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毎朝満タンになる補充トラックで異世界配送を始めました  作者: たむ


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第92話 九百四十歩の引継ぎ

受取人署名の原本は、補給網中枢まで残り九百四十歩の北方第二照会所へ保管されました。


けれど、同じ九百四十歩でも、空のそりで進む往路と、人を載せて戻る帰路では必要な時間が違います。


誠司たちは原本を届けるだけでなく、回収便が確実に帰ってこられる道として、最後の区間を測り直します。

「九百四十歩を、そのまま九百四十歩だと思わないほうがいい」


出発前の水車町配送所。


誠司は北方補給網中枢から届いた通知票を机へ置いた。


原本受領予定地点――北方第三引継所

現在位置――北方第二照会所より九百四十歩


帰路所要時間――往路の一・六倍を見込むこと。


机の上には、新しい運行表が広げられている。


北方第二照会所から、第三引継所まで。


記された距離は九百四十歩。


しかし、その「一歩」が誰の歩幅なのかは分からない。


誠司。


ロウグ。


ガラン。


エレナ。


カイル。


五人の歩幅は、それぞれ違う。


雪の深さでも変わる。


そりを引いているときと、何も持たずに歩くときでも変わる。


「通知票を書いた管理人の歩幅かもしれません」


エレナが言った。


「第一配送者が使っていた距離の単位という可能性もあります」


「あるいは、人の歩幅じゃないかもしれない」


ガランが測量縄を持ち上げた。


満タン便が以前、荷台へ積んでいた長い縄。


一定の間隔で、小さな結び目が作られている。


「この縄の結び目が、古い街道の単位になってるんじゃないか?」


誠司は縄を机の上へ伸ばした。


結び目から次の結び目まで。


人が大きく一歩を踏み出した程度の長さだった。


ただし、すべての間隔が正確に同じである。


「現地で照合しましょう」


誠司は運行表に二つの欄を作った。


一つは距離。


もう一つは時間。


「回収便で重要なのは、何歩進んだかだけじゃありません」


低温休眠容器を載せたそりは、空のときより遅くなる。


下り坂では慎重に速度を抑える。


狭い場所では持ち手を外し、通過後に付け直す。


荷姿の確認も必要になる。


「帰路は往路の一・六倍」


ロウグが通知票を見た。


「中枢がそう見積もっています」


「まずは従います。ただし、本当に一・六倍で足りるかは、道を見て判断します」


誠司は運行表の中央へ、太い赤線を引いた。


「ここを撤収時刻にします」


「第三引継所まで着いていなくても?」


「はい」


「あと少しでも?」


「戻ります」


ガランが苦笑した。


「誠司なら、そう言うと思った」


「原本を届けることより、原本を失わないことが先です」


第二照会所から先には、まだ安全が確認されていない区間がある。


原本を持ったまま予定時刻を超えることはできない。


第三引継所へ届かなければ、原本を再び第二照会所へ保管する。


中途半端に先へ置かない。


誰かが持ったまま野営もしない。


「原本は、必ず施錠できる場所か、受領権限のある相手へ渡します」


誠司は続けた。


「その間には置きません」


カイルが運行表を見て頷いた。


「撤収判断は誠司。原本管理はロウグと俺。道の確認は俺とガラン」


「距離と設備の記録は私が担当します」


エレナが言う。


「運行時間は俺とロウグで二重に記録します」


一人の時計だけに頼らない。


一人が記入を忘れても、もう一人の記録が残る。


一人が疲れて判断を誤っても、別の者が確認できる。


帰るための準備は、荷物より先に分けられていった。


*


満タン便は、水車町から北砦へ。


北砦から冬季中継所へ。


さらに返送庫を経由し、北方引継所へ到着した。


返送庫の石板では、保存食がまた一つ減っていた。


前回、補充した数と合っている。


使用時刻を示す印は、月ではなく太陽だった。


昼間に一つ。


薪と毛布は使われていない。


「少し休んで、食事だけしたようですね」


ロウグが石板を記録する。


