第229話「太子狼炎、父王と面会する」
──その日、王宮にて──
「父上にお聞きしたいことがございます」
その日、狼炎は父王に面会していた。
最近の藍河国王は体調が悪く、あまり朝廟には現れない。
代理として、燎原君や狼炎が出席しているのは、そのためだ。
狼炎の父は、あまり身体が強くない。
先代の王もそうだった。
生まれつき健康なのは、狼炎くらいだ。
だから、狼炎も父を気づかって、無理に面会を申し出ることはしなかった。
だが、今回は例外だ。
『金翅幇』対策の場で、問題が起こっているのだから。
狼炎にも譲れないものはある。どうしても、父に会う必要があった。
そうして今、狼炎は父王の前に立っているのだった。
場所は後宮の応接室。
王族が私的に話をするための場所だった。
「おぉ、狼炎よ。息災であるか」
最初に、狼炎の父はそんな言葉を口にした。
いつもと変わらぬようすに、狼炎はほっと胸をなでおろす。
父は常に狼炎を心配し、気づかってくれる。
そんな父に『不吉の太子』などという言葉を聞かせてしまったことを、申し訳なく思う。
「父上のおかげをもちまして、大過なく政務にはげんでおります」
狼炎は父に向かって拱手した。
「ならばよい。お前が息災であれば、父はそれでいいのだ」
国王は目を細めて、うなずいた。
王の名前は、藍孟獅。
年齢は50代前半。弟である燎原君──藍伯勝と、それほど年齢は変わらない。
だが、見た目は違う。
狼炎の父は燎原君より、かなり年老いて見える。
顔は皺深く、背は丸く、肩を落としている。
最近の父は、急に老け込んでしまった。
おそらくは……多くの事件が続いたからだろう。
狼炎が国境地帯で襲われたこと。兆家のこと。岐涼の町での事件のこともある。
父に心労をかけてしまったことを、狼炎は申し訳なく思っている。
そんな父に、進言をしなければいけないことも。
「父上に申し上げます。私がこの場にいるのは、健康であるところをお見せするためではありません」
狼炎は目を伏せたまま、答える。
「私がここに来たのは、『蒼矢隊』という部隊のことについて、申し上げたいことがあるからです」
そんな言葉を口にしながら……狼炎は燎原君に助言されたことを思い出していた。
燎原君は、王に『蒼矢隊』のことで抗議するのは避けた方がいいと言っていた。
王が気分を害するからではない。
会話が他に漏れた場合、王と太子が対立しているように受け取られる可能性があるからだ。
その結果、臣下同士の対立が生まれる可能性がある。
燎原君はそれを心配しているのだ。
狼炎にもそれはわかっている。
だが、現状を思えば、口を閉ざしていることはできなかった。
ことは国の治安に関わるからだ。
現在、黄海亮の部隊が『金翅幇』の調査を行っている。
同時に、国王の許可を得て創立された部隊、『蒼矢隊』も。
狼炎は両方の部隊が協力するのだと思っていた。
しかし、そうはならなかった。
『蒼矢隊』は北臨周辺の町から、海亮たちを排除しようとしている。
王の権威をかさにきて、『当部隊は国王陛下の許可を得て創設された部隊である』と言う言葉を、振りかざして。
狼炎には、それが許せなかったのだ。
海亮には『蒼矢隊』を止めることはできない。
狼炎や燎原君が直接現場に行き、彼らに文句を言うことも難しい。
『国王陛下の許可を得た』という事実は、それほど重いのだ。
ならば、王から『蒼矢隊』に指示を下してもらうしかない。
そう考えて、狼炎は父と面会することにしたのだ。
「『蒼矢隊』は、我が部下の調査を妨害しております。それでは『金翅幇』の調査に支障が出てしまいます」
狼炎は父に頭を下げた。
「どうか父上より『蒼矢隊』を制止していただきたく思います。書状にて、『蒼矢隊』に『手柄を争うことはやめて、黄海亮の部隊と協力するように』と、お伝えいただけないでしょうか」
「……ああ、そのことか」
狼炎の父は、ゆっくりとうなずいた。
「ああ。そうだな。確かにそうだ。余が『蒼矢隊』創設の許可を出したのだったな」
「父上が部隊を創設されたご判断は、正しいものと考えております」
頭を下げたまま答える狼炎。
「問題は、現場の指揮官が勝手な判断をしていることなのです。状況を改善するために、指揮官を替えるか、新たな命令を下すべきかと思います」
狼炎は拱手する。
「この狼炎が現地に向かい、父上のお言葉を彼らに伝えます。どうか一言おっしゃってください。『蒼矢隊よ。黄海亮の部隊と協力せよ』『ともに金翅幇をあぶりだし、奴らの言葉が二度と、人をまどわせぬようにせよ』と」
