第223話「文官の梁銀、黄天芳をおそれる」
──天芳が立ち去ったあとで──
「修目、修耳。そして修香よ」
「はっ」「はい。梁銀さま」「なんでしょうか」
梁銀に呼ばれて、修三兄妹が地面に膝をつく。
「お主らの目、耳、鼻には、黄天芳はどのような人物と感じ取れた?」
「修家の長兄がお答えいたします」
三人を代表して、長身の修目が顔を上げた。
「自分は黄天芳どのの、動きをとらえることができませんでした。二弟と妹に攻撃の意思はなく、殺気も放っていませんでした。なのに、彼はふたりの接近を感じ取り……風になびく草のように回避しました。あのような人物には……」
「勝てぬか?」
「は、はい」
「謝らずともよい。彼と争う必要はないのだ」
梁銀は小柄な少年、修耳に視線を向ける。
「修耳よ。お前にとってはどうだった?」
「彼は……嘘を言ってるようには思えなかった、です」
たどたどしい口調で、少年は答えた。
「嘘を吐いている者の声は……なんとなく、わかるの、です。でも、彼の声は、すごくきれいだった。嘘をついていないと、思う、です」
「そうであろうな。黄天芳は本気で、我々と協力したいと考えているのだろう」
梁銀はため息をついた。
「やはり……あのような人物とは、正面きって争うべきではないな」
それは、梁銀の本音だった。
黄天芳の年齢がもっと上で、高い地位についていればよかった。
そうすれば梁銀は、彼のもとで仕事ができただろう。
だが、黄天芳は若すぎる。
しかも、つい最近まで、王宮に姿を見せたこともなかった。
そのような人物に従うのは難しい。
ふとした変化で、いつ失脚するかわからないからだ。立場の不安定なものに近づいて、失脚に巻き込まれたのでは話にならない。
だからといって放置もできない。
彼がどんどん出世していってしまったら、他の者の地位がおびやかされる。
梁鉄や、他の者が黄天芳を警戒するのも無理はないのだ。
「あのような人物は、敬して遠ざけるのが一番よい。名誉はあるが実際の権力はなく、かといって失敗すれば信用を失うような高位にな。だが……梁鉄には、それがわかるまい」
『蒼矢隊』を作ったのは、文官と武官たちの焦りによるものだ。
彼らは、次々に功績を立てる黄家が、自分たちの上に立つことをおそれている。
今はいい。
国王陛下は臣下の地位を大きく変化させるつもりはない。
王宮の者たちは、これまで通りの地位と権力を得ることができるだろう。
だが、次の時代はどうだろうか?
太子狼炎が即位し、王となったあかつきには?
太子狼炎は燎原君を信頼している。
即位したあとも、これまで通りに宰相を任せ続けるだろう。
つまり、宰相の地位は空かない。
燎原君が高齢になり、その地位を明け渡すとしても、次に宰相となるのは燎原君の息がかかった人物だろう。もっとも有力な候補とされているのは、戊紅族との友好関係を結んだ炭芝だ。
そして、燎原君も炭芝も、黄家への信頼が厚い。
狼炎王の時代には、黄家が力を持つことになるだろう。
だとすれば、他の者が地位を望むならば、今のうちに功績をあげるしかない。
黄家に接近し、その繁栄のおこぼれをもらうという手もあるが……それはまだ早すぎる。
黄家の者たちは皆、武官だ。
ひとつの失敗で没落する可能性がある。
彼らに近づくなら、狼炎王の時代になり、その地位が確定してからの方が望ましい。
高官たちは今のうちに功績をあげるというやり方を選んだ。
新部隊を作り、『金翅幇』対策を行うことを決めたのは、そのためだ。
藍河国の敵──『金翅幇』のことが明らかになったのは、彼らにとっては好機だった。
『金翅幇』を討てば、大きな功績を立てることになるのだから。
しかも『金翅幇』は弱体化していると聞く。
弱った獲物ならば、狩る機会は誰にでもある。
早い者勝ちだ。手をこまねいている理由はない。
(だが……間違うなよ。梁鉄)
梁銀は心中でつぶやく。
『蒼矢隊』の目的は、『金翅幇』を消滅させることだ。
黄家への対抗心を優先させてはいけない。
そこだけは間違えてはいけないのだ。
(黄天芳には私欲が薄い。あのような人物と対立してはならぬ。同じ目的を持ち、競うのは良い。だが、正面きって対立してはならぬ)
梁銀は文官だ。
関わることができるのは、部隊を設立することと、維持管理することだけ。
実際に部隊を動かすのは、弟の梁鉄の仕事だ。
文官の梁銀には、どうしても踏み込めない一線があるのだ。
「……梁銀さま。あたしの答えを、聞いてくださいますか」
不意に、背の低い少女が口を開いた。
修三兄妹の末の妹、修香だった。
「修香か。構わぬ。言うがよい」
「黄天芳という方は、ふしぎなにおいがしました」
修香は小さな鼻を鳴らしながら、そんなことを言った。
「いやなにおいではありません。攻撃的でもなく、こちらをおそれているわけでもありませんでした。ただ、これまでに感じたことのない、においでした」
「そうか。ならば、彼が近くに来ればわかるな」
「はい」
修香は首をかしげながら、
「あたしは、あの人に興味が出てきました」
「私的な興味はあとにせよ。お主たちに黄天芳を会わせたのは、注意をうながすためだ」
修三兄妹を見回しながら、梁銀は告げる。
「梁鉄がお主たちになにを命じるかは知らぬ。だが、私が言うべきことはひとつだ。黄天芳の姿かたちと声、においを覚えて……可能な限り、敵対せぬようにせよ」
「「「承知いたしました」」」」
「あの者は……味方とはいえぬ。だが、進んで敵対すべき者でもない。あの者は……」
梁銀は言葉を濁した。
『自分は黄天芳をおそれている』……と、口にするわけにはいかなかったからだ。
黄天芳は、ただ、国や人を守るために戦っている。
東郭の町でのことを聞いて、梁銀にも、それがわかった。
梁銀の……黄天芳を見る目が変わったのは、それからだ。
そんな人物と敵対すべきではない。
正面から戦えば……たとえ勝ったとしても、大きな傷を受けることになる。
これまで黄天芳が救ってきた者たちが、すべて、梁銀たちの敵に回るかもしれない。それはまさに破滅への道だ。
地位を争うのであれば、ただ『敬して遠ざける』
それが得策だろう。
「もしも我が弟が、黄家に敵対するような命令を下した場合は……私に知らせよ。これは貴公らを『蒼矢隊』の部隊長に抜擢した私の命令である。よいな」
「「「はい。梁銀さま」」」
修三兄妹の答えを聞き、梁銀は満足そうにうなずく。
そうして彼は、弟に注意をうながすために、武官が集まる兵舎へと向かったのだった。
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