第29話「黄海亮と太子狼炎、北の地を進む(1)」
──黄海亮視点──
「どうした我が友よ。浮かぬ顔をして」
馬に乗った太子狼炎が、海亮に近づく。
「盗賊のことを気にしているのか? 安心しろ。やつらなど、この狼炎が一蹴してやる」
「お気遣いありがとうございます。太子殿下」
黄海亮は答えた。
それから、太子には見えないように、頭を振る。
海亮が気にしていたのは、太子のことだ。
海亮が後ろを振り返ると、太子直属の騎兵『狼騎隊』の姿が見える。
戦いになったときは、彼らには太子を守ってもらわなければいけない。
部隊の目的は、民を北の町まで送り届けることにある。
だから、できるだけ戦いは避けるように言われているのだ。
そのことは父からも、太子狼炎に伝えてもらっている。
だが、太子と『狼騎隊』の士気は高い。
今にも盗賊退治のために、飛び出していきそうだ。
(太子殿下が父上の指示に従ってくださればいいのだが)
海亮は静かに、ため息をついた。
(そもそも太子殿下が、北の砦に来る予定などなかったのだ。なのに……)
海亮たちが北の砦に入ったのは十日ほど前のことになる。
移動中に海亮の父は、町の者の訴えを聞いていた。街道に盗賊が出没するという話だった。
だから父は、砦に着くと同時に、民を護衛するための部隊を編成した。
その部隊を率いるのは父の部下になるはずだった。
だが、海亮たちが砦に着いた数日後、太子狼炎が父英深を訪ねてきた。
彼は王の書状を英深と海亮に示した。
書状には『狼炎に、北の地の現状を見せてやって欲しい』と書かれていた。
太子狼炎は優秀だ。
武芸では海亮に一歩譲るが、ほぼ同等の力を持っている。
知識もある。国を継ぐ責任感もある。足りないのは経験だけ。
それで王は、太子に現状を体験させることを考えたのだろう。
(……国王陛下は、太子殿下の性格がお分かりではない)
太子狼炎が、砦に滞在するだけで満足するわけがない。
彼は、海亮の父が民の護衛のために兵を出すことを聞きつけていた。
当然のように『自分も行く』と言い出した。『父王は、北の地の現状を見せてやれと言ったはず!』と主張されれば、断りにくい。
太子狼炎が連れてきた『狼騎隊』も、太子の意見に賛成した。
止めるのなら、我らは太子と共に砦を出る、と。
海亮の父は、太子狼炎の提案を認めるしかなかった。
お目付役として海亮と、気心の知れた部下を同行させて。
(太子殿下は……私の言葉に従ってくださるだろうか)
海亮はまた、ため息をついた。
(父も私も、国王陛下に忠誠を誓っている。太子殿下に直言するのは……どうしても気後れしてしまう。太子殿下に、素直に意見を言える者など──)
ふと海亮は、弟の天芳のことを思い出す。
彼は太子狼炎を恐れず、堂々と反論していた。
自分にそれができるか考えて、海亮は思わず頭を振る。
「騎兵数名は先行し、前方の安全を確認せよ。なにかあれば合図を。歩兵は周囲を警戒せよ! 最北端の町……単越に着くまで、油断するな!」
「「「ははっ!!」」」
海亮の指示に、部下たちが答える。
「我が友、海亮よ。前方を警戒するなら、われら『狼騎隊』に任せてくれないか」
隣を進む太子狼炎が言った。
「盗賊たちは兵を見るとすぐに逃げるらしいな。だが、我ら『狼騎隊』は乗馬を得意とする者ばかりだ。盗賊に追いつき、倒すこともできるだろう」
「私たちの目的は、民を単越の町まで護衛することです」
海亮は答える。
「盗賊たちの掃討は、別の部隊が担当することになっています。もちろん、敵が来れば迎え撃ちます。捕虜を取れば、奴らの本拠地を突き止めることもできるでしょう。ですが、あくまでも民を守ることが最優先なのです」
「守るもなにも、盗賊を倒せば道は安全になるのだろう?」
「盗賊の部隊が複数いることも考えられます。それに……奇妙なうわさもあります。盗賊にしては動きがおかしい。壬境族が関わっているのではないか、と」
「それなら話は早い。壬境族に思い知らせることができるのだからな」
太子狼炎は、不敵な笑みを浮かべた。
「『飛熊将軍』は消極的すぎるのだ。この狼炎が指揮官であれば、大軍を率い、ひといきに壬境族を攻め滅ぼすというのに」
「壬境族は山間の地に住んでおります。大軍で攻め入るには不向きな場所です。また、北方には他にも異民族がおります。こちらから仕掛れば、危機を感じた彼らは団結してしまうかもしれません。ですから父は友好的な異民族と連携して、壬境族を孤立させる方針で──」
「いつまでかかるのだ。それは」
「太子殿下……」
「この狼炎が王となるまでには、北方の問題は片付いて欲しいものだ。『飛熊将軍』にそれができぬなら、狼炎みずからが手を下すしかあるまい」
「殿下! 何度も申し上げますが、私たちの役目は民の護衛です。お忘れなく!!」
「わかっているよ。我が友。心配することはない」
天を仰いで笑う太子狼炎。
『狼騎隊』の者たちの笑い声がそれに続く。
(……私は、この方を支えていけるのだろうか)
海亮の胸に不安がよぎる。
(太子殿下の隣にいるべきなのは、私ではないのではないか? 必要なのは太子殿下に直言できる者では? 身分の差を超えて、堂々と。そのような者でなければ、狼炎殿下をお助けすることはできないのでは……?)