「……狼炎よ」
しばらくして、藍河国王は口を開いた。
そして、疲れたような口調で──
「北臨周辺の調査は……『蒼矢隊』に任せるがよい」
「父上!?」
「その方がよいのだ。お前もいずれ、それがわかるであろう」
「お待ちください。父上!」
狼炎は無礼を承知で声をあげた。
「『金翅幇』は奇っ怪な武術集団です。並の兵士では太刀打ちできません。ならばこそ、戦闘経験の多い黄海亮と『狼騎隊』に任せるべきでは?」
「…………」
答えは、なかった。
藍河国王が口を押さえ、咳き込んだからだ。
ぜはぁ、ぜはぁと、苦しそうな呼吸を繰り返しながら、王は身体を折り曲げる。
「誰かおらぬか! 典医を! 典医を呼べ!!」
狼炎は振り返り、廊下に向かって声をあげる。
「呼ばずともよい」
藍河国王は手を挙げ、狼炎を止めた。
「大事ない。それに、典医を呼んだところでどうにもならぬ。余の身体が弱いのは昔からだ。齢を得て、それが表に出てきただけのこと」
「父上に申し上げます」
狼炎は姿勢を正して、答える。
「叔父上の客人の中に、優秀な医師がおります。遍歴医ではありますが、多くの者をいやしてきたと聞いております。その者を呼ぶのはいかがでしょうか」
「ずっと余を診てきた典医でも、この身体はどうにもならぬのだ。遍歴医ごときになにができようか」
「しかし……」
「心配せずともよい。お前が成長するまで、余は死なぬ」
皺深い顔で、狼炎の父は笑った。
「あと10年……いや、20年。お前が経験を積み、我が弟……伯勝と並び立つようになるまで、余は玉座を離れぬ。死ぬつもりもない、だから、安心せよ」
「そのような心配をしたことはございません。父上が亡くなるなど……そのようなこと」
「そうか」
「父上。それで、私が申し上げたいことですが……」
言いかけた狼炎は、頭を振った。
今の父は体調がよくない。そのせいで、心が弱っているのかもしれない。
もう少し父の体調が良くなってから、話をするべきだろう。
「今は、やめておきます。ただ私は……臣下同士が争うことを、望みません。どうか、無用ないさかいを避けるように、父上のお言葉を……」
狼炎は父に向かって、一礼した。
「……わかっている。余の方から、のちほど……彼らに……」
父は言いかけた言葉を、途中で止めた。
「いや、のちほど……弟の伯勝と話をするとしよう」
「ありがとうございます。父上」
「……狼炎よ」
「は、はい。父上」
「お前は、息災でおれ」
そう言って、藍河国王は手を振った。
「お前は、それでよい。お前が成長するまで、この国は余が守り続けるのだからな」
それで、狼炎と国王の面会は終わりとなった。
──十数分後、王の私室で──
「……狼炎は正しすぎる。清らかすぎるのだ」
寝台に横たわりながら、藍河国王はつぶやいた。
彼の身体は強くない。
それは、王位に就く前からわかっていたことだ。
本当ならば燎原君──弟の伯勝が王位に就くべきだったのだろう。
孟獅が藍河国王となったのは長男だったから。ただ、それだけだ。
弟に王太子の地位を譲ることも考えたが、結局、できなかった。
それを口に出してしまえば、国に大きな混乱をもたらすことになるからだ。
──孟獅を推す者と、弟の伯勝を推す者の争い。
──伯勝が王太子の地位を辞退した場合、他の王子や血縁者が名乗りをあげること。
──それが、臣下同士のいさかいの原因になること。
──混乱が広がれば、他国からの干渉を招きかねないこと。
すべてを考えた結果、孟獅は王位に就くことを選んだ。
その後は数十年間、政務に励んできた。
狼炎があとを継ぐまでのことだと思い、懸命に。
自分の死後は燎原君と、兆石鳴が狼炎を補佐してくれるのだから……そう思いながら。
狼炎は成長し、少しずつ彼に政務をゆだねてきた。
このまま行けば、あと数年で自分の役目は終わり……そう思ったとき──
狼炎を支えるはずだった、ふたつの柱のひとつ……兆石鳴が死んだ。
「……石鳴の……狼炎への忠誠心は本物だった。余の亡き後は、あの者が狼炎を補佐してくれるはずだった」
兆石鳴の能力には不安があったが……それは、優秀な補佐役で補うことができる。
重要なのは狼炎への忠誠だ。
兆石鳴はなにがあっても、狼炎の味方になってくれただろう。
だが、兆石鳴はもういない。
狼炎の絶対の味方となってくれる者が、消えたのだ。
そのことは藍河国にとって衝撃だった。今も、彼の背中に重くのしかかっている。
