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壬玖  作者: 丹午心月


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二十三、漸くの帰宅

 新暦一二五九年二月末に大介から手紙が届き、三月二十日に迎えに来て欲しいとの内容だった。虹介は一緒に行きたかったが、もう少しで春休みという事もあって已むなく留守番となった。帰宅すれば約一年と四ヶ月振りの再開となる。虹介は毎日が楽しみで仕方がなかった。

 祥介が留守の間、やる事が山積みだったのだが、大介と会える日が待ち遠しく、朝の目覚めがすこぶる良かった為、全く苦にならなかった。寧ろ何をやっていても楽しかった。十四歳も目前だと言うのに、大介に会える喜びは虹介を有頂天にし、幼くさせた。


 さとるは虹介が滅多に来なくなった為、自分から戸二谷家へ行くようになっていた。虹介は覚が遊びに来てくれる事は大歓迎だった。しかし、留守の時は来ないようにあらかじめ知らせておく必要があったが、虹介の予定は未定だった事から、確実に家にいる時間を教えていた。

 奇しくも大介が迎えに来てくれと要望した二十日は土曜日で、朝から覚が来ていた。クロはすっかり覚に慣れていたが、アオは全く慣れなかった。覚が手を伸ばすだけで三本の尻尾を使って容赦なく手を叩いた。

 覚に持たせる土産を収穫しに畑へ行った後、井戸で洗い流している時、覚はりずにアオに手を伸ばして尻尾ではたかれていた。

「大丈夫か?」

 叩かれる音が聞こえて、覚の方に顔を向けた。

「平気。爪で引っ掻かれるより断然いいよ」

「アオ、触るくらいいいだろう? 触らせてやれよ」

 困り顔でアオに言うと、アオは顔を背けた。

「アァオー」

「あ、これは駄目な鳴き方だな」

 小さく溜息を吐くと、覚が虹介に顔を向ける。

「そんなのがあるの?」

「ある。期限が悪いとこう鳴くんだよ」

「へぇ、そうなんだ」

 アオを見ながら何度も小さく頷いた。

「まぁクロで我慢してくれよ」

「我慢だなんて、クロで十分だよ。クロ、ありがとう」

 クロは覚に抱かれていて、三本の尻尾を虹介の腕に巻き付けていた。

「それじゃあ茶を入れるから居間へ行こうか」

「うん」

「足元に気を付けろよ」

「うん、ありがとう」

 虹介は玉葱を持っていてアオを抱けなかったが、覚に警戒しつつも付いて来ていた。

 こうして一時ひとときの安らぎを得た虹介は覚をカルカルに乗せて送った。仔等も当然ながら一緒に行き、そのまま南の狩り場へ向かった。


 三月二十日に庚漆こうしつ村を出発し、竜次郎がいる為に時間を掛けて帰って来るとして、最低でも二十四日には到着するだろうと踏んでいた虹介は、二十三日になってカルカル等が騒ぎ始めて驚いた。

(あれ? 思っていたよりも早いな。きっと兄ちゃんも一緒だな)

