんだ。だから絶対に行く!』
陸王は雷韋と紫雲の遣り取りを聞いているだけで、頭が痛くなってきた。歩く速度を落とさないように注意しながら俯き、思わず浮かんできた渋面を兵士達から隠す。
陸王には雷韋が何を考えているのか、さっぱり分からなかった。昨夜、雷韋だって体験しているのだ。
精霊が伝えた気配だけで、意識を持って行かれている。
それだというのに、どうして自ら危険地帯に足を向けようというのか。
陸王は密かに溜息をつき、未だに紫雲と言い合っている雷韋に意識を向けた。
『なんだって危険に足を突っ込みたい』
陸王の静かな問いかけに、二人の言い合いがぴたりと止まる。
『始めに言ったはずだ。お前には危険だから首を突っ込むなと。相手は上位の魔族の亜種だ。端っから危険なのは目に見えているだろう。それを理解出来ないほど阿呆じゃあるまい』
『阿呆は余計だよ』
むっつりとした雷韋の思念が届いてくる。
『なら、要件はなんだ。俺達のもとに来たいというなら、それ相応の説明をしてみせろ』
雷韋は陸王の言葉に考え込んだ風だった。何か色々考えていることは思念の断片から感じられるが、それ以上のことは分からない。陸王はそれで事を急ぐような真似はしなかったし、紫雲も責っ付くようなことはなかった。
お互い、雷韋の返答を待っている。
それから少しの間を置いて、ようやく雷韋から言葉が漏れ出た。
『決め手、かな。それがないような気がする』
『決め手ってのは、例えばなんだ』
『それが分かってるなら、もう言ってるよ。今はまだ曖昧なんだ』
『なら……』
『でも、俺がそっちに行けば何か分かりそうなんだよ。それをはっきりさせるにも行きたい』
『確証は』
陸王は冷たく問うた。確証もなく、雷韋の勘だけで動かすわけにはいかないからだ。それどころか、陸王にだってこれから何が待っているかも知れないのに。
『確証? そんなのないよ。行ってみなきゃ、どう判断していいのか分かんねぇもん』
『なら、来るな。確証もなしに動かれるのは困る。俺もこれからどうなるのか、先が分からん。紫雲も上手く立ち回らなけりゃならんだろうからな』
『え? それってどういうことだ?』
『詳しくは紫雲から聞け。俺はこれからのことを考えにゃならん』
それだけを胸中で発して、あとは連行先でのことを考え始めた。
玄芭とは再び合うことになるだろう。この逮捕劇を要請したのは玄芭だからだ。おそらくは、弟の玄史とも顔を合わせるだろう。
果たしてあの二人が、自分をどうするのかということが気にかかった。生命まで取ろうとしないだろうとは思えたが、処罰されるという事はあり得る。罪状は『村人を惑わした罪』なのだから。
とは言え、そんな思い違いの結果に従うつもりはない。
それどころか、あの二人には感謝して貰いたいくらいだ。少なくとも昨夜は、領民に深刻な被害を出さずにすんだのだから。魔気に当たって倒れていた見張り達にも、これといった異常は出なかった。すぐに祓ったのがよかったのだろう。
問題はそのあと、今夜からだ。
吸血鬼を滅するという意味では、これからが本番なのだ。
だと言うのに、その存在を玄芭も玄史も信用していない。その認識をどう改めさせるかが喫緊の課題だった。
昨夜あったことは全て話すつもりでいる。村の者達をどうしたか、その結果、何があったかを。
陸王に魔気が通じなかったこと以外は、誤魔化し一つなく。
ただ、紫雲の居場所を言うつもりはない。話すのは昨夜のことだけだ。




