第一三話 交渉一
砦の内部はかなり広い。真正面奥にはきちんと鐘楼も備えたそこそこ大きな教会と塔を併設した大きな邸があり、そのほかに三階建ての兵舎と厩舎、家畜小屋もあった。穀倉もいくつもある。家畜小屋の周囲には鶏が複数放し飼いにされて、鶏たちは自由に地面を突いて廻っている。陸王の乗ってきた馬は厩舎へ連れて行かれて、厩番だろう男に引き渡されているところだった。
そこから目を引き剥がし、砦の内部を眺めたが、全く平穏な感じだ。数カ所で兵士達が集まって剣や槍の訓練をしていたりもするが、どこかのどかなのだ。緊張感がない。人目につかない場所では、ワインが入っているらしき革の水袋を、顔を赤くして回し飲みしている兵士達もいる。彼等の中には、陸王を物珍しげに眺めてくる連中も少なくない。数人が群れて、賭け事をしているらしき様子も窺える。城壁の狭間にも所々に兵士の立つ影が窺えたが、皆どこか暇そうだ。
村では吸血鬼騒動で多くの人死にが出ているというのに、ここはそんなものとは無縁地帯だった。
この状況こそが領主の判断なのだろう。吸血鬼を信じていない。火急の用件で陸王はここへやって来たのに、兵士達がのんべんだらりとしているのがそのいい証拠だ。領主がなんの指示も下さないから、兵士も吸血鬼を信じていないのだ。兵士にとっては、領主の言葉が絶対なのだから。
陸王は不審に思われない程度に辺りを見回していたが、兵舎の前を通る時、兵舎の窓から真剣な顔つきで陸王を見ている者達がちらほら見えた。一人だけ窓から眺めている者もいれば、数人集まって眺めてくる者達もいる。
全体的に見てみれば、そんなのはほんの幾人でしかないが。ほか大多数は、全く以てのんびりとしたものだった。
陸王は大多数とほんの一握りの兵士達を頭の中に思い浮かべ、少数ではあるが、吸血鬼の存在を信じている者もいるのかも知れないと思った。もしかしたらそれは、今、実際に襲われている村の出身者なのかも知れないと。まさしく、レイザス出身者というところか。
だとしたら、彼等が気にするのも当然だった。
砦内の様子を窺いながら、陸王は邸に辿り着いた。石造りの邸自体は二階建てだが、横幅も奥行きもある。併設されている塔は三階建てのようだった。
邸の前の階段を上り、両開きの大きな扉を兵士が叩くと、使用人らしき男女が一人ずつ扉を押し開ける。
兵士はそのまま、陸王を伴って邸の中に踏み込んでいった。
陸王は一歩邸に踏み込んで、思わず足を止め、僅かに目を見開いた。
玄関の内側、床は大理石で出来ており、壁には陽の光を乱反射する紗が掛けられている。そのせいで、まるで霞の世界にでも踏み込んだような気分になった。
大扉の真正面奥には、赤い絨毯を敷いた階段が扇状に続いている。その階段のせいか、玄関は吹き抜けの大広間になっていた。柱も四本立っているが、それにも紗が掛けられている。所々に、陶器の美しい壺や彫像が飾られてもいた。
盗賊組織出身の雷韋が見たら、さぞや喜びそうな景観だ。
知らぬ間に溜息をついていた。
が、何か異臭がするような気がした。微かだが、鼻につく臭いだ。どこから漂ってくるのかは知らないが、何か嫌な気分になる。
邸内が立派なことで思わず足を止めていたが、臭いの正体が分からないこともあって、すぐに兵士に続いて歩き出した。
どうやら二階へ向かうようだ。先頭の二人が玄関を真っ直ぐに突っ切って、階段に足をかけたのを見てそう思う。
踊り場から両翼に広がる、やや幅細の階段を更に左へと上っていく。
陸王は兵士のあとにただ続いて歩いて行くばかりだから、建物の作りはよく分からないが、明かり取り用に中庭が設えられているのは確認した。中庭の辺りの壁側には、もう紗は掛かっていない。紗が掛けられていたのは、どうやら玄関付近だけだったようだ。
あとは自分でもどう歩いたのか分からなくなった。二度三度と右に左に角を曲がって辿り着いた先は、広い部屋だったが謁見の間ではなかった。