入口近くに落ちていた氷晶石の欠片は、前回回収している。


今日は新しい欠片も、足跡もなかった。


誠司は保存食を一つ補充した。


その隣に、簡単な案内札を置く。


必要な分を使ってください。

次の便が補充します。

困っていることがあれば、石板の下へ印を残してください。


文字の読めない者にも伝わるよう、保存食、毛布、怪我、道の四つを示す記号も描いた。


利用者を捕まえるためではない。


必要な物を知るための案内だった。


「返事はあるでしょうか」


エレナが尋ねた。


「なくても構いません」


誠司は札を壁へ固定した。


「ここが使われていることは分かっています。それだけでも、補給量は変えられます」


名前を知らなくても、届けられる物はある。


会えなくても、つなげられる道はある。


今は、それでよかった。


北方引継所へ着くと、満タン便を南向きに止める。


車輪止め。


燃料。


荷台。


回収用可動枠。


二つの空席。


異常なし。


五人は回収そりを降ろした。


今日は、そりに荷物を載せない。


署名原本は北方第二照会所にある。


そこまでは空のそりを運び、原本を引き取ったあと、第三引継所へ向かう。


人送路へ入る。


第一照会所。


荷重分散橋。


第二照会所。


前回整備した道は、すべて使用できる状態だった。


荷重分散橋の板に、大きなずれはない。


縄の緩みもない。


送達管からは、一定の風音が聞こえる。


第二照会所の扉に貼った封印札も破れていなかった。


「第一鍵」


カイルが鍵を差し込む。


「第二鍵」


ロウグが反対側の鍵を回す。


二人が同時に動かす。


かちり、と重い音がした。


金属箱の扉が開く。


中には、水車町原本便第一号の平箱が置かれていた。


赤糸。


封蝋。


木札。


すべて異常なし。


「水車町原本便第一号」


ロウグが読み上げる。


「保管中の荷姿異常なし」


「確認しました」


誠司が答える。


引継板へ記入する。


北方第二照会所での一時保管終了。

二鍵解錠。

封印異常なし。

引渡人――カイル、ロウグ。

受取人――田村誠司。


誠司は平箱を受け取った。


だが、すぐにそりへ載せなかった。


先に第二照会所から先の道を、短い範囲だけ確認する。


原本を持ったまま、最初の危険箇所を探さない。


「先行確認、百歩まで」


カイルとガランが前へ出た。


誠司たちは第二照会所で待つ。


しばらくして、二人が戻ってきた。


「石畳は続いている」


カイルが報告する。


「最初の百歩は下り。右側に手すり用の金属輪がある」


「雪は浅い。ただし、床に薄い氷が張ってる」


ガランが靴底を見せた。


「歩けるが、容器を載せたそりだと滑りすぎるかもしれん」


「原本便は進めますか?」


「ゆっくりならな」


誠司は平箱をそり中央の布袋へ収めた。


二本の紐を別々の場所へ固定する。


片方が外れても、袋は落ちない。


「原本便、人力運搬を再開します」


ロウグが時刻を記した。


五人は第二照会所を出た。


*


道は、確かに下っていた。


急な坂ではない。


けれど石畳の表面には、透明な氷が薄く広がっている。


空のそりは、少し引くだけで前へ滑った。


停止爪を下ろす。


爪が氷の表面を削り、石畳の隙間へ食い込む。


「帰りは重くなります」


誠司が言った。


「重くなれば、もっと止まりにくい」


「氷を割るか?」


ガランが金槌を持ち上げる。


「全部を割ると、石畳まで傷つきます」


氷だけを削っても、壁から染み出した水が再び凍る。


一度きれいにして終わりではない。


何度でも使える方法が必要だった。


ガランが岩壁を調べる。


細い水の筋が、上から石畳へ垂れていた。


昼間にわずかに溶け、夜に凍っている。


「水を道へ落とさなければいい」


岩壁の下へ、細い溝を掘る。


満タン便から持ってきた半円形の金属板をつなぎ、水受けにする。


染み出した水を集め、道の外側に置いた桶へ流す。


だが、すでに張った氷は残っている。


「滑り止めを置きます」


誠司は細い縄を、坂に対して横向きに並べた。


縄は一定間隔で金属輪へ固定する。


靴底とそりの滑走板が、縄の小さな段差へ触れる。


完全に止めるほどではない。