 思わず口元が綻び、縁側から走ってカル舎へ向かったが、祥介が先に帰宅しただけで再度驚いた。

「おかえり。それで、どうして父さんだけなんだよ? 兄ちゃんは?」

「すぐそこまで来ているんだが、俺だけ先に戻って来た。俺は遠出の仕事が入って、呼びに来られたんだよ。支度してすぐに出るからな」

「ええ? 休憩なし?」

 くやじから荷物を降ろしながら虹介を一瞥する。

「休憩か、したいなぁ……。二時間くらいするか。風呂に入るわ。沸かしてくれるか?」

 虹介はつづらに積んだままの荷物を取って背負い、鞍を外し始めた。

「うん、分かった。それで行き先は?」

葵拾きじゅう市」

「そうか」

「俺はどのカルカルに乗って行けばいいんだ?」

 荷物を降ろし終えた祥介は、次に鞍を外し始めた。

「ああ、えっと、……くくかずとくやかの二頭がお勧め。後くわくだな」

 鞍を持ち上げて鞍置き場へ向かった虹介の後ろ姿を祥介が一瞥する。

「そうか、分かった」

 頷いていたが、ふと顔を上げて虹介を見る。

「所で虹介はどうして家にいるんだ? まだ昼過ぎだぞ? 学校は春休みじゃないよな?」

「兄ちゃんが帰ってきたら兄ちゃんの部屋の掃除をやろうと思ってたんだけど、昨日も帰って来なかったから、今日中にやっておこうかと早退して来た」

「そういう事は事前にやっておけよ……」

 脱力しつつも鞍を持ち上げて背負った。左手には降ろしていた荷物を持って移動させる。

「だから今日やろうと思って! 事前は事前だろう?」

 祥介を追い掛けた。


 虹介は風呂を沸かし始め、祥介は茶を飲んで寛ぎながら、仔等がその側で戯れている所を眺めていた。

「父さん、風呂は後二十分くらいで入れると思う。それじゃあ兄ちゃんを迎えに行って来るよ」

 顔を出した虹介の額には防護眼鏡があり、準備万端のようだった。

「分かった。気を付けて行って来いよ」

「クロアオは置いて行くから。キュウは出掛けていていないからな。宜しく!」

 祥介の返事を聞かずに縁側から飛び出して行った。祥介はきちんと閉まっていない障子を見て苦笑した。

 カル舎の柵を跳び越えてくとさに鞍を着けると、出入り口の柵の扉を開けてくとさを出した。跳び乗ると西通りを下って行く。西通りは桜が見頃になって来ていたが、虹介の目には映らなかった。

 村の外に出た瞬間に最高速度で走り始め、ほろカル車が視界に入ると減速した。

じっ中八九、兄ちゃんだな)

 そう思った虹介はくとさを止めてその場で待ち、五分も掛からずに大介だと認識が出来ると大きく手を振る。

「兄ちゃーん!」

 声が届いたのか、虹介だと視認したのかは知らないが、大介も大きく手を振って応えた。御者ぎょしゃ台には竜次郎もいて手を振っている。

「竜爺ー!」

 虹介も負けじと手を振った。すぐそこまで幌カル車が来るとくとさを反転させて並行した。

「おかえり!」

「ただいま。父さんは?」

「風呂に入ってる。着く頃には出てると思うよ」

「そうか」

 体が大きくなっても、虹介の無邪気な笑顔は変わっていない。大介は嬉しく思った。

「どうして荷車なんだ? そんなに荷物があるのか?」

「薪を沢山持って帰って来たんだよ。じん爺が木が育ち過ぎているからとか何とか言って、加減をしないで伐採していたからな」

「そうか。仁爺はまだ元気なんだな」

「そうなんだよ。元気が過ぎていて困ったわ」

 変わりない兄を見て虹介も嬉しく思っていた。そして、これでようやく家族が揃う事が心底嬉しかった。そして、村に入ると幌カル車の後ろに付き、荷車にある大量の薪を見ていた。


 大介が乗って来た幌カル車のカルカル等は庚漆村のカルカル屋へ帰さないといけない為、澤川家へ到着した後に虹介が川下にあるカルカル牧場へ連れて行った。牧場に置いておけば、庚漆村へ行く配送などの荷カル車に使用されて帰る事になる。

 これで家族三人が揃うと思うと気がはやり、くとさの速度を上げた。

(父さんが出掛けるまでに間に合うのか?)

 心配になって更に速度を上げた。早々と到着してくとさから鞍を外し、くくかずとくやかがいる事を確認して急いで家へ戻る。縁側から上がり、居間の障子を開けると祥介しかいなかった。祥介は仔等と戯れていた。