複数の村を束ねている領主とは言え、領主は君主であり、この辺り一帯を治める、つまりは王なのだ。当然、引き合わされるのは謁見の間だと思っていたが、全く違った。その部屋には長い机が部屋の中央に据えられており、等間隔に椅子が並べられている。窓を挟んだ両壁には、書架がずらりと並んでいた。
長机の上座に領主と覚しき人物がゆったりと椅子に腰掛け、その隣に男が立っている。
謁見の間ではなくて多少の拍子抜け感はあったが、二人の男は立派な身形をしていた。
座っている領主と覚しき人物は、白いシャツに緑に染めた麻の上着を着て、更にその上から毛皮の飾りがついた羽織を羽織っていた。額には金の細工物を着けている。
隣に立つ男は質素に見えつつも、手の込んだ織物で仕立てた銀糸の刺繍が施された蒼の上下を身に付けていた。腰には剣も見える。
二人はどこからどう見ても王侯だ。
領主と覚しき男は三十代後半程度、もう一人の男は少し下くらいか同じほどか。ぱっと見だけでは、それほど年は離れていないように思えた。
二人の人相は悪くない。領主の方は、真面目なのだろうが、多少、神経質気味に見える。白っぽい金の髪がそう見せるのかも知れない。
二人とも同じ髪色だ。瞳も共に青。
意外と兄弟なのではないかと陸王は思った。よく見れば面差しも似ている気がする。雰囲気も似ているようだが、領主と覚しき男の方が威圧感がある。重たい雰囲気を纏っていると言えばいいか。口髭を蓄えているところからも、堂々とした威風が感じられた。
ここで案内兼見張りの兵達が二人へ向けて、揃って小さく頭を下げた。
「この者が領主様にお目通りを願い出た者です」
陸王の前にいた兵士が、陸王の腕を掴んで前へと引っ張り出す。
その所作に不満はあったが、今は黙っておくことにした。くだらないことに労力を使いたくなかったからだ。
「分かった。お前達は席を外しなさい」
ずっと立ったままでいる男が陸王を見遣り、兵士達に命じた。
命じられて、兵士達四人は扉より外へ出て、それを静かに閉める。彼等は姿を消しはしたが、邸から連れ出すのもまた彼等の仕事だ。部屋の外で陸王が出てくるのを大人しく待っているのだろう。当然だ。いくら謁見を許されたといえども、ただ黙って見過ごすことはしない。
余所者である陸王は、ここでは常に見張られる立場なのだ。
兵士達が去ったあとの扉をほんの僅かの間だけ見遣って、陸王は上座の二人に向き直った。
「で、俺はどっちと交渉すればいいんだ?」
「どっちと交渉?」
立っている男のこめかみがひくりと動く。
「あんたは大臣か何かか? で、座っているそっちが領主だろう」
陸王は端的すぎる言葉を遠慮なく吐いた。
男はその言葉に顔色をなくすほどの怒りを顔に表したが、領主と覚しき口髭の男の表情は全く変わらなかった。ただ、じぃっと青い瞳を陸王に向けているだけだ。隣に立つ男は怒りを顔に表したまま、言葉も出ない様子だった。口からなんらかの音が出れば、それは全て激昂しきった叱責の言葉となったろう。それも当然だった。陸王の物言いは、あまりにも非礼がすぎたのだ。
怒りに煮え立っている男を、口髭の男が片手を挙げて制する。掲げられた手に、男ははっとしたように姿勢を正した。怒りの色も、すっと顔から消えていく。男は静かに深呼吸をしたかと思えば、冷静な声音を吐き出した。
「日ノ本からのお客人。まずは席へ掛けたまえ。話はそれからだ」
男が手で示したのは末端の下座だった。それは陸王に対しての意趣返しだったかも知れないし、外の者は全てその席に座るのが慣例となっているのか、そのどちらとも取れなかった。
とは言え、陸王にとってそんな事は些末なことだったが。軽く鼻で笑って、素直に席に着く。腕組みをしてから陸王は再び問うた。
「名乗った方がいいか?」
