第一二話 城門
深さ五メートルと一〇メートルの二重の空堀に護られて、砦は存在した。堀の幅は両方とも三メートルほどとそれほどない。
それを陸王に説明してくれたのは彩加だ。
見た限り城壁は石造りで、高さは一五メートルはあろうか。城門は二重になっていて、堀のそれぞれに跳ね橋が設置されていた。城壁の内側に塔の頭が見える。おそらく城壁内部には、領主の邸は勿論、兵舎も厩舎も教会もあるだろう。収穫物を収めるための穀倉もあるはずだ。何一つ欠けることなく、一通り揃って砦なのだから。
砦周辺の木々は切り開かれて、不細工な平原へと変化させられている。平原が作られたのはかなり昔のことのようで、それぞれの切り株にある程度、朽ちたあとが覗えた。切り株の高さはばらばらで、酷く不格好だ。作られた平原に切り株をそのまま残しているのは、攻城戦用の櫓を近づけさせないためだと思われる。
森が終わり、無理に作られた平原を挟んだ遠目から、陸王は砦の様子を眺めた。
平原は広く、これから村に現れる吸血鬼騒動を収めるべく交渉に出てきたが、直接森の中から向かったのでは警戒されてしまう。
それを指摘したのはまたもや彩加で、彼の言うには、森から一度砦まで続く道に回り込まなければ、兵士達は取り合ってくれない。領地の村人達でさえ、礼を失しているとして追い返されるどころか、弓矢を向けられてしまう始末らしいのだ。
近道のために森の中を通ってきたお陰で、昼どころか、まだ朝だ。下手をすれば朝食の時間と被ってしまうかも知れない。ただその分、時間はゆっくり取れる。話し合いにいくら時間をかけても余裕があるだろう。
陸王は彩加と共に森を潜っていった。行き着く先は砦に続く街道だ。彩加は陸王と一緒に街道まで出る予定だが、そこから先は陸王一人だ。彼は陸王が戻ってくるのを森と街道が交わるこの場所で待っているから、帰り道の心配はせずに行ってくればいいと後押ししてくれた。ただし、二人で暫くここで時間を潰そうと言う事にはなったが。流石に朝が早すぎる。太陽の位置からして、一時課(午前六時)はとうに過ぎているが、三時課にもなっていないのでは取り合ってくれないだろうからだ。
二人は特に話すこともなく、ただ太陽が昇ってくるのを待っていた。出来れば三時課(午前九時)の鐘が早く鳴ってくれないかと待っていたが、いつまで経っても鐘は鳴らない。
どうも様子がおかしかった。既に三時課にはなっているだろう太陽の位置だ。それなのに鐘が鳴らないままだ。
「彩加、三時課の鐘が鳴ったのを聞いたか?」
「いえ、全く」
青年の言葉に、陸王は訝しげに砦を眺めた。距離的にも、鐘が鳴れば聞こえない距離ではない。
「聞き逃したのかな?」
彩加が呟く。
「いや、俺も聞いてねぇ。二人揃って聞き漏らすことはねぇだろう」
「どうします? 行ってみます? もういい時間だと思いますよ」
「そうだな。いい加減、待ちくたびれたし、何かの原因で今朝は鐘を鳴らさなかったのかも知れんしな。風で音が流されたと言う事もあるだろう」
言って、陸王はゆっくりと街道を進み始め、木々の屋根から出ようとした。その陸王に彩加が声をかけてくる。
「よい報告を待ってます」
人のよい顔で、ぐっと握った拳を翳している。
陸王はそれに苦笑を返して、馬を進めていった。
砦まで続く街道は太く、荷馬車が二台悠々と擦れ違うことが出来そうなほど立派な道だった。昨夜通った、ゴザックからレイザスに向かうまでの街道とは大きな違いだ。おそらくは、税である収穫物を運び入れるときに、荷馬車が擦れ違っても大丈夫なように、この近辺だけは道を広くしてあるのだろう。
陸王はその立派な道から砦の方へと向けて馬を軽く駆る。