藍河国王である藍孟獅が、王位から降りることも……死ぬこともできなくなったという事実とともに。
だが、狼炎を囲む臣下の勢力図は、大きく変わった。
それが安定するまでは、まだ死ねない。
狼炎が経験を積み、せめて弟……燎原君と並び称されるほどになるまでは。
頼りにしていた兆家の子は、あとひとりしか残っていない。
長子であった兆昌括は、兆石鳴の手によって殺されている。
残るのは、末っ子の兆季──兆巽丘だけだ。
少し前に、王は彼に書簡を送った。
兆巽丘が喪中を理由に、出仕を拒否していたからだ。
彼の決意は固かったが、説得することはできた。
今は、職務にはげんでいるはずだ。
兆巽丘には成果を出してもらわなければいけない。
近い将来、狼炎の側近となってもらうためにも。
「私は……それまで、生きねばならぬ……そのためなら……手段は選ばぬ」
王の脳裏をよぎるのは、『金翅幇』にまつわる情報だ。
彼らは身体を強化する武術を使っていた。
しかも、彼らは神仙と関わりがあるらしい。
その証拠に、巫女なる者は鳥のように宙を舞い、円烏という者は仮死状態のまま、生き続けているという。
彼らは本当に、神仙と関わりがあるのかもしれない。
そして、神仙とは長命なものだ。
一説によると、不老長寿の者もいるという。
だとすれば──
「……あの者たちの力や……知識を入手すれば、私はもう少し長く、生きられるかもしれぬ」
不老長寿なんてものは望んでいない。
王が望むのは、あと十数年を生き延びることだ。
自分の代で問題を解決し、安定した国を、狼炎に引き渡すまでの時間を。
それが王であり、父である自分の役目なのだ。
「狼炎も伯勝も、清らかな人物だ。『金翅幇』が特別な技術を持っていたとしても……それを利用しようとは思うまい。封印し、人目につかぬようにするだろう。それは、間違いない」
王は燎原君と狼炎を信用している。
だからこそ、彼らがどう動くのかも、わかってしまう。
現に燎原君は、『四凶の技』というものについての資料を得ている。
だが、彼はその情報を公開することを拒んだ。
研究のために客人に見せてはいるが、危険なものとして、封印することを決めている。
そんな彼だ。
『金翅幇』が長命の法を持っていたとしても、それを公開することはないだろう。
もしかしたら、危険なものとして焼き捨てるかもしれない。
二度と『金翅幇」のようなものが、現れないように。
「国を守るためには正しい。だが……それではだめなのだ」
だから、王には『蒼矢隊』が必要だった。
正しい者ではなく、手柄を必要とする者たちが。
彼らは『金翅幇』の持つ資料を、王のもとに運んでくれるだろう。
『金翅幇』の連中を捕らえ、その技術や資料を奪う。
それが、王が選んだ者たちの役目だ。
手に入れたものの中に、王が必要とするものがあるかは、わからない。
それでも、今は希望が欲しい。
この弱った身体が、あと10年……20年間玉座に座り、狼炎を守り続けるために。
『藍河国は滅ぶ』などという教義を掲げる連中は、孟獅の身体が強くないことを知っている可能性がある。
王の体調については秘密とされている。
それでも、なんらかの手段で情報をつかんだのかもしれない。奴らは、藍河国王は、あと数年で死ぬと考え、それに乗じるつもりなのだろうか……。
だが、そうはいかない。
藍河国王、藍孟獅はまだ死なない。いや……死ねない。
あと10年……あるいは20年は生きて国を治め、安定した状態で狼炎に引き継ぐのだ。
他にも、藍河国の平和のための手は打っている。
奏真国に使者を送るのもそうだ。
あの国とは良い関係にある。
その状態を今後数十年続けるために、強い縁を結ぶべきだろう。
そのためには弟……伯勝の協力が必要だ。
「……狼炎よ。私が……お前の未来を守ってみせよう」
そのためには、あらゆる手段をとる。
たとえ、狼炎や弟の伯勝には理解されなくとも。
できるだけ長く生きて、国と狼炎を守り続けるために。
「狼炎よ。即位した後のお前が『不吉』と呼ばれることがないように……私の代で、すべての問題を終わらせるとしよう……」
疲れた身体を横たえながら、藍河国王、藍孟獅はそんな言葉をつぶやくのだった。
今週末から来週頭にかけて、少し用事があるため、更新日を週末から、週の頭に変更しています。ややこしくてすみません。
なお、来週の更新はおやすみさせていただきます。
再開を少しだけ、お待ちください。




