教皇の個人秘書ヨハン・グリュンヴァルトのお仕事
ヨハン・グリュンヴァルトは、静かに息を吐いた。
眼鏡のブリッジを押し上げ、完璧に整えられた書類を前に、静かに――しかし、着実に怒りが募っていた。
「……なるほど」
低く呟いたその声は、冷静そのものだった。
しかし、その指先が僅かに震えているのを見逃す者はいなかった。
「つまり、あなたはこの書類を、確認もせず、そのまま通したと?」
淡々とした声だったが、わずかに温度が低かった。
対面に座る司祭は、ぎこちない笑みを浮かべながら、額の汗を拭った。
「え、ええと……一応、目は通したんですが、その、細かいところまでは……」
「ほう」
ヨハンは表情を動かさないまま、書類の一枚を指で弾いた。
「未決裁のまま進められた予算案、存在しない枢機卿のサイン、承認印の捏造――」
一枚、また一枚と、ミスのページを机に並べていく。
「『目は通した』って、これは目が節穴でもここまでにはならないでしょうに」
司祭の顔が引きつり、声が裏返る。
「え、ええと……その、確認不足だったといいますか……?」
その瞬間だった。
バン!!
静かに置かれていたペンが机に叩きつけられた。
「おいコラ、ナメてんのか?」
先ほどまでの冷静な口調は消え、荒々しい低音が教皇の執務室に隣接する秘書室の静寂を破る。
「確認不足ぅ? お前、それで済むと思ってんの? この書類、全部教皇猊下に提出する前の最終チェックだよな? なのに何だ? このクソみてぇなミスの山は?」
司祭の顔が青ざめていく。
目の前の秘書は、普段は冷静で淡々と仕事をこなす完璧な男だったはずだ。
なのに、ブチ切れた瞬間、完全にその辺のゴロツキだった。
「テメェ、ふざけんなよ? こんなんで教皇猊下の前に持ってったら、オレがどんな顔されるか分かってんのか!? 『ヨハン、これは何ですか?』って、あの慈愛の笑顔で聞かれんだぞ!? 分かるか、このプレッシャー!? オレが『はぁ、申し訳ありません……』って謝る羽目になるんだよ!!」
机をバン! と叩く。
司祭がビクゥッと肩を震わせる。
「いいか、オレの仕事はなぁ、教皇猊下がこのクソみてぇなミスに時間を取られねぇように調整することなんだよ!! つまりだ、お前のミスが全部、オレの負担になんだよ!!」
ギラリと鋭い緑の瞳が光る。
普段は冷静な美貌が、怒気を孕んで激しく歪んでいた。
唇の片端が吊り上がり、眉間には深い皺が刻まれ、相手を睨みつけるその顔は――威圧感の塊。剥き出しの苛立ちと軽蔑が混じっている。
「やり直せ、今すぐ」
低く、冷たく言い放つ。
司祭は反射的に椅子から立ち上がり、書類を抱えて逃げるように部屋を出ていった。
――静寂。
ヨハンは大きく息を吐き、眼鏡のブリッジを押し上げる。
完全にいつものクールな教皇秘書の顔に戻っていた。
「……ったく、マジで使えねぇな」
ポツリと呟く。
教皇に提出する書類は、一点の不備も許されないのである。
……それゆえに、自然と口調が荒くなるのも、致し方ないことだった。