そのまま道を辿っていくと、砦まではかなり遠回りすることになることが分かった。森の終わりから真っ直ぐに砦を目指して道を通せばいいものを、道筋はぐるっと大きく回り込んでいる。
こうしておけば、砦に近づく者の正体が城壁の狭間から覗えるのだ。
無理矢理に作った平原といい、大回りしなければならない道の造りといい、砦はかなり外敵を警戒して作られているようだと陸王は感じた。
遠回りではあったが、軽く駆っている分、砦が徐々に近づいてくる。
第一の門に近づいて知ったが、跳ね橋が降りていなかったのでその前で馬を止めると、頭上から野太い胴間声が降ってきた。
「何者だ? 旅の者か!?」
城門上部の狭間から歩哨が誰何してきたのだ。外套を纏って旅装をしているため、そんな問いになったのだろう。
陸王は狭間を見上げ、刀を示すために外套の左側を捲って見せた。
「玖賀陸王という。雇われ侍だ。領主に取り次いでくれ」
「雇われ侍がなんの用だ? 戦の種ならないぞ」
「戦も厄介だが、それよりももっと質の悪いことが領地で起こっている。昨日、この目で確認した。かなり厄介だぞ。下手をしたら村ごとなくなるかも知れん」
村ごとなくなるかも知れないという物騒な言葉を聞いていた歩哨達がざわめくのが、陸王のもとまで聞こえてきた。
暫く中の方でざわざわとしていたが、一人の歩哨が狭間から顔を出して問うてくる。
「おい、どうして村がなくなると言うんだ?」
「吸血鬼の話は知っているか」
陸王は歩哨の問いに答えず、逆に質問を返した。
歩哨はその問いに、渋面を作る。
「レイザスの連中が何やら言っていたが、そんなもの、出るわけがなかろう!」
「いや、いる。昨日、俺は吸血鬼に殺された子供が屍食鬼として甦ったのを殺した。その両親は俺の連れの修行僧に手当をさせておいた。魔気を受けて倒れていたが、幸いにも人の手を借りて歩けるくらいには回復したようだ。精神にも異変は起こっていない」
歩哨はもう一度頭を引っ込め、中で何やら言い合っているようだった。
陸王はその判断の遅さに荒く息をつき、怒鳴った。
「とにかく、領主に会わせろ。こっちにだって昼間のうちにやることがある。急げ!」
陸王の怒声が効いたのか、さっきの歩哨が顔を見せ、腕を振る。
「領主様にお伺いを立ててくる。そこで待て」
その言葉に陸王は思わずと言った風に舌打ちし、顔も自然と渋面を作った。
こんなところで時間を食っているわけにはいかない。すぐにでも跳ね橋を下ろさせて、領主のもとへ行って交渉がしたいのだ。交渉決裂なら決裂で、それなら仕方がない。村と交渉するつもりだった。特別裕福そうな村には見えなかったが、多少は金があると踏んでいる。領主と契約が出来なかった分、金額は下がるだろうが、出せるところまで出して貰うつもりだった。それでも不満であれば、あの村から手を引いて放置するしかない。雷韋の手前、村を助けるのはやぶさかでもなかったが、正直に言うと、やはり金にならなければ請け負いたくはなかった。陸王が手を引くことになれば、結果として紫雲も手を引かざるを得ない。その際、雷韋にどんな顔をされるかヒヤヒヤものだが、陸王は雇われ侍なのだ。基本的に働きに見合うだけの金銭を要求したい。
生命の安売りは御免だ。
陸王と紫雲、魔気を感じる力があるのは魔人である陸王のみ。魔気に晒されて心身共に冒されないのも陸王のみだ。紫雲が持っている力は魔族を縛めるための神聖魔法と鉤爪だけだ。どこで魔気が発されたのかが分からなければ、紫雲にだってどうすることも出来ない。下手をしたら、神聖魔法を使う紫雲の方こそが襲われるかも知れないのだ。血を吸い殺されなくとも、魔気をもろに浴びれば、そのあとどうなるか分からない。だから陸王が手を引けば、紫雲がよほどの間抜けでない限り、手を引かざるを得ないのだ。