「そうだな。一応は兵から名は聞いたが、覚え違いがあると悪い。だが、先にこちらが名乗ろう。貴公は一応、客人でもあるしな。私は大臣を務める玄史と申す。こちらにお掛けになっているお方が、この辺りの土地、エリエレスを治めていらっしゃるエリエレス卿、玄芭様だ。私の兄上でもあらせられる」
陸王はそれを聞いて再び鼻で笑った。
「思っていたとおり、兄弟か。顔つきだけじゃなく、名前まで似ていやがる。兄貴が玄芭で、弟が玄史かよ。頭がこんがらがるな」
玄史は再び機嫌を悪くしたようで、尖った声を出した。
「ならば、『エリエレス卿』と『大臣殿』でよかろう。本来ならば、下の者が上の者の名を尋ねることも許されておらぬのだ。日ノ本からの珍しい客人ということで名乗ったにすぎん」
「そうかい。もし俺を雇ってくれるなら、『卿』とも呼ぶし『大臣殿』とも呼ぼう。俺の君主と上司に当たるんだからな。だが、それまでは、ただの『玄芭』と『玄史』だ」
陸王の言い様に、玄史の目が不快そうに細められる。吐き出される言葉はなかったが。
「だが、そっちが折角名乗ってくれたんだ。俺も名乗ろう。玖賀陸王と言う。雇われ侍だが、今それを示す腰の物はない。そっちで預かられちまってるからな」
組んだ腕を解いて腰元に左手を当てると、そこを数度叩く。
陸王の様子を眺めるように見遣って、玄史は言った。
「それで、交渉だの、雇われる雇われないだのという話だが、どういうつもりなのだ」
「俺の用件も聞かないで、こんなところにまで通したってのか?」
陸王は呆れた物言いをした。
「いや、聞いてはいるが、もう一度、貴公の口から聞かせて貰おう」
玄史の言うのに、陸王は吐息をついた。それから話し出す。
レイザスの村が吸血鬼に襲われ、その一端を陸王も見たことなど、昨夜の出来事の全てを。更に、このままレイザスを放置しておけば村が一つなくなり、領主からしてみればその分の税も入ってこなくなるだろうことも、嫌味のように付け足した。兵士を、軍を動かすには金が掛かる。いや、それ以前に、上級魔族に対して、ひ弱な人間族が敵うはずもない。敵わぬと見ながら兵士を無駄死にさせるか、それが嫌なばかりにレイザスを見捨てようというのなら、陸王が戦の肩代わりに吸血鬼を殺してやろうとも言った。こちらには修行僧の紫雲もいるのだ。二人の力を使えば、吸血鬼くらいなんとでもなろうと。だから雇ってくれないかと言えば、今までなんの表情も見せなかった玄芭が口端を緩めた。
「レイザスの村には先頃、旅芸人が立ち寄っているだろう。その中に奇術師もいたと聞いている。吸血鬼などと言って騒いでいるが、実際のところは奇術師の技の影響が未だに残っているのではないのか? 集団催眠というものに。あれはなかなか厄介なことを起こすと聞いている」
玄芭の言い様は淡々としていた。青い瞳にも、特にこれと言った妙な感情が載っているわけでもない。凪いでいるだけだ。
「なら、俺が頭に杭を打ち込んで殺したガキも、集団催眠とやらの結果か。いや、違う。あいつは確実に死んでいた。冷たくなっていく子供の身体を運んだのは俺だからな」
「誤って殺してしまっただけではないのか? その事を咎めるつもりはないが、吸血鬼などと言うものの存在は信じられぬな」
「魔族の存在は信じてんだろうが。その魔族の亜種が吸血鬼だ。数は限られてくるが、絶対に存在する。俺は奴の気配をはっきりと感じた」
「気配? 一体、どんな」
そこで初めて玄芭の表情に色が乗った。怪訝な色だ。
「禍々しい気配だ。昨日は三度感じた。そして被害者は三人。魔気を放ったのを感じたんだろうよ」
「何故、確信を持てる」
玄芭の当然の疑問に、陸王は答えた。夜戦をする日ノ本の侍は気配に聡いこと。闇の中で人や獣の気配を感じられるため、その能力が吸血鬼の気配にも及んだのだろう事を。
「ほう、闇の中でも気配を感じ分けることが出来るのか。……しかし、弱ったものよな」
玄芭は目を閉じて、小さく息を吐き出した。