速度だけを落とす。


試験する。


空のそりを坂の上へ置く。


停止爪を上げる。


二人が前から引き、二人が後ろから縄で抑える。


そりはゆっくり動き始めた。


横向きの縄を越えるたび、小さく速度が落ちる。


急に止まらない。


揺れも少ない。


「帰りには、後ろの二人を増やしたほうがいい」


カイルが言った。


「容器を載せた場合、この坂は三人で制動します」


誠司は運行表へ記録した。


第二照会所北側・凍結坂

往路――制動二名

復路――制動三名

停止地点――坂上、坂下のみ


坂の途中では止まらない。


荷姿確認も、役割交代も行わない。


止まる必要がある作業は、安全な平地で行う。


整備を終えたころには、予定より二十分遅れていた。


誠司は運行表を見る。


撤収時刻まで、まだ余裕はある。


しかし、二十分の遅れは帰路では三十二分になる。


一・六倍で計算し直す。


「残り時間を修正します」


ロウグが新しい帰着予定を書き込んだ。


遅れを、そのまま後ろへ押し出さない。


帰りの増加分まで含めて、今ここで予定を変える。


「進めますか?」


エレナが尋ねる。


誠司は時計と運行表を確認した。


「第三引継所での作業時間を三十分から十五分へ減らします」


「原本の引渡しに十五分で足りますか?」


「足りなければ、引き渡さず戻ります」


受領手続きを省くのではない。


時間が足りなければ、原本を渡さない。


手続きを途中で切り上げるくらいなら、次の便へ回す。


五人は再び歩き始めた。


*


百歩ごとに、青い標識札を立てた。


帰路から見える面には白。


雪原の三本線と同じ色分けだった。


一つ目。


二つ目。


三つ目。


距離を測るたび、測量縄の結び目と歩数を比べる。


誠司の百歩では、古い標識の百歩より少し長い。


ロウグでは短い。


しかし測量縄の結び目百区間は、古い道に残る距離印とぴったり一致した。


「やはり、人の歩幅ではありません」


エレナが石畳の端を指した。


小さな丸印が刻まれている。


百区間ごとに一つ。


「この縄の一間隔が、一歩だったんです」


「配送歩、とでも呼ぶか」


ガランが言った。


誠司は運行表の表記を直した。


人歩――使用しない

街道歩――測量縄一間隔


同じ「歩」という言葉でも、意味を揃えなければ距離は共有できない。


伝えた者と受け取った者で、一歩の長さが違えば、待ち合わせ場所はずれる。


物流に必要なのは、速さだけではない。


同じ数字を、同じ意味で使うことだった。


四百街道歩。


五百街道歩。


道は岩壁の間へ入った。


風が弱くなる。


代わりに気温が下がった。


吐いた息が、すぐ白く固まるように感じられる。


石畳の左右には、細い金属管が現れた。


氷晶石の青い光が、一定間隔で流れている。


「中枢の冷気を運んでいるのでしょうか」


ロウグが管へ手を近づける。


触れない。


表面には厚い霜が付いている。


七百街道歩。


道の脇に、小さなくぼみがあった。


人が五人立てる程度の広さ。


壁には、折り畳み式の板と、古い固定帯。


「休憩所です」


エレナが文字を読む。


荷物を地面へ置くな。

人を先に休ませよ。


ガランが折り畳み板を下ろした。


金具は固いが、使える。


板の上なら、そりを水平に置ける。


地面へ直接置けば、傾きや冷気の影響を受ける。


回収時の休憩地点として使えそうだった。


誠司たちは雪と霜を払い、固定帯を新しいものへ交換した。


壁には、携帯燃焼炉を置くための石台もある。


ただし、冷却管から十分離れている。


「ここを北方第三休所として登録します」


ロウグが補給網中継器を確認する。


北方第三休所――復旧

回収経路――九十五パーセント


あと五パーセント。


第三引継所まで、残り二百四十街道歩。


撤収時刻まで、四十五分。


第三引継所で使えるのは、予定どおり十五分。


誠司は全員の状態を確認した。


手の感覚。


足の疲れ。


水分。


そりの固定。


原本の封印。


異常なし。


「進みます」


*


残り百街道歩を切ったころ。


人送路の先に、大きな扉が現れた。


石と金属で作られた、灰色の扉。