「遅かったな? 何をやっていたんだ?」

「庚漆村のカルカルを牧場へ連れて行っていたんだよ」

「ああ、そうか。ありがとう」

「それよりも、兄ちゃんは戻って来てないのか?」

「来ていないなぁ。俺はそろそろ出掛けるぞ」

「ええ? 久々に家族三人揃うのにか?」

 祥介が漸く振り向いたかと思えば、笑いを堪えていた。

「体は大きくなったが、心はまだまだ少年だな」

 そう言われると口を一文字に結んだ。

「寒いから閉めろよ」

「あ、うん」

 中に入って障子を閉めた途端に外から絶叫が聞こえた。虹介は思わず祥介を見ると、祥介は既に立ち上がっていた。仔等も声のした方に顔を向けていた。


 大介は荷車から薪を澤川の家の中へ運んでいた。これ以上は積めない所まで積んで、式台に腰を掛けて休んでいると竜次郎が来た。

「ご苦労さん。今日はもうあれを持って引き上げていいぞ」

 振り返って竜次郎を見上げる。

「お疲れ様です。でもあれは重くて一人では持てないと思うんです」

「虹介を呼んで来るか?」

 首を横に振って微笑んだ。

「それじゃあ一振りだけ持って行きます」

 靴を脱ぎ始めた大介を見て竜次郎も笑顔になって先にろ過を歩く。

「虹介も喜ぶだろうなぁ……」

「二年越しですからね」

 小さく頷いた大介は上がって先に行く竜次郎に付いて行く。北側にある一室に入ると刀掛け台があり、刀袋に入った二振りが置かれていた。どちらも短刀だ。大介はひざまずいて一振に手を掛けると「よっ」と掛け声を上げて持ち上げた。

「色目じゃないと重いよな」

「本当に重いです……」

 大介は短刀を抱えて立ち上がり、踵を返した。

「それじゃあ師匠、また明日お願いします」

「おう、今日はゆっくりしろよ」

「はい」

 裏からではなく玄関から出て行くが、戸を閉めようと体を反転させ掛けると竜次郎が土間へ下りた。

「閉める閉める。じゃあな」

「すみません、お疲れ様です」

 小さく辞儀をして通りへ出て行くが、軽い足取りにはならなかった。虹介の喜ぶ顔を想像しながら、踏み締めるように歩を進めた。

 丁度二軒の真ん中辺りに来た所で、後ろからカルカルが走って来るような音が聞こえた。家の目の前が警備隊隊舎という事もあり、気にも留めなかった。

 しかし、それが大介を追い抜く事はなかった。

 にわかにカルカルの足音が途絶え、別の物音がした次の瞬間、背中に激痛が走った。

「びぁ!」

 痛みの余りに奇妙な声が出た。すると再度激痛が走り、膝から崩れ落ちて倒れた。そして抱えていた短刀を持って行かれてしまうが、大介の意識は途絶えていた。

 短刀を奪った男は肩に担ぎ、カルカルの元へ戻って鞍に短刀を乗せて縛り付け、カルカルに跨ると反転させて駆け出した。

 一番に通りへ飛び出して来た人物は祥介だった。遠ざかるカルカルが見え、すぐに倒れている大介が目に飛び込んで来ると駆け寄った。

「大介! 大介!!」

 背中の傷を見て顔がこの上なく険しくなった。次いで虹介が大介の傍に駆け寄る。言葉も出ないようで、顔には表情がなかったがすぐに耳を地面に着けた。祥介はそれを尻目に大介の脇に手を入れて起こして担ぎ始めた。

「あっちか!」

 言葉を発したかと思えば立ち上がり、生け垣を跳び越えて巨木に向かって走った。到着すると足袋を履いていたが脱ぎ捨て、瞬く間に巨木に登り、左目を閉じて東通りを眼帯越しに見る。即座に指笛を鳴らすと家の方から物音が聞こえ、虹介は巨木を一気に駆け下りた。クルーの位置を確認すると、幹を蹴って跳んだ。クルーも地面を蹴って跳び上がり、空中で虹介を背に乗せると虹介が合図をして、クルーは走って行く方向を修正する。砂漠獅子の最高時速はカルカルのそれに及ばないが、追い掛けているカルカルは最高時速に達するに至っていないし、至れない体勢をしていた。

(あの体勢だったらクルーでも余裕で追い付ける。最高時速に達する速さはこっちが上だからな)

 虹介は相当の自信があった。季節が季節なら田んぼで水が張られているが、今は草丈の高い雑草が生えていて、それが甚だ邪魔ではあったがお陰で好きな所を走って行ける。斜行してカルカルとの距離を縮めて行く。カルカルは本能で危険を感知して尻尾を切り離した。しかし、クルーがそれに食い付く筈もなく、更に距離を縮めて行く。

(よし!)

