56 ローベルトの回想1
──天蛇の塔
先日、私はとある理由で旧知の人物である魔導師ラスディン師を訪ねていた。出された茶を飲みつつ、旧交を温め、雑談する。
と、
「ついこの間、妙なことがありまして、な……」
「ほう……」
そう、ラスディン師が切り出した。
ラスディン師は、このリシュートの街の魔導師ギルドの長を務めている。これほどのお方が言うほどの“妙なこと”、か。一体何があったのか?
「はい。この塔の地下で奇妙な魔力の変動が起こったのです。おそらくこの地下には、あのヴァルコーネが残した研究室があると推定されているのですが……そこで何かが起こったのかもしれません」
「う、むぅ……」
ヴァルコーネ。かつてこの塔の主人であった邪悪なる魔導師。様々な実験で生命を弄ぶ輩だ。
この塔において一度は討伐されたものの、他者の肉体を乗っ取り蘇った。ヤツはその精神を移すことで数千年を生きてきたという……。
「……ッ!」
苦い記憶。
そして乗っ取られたのは、私のかつての恋人。その結果、私はこの手で彼女を……
ラスディン師の言葉が本当だとすれば、まだヤツは生きている……ということか⁉︎
い……いや、そう判断するのはまだ早い。それよりも、だ。
……ッ。
一呼吸おいて自分を落ち着かせる。
「今一度、この地下の調査が必要かもしれませんな」
「うむ」
ラスディン師がうなずく。
この塔の基礎はあまりに堅固で、地下への入り口を見つけることは出来なかったのだ。と、なれば……我々の知り得ない何らかの方法で出入りしているのであろうか?
……まぁ、いい。
「少しばかり魔力を感知してみたのですが、すぐに異変は治りました。しかし夜中、娘が『外に何かいる』と、言い出したのです。確かに外で妙な気配がありました。確認したところ、逃げていく巨大な蜘蛛と、それを追う翼のある魔物の姿があったのです」
「蜘蛛だけでなく翼のある魔物、ですか……」
「暗くてはっきりとは見えなかったので、種族までは分かりませんでしたが」
ふむ。蜘蛛とインプなどのデーモン系か、それとも……
「そして朝になり周囲を確認したところ、こんなモノを見つけました」
「……糸、ですか」
大蜘蛛の糸だろう。微かな魔力を感じ……ッ!
「これは……女神の“力”!」
「左様。あの蜘蛛は、魔物の類ではないようですな」
我らの主神である運命の女神アゼリアの眷属は、蜘蛛だ。つまり、あの蜘蛛は女神に何らかのゆかりがある存在なのだろう。
「それと、奇妙なことがもう一つ。この塔の屋上です。この塔の中央には円筒形の空間がるようなのですが……そこに通じると思しき鉄扉が開いた形跡があったのです。蝶番部分のサビが下に落ちていました」
「ほう……」
聞いたことがあるな。この塔には幾つか、何らかの魔法で厳重に閉ざされた扉がある、と。
術式も何も、普通の魔術とは違うらしく、誰も解除に成功していないと聞く。
かつて、円筒部の調査のために一部の壁を壊すことも検討されたが、塔の崩壊につながる可能性が高く、今も調査は行われていない、と。
「その扉は再び閉ざされてしまい、また開かなくなっておりました。そして、そこにも同じ糸が残されていました」
今度は糸の束が机の上に置かれた。これもまた、女神の“力”が宿っている。
と、そこにノックの音がした。
そして入って来たのはローブ姿の男。ラスディン師の弟子だろう。何やら袋を抱えている。
「どうした?」
「はい。塔からすこし離れたところに血痕が残されていました。おそらくはあのあたりに棲むトロールのものかもしれません。彼らの使う手斧などの残骸が残されていました。これです」
「……ふむ」
大蜘蛛か、翼のある魔物。そしてトロールか。
弟子は袋から取り出したものを机の上に置いた。
それは、半ばから折れた手斧。
……いや、人が持てば普通の斧のサイズに近いがな。
「そして、これも」
「!」
袋から出されたのは、またしても糸の束。そしてその中に、石の塊。石塊は、どことなく蝙蝠の翼のような形状を……
「ガーゴイルか!」
翼のある魔物の正体。
神殿などに魔除として飾ってある石像だ。
時として、魔法生物と化したものも存在する。
「おそらくはガーゴイルらしき魔物が大蜘蛛を追い、それにトロールが巻き込まれた、と。そしてガーゴイルは蜘蛛の巣に絡めとられ、翼を失った……。ガーゴイルはその場を歩いて立ち去ったのか、それとも……」
おそらくはそんな状況か。
「そして、この地下の魔力の変動はその蜘蛛の出現の前兆、かもしれませんな」
ラスディン師も応じる。
「女神の“力”を宿した大蜘蛛の出現。吉兆なのか、凶兆なのか……」
どうなることやら。一度、エルズミスに戻る必要があるな。
そして、私は天蛇の塔を辞した。
──リシュート バフティアール神殿
私が滞在させてもらっている神殿に戻ると、何やら騒ぎが起こっていた。
それにしても、色々なことが次々に起こるな……
近寄ってみると、この神殿で司祭を務めるナースィルに、同じく司祭らしき人物が何やら懇願している。
三十代前半ほどの、背の高い細身の男だ。見覚えはあるが……。
「どうされました?」
とりあえず、声をかけてみる。
「おお……ローベルト殿。ちょうど良いところに。こちらは、アサーヴの司祭、シャルマ殿」
「シャルマ殿、ですか。確か一度……」
「司祭に任命された折にお会いしております。ローベルト大神官様」
ああ、確かに。
一つ、礼を交わす。
「で、どうなされた? 随分慌てた様子ですが……」
「はい。ここ数ヶ月ほどの事ですが……エルズミスに巡礼に向かった人々が戻ってこないのです。無論、全員と言うわけではないですが」
「……ふむ」
「領主のヴェルト様は兵を出して調査を行なっているのですが、なかなか成果が上がりません。故に、リシュートに協力していただきたく、ここに参ったのです。領主のジェウデット様からも良い返事はいただけました。その際、こちらにローベルト大神官が逗留しておられると聞き、やって参りました」
「なるほど……」
リシュートも人員を動かすのに日数はかかるだろう。ならば……
「とりあえず、私も行きましょう。巡礼者の安全を守るのも、我らの使命です」
「ありがとうございます!」
そうして私は翌日、シャルマそして護衛として連れて来ていたエルズミスの衛兵、オゼルとともにアサーヴへと向かうことにした。