その手前に、同じ大きさの扉がもう一枚ある。


二枚の扉の間には、短い通路があった。


外側の扉は半分開いている。


内側の扉は閉じていた。


外側の扉の上には、古い文字が刻まれている。


ロウグが読む。


「北方第三引継所」


「九百四十歩、合っています」


エレナが測量縄を確認する。


第二照会所から、ちょうど九百四十街道歩。


人の歩数ではなく、街道の単位だった。


しかし、まだ原本を引き渡せる状態ではない。


外側の扉は、開いたまま動かなかった。


床の溝に氷が詰まり、扉の下部が引っ掛かっている。


「内側を開ける前に、外側を閉じる仕組みか」


ガランが扉の横にあるレバーを調べる。


「二枚同時には開かないようになってる」


内側には中枢の冷気がある。


二枚の扉を同時に開けば、温度が大きく変化する。


人や荷物を一度、二枚の間へ入れる。


外側を閉じる。


温度を整える。


それから内側を開く。


温度を守るための引継所だった。


「外側が閉まらなければ、原本は受け取ってもらえない」


カイルが時計を見る。


残り三十七分。


作業時間は十五分しかない。


「氷を全部溶かすのは間に合わん」


ガランが床の溝を調べる。


「扉そのものは壊れてない。下の氷だけだ」


火で急に温めれば、扉や石が割れるかもしれない。


湯をかければ、流れた先で再び凍る。


誠司は携帯燃焼炉と防寒布を見た。


「扉全体を温めません」


床の溝だけを布で囲う。


燃焼炉を直接近づけず、少し離した場所から温かい空気を送る。


ガランは細い金属板を溝へ差し込み、柔らかくなった氷を少しずつ掻き出す。


大きな塊を一度に割らない。


小さくする。


桶へ入れる。


通路の外へ持ち出す。


五分。


八分。


外側の扉が、わずかに動いた。


「まだ重い」


ガランが言う。


上部の滑車にも霜が付いている。


ロウグが滑車へ油を差す。


カイルとガランがレバーを引く。


誠司は扉の下を確認する。


エレナは時間を記録する。


扉が、ゆっくり閉じ始めた。


ごう、と低い音がした。


完全に閉じる。


壁の表示板に、青い光が灯った。


外扉――閉鎖確認

温度調整――開始


残り時間、二十二分。


十五分を超えている。


本来なら撤収する時刻だった。


誠司は運行表を見る。


第三休所の整備により、帰路の休憩時間を一回分短縮できる。


ただし、短縮できるのは予定上の待機だけ。


安全確認は減らさない。


計算する。


帰着予定は、撤収上限の七分前。


余裕は七分しかない。


「原本の受領確認だけ行います」


誠司が言った。


「質問や調査はしません。受領に時間がかかる場合は持ち帰ります」


誰も反対しなかった。


二枚の扉の間へ、誠司とロウグが入る。


原本は誠司が持つ。


ガラン、カイル、エレナは外側に残る。


全員が中へ入れば、外で扉を確認する者がいなくなる。


引継ぎをする者。


記録する者。


設備を監視する者。


役割を分ける。


外扉が閉まる。


狭い通路に、静かな機械音が響いた。


温度計の針が、ゆっくり下がる。


急には変わらない。


中枢側の温度へ、少しずつ近づいていく。


やがて壁の表示が変わった。


引渡品を確認します。


「水車町原本便第一号」


誠司が声に出す。


「荷名、北方一号・受取人署名原本」


通路の奥から、女性の声が返ってきた。


「封印番号を確認します」


はっきりした声だった。


遠くから聞こえるのではない。


内側の扉の、すぐ向こうにいる。


ロウグが木札を読み上げる。


「水車町原本便、第一号」


「差出地」


「水車町返送受入所」


「照会責任者」


「田村誠司」


短い沈黙。


それから、女性の声が言った。


「田村誠司さん。受領意思に変更はありませんか」


誠司は内側の扉を見た。


向こうにいるのは、補給網中枢の管理人。


第一配送者が会った女性と、同じ人物なのかもしれない。


何年ここにいるのか。


人なのか。


なぜ誠司の名を知っていたのか。


尋ねたいことはいくつもあった。


だが今は、原本を届ける便だった。


「変更ありません」


誠司は答えた。


