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異端なる神聖調査官と聖騎士の奇跡事件録  作者: 嘉乃いとね
第4録:魔女の聖歌事件
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2. 典礼省からの使者

 深夜、リューネ村は熱狂を残したまま静まり返っていた。

 そんな中、霧が低く垂れこめる修道院の前庭に一本の馬車が音もなく滑り込んで来た。

 ミハエルが蝋燭の灯りを頼りに書庫で記録をあさっていたところに、修道女のひとりがやや戸惑いを滲ませながら告げに来た。

「……あの、神聖調査官殿。『典礼省からの使者』を名乗る方が、あなたに文書を届けに来たと……」

 ミハエルは顔を上げると、うんざりとした声で応じた。

「こんな夜中に使者? 教会も随分マメになったもんだな……」

 案内された面会室は冷たい石造りで、壁には色褪せた聖人画がかけられていた。

 だが、その中に立つ使者の姿はどんな宗教画よりも現実味がなかった。

 彼は黒い礼装をまとい、空気にすら触れさせまいとするかのような、隙のない佇まいをしていた。

 装飾は一切ない。

 その清潔さは、むしろ異様だった。

 まるで誰の手にも触れられず、新品のまま箱に収められていたような印象。

 肌は白磁のように青ざめ、顔立ちは整っているように見える。が、長めの前髪が瞳を隠していた。

 ただ、前髪がわずかに揺れたときだけちらりと瞳が覗く。

 瞬きすらしないかのような異常な静止。

 これが使者――? こいつ、どこから連れてきたんだ?

 疑問と疑念、警戒心。

「……初めまして、ミハエル・フォン・ヴァイセンブルク調査官。典礼省より、文書をお預かりしております」

 口調は礼儀正しく、言葉には一分の無駄もなかった。

 だが、なぜか全身が粟立つような、不快な静けさがそこにあった。

「俺宛に? へぇ、珍しいこともあるもんだな。で、あんたのお名前は?」

「セオドール・クレメンス。任を受け、ここへ参りました」

 名乗ると同時に、セオドールは革のケースから分厚い文書を取り出し、机の上にそっと置いた。

 羊皮紙に記されたその文書は、神聖調査局の様式とは明らかに異なる――いや、意図的に儀式めいた装飾がなされている様に感じるやたらと丁寧な筆致。

 それは「報告書」ではなく、「預言書」とでも呼んだ方がしっくりくるような仕上がりだった。

「導かれた記録です」

 セオドールの口元がわずかに微笑んだ。

「この村で起きた現象は、ある種の啓示として記録されました。聖フロレンツィア修道院――そこに刻まれた兆しは、いずれ、構造として顕れるでしょう」

 ミハエルは葉巻をいじる指を止めた。

 口調も丁寧。

 態度も礼儀正しい。

 だが、セオドールの発する言葉は、全てが何かを前提に話している。

「導かれた記録、ねぇ……ずいぶん物々しい。あいにく俺は、そういうのは専門外なんだけど」

「ええ。あなたは信じない者ですから」

 セオドールは静かに言った。

 それは糾弾でも、侮蔑でもなかった。ただ、観察する者の口調だった。

「けれど、あなたには構造を読む目がある。奇跡が、どこから始まり、どこに収束するか……見通せる人間だ」

 ミハエルは小さく鼻を鳴らした。

「へぇ……あんた、なかなか面白ぇこと言うじゃねぇか。まるで、俺を必要な駒だとでも思ってるみたいだな」

 セオドールは応えなかった。

 ミハエルは座ったまま、葉巻をくるりと一回転させる。

 その目は笑っていたが、冷ややかな警鐘が鳴っていた。

 セオドールは満足げに芝居がかった優雅な一礼を残し、静かにその場を後にした。

 その姿を見届けると、ミハエルは机の上に置かれた文書をゆっくりとめくる。

 最初のページには、装飾文字でこう記されていた。


『導かれた記録 第六稿――信仰の芽吹きを確認するための観察報告書』


典礼省所属/記録管理補佐:T・C


「……第六稿? ってなんだよ、これ……」

 冗談のような体裁だが、書かれている内容は、笑えないほど緻密だった。


第1章:儀式の構造

•聖フロレンツィア修道院において、以下の手順により信仰の発露が確認された。

•対象者:少年(仮死状態)

•導入要素:修道女の祈祷(訓練済)

•補助装置:燭台照明・音響共鳴盤・魔導触媒(地下に設置)