浮かんだ思いを、海亮は慌てて振り払う。
民を守る任務の最中だ。集中しなければいけない。
今のところ、民の様子に異常はない。
荷馬車を連れた商隊も、その護衛たちも、海亮たちの指示に従ってくれている。
街道のまわりは、ゆるやかな丘陵地帯だ。
見通しは良くないが、偵察はこまめに出している。敵が現れたらすぐにわかるだろう。
「殿下、あと一時間で見晴らしのいい場所に出ます。そこで休憩を入れましょう」
「うむ。お前の鳩に餌をやるのだな?」
太子狼炎は苦笑いを浮かべて、後方を指し示した。
そこには、鳥籠を抱えた兵士がいた。籠の中には白い鳩が入っている。
「拾った娘の愛玩動物を持ち運ぶとは、変わった趣味だな。我が友」
「星怜は私の義妹です。それに、あの鳩は星怜によって訓練を受けています」
事実だった。
北の砦で海亮は、星怜が動物たちを意のままに操るのを見た。
星怜にそんな才能があるとは、まったくの予想外だった。
星怜は『天芳兄さんのおかげです』と言っていたけれど、海亮には、意味がよくわからなかった。
そんな星怜は任務に出発しようとしていた海亮に、鳩を連れていくように願い出た。緊急の連絡用とのことだった。
彼女は熱心な口調で『黄家の役に立ちたいと言っていた』
その思いを、海亮は受け入れたのだった。
「私の弟と義妹は、それぞれが優れた才能を持っています。いずれ国のお役に立つこともあるでしょう」
「得体の知れぬ者の力を借りたくはないな」
太子狼炎は馬上で肩をすくめた。
「それより、休憩の話だ。この先で小休止を入れるのだな?」
「そうです」
「ならばその前に、この狼炎が偵察に出るとしよう。安全な地に着く前がもっとも危険だ。兵や民の気が緩みやすくなるからな。この狼炎が偵察に出れば、皆の緊張を維持することができよう」
「必要ありません。すでに十分な数の偵察兵を出しております」
狼炎の提案を、海亮はやんわりと拒否した。
「それに、兵たちの気が緩むことはないでしょう。数ヶ月前に、単越の近くで補給部隊が襲われております。その時に私の義妹の家族が犠牲となりました。北の地を守る兵たちは、皆、そのことを覚えておりますから」
「……ううむ」
「ですが、太子殿下のご配慮は、尊いものと考えます」
海亮は馬上で狼炎に向けて拱手した。
「父に代わり、太子殿下のご厚意に感謝いたします」
「そ、そうか。ならばいいのだ」
そう言って太子狼炎は前を向いた。
海亮は、思わず胸をなでおろす。
その時だった。
「────報告! 報告です! 前方に敵の騎兵が現れました!!」
偵察に出ていた兵が戻って来る。
彼らは緊張した表情で、前方を指し示して、
「数は10数人。古ぼけた甲と槍を装備しております。報告にあった盗賊団と思われます!」
──そんなことを、海亮と太子狼炎に告げたのだった。
次回、第30話は、明日の夕方くらいに更新する予定です。