「北方一号を一時的に受け入れます。覚醒後の行き先は、本人の意思を優先します」


「回答を確認しました」


内側の扉の下で、細長い受領口が開いた。


金属製の台が、こちら側へ滑り出てくる。


誠司は平箱を載せた。


すぐには手を離さない。


「封印、赤糸」


ロウグが確認する。


「異常なし」


「封蝋」


「異常なし」


「木札」


「水車町原本便第一号。異常なし」


誠司は手を離した。


台が、ゆっくり内側へ戻る。


受領口が閉じた。


向こうで、金属の留め具が外される音がする。


赤糸。


封蝋。


平箱。


一つずつ確かめているようだった。


しばらくして、女性の声がした。


「受取人署名原本を受領しました」


壁の表示が一斉に光った。


水車町原本便第一号――配達完了

原本返送経路――百パーセント

回収経路――百パーセント


ロウグが息を呑んだ。


残されていた二つの条件が、満たされた。


続けて、新しい表示が現れる。


北方一号回収便

出発許可――有効


出庫予定――次回受領時

荷姿――低温休眠容器

同行者――補給網中枢管理人一名


「次の便で、回収できる」


ロウグが小さく言った。


誠司は時計を見た。


残り時間は十六分。


今すぐ中枢の内側へ入ることはできるかもしれない。


北方一号を見ることも。


管理人と話すことも。


だが、今日の計画には含まれていない。


回収そりも、空の状態を確認するために持ってきただけだ。


低温休眠容器を載せて帰るための医療要員も、交代人員も待機していない。


「本日の運行は、原本の引渡しまでです」


誠司は内側の扉へ告げた。


「北方一号の回収は、次の正式便で行います」


向こうの女性は、すぐには答えなかった。


やがて、静かに言う。


「正しい判断です」


その言葉には、機械の案内とは違う響きがあった。


安堵しているようにも聞こえた。


「回収便の到着を待ちます」


「一つだけ、確認してもいいでしょうか」


誠司が尋ねた。


「運行に関する内容であれば」


「第三配送者の登録待機とは、何ですか」


短い沈黙。


通路の温度調整装置が、低い音を立てている。


「第三配送者候補は、すでに北方配送路へ入っています」


「誰ですか?」


「登録名は、まだ受領されていません」


「現在地は?」


今度の返答は、すぐだった。


「北方返送庫」


誠司とロウグは、顔を見合わせた。


保存食を使っていた誰か。


薪も毛布も使わず。


昼や夜に立ち寄り。


足跡を残さず。


氷晶石の欠片を落とした者。


「その人は、中枢から来たんですか?」


誠司が尋ねる。


「その質問への回答権限はありません」


女性の声は変わらない。


「ただし、回収便の運行前に接触することを推奨します」


「理由は?」


「第三配送者候補が、回収便の荷物を一つ保管しているためです」


「北方一号とは別の荷物ですか」


「はい」


壁の表示が変わった。


回収便付随荷物――一件

保管地点――北方返送庫

保管者――第三配送者候補

荷姿――書簡

宛先――第一配送者


第一配送者宛ての手紙。


第一配送者は、今も行方が分からない。


北方へ辿り着けず消息を絶ったと考えられていた。


それなのに、第三配送者候補は、その人物宛ての書簡を返送庫で保管している。


「その手紙は、回収便に必要なんですか」


誠司が尋ねた。


「回収作業そのものには不要です」


「では、なぜ付随荷物に?」


「北方一号が、回収時に同じ便で運ぶよう指定しました」


低温休眠状態にある北方一号。


田村誠司を受取人に指定した人物。


第一配送者宛ての手紙まで、同じ回収便へ載せようとしている。


「内容は分かりますか」


「未開封です」


管理人は答えた。


「荷物には、開ける場所まで含めて行き先があります」


誠司が以前、返送庫で言った言葉。


同じ言葉が、内側の扉の向こうから返ってきた。


まるで、ずっと前から知っていたように。


「時間です」


ロウグが時計を示した。


撤収時刻。


誠司は頷いた。


「原本の受領を確認しました。水車町へ戻ります」


「帰路の安全を確認しました」


女性が答える。


「次の回収便で、お待ちしています」


通路の表示が切り替わる。


