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第二三話 巣

 それは闇から闇へと(くう)を滑り抜けていく。

 それは、それそのものが闇であり、漆黒であり、人々の恐怖の対象だった。

 人を操り、生き血を啜り、呪いを振り撒く存在。

 許されざる者。

 二つの紅い光が、ぬめりを帯びつつ星空を移動していく。月の弱々しい朧な光は闇を更に濃くするだけだ。

 明るい星、暗い星。星と星の狭間を掻い潜って、闇の部分だけを選ぶように、ゆっくりと移動していく。

 地上には時折、思い出したように赤い滴りがあった。

 闇が移動してゆくとき、そこから草葉の緑の上に斑を描くように滴ったのだ。

 斑が、間遠い間隔を開けながら続いてゆく。

 闇に覆われた二つの紅い光と赤い滴りは誰にも気付かれることなく、いつしか塔の中へゆっくりと吸い込まれていった。

 闇は塔の部屋へ入ると同時に、人の形を取った。足が、とんと絨毯の上に降り立つと、どういう仕掛けか、黒い塗料で真っ黒に塗り潰された窓硝子が、軋みもなく勝手に閉じる。

 室内には三つ叉の燭台がいくつも置かれてあり、全ての蝋燭に()が灯っていてなかなかに明るい。

 部屋は広かった。

 壁には大きな絵画や鹿の首の剥製が掛けられ、天蓋付きの大きな寝台が紗をかけたまま片脇に置かれている。今はまだ使われていない暖炉も(しつら)えてあった。部屋の中央には磨き上げられた黒檀の低い卓が置かれて、その周りをソファが囲んでいる。絨毯は黒い毛足の、いや、正確には絨毯の代わりに巨大な熊の毛皮が敷かれていた。熊の頭には、中身を全て取り払ったこの熊自身の頭骨(ずこつ)が入れてあり、暖炉の方へ向かって大きく口を開いている。

 熊の毛皮だけならなんの問題もないが、頭骨を入れて口を開けている様は見た感じ、悪趣味が過ぎると言えた。なにしろ、口を大きく開けさせるために、狐の頭蓋骨を喉の奥から口の方へと向けて突っ込んであるのだから。その様はまるで、熊に食われた狐が胃の中で肉を全て溶かされたあと、骨だけになって這い出てきたように見える。

 なんとも生臭い光景だ。

 人の形を取った闇が、一人掛けのソファに深く腰掛ける。

 左腕には縦に一本、傷が入っていた。出血は既に止まっているようだが、傷口はぬらぬらと赤く燭台の炎に照らし出されている。

 その様を、闇は(あか)い瞳で舐めるように見つめた。

 頭の中には、己の腕を切った男の姿が浮かび上がる。

 闇は、「あれはなんだったのか?」と思う。確かに目は合ったはずなのだ。いや、間違いなく真正面から一瞬だけ睨み合った。魔気を放ったのに、黒い髪をした男は(ひる)むでもなく、一気に斬り掛かってきた。