 虹介はクルーを踏み台にしてカルカルに乗っている男を蹴り落とし、カルカルに跨って手綱を取ると停止した。カルカルが完全に止まり切る前に飛び降り、落ちた男の元へ走る。肩を掴んで上体を起こしたが意識はないようだった。

 大きな溜息を吐くとそのまま男を引き摺り、止まっているカルカルに乗せてから虹介も乗る。目的地は家ではなく、隊舎だ。クルーはそれに付いて行くが、時折後ろを気にして立ち止まり、落ちていたカルカルの尻尾を忘れず持ち帰った。


 カルカルの鞍に縛り付けられていた短刀を片手に家へ戻ったが、玄関には祥介の靴はなく、台所へ回って水を桶に溜め、それで足をすすいで上がった。そして居間へ行くと書き置きがあるだけだった。それを手にして目を通す。

(兄ちゃんは砂漠に連れて行ったのか。命に別状はないみたいだけど、向こうを頼るって事はある程度は酷いんだな。……あー、きっと長い事、入院するんだろうなぁ。そうしたら、また当分帰って来ないんだな……)

 大介が倒れている姿が目に飛び込んで来た時、一瞬で頭に上った血が引いて、大介以外はぼやけていた視界がその隅々まで鮮明に見えて、とても冷静になれた。その時は何の感情もなく、大介を斬った相手を見付ける事に集中してしまったが、今は違う。段々と怒りが湧いて来た。それも長くは続かず、カルカルの運動場にいると書き置きにあった仔等を迎えに行った。

 楽しみにしていた団らんがなくなった所為で、虹介の心は空しさの方が大きく、キュウと仔等に心配されていた。


 翌朝、やる事をやり、朝食も早々と摂ってしまい、隊舎へと向かった。仔等は背嚢に入れて背負い、付いて来たがったキュウを上着の中に入れていた。頭を出しているキュウは周りを見回していた。

 虹介は隊舎にある仮牢かりろうへ一直線に向かったが、あの男に会わせてもらえる筈もなかった。

「虹介!」

 声のした方を見ると俊亮しゅんすけがいた。小走りで虹介の方に向かって来る。

「俊ちゃん、おはよう」

 傍まで来て一息吐くと真顔になった。

「おはよう。大ちゃんは大丈夫なのか?」

「俺があいつを捕まえに行っている間に、父さんが兄ちゃんを連れて行ったから知らないんだよ。でも砂漠へ行ったから、死ぬような傷ではないんだと思う」

「そうか。それじゃあ今から砂漠の病院へ行くのか?」

 虹介は目を空にやり、少しして俊亮を見る。

「俺としては大本を突き止めたいんだけど」

「そういう事は警備隊に任せておけよ」

「俺が動いた方が早そう」

 俊亮は眉を顰める。

「虹介、絶対に一人で動くなよ?」

 肩を掴んで言った。虹介は俊亮の目を真っ直ぐ見詰めて「うん」と頷いたが、その顔は納得している感じではなかった。

「またな」

 肩に置かれた俊亮の手を取って離すと門へ向かった。俊亮は険しい顔で見送っていた。


 家には戻らず、澤川家へ向かった。昨日は行く気になれずに今日になってしまったが、大介が斬られたと知った竜次郎は膝から崩れ落ちた。

「えっ、大丈夫かよ?」

 式台に上がって、座り込んだ竜次郎の傍へ行った。

「済まん……。驚いて腰が抜けた……」

(俺が斬られたら、竜爺はこうやって驚いてくれるんだろうか?)

 肩を貸して居間へ向かいながら、馬鹿な事を考えていた。

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