第一七話 下地作り
村長に案内されて辿り着いた納屋は、比較的村の中心から近かった。共有の納屋のため、大きさも随分ある。納屋付きの家が二軒ほどの大きさだ。陸王からしてみても、これくらいあれば充分と言うところだった。
「一応、中も見せてくれ」
陸王が言うと、村長が一緒にここまでやって来た男達に向かって閂を外すように言う。声をかけられた方も、誰からともなく二、三人くらいが出てきて太い閂を外してくれた。
納屋は東を正面に向けて建っていて、西日は丁度背に当たるようになっていた。それでもまだ外は明るいため、納屋の中を見て回ることは出来た。吹き抜けのように高い天井には、数カ所に天窓が設えられている。そこからも光が差し込んでくるので、納屋の奥に入っていっても灯りは充分だ。今も夕陽が、納屋の中を舞っている埃をきらきらと照らしている。
納屋の中は真ん中を通路のようにして、左右四つずつに仕切りがされている。納屋の一番奥には、馬鍬が多く納められていた。大型の農機具のため、村で使われる馬鍬はここに一緒に納められているのだろう。馬鍬が納められているのは問題ない。一番奥だし、そこは特に使うつもりはないからだ。入り口から三つずつの仕切りが使えれば、それで収拾がつくと思った。飼い葉や寝藁等の藁は今は既に納められていないから、よそから運び入れる必要はあるにせよ、寝台も一緒に運び入れるつもりだったので、それも納屋の広さ的に問題はない。
陸王は納屋の一番奥まで行っていたが、入り口で待つ皆の元まで戻って両手をパンと打ち鳴らした。
「今夜からここを女子供の寝床にする。いや、ある種の家だな。寝藁や寝台、飯を食う時の卓も運び込んでくれ」
「え? ここを『家』にすると?」
村長が頓狂な声を上げる。あまりにも大胆な発想について行けなかったのだろう。
「そうだ。ここを女子供の居場所にすることによって、目も届きやすくなる上に護りやすくもなる。てんでんばらばらに散らばっていたんじゃ、昨夜の二の舞だ。吸血鬼が現れて手出しされそうになっても、一箇所に集めていた方が防ぐに易い。自分で言うのもなんだが、俺は侍だけに気配に聡い。吸血鬼が魔気を発せば、すぐにそれと知れる」
そこまで説明されても尚、村長はぽかんとしていたが、話を聞いていた男達は若い順から陸王に指示を仰ぎ始めた。寝台はいくつくらいいるのか、寝藁はどの程度必要か、卓や椅子はどの程度あればいいかなど。
陸王はやる気になっている男達を一度制した。
「まず、収容する女子供の選別が必要だ。子供はもちろんのこと、乳幼児の母親も子供と一緒にここに入って貰う。当然、若い娘もだ。二十代はともかく、三十路すぎてりゃ薹も立って逆に安全だろう。あとは魔気を受けた者の中にも若い女がいるはずだ。自力で歩けないようなら、板敷きにでも乗せて運び込めばいい」
男達は陸王の言葉に従って、それぞれ家族の中から子供や若い娘、乳飲み子とその母親などを納屋の方へとやる。
通常、農村での結婚は男女共、十七、八の頃にする。男の方が年上の場合も多いが、娘は大体適齢期と言われるのは、十七、八だ。子供もすぐに出来ることが多いから、子供が幼ければ幼いほど、母親も若い女が中心となる。
どんどん女子供が納屋の方へ押しやられ、陸王は彼女らを納屋の中へと引き込んだ。その上で、更に保護が必要な女達はいないか自分の目で確かめる。村人の中から数人、女を選別して納屋へ入れた。
保護する女子供は見た限りでも二〇人近くになった。毎夜襲われているにもかかわらず、案外人がいることに驚いた。これにあわせて、魔気に当てられた者の中からも若い女を運び込むように言い、納屋に運び込む物品も指示し始めた。陸王の指示に男達はぱっと散っていく。若者も老いた者も関係なくだ。納屋に隔離されなかった女達には、今夜の食事を作るように指示する。
最後に村長には、手の空いた者の中から、納屋を取り囲むように篝火を焚くようにして貰った。
時間が経つごとに、寝藁や寝台が次々と納屋へ運び込まれる。寝台には藁が敷かれているが、なるべくなら寝台は子供達に当てて貰いたかった。地面に敷いた藁の上では子供が寝るには無理がある。大人はともかく、子供には不都合だと踏んだのだ。
寝藁もどんどん運び込まれたが、そのうち、食事作りから外れた女達が藁に敷き布を被せ始める。直接藁の上よりは快適に過ごせるようにだろう。ここに匿われることになった女達も、それを皆で手伝う。陸王も女達の心遣いには感心させられた。寝藁に敷き布をかけるという些細なことなど、男の陸王には思いもつかないことだったからだ。
寝台が運び込まれる横で、何台もの卓と何脚もの椅子が揃い始める。だからと言って、全員分を揃える必要はなかった。食事は地べたで摂っても不都合はさほどない。子供と違って、大人なら不調法をする者もいないだろう。どちらかと言えば、卓と椅子は乳幼児と母親のためのようなものだ。
卓が揃えば、ランプやランタンも用意され始める。なんだかんだと人が出たり入ったりするうちに、辺りもいよいよ暗くなってきた。間もなく陽が暮れるのだろう。