•“奇跡が起きた”という状況を目撃させることにより、周囲の者に神の存在を想起させることに成功。


第2章:信仰の再生産

•奇跡の噂は瞬時に村内へ拡散し、信仰の再生産が始まった。

•「奇跡を体験した者の声」が語られることで、神の存在は現実化される。

•村民の中に、類似の祈祷を開始する者が現れた。

•言語の模倣、姿勢の模倣、儀式の模倣。

•特に効果的であったのは、子供を中心とした祈りの連鎖。


「信仰は、繰り返される構造である」


第3章:意識と信仰の臨界点

•村民の中に、信仰によって救われるという心理的確信が強化されつつある。

•ここで第二の奇跡が発生すれば、信仰は不可逆となる。

•人々は神を見たと記憶する。

•以後の出来事を、すべて神の采配として受け止めるようになる。

•その後に起きる死・病・変化すらも、神意として再解釈されることが期待される。


補遺:調査官ミハエル・フォン・ヴァイセンブルクの存在

•特異な記憶力・観察力を持つと記録あり。

•信仰の再構築において、否定者の存在は構造を完成させる鍵となる。

•彼の介入によって「信仰は試された」ことになる。


「彼に見せるべきは、真実ではなく、構造だ」


 ミハエルはページを閉じ、しばし無言になった。

 これは報告書じゃない。

 これは、舞台脚本だ。

 そして、自分の名前が、登場人物としてそこに載っていた。

 まるで、すべてが最初から計画されていたかのように。

「……俺がここに来ることすら、構造の一部だったってわけか」

 ミハエルは、ぐしゃりと文書の角を握りしめた。

「ふざけた構造だな」

 葉巻を口にくわえ、火をつけずに噛み潰すように言った。



 翌日、修道院の内部は想像以上に静かだった。

 セオドールが来てからというもの修道女たちは皆、口数少なくどこか怯えているように見えた。

 ミハエルは一通り表の礼拝堂を確認したあと、ガロの話に出ていた少年が立ち上がったという場所――祭壇の奥へと足を運んだ。

 重い木扉を開けると、空気が変わった。

 狭い階段を降りた先、祭壇直下には、古びた地下礼拝室が広がっていた。

 本来は密儀や特別な祈祷に使われる場だが、今はその中心に奇妙な装置が鎮座していた。

 壁には古い聖句が彫られ、天井も高く不自然に設置された燭台が吊られている。

 床の中央には機構らしき円形の枠が埋め込まれている。

 中央にある台座には、聖痕を象った金属の装置。

 そしてその奥に薄い血痕のような色――祭壇直下の儀式室。

「……この配置……」

 ミハエルは目を細めた。

 これを見たことがある。

 幼い頃、母に連れられ祈った礼拝室。

 あの部屋もまた、石の床に円形の魔印が刻まれ、中央には聖なる器具が据えられていた。

 祈りは届かなかった。

 奇跡は、訪れなかった。

「偶然とは思えない構成です。祈りの場にしては、機能性が強すぎる」

 背後から、滑るように声がした。

 セオドール・クレメンスだった。

 彼は部屋の入口に立ち、当然のように佇んでおり、その視線は装置ではなく、部屋全体の構造を眺めていた。

「あ? あんたか、昨日は大層なもんをどうも」

 ミハエルの言葉を流す様にセオドールは微笑んだ。

「構造を持つ奇跡は、再現が可能です」

 セオドールのその言葉に、ミハエルの眉がぴくりと動く。

「奇跡を再現?」

「神の意志を示すには、舞台が必要なのです。信仰もまた、演出から始まる。そうではありませんか?」

 ミハエルは無意識に一歩後ずさった。

 葉巻を取り出そうとしたが、ポケットの中は空で指だけが動く。

「……気味の悪いことをさも当然みたいに言うなよ。お前、本気でそれを信じてんのか?」

「私はただ、整合性を見ているだけです」

 セオドールの声は冷たいというより、まるで温度がないようだった。

「……神は、決して見捨てたりなさいません……」

 その言葉は呟きというには澄みすぎていて、まるで祈りか、呪文のように静かに響く。

 そして――それは母の言葉と同じだった。

 記憶が否応なしに引き出されるような不快感。石の床に母が跪き、祈っている姿が脳裏に思い浮かぶ。

 同じ配置、同じ空間、同じ祈り――だが、何も起きなかったあの日。

「あなたは、祝福されたと思っていましたか?」

 セオドールが囁く。

 だが、ほんの少しだけ、口元がほころんだように見えた。

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