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第二二話 新たな事実

 陸王(りくおう)が納屋へ戻ると、さっき紫雲(しうん)へ怒鳴った時に目を醒ましたのだろう女や子供の一部が、怯えてすすり泣いているのが耳目に入ってきた。


 あの兄弟も、兄の方が目を醒まして不安げにしている。

 陸王はすぐに兄弟の方へと向かって、片膝をついた。


「すまん。大声を出して、起こしちまったな」

「吸血鬼が出たの? 殺してくれた?」


 怯えた目を向けて、陸王の袖に縋り付いてくる。

 その手に優しく手を乗せ、陸王は僅かに眉尻を下げた。


「いや、手傷は負わせたはずだが、逃がしちまった。神聖魔法(リタナリア)で捕まえられたが、術を行使している修行(モンク)僧に魔気を当てて、逃げるために術を中断させやがった。本当なら殺していた筈なんだが、期待に添えなかったな。殺すと大見得を切っておきながら」

「それじゃ、これからまた来る?」


 少年は、泣き出す一歩手前の顔を向けてくる。

 陸王は少年に対して首を振った。


「いや、おそらく今夜はもう来ないだろう。それでも万が一があるからな、俺達が見張りを続ける。これ以上、誰にも手出しさせん。さっきので魔族の気配は分かったしな。また来たら、すぐに分かる」

「怖いよ」

「もう大丈夫だ。そんなに怯えるな。騒ぎは起こさないから、眠れ。次に目が醒めたら朝になっている。昼間は吸血鬼は出ねぇだろう」


 言って、鼻先をつんと指で弾いてやる。


「でも、怖いよ。俺が襲われるのも怖いけど、弟が襲われたらもっと怖い」

「あぁ、分かるさ、その気持ちはな。だったら余計、お前がしっかりしなけりゃな。弟を護ってやれ。そのお前を俺が護る」

「約束だよ?」


 少年は陸王の袖を強く握りしめて、前後に揺さぶる。

 その手を、陸王は宥めるように数度、軽く叩いてやった。


「あぁ、約束する。絶対だ」

「うん」


 こくりと頷いた時、少年の瞳から涙が一粒零れ落ちる。

 陸王はそれを親指の腹で拭ってやった。


 そうされて、少年は急に恥ずかしくなったのか俯くと、腕で両目の涙を拭ってから横になった。その間、ずっと眠ったままの弟を放さなかった。


 陸王はもう一度、少年の頭を撫で叩いてから立ち上がる。納屋の中を一通り見回ってから外に出ようと思ったのだ。


 陸王にとって、今ここは居心地のいい場所ではない。出来るだけ早く納屋から離れたかった。


 何故なら、司祭の解呪もあるが、それとは別に負の感情――恐怖や不安、激しい嘆きや怒りなど――が空間を支配しているからだ。


 負の感情は魔に連なる者にとって、精神への馳走。


 己の意思とは無関係に、陸王の精神は人の不安と恐怖、嘆きや怒りを喰らっていく。自然と胸が高鳴り、気分が高揚する。


 それが陸王には気に食わないのだ。喰らいたくなどないと理性が言うのに、本能が勝手に喰らってゆく。陸王の意思とは無関係に、どう抗っても勝手に喰らっていくのだ。


 その事実が陸王自身にとって、堪らなく浅ましい。


 納屋の中では女達が寄り添い、不安と恐怖を振り撒いている。子供達の中にも目を醒まして、怯えているものが何人もいた。当然、恐怖のために泣いている者もいる。


 納屋の中には不安と恐怖が渦巻いているが、あの女達が魔気に冒されただけで、幸いにして牙にかかった者はいない。例の女も今は解呪されてぼうとしているし、その隣で横になっている女も解呪されたようだが、まだ目覚めていない。魔気を受けていた見張りの男は気が付いたのか、さっき納屋から出ていったのを見た。身体に不調はなかったのだろうか。


 陸王は納屋の中を一巡りしながら、今夜はもう何もないだろう事を説いた。吸血鬼を退(しりぞ)けたのだと言って。


 納屋の出口の方に向かって歩いていると、助祭の青年がやって来た。外での解呪は終わったのだろうか。


「あの、陸王さん、少しいいですか?」

「なんだ」


 もう一度、兄弟へ目を遣ってから、助祭へ視線を移す。

 助祭はなんとなく言うのが憚られるような表情をしながらも、一冊の本を見せてきた。


「この本は、教会から持ってきたものなんですが、中にこんな言葉が。ついさっき見つけたんです」


 言って、一文を指で示す。

 示された部分を読んで、陸王は息を飲んだ。


 ──招かれざる者入られず。招かれた者のみ侵入し、血を啜る──


 陸王はその一文を頭の中で描いた。

 気の触れた女は誰かに向かって「おいで、おいで」をしていた。


 招いていたのである。


 精神に障害を残した者の戯れ言かと思っていたら、あの女はどうしてか吸血鬼を招いていたのだ。


 吸血鬼はあの女に言葉をかけたのだろうか? いつ? 手招きをしていた時か?