内扉――閉鎖

外気温度へ調整中


誠司たちは、内側の扉が開くところを見なかった。


管理人の姿も。


中枢の内部も。


ただ、署名原本だけが扉の向こうへ引き継がれた。


温度がゆっくり戻る。


外扉が開く。


ガランたちが待っていた。


「受領されたか?」


「はい」


誠司は答えた。


「回収経路も百パーセントです」


エレナの顔が明るくなる。


だが、誠司は続けた。


「帰りに、返送庫へ寄ります」


「いつも寄っているだろう」


「補給確認だけじゃありません」


誠司は北方返送庫の方角を見た。


「そこに、第三配送者候補がいるそうです」


*


帰路は、往路より時間がかかった。


荷物は空になっている。


それでも疲労は増えていた。


凍結坂。


荷重分散橋。


狭い区間。


一つずつ、往路と同じ手順で通る。


原本を届け終えた安心から、速度を上げない。


帰りのそりが空だからといって、停止爪を省略しない。


第三休所では、計画どおり短い休憩を取った。


全員の手足を確認する。


水を飲む。


帰着予定を計算し直す。


北方引継所へ戻ったのは、撤収上限の六分前だった。


見積もりの余裕は、七分。


実際に残ったのは六分。


「一分ずれました」


ロウグが言った。


「次の回収便では、この一分を余裕として使えません」


誠司は運行表へ記録した。


帰路一・六倍という中枢の見積もりは、ほぼ正しかった。


しかし、容器を載せればさらに遅くなる可能性がある。


同行者の歩く速度も分からない。


次は、少なくとも二倍で計画する。


「一・六倍という数字を守ればいいわけじゃない」


誠司は言った。


「今日は原本だけでした。次は条件が違います」


満タン便の点検を行う。


異常なし。


全員が乗り込み、返送庫へ向かった。


日が落ちる前には到着できる。


だが返送庫が見えてくると、誠司は速度を落とした。


入口の青い標識棒。


防寒布で補修された屋根。


石造りの壁。


人影はない。


満タン便を少し離れた場所へ止める。


エンジンを切る。


音を立てず、周囲を確認する。


雪の上には、新しい足跡があった。


小屋の北側から来ている。


人の足跡。


ただし途中から、古い街道の中央で消えていた。


「風で消えたようには見えません」


エレナがしゃがみ込む。


足跡の縁は新しい。


消えた先だけ、雪面が平らだった。


返送庫へ入る。


保存食は減っていない。


毛布も薪も、そのまま。


誠司が置いた案内札の下に、小さな印が一つ刻まれていた。


手紙を表す、折り畳まれた四角。


その横に。


赤い車。


満タン便を示す絵。


そして、帰る向きを示す白い布の印。


「手紙を、満タン便で南へ運びたい」


ロウグが記号を読んだ。


「そういう意味でしょうか」


小屋の奥。


第一配送者宛ての木箱が発見された床下に、一通の封書が置かれていた。


白い布に包まれている。


封書の表には、古い文字で宛名が書かれていた。


ロウグが読む。


「第一配送者殿」


差出人の欄はない。


代わりに、三本の線が描かれている。


雪原に作った、二本の車輪線と一本の歩行線。


封は閉じられていた。


誠司は手を伸ばさない。


まず、位置を記録する。


荷姿。


封印。


周囲の状態。


発見時刻。


誰が見つけたか。


すべてを書いてから、封書へ触れる。


軽い。


中には、紙が一枚入っているようだった。


「第三配送者候補は?」


カイルが小屋の外を見る。


姿はない。


そのとき。


石板の在庫記録の一番下に、新しい文字が浮かんだ。


書簡を預けます。

回収便へ積んでください。


私は、まだ名乗れません。


文字は古い異世界語ではなかった。


誠司にも読める共通語だった。


筆跡は細い。


第一配送者の記録とも、誠司の字とも違う。


最後に、小さな記号がある。


丸の中に、数字の三。


第三配送者。


「近くにいるのかもしれません」


エレナが声を落とす。


誠司は小屋の外へ出た。


白い雪原。


北へ伸びる旧街道。


風に揺れる青い標識。


人影は見えない。


追いかけることもできた。