様々なものが揃えられていくうちに、最初は緊張に包まれて大人しくしていた子供達だったが、事情もなんとなく察しているはずなのに騒ぎ始める者も現れだした。子供からしてみれば、かなり変わったお泊まり会のようなものだ。それに興奮しない者は少ない。母親や大人達から「大人しくしなさい」と注意されても、納屋が寝床になると言うだけで子供は興奮する。こればかりは致し方なかった。それでもなるべく騒がないように、陸王からも注意する。と、外から来た大人に注意されると、子供も少し落ち着きを見せるようになった。
こんな時ばかりは、雷韋との付き合いがあってよかったと思う。あれは外見では十四、五だが、中身的にはもっと幼さを残している。一人前だと認める部分も多々あるが、年相応以下の場合もあるのだ。そんなだから、口調は柔らかく意識しているつもりだが、どうしても騒いでいる雷韋を相手にしているような感じになってしまう。陸王はそんな感覚を覚えながら、猫の仔を摘まみ上げるようにして騒いでいる子供達の襟首を掴むと、子供達の相手をしている女達のもとへと連れて行った。そうでもしないと、納屋を仮の宿として準備している大人の邪魔になるからだ。
やれやれと独り言ちて、陸王は運び込まれた寝具や卓などの数を確認していき、大体こんなもんだろうというところで、準備に追われていた者達の手を順番に止めさせていく。その間には、納屋を囲むようにして篝火が焚かれていた。外はすっかり闇色だ。
太陽が沈んで、どのくらい経つのか。仮屋を作ることに集中しすぎていて、陸王にはそんな事も分からなかった。魔族の力で月の昇り加減を感じてみたが、まだ地平線から細い顔を覗かせたばかりだ。
辺りを眺め回してみると、納屋の中にも外にも、数カ所に水の入った樽が置かれ、その上に柄杓が渡し置かれてある。飲み水だろう事は一目で分かった。今夜から、男達で納屋を護るのだ。運んでくるのは大変だっただろうが、吸血鬼による襲撃が始まる前のように酒を飲んでゆっくりとしていられない。
納屋の中に寝床が整ったと知らせが広まったのか、松明の炎に導かれるようにして魔気に当たって身体に後遺症が残る女達もちらほらと現れた。歩ける者は男に肩を貸して貰って歩いてくるが、症状が重いものは板に乗せられて運ばれてくる。そんな女達の中には精神に異常を来している者もあり、何かぶつぶつと呟いていたり、魂が抜けたようになっている者もあった。
痛ましい惨状に、陸王はきつく眉根を寄せる。
「陸王さん」
ふと、聞き覚えがありすぎる声が陸王の耳に届いた。
声のする方を見ると、紫雲がこちらへ歩いてくるところだった。
「戻ったのか」
「えぇ。馬を返しに村長の家へ向かったところ、何やらばたばたしている様子が見えたので。村の方から話は聞きましたが」
陸王は紫雲の言葉に、黙したまま頷いてみせた。
「どうやら、領主とは決裂したようですね。話もまともに出来なかったとか。で、村の方と交渉してこの状態なわけですか」
陸王はそれにも頷いて返すだけだった。話を聞いているというのだから、改めて話すようなことはない。
陸王がそんな態度だったので、紫雲も遠慮なく尋ねることにした。
「それで? いくらで交渉したんです?」
「金貨三枚」
端的な言葉に、紫雲はそれまで辺りを見回していた視線を慌てて陸王に向け直した。
「いくらなんでも、それは高すぎませんか? 相手は領主ではなく、村ですよ?」
「俺達雇われ侍は、一戦、あるいは一日で金貨五枚を稼ぐ。それを三枚に負けてやったんだ。感謝されこそすれ、恨みを買う謂れはねぇ」
「貴方の金銭感覚はどうなっているんです」
あまりにも価値観が違いすぎて、紫雲は陸王の腕を取って詰め寄った。
陸王はそうされて、嘆息をつく。
「煩ぇな。村全体を助けてやると言っているんだ。それ相応の金が動くのは当然だろう」
「相手の足下を見て、ふっかけただけじゃないですか」
「最初から、金にならんようなら俺は手を引くと言っておいたはずだぞ」
「それにしたって……」
「相手も、借金をしてでも金を用意すると言ってるんだ。助けてくれと。それで合意済みだ」
「侍がこんなにお金に汚いとは思いませんでした」
完全に見下した目を向けられるが、陸王は紫雲をまともに見ていなかった。
「雇われ侍は雇われてなんぼなんだよ。金が動かなけりゃ、こっちも動かねぇ。それとも慈善事業で、お前一人でなんとかするか? 仕事じゃなけりゃ、俺は手を貸さんぞ。どうする」
そこを突かれると痛い。魔気を感じ取れるのは陸王だけだ。魔気を無効化出来るのも陸王一人。紫雲一人では、現状維持が精一杯だろう。雷韋と二人で、と言ったところで、何がどう転ぶのかも分からない。それどころか、じわじわ人の生命が狩られていくかも知れないのだ。夜ごと、一人、二人、三人と。それは紫雲も望むところではなかった。
紫雲は苦い顔をして陸王を睨め付けてくる。
「あと一枚、負かりませんか」
「負からんな。大負けに負けて三枚と提示したんだ。相手が相手だしな。それに単に金貨三枚と言っただけで、いつものように一日三枚とは言ってない。どれだけ俺が負けてやってるか分かるだろう。どれだけ手間や日数が掛かろうが、全部ひっくるめて三枚なんだ」
言うだけ言って、紫雲の眼差しも無視し、腕も振りほどいて陸王はその場を去った。
残された紫雲は酷く思い詰めたように眉根を寄せ、一度気持ちを切り替えるようにして息を大きく吐き出してから陸王のあとを追った。