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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第1録:神の奇跡か、悪魔の罠か
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7. 神の血

 どこかで水滴が落ちる音がする。

 冷たい空気が肌を刺し、濡れそぼった石の匂いが鼻腔を満たす。

 瞼を開くと、暗がりの中に、淡く燭台の炎が揺らめいていた。

 ミハエルは、ぼんやりと視界を定めながら、鈍い痛みの残る頭を振る。

 手を動かそうとすると、 動かない。

 ――両手首を、鎖が拘束していた。

「……誘拐か、これは」

 呆れたように小さく笑い、冷たい石の床に膝をついたまま周囲を見渡す。

 ここは…… 地下の聖堂 。

 壁一面に古びた聖画が並び、天井のアーチには剥がれかけた金箔の装飾が施されている。だが、それらはすでに 長い時間の果てに朽ちかけていた。

 何より―― この空間に満ちる空気が異様だった。

 修道院の礼拝堂で感じる神聖な気配とは違う。

 どこか、 濃密な淀みと、押し殺した狂気 を孕んだ空間。

「……なるほどな」

 ミハエルは鎖を軽く引いてみる。

 錆びついているが、拘束を破壊するのは難しそうだ。

 静かに、足音が響く。

 ミハエルは薄く笑いながら、青い瞳を向けた。

 闇の奥から、ゆっくりとした足取りで 修道院長 が現れる。

 その背後には、数人の修道士たち。

 手には聖典と、 銀細工の杯。

 ――直感が告げる。

 これは“儀式”だ。

 ミハエルはわずかに息を吐き、ゆっくりと口角を上げた。

「さて……どうやら歓迎されてるみたいじゃないか」

 だが、ダミアンは何も答えず、静かに微笑んだまま、杯を掲げる。

 燭台の灯りに照らされ、杯の中の液体が鈍く赤黒く輝いた。


 ―― 神の血。


 その瞬間、ミハエルの目が細まる。

 血の聖杯は選ばれし者に与えられる“試練”とされる信仰の道具。

 だが、神の血は違う。

 あれは神の血という名を与えられた 紛い物の薬物だ。

「さて、ミハエル殿」

 ダミアンが穏やかな声で囁く。

「貴方が ‘選ばれし者’ であるかどうか……試させていただきましょう、きっと試練には耐えられない。誰も抗えないのだから」

 ミハエルは鎖が軋むほどに手を握りしめる。

 杯の中の液体が、ゆっくりと彼の唇へと近づいていく。


「――っ」


 次の瞬間、口をこじ開けられ、喉奥に神の血が流し込まれた。

 苦い鉄の味が、舌を焼く。

 喉が焼けるような熱が走り、皮膚の内側がじわりと火照る。

 まるで、体内に “何か” が入り込み、神経を蝕んでいくような感覚。


 視界が揺れる。

 最初は酩酊感――次第に心臓を締め付けるような眩暈へと変わる。


 ――光が見える。


 燭台の炎が白金色に染まり、世界が光の粒に溶けていく。

 耳鳴りの奥から、穏やかで、それでいて抗いがたい声が聞こえた。


「――選ばれし者よ」


 ミハエルの喉が震える。

 違う。これは、幻覚だ。

 だが――意識は抗えない。


 全身が甘く痺れ、指先まで痙攣するような熱が広がる。

 喉を焼く熱のせいか、それとも全身に巡る毒のせいか――

 鎖に繋がれたまま、膝が力を失い、床へと崩れ落ちる。


 ――そして、亡霊たちが現れた。彼らは優しく微笑みながら、彼に手を伸ばしていた。


「お前は選ばれたのだ」

「お前こそが、導かれるべき者」

「抗うな、すべてを捧げよ」


 指先が震える。


 ――気持ち悪い。


 心を絡めとるような、甘い誘い。

 この感覚を、ミハエルはよく知っている。

 これは洗脳だ。信仰ではない。


(――クソが……)


 ミハエルは、唇を噛みしめる。

 鉄の味が広がる。

 俺は信仰なんざ、信じない。

 幻影が歪んだ。

 亡霊たちの顔が、不快そうに揺らぐ。

 ミハエルは、鎖ごと引き千切る勢いで手に力を込めた。

「……つまんない幻覚だな」

 ダミアンの表情が、僅かに歪む。

「……まだ抗うのか?」

 指先がゆっくりと宙をなぞる。


 その瞬間――


 ミハエルの胸元で、微かに光る魔道具が震えた。

 小さな銀のルーンストーン。

 仲間に異変を知らせるための簡易な信号魔道具。

 微細な魔力を通すことで、遠く離れた持ち主に危険を伝えることができる。


 そして――

 扉が爆音を立てて破壊された。


「――ミハエル!!」


 鋭い声が、現実を引き戻す。

 コンラートだった。

 コンラートの手は微かに震えていた。

「な……っ!? どうしてここが――」

 答えは簡単だった。


 ミハエルは、意図的にコンラートと距離を取った。

 だが、万が一のために ルーンストーン を忍ばせていた。ミハエルの微弱な魔力が乱れた瞬間、コンラートの持つ石が光り、即座に異常を知らせたのだ。

 修道士たちが武器を構え、コンラートの前に立ちふさがりコンラートに向かって疾走する。その剣閃は迷いがない。


 ――ガキィィィン!!!


 コンラートが受け止める。

 想像以上の剛力に、一瞬、腕が痺れた。


(……重い!)


 そのまま、もう一撃。

 横薙ぎの剣が、コンラートの胴を狙う。

 寸前で跳び退く。

 だが、コンラートは動じない。

 剣を逆手に持ち替え、地面を蹴った。

 剣が閃く。

 修道士の持つ剣が、弾かれた。

 コンラートは僅かに息を整えながら言った。

「お前らにミハエルを渡すつもりはない」

 修道士たちが動き出す。

 だが、コンラートは一歩も引かない。

 その姿に、ミハエルはぼやける視界の中で笑った。膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げる。

「……コンラート」

 掠れた声が、彼の耳に届く。

「立てるか?」

 ミハエルは、一度だけ苦笑した。

「さぁな……けど、やるしかないだろ」

 ミハエルは 笑った。

 いつもの、皮肉めいた、余裕の笑みだった。

 その瞬間――

「逃がすな!」

 ダミアンの静かな声が響く。

 修道士たちが、一斉に動いた。

 コンラートは ミハエルの腕を引き、すぐさま駆け出した。

「走れるな?」

「お前のお姫様抱っこなんざ、御免だからな」

「なら黙ってついてこい」


 剣を振るいながら、コンラートは ミハエルを出口へと導く。

 背後では、修道士たちが追いすがる。

 このままでは、埒が明かない。

「コンラート、 目眩まし だ」

 ミハエルが朦朧としながらも懐から魔導銃を抜いた。

 その引き金を――


 バァンッ!!!


 炸裂弾が床を穿つ。

 轟音とともに、 煙幕が広がる。

 コンラートがすかさずミハエルを肩に担ぎ上げ、出口へと飛び込んだ。

 煙の中、修道士たちの叫び声が響く。

「どこへ行った!? 探せ!」

「異端者を逃がすな!」


 だが、すでに二人の姿は――夜の闇へと消えていた。

お読みくださりありがとうございました。来週の日曜まで毎日19時にアップします。

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