吸血鬼の話を聞いたときには紫雲は自分一人で、などと言っていたが、実際には一人では無理だ。現状維持が精一杯どころか、出る目が悪ければ、じりじりと犠牲者が増えていく。確固たる攻撃の手段がない。修行僧がまだほかにもいるというなら、また話は違ってくるのだが。紫雲一人であれば、あの村はどう考えてもじり貧のまま、滅びを迎え入れるしかない。
陸王はそう踏んでいる。
そもそも紫雲だって、今は魂の半身である少陽を捜しに旅に出ているのだ。出会えなければ静かに狂っていくだけ。それは相手の少陽も同じだ。少陰である紫雲がこんなところで間抜けにも生命を落とすことがあれば、相手も静かに狂って、狂い死にする。陸王と雷韋は既に陰陽の極として出会っているからいいが、紫雲はこれからなのだ。よもや、そんな道を紫雲が選ぶとは思えない。村を救えなかったという後悔は残ろうが、陸王が抜けたあと、紫雲一人の力ではどうしようもないのもまた事実。
そんな事を考えながら、陸王は苛々と待ち続けた。
待ち続ける間に苛々は増していき、そのたびに気を落ち着けようと息を吐く。それを何度繰り返したか分からなくなった頃、やっと城門から声がかけられた。「おーい!」と声をかけられ、
「領主様がお会いくださるそうだ」
狭間から顔を出した歩哨が言う。それに引き続き、
「今から橋を下ろして城門を開ける。その場所から少し離れていろ」
別の歩哨も別の狭間から声を届かせてきた。
その言葉に従って堀から離れて待っていると、跳ね橋がゆっくりと降りてくる。橋が地上に近づいていくに従って、格子の門と大扉が見え始める。低く重い音を立てて跳ね橋が架けられるのとほぼ同時に、今度は巻き上げ式の格子門が引き上げられて、その内側にある大扉も開かれていった。
一つ目の城門が完全に開けられた。
ゆっくりと馬を進ませていくと、堀をもう一つ超えて、二つ目の門がある。
陸王は第一の橋を渡り終え、上がりきった格子門と開かれている内門である大扉を眺めていたが、その門と扉の前に広がる通路の上下を眺めた。
こうした砦の城門には、槍や剣を無数に突き立てた落とし穴や、城門を通り抜ける敵に矢を浴びせることが出来るように天井に隙間が空けられている。更に進めば、真下を通る者に煮立った油をかけるための穴まで開いていた。
全ては砦を、延いては領主を護るための防御策だ。
それほど長くはない城門の通路の内側を、陸王は橋に馬を止めたまま確認した。やはり、仕掛けはしっかりあるようだ。まさか一騎で乗り込む陸王に対してそれを使うとは思わないが、一応、通過する許可を得ないうちは通ろうとは思わなかった。
開かれている大扉から門兵が数人、門の向こうに見えた。中の一人が腕を振って陸王を手招きする。
手招く仕草をするだけで、彼等からは特別かけられる言葉はなかった。
門兵の招きに応じ、陸王も無言で馬をゆっくり進めていく。途中で門兵二人に、左右から挟まれる形で手綱を掴まれた。
何事もなく城門を二つ完全に潜り終えたあと、手綱は兵に取られたまま陸王は下馬した。
その陸王を兵士が囲むようにして現れる。
「お前はこれから領主様に謁見するのだ。万が一のため、荷物と腰の物を預かる」
言いながら、一人の兵士が陸王へ向けて手を差し出してきた。
瞬間、陸王は眉根を寄せたが、これからこの辺りの土地の主に会うのだと思えば腹立たしさはすぐに消え、大人しく背の荷物を外し、腰帯から吉宗を鞘ごと抜き取って手渡した。
吉宗と荷物を受け取った兵士とは別の兵士が陸王の身体検査をしてきたが、特に問題はなかったようだ。
「武器と荷物は帰りに返す」
吉宗を手にした兵士が言い、「おい、連れて行け」とほかの者達に目配せした。
その言葉を合図に、陸王は前後を二人ずつの兵士に囲まれて、砦内を歩かされるように案内された。