 女は自分の意思で動いていない。心を壊されて、言われるがままだ。と言う事は、あの時点から吸血鬼は隙を窺っていたことになる。どうやって姿を消していたのだ? もしや、霧状になって機会を窺っていたのか? あの姿になれたと言う事は、空気中にとどまることが出来たはずだ。


 もう一つ疑問がある。陸王が納屋の外へ出た時には見張りは倒れていたが、彼等はいつ魔気を食らったのだろう。


 陸王は吸血鬼が納屋の中に現れるまで、魔気を感じなかった。一点集中だけでなく、発する魔気を誰にも感じさせないように制御する方法まであるのか? 霧状になっているときには、複数に魔気を浴びせることが出来るのかもしれない。そうとでも考えなければ、状況的に無理だ。納屋の中では三度魔気を発したことに気付いたが、誰にも感知出来ないよう制御できるとしたら相当厄介だ。近くで使われても気付けないのだから。気付くことが出来ると思ったから、納屋に皆を集めたというのに。


 また、外では紫雲が見回っていたはずだ。納屋を中心として、一定間隔でぐるぐると。そうするように指示した。


 と言う事は、侵入する寸前まで男達は吸血鬼がいることを知らずに見張りに立っていたことになる。その事に、紫雲までも気付かなかったのだ。当然、陸王も気付いていなかった。


 同時にこんな考えも浮かぶ。


 女が招き入れなかったら、吸血鬼は納屋に侵入出来なかった。これまで犠牲になってきた女子供も皆、自分で知らずのうちに招いていたのだろう。眠りの中に声を忍ばせて操ったのかも知れない。上級の魔族なら、その程度のことは出来る可能性はある。そうとでも考えなければ、招かれぬ建物の中に入れなかったはずなのだ。


 あの女に招かれぬうちは、吸血鬼は入ってはこれなかった。


 それまでは納屋の中は絶対の安全空間だったのだ。今はもう違う。好きな時に好きなように、吸血鬼は出入り出来る。


 ここはもう安全ではない。


 場所を移すかとも考えたが、おそらく誰かがまた招き入れてしまうだろう。吸血鬼の力によって。だとしたら、今から場所を移しても同じことが繰り返されるだけだ。


 こうなってしまっては、場所を移すのは愚策だ。


 陸王の中で結論が出た。場所は移さず、吸血鬼の現れた瞬間に感じられた凍えるような冷たい気配を、出来るだけ早く察知することが一番の策だと。更には、見張りに立つ者達にも周知させなければならない。霧に注意するようにと。


 更にもう一つ、気になることがあった。それは陸王が魔気を受け付けないと、吸血鬼に知られてしまったことだ。相手に正体が知られるのはまずい。今頃、どこでどうしているのか知れないが、陸王の反応に驚いたことだろう。あんなに濃い魔気を食らって、顔色一つ変えなかったのだから。


 目を合わせたから、陸王の瞳の色も知られている。


 陸王の瞳の色は黒だ。魔に連なる者の瞳は、須く紅(あか)。しかし高位の魔族の瞳は黒に見える。魔族の瞳は血を滴らせたように紅いが、その血の紅が濃すぎて黒に見えるのだ。その為、高位の魔族は人の中で人として生きられる。誰の目からも、ただの人族にしか見えない。人として暮らしている魔族も実際にいるのだ。人を狩るか狩らないかは別として。それはその個体の好き好きだ。


 もし陸王のことに気付かれれば、次はどんな手段で来るとも知れない。もしかしたら、この村はこのまま放置されてしまうかも知れなかった。魔人である陸王がいる限り、なまなかなことでは人は襲えない。その上、修行(モンク)僧の紫雲がいることも分かってしまっている。これからは確実に警戒されるだろう。


 警戒した先にあるのは、標的を別に移すこと。


 つまり、近隣の村が危なくなるということだ。


 まずいと思う。なら、出来ることは何か? ほかの村もこの村と同じように、女子供を一箇所に集めて対策を取らせることだ。とは言え、そこに陸王や紫雲が行くことは簡単には出来ない。陸王と紫雲がばらばらになってもよいが、まだこの村が吸血鬼に見限られたと決まったわけではない。陸王か紫雲のどちらかは、この村にとどまる必要があった。第一、この村とは契約を結んでいるのだ。黙って放置することは出来ない。吸血鬼がほかへいくと判断して、この村を空けたときに襲われでもしたら目も当てられない始末だ。


 どちらにせよ、この村にどちらかが残ることになる。

 では、どちらが残るか?

 それは紫雲と相談して決めなければならないだろう。


 頭の中で一通り考えて、陸王は助祭にこの一文を村長に伝えるよう言い含めた。その上で、村長には今からほかの村へ人をやって、この村と同じように女子供を一箇所に集めるよう進言させろと。


 この一文は、身を護る上でとても重要だ。知っているのと知らないのとでは雲泥の差が出る。知っていれば見張りを立てて、原始的だが、狙われた者が何か口走りかけるのを口を塞いで止めることが出来る。知らなければ、この村と同様のことがほかの村でも起こる。


 招く言葉を口にするかしないかで、大きく道は変わるのだ。


 陸王は助祭に告げて、納屋から外へと出た。まだ紫雲達が解呪をしている気配があり、肌がそっと粟立つ。詠唱が聞こえてくるから仕方のないことなのだが。


 その感覚を無視して、陸王は雷韋に声をかけた。心で確かに「雷韋」と呼んだが、反応がない。吸血鬼が現れたのが深夜だったからか、寝ている可能性もあった。寝ずに様子を窺おうとしていたところで、いつの間にか睡魔に連れ去られたのかと思う。普段から雷韋は寝付くのが早いからだ。寝るとなれば、あっという間に眠りに落ちてしまう。


 寝てしまったのなら、状況は朝になってから知らせればいい。


 辛うじて、今夜の犠牲者は出ずにすんだのだし。

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