足跡が消えた場所を掘ることも。


周囲を分かれて探すことも。


だが、日没が近い。


全員が人送路の作業を終えたあとで疲れている。


探索の準備もしていない。


「今日は探しません」


誠司は言った。


「手紙だけ、正式に受け取ります」


「第三配送者が目の前にいるかもしれないぞ」


ガランが言う。


「だからこそ、準備なしで追いません」


第三配送者候補が助けを求めているなら、返送庫へ戻ってくる。


追われたくないなら、無理に探せば姿を隠す。


「次の便で、ここを待ち合わせ場所にします」


誠司は返送庫の石板へ返事を書いた。


書簡を受領しました。

開封せず、回収便へ積みます。


次の北方便で、ここへ来ます。

話せることだけで構いません。

必要な物があれば、印を残してください。


田村誠司


その下へ、満タン便の到着予定を太陽の位置で示した。


文字が読めなくても、時間が分かるように。


手紙は、返送品として荷台へ積んだ。


ただし、水車町へは持ち帰らない。


宛先は第一配送者。


回収便へ載せるよう指定されている。


返送庫の施錠箱へ一時保管する。


一つの鍵を誠司。


もう一つをロウグが持つ。


受領記録を残す。


荷名――第一配送者宛書簡

差出人――未記載

預託者――第三配送者候補

開封――不可

運送指定――北方一号回収便

一時保管――北方返送庫


二つの鍵を掛ける。


誠司たちは満タン便へ戻った。


助手席は、まだ空いている。


次の便では、補給網中枢の管理人が座る予定だ。


荷台には、低温休眠容器。


返送庫からは、第一配送者宛ての手紙。


そして、どこかにいる第三配送者候補。


一つの回収便に、複数の約束が集まり始めていた。


*


その夜。


冬季中継所で配送帳面が光った。


第一配送記録・北方第二十三便

私が中枢へ原本を届けた帰り、返送庫に手紙が置かれていた。


宛名は、私だった。

差出人の名はなかった。


管理人は、手紙を開けるなと言った。


「それは、あなたが消えたあとに届く手紙です」


私は笑った。

自分が消えたあとに、どうやって受け取るのかと尋ねた。


管理人は答えた。


「次の配送者が、あなたの行き先まで運びます」


誠司は記録を読み返した。


第一配送者も、同じ返送庫で自分宛ての手紙を受け取っていた。


それは、今、施錠箱に保管されている書簡と同じものなのか。


記録の下に、現在の配送情報が現れる。


第一配送者宛書簡

配送状態――再預託

最初の受領者――第一配送者

現在の受領者――田村誠司

最終配送先――未登録


「再預託……」


一度、第一配送者が受け取った。


だが届けられず、再び返送庫へ戻された。


そして今、誠司が受け取った。


さらに新しい項目が表示される。


第三配送者候補

現在地――北方返送庫周辺

登録状態――待機


登録条件――第一配送者宛書簡の最終配送先を決定すること。


第三配送者候補が正式に登録されるためには、第一配送者宛ての手紙をどこへ届けるか決めなければならない。


しかし第一配送者の現在地は、分からない。


生きているのかも。


この世界にいるのかも。


帳面の最下部に、行き先候補が一つだけ表示された。


最終配送先候補――補給網中枢・返送不能品保管区画


第一配送者は、中枢へ辿り着けず消息を絶った。


そう考えられていた。


だが中枢には、届け先を失った荷物を保管する「返送不能品保管区画」が存在する。


その区画に第一配送者の行き先が登録されようとしている。


最後の一行が浮かんだ。


保管区画内・人員記録――一名。


北方一号とは別に。


補給網中枢の奥には、もう一人の人間が記録されていた。

北方第三引継所が復旧し、署名原本は補給網中枢へ正式に届けられました。


原本返送経路と回収経路は、ともに百パーセント。


北方一号を迎える回収便の出発条件が整います。


一方、返送庫には第三配送者候補から、第一配送者宛ての書簡が預けられていました。


そして中枢の「返送不能品保管区画」には、北方一号とは別の人員記録が一名。


そこにいるのは、消息を絶った第一配送者なのでしょうか。

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