 問答無用に、一息に。

 霧に変じて逃げ出そうとしたときも、男は倒れる様子を見せなかった。すぐにあとを追ってきた。

 霧に重なると、魔気を食らうはずなのに。

 魔気が通じない人族などあるのか? 疑問が胸の内で膨れ上がる。

 と、そこへ扉を叩く小さな音がした。

 人型の闇は──吸血鬼は、扉に向かってやけに丁寧な調子で声をかける。

「戻っていますよ、どうぞ」

 粘ついた口調で言葉を発すると同時に、片手で印を組み、小さく言葉を唱えると金属質な音が鳴った。

 鍵が開いた音だ。根源魔法(マナティア)で施錠してあるのを、その上から魔族だけが使える魔代魔法(ロカダリア)をかけて二重の鍵をかけていたのだ。

 音の直後、ランタンを片手に持った男が扉を開けた。部屋に入ってきた男の顔色は酷く悪い。半ば、顔を引き攣らせている。そのあとに、もう一人男が続いて入ってきた。

「どうかしましたか、領主殿、大臣殿」

 部屋へ入ってきたのは、この地の領主であるエリエレス卿、つまり玄芭(げんば)と大臣である弟の玄史(げんし)の二人だった。

 顔色を酷く悪くしているのは玄芭だ。付き従ってきた玄史も、ただならぬ顔つきではあるが。

 玄芭がランタンを手にしていたが、兄弟二人の影になって背後にまでランタンの明かりは届かず、そこは闇に覆われていた。

 ここは砦内にある邸に併設されている塔の三階、最上階だった。これより上は屋上の屋根になっている。

 玄史が後ろ手に扉を閉めると、玄芭が吸血鬼に固い声音で恐る恐る問いかけた。

「今夜の収穫はどうだったかね」

 問うてくる領主に対し吸血鬼は一瞬考え込んだが、ふと左腕を掲げてみせた。

「この怪我、どうして出来たと思いますか?」

「怪我?」

 玄芭はどこか不思議そうに、どこか恐れるように鸚鵡返す。

「領主殿。何か私に報告があったのでは? と思うのですが、どうでしょう」

「報告、などは……」

 困惑を滲ませながら、玄芭は引き攣っていた顔を更に引き攣らせる。

 それを見遣って、吸血鬼は顎を撫でた。

「おかしいですね。今夜は何故か、女子供が選ばれて一箇所にいたようなのです」

 もったいを付けるように、吸血鬼は玄芭と玄史に目を遣った。

 吸血鬼の言うのに合わせて、玄芭の顔色がもっと悪くなる。後ろに立っている玄史も、感情を抑え込むように拳を作り、足下へ視線を投げていた。

 吸血鬼は二人の様子をどこか楽しむように見る。

「今夜の狩りは無収穫でした。これをよくご覧なさい」

 斬られた腕を掲げて、再度見せつける。

「昼間、誰か来ませんでしたか? レイザスの村を護ろうとでもするかのような」

「私は許可した覚えはない。相手が勝手にやって来ただけで、すぐに追い帰した」

「やはり誰か来たのですね? 何者ですか」

 吸血鬼は真っ赤な瞳で探るように、兄弟を交互に見た。見ているが、どこか視線が噛み合わない。

「侍だ。雇われ侍が、レイザスの村が吸血鬼に襲われているから、自分を雇わないかと言ってきた。だが、私は雇わなかった。周辺の村には、一月ほど前に旅芸人達がやって来ていたのを知っている。だから私は、その時の奇術師が集団催眠をかけたのだろうと言って、まともに話もしなかった。もしかしたら、その侍が村で雇われたのかも知れない」

 焦ったように、早口に捲し立てる。陸王(りくおう)と相対したときとはまるで別人だった。威厳の欠片もない。

「ほう、雇われ侍。確かに黒髪だったな」

 大陸には色々な髪色の人間族がいるが、黒髪は稀で、珍しい髪色なのだ。逆に日ノ本の人間族はほとんどが黒髪で、色の薄い者は珍しいとされている。そもそも、大陸の人間族とは種族的に同じではないのだ。同じ人間族と呼称されてはいるが、日ノ本の人間族の方が神からの影響が強いのだ。

 日ノ本を作ったのは男女の神で、二柱(ふたはしら)は第一に国産みをし、第二に神産みをした。その余波は大陸にまで及んだが、大陸の──この世界空間(アルカレディア)を混沌の中から作り出した創造神・光竜(こうりゅう)は、新しく生まれた日ノ本の神の力を跳ね返した。新たな力は新たな大地にあるべきだとして。

 跳ね返されたことで、日ノ本の大地には人間族が自然発生したのだ。大陸の人間族は、光と闇の神である天慧(てんけい)羅睺(らごう)が生み出した種族だが、日ノ本の民は違う。日ノ本を創り、国産みと神産みをした余波で生まれたからだ。

 日ノ本の人間族は、そうした意味で純粋に神に近い。

 その為、日ノ本の人間族と大陸の人間族は、似て非なるものだった。髪の色が特有なのもそのせいだ。

 ただし、陸王はたまたま黒髪に生まれついたと言うだけのことだが。彼は人間族ではなく、魔人なのだから。

 吸血鬼は、人が血を流さずとも、無傷の肌の上から血の匂いを嗅ぎ取ることが出来る。血液を純粋な糧としているからだ。ほかの魔族のように、肉は喰らわない。

 吸血鬼は侍と聞き、陸王の血の匂いがほかの人間族とは違うことを思い返した。それを日ノ本の民だったからなのかと思い、胸の内で納得する。

 それと同時に、陸王が手向かってきたとき視線を合わせて魔気を叩き付けたが、それが無効化されたのも日ノ本の民だったからなのかとも思った。日ノ本の人間族と相対したのは初めてだったため、大陸の人間族とは勝手が違うのかと考えたのだ。

 ならば得心出来ることばかりだ。

 その証拠に、修行(モンク)僧の紫雲(しうん)には魔気が通じている。目を閉じていたから直に魔気をぶつけられたわけではなかったが、神聖魔法(リタナリア)の詠唱を止めることは出来た。

 間違いなく、魔気が効いていた証拠だ。

 そうでなければ、あの場から逃げ出すことは出来なかっただろう。魔気を叩き付けるのがあと僅かでも遅かったら、霧の姿から人の姿に変じてしまったはずだ。それを食い止められたのだから、大陸の人間族には絶対に効果はある。これまでも人間族を魔気で昏倒させたことはいくらでもあった。

 唯一かからなかったのは、侍──日ノ本の人間族だったからだ。

 そうとしか考えられない。

 吸血鬼は、そう判断した。

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