悪の組織、暗躍する9
従業員通路を渡って専用エレベーターに乗り、鍵を差し込んで表示されていないフロアへと降りる。荷物や台車などが並んで雑然とした風景から何もない殺風景に代わり、一定区間でドアが設けられたそこを通っていった。
「……ドクターシノブ」
「シノブさんでも構わんぞ」
「この道、アパートの方へ戻ってませんか?」
侵入者を撹乱するためなのか、通路は何度も曲がったり階段を上り下りするようになっているが、方向は今車で通ってきた道を戻っているようなものである。このまま行けば間もなく家の下へと辿り着くだろう。
「貴様は方向感覚も鳩のように優れているな。そうだ。向かう先はアパートだ。貴様の家族は貴様の足元深くで暮らしているというわけだ」
取りようによっては家族が死んでるみたいな言い方だが、ドクターシノブはまるで驚いたかと言わんばかりに胸を張っていた。
「いや、一旦家を出た意味は」
「敵を欺く目的もあるが、構造上あのアパートとは直結していない。万が一アパートを襲撃されたとしても脱出する時間が稼げるようにしてある」
「それ、逆も言えるのでは? こっちを襲撃されれば、アパートにいたときに手遅れになりそうですけど」
「厳重な警備体制をしているが、万が一そうなったときは問題ない」
「何でいい切れるんですか?」
「アパートから繋がる地下施設から、この通路へと降りられる地点がある」
さっきと言っていることが違う。
そう指摘しようとした私を手で制して、ドクターシノブは得意げに笑った。
「ただし、非常に頑丈な素材で塞がれている上に周囲の壁は脆い、魔法少女が能力を使わない限りは早々突破出来ない計算だ」
爆発物などを用れば衝撃で壁が崩落し生き埋めになるということらしい。わざわざ凝った作りにする辺り、ドクターシノブを始め開発部があれこれと試算を重ねて作った施設なのだろう。この技術力をもっと他に貢献すれば、国がますます発展する気がする。
かなり有能な人材がこうやって政府と敵対する位置にいることもある意味国家的損失だなと考えていると、ドクターシノブが足を止めた。
「不安か?」
「え?」
「家族と会うことが」
歩みが遅くなっているぞと指摘されて、私は意識して一歩を踏み出した。けれどドクターシノブはそのままで動かない。
「少し詳しく調べさせてもらった。貴様の家族は、魔法少女としての任期の間監視されていたようだな」
現在は変わってしまったシステムだが、あの頃特殊防衛省は魔法少女としての能力を家族に告知していた。そして国家機密をいきなり告知されたその家族には強制的に監視が付けられ、日常で少しも情報を漏らすことのないようにと厳しく見張られていたのだ。
困窮していた家庭に突然もたらされる法外な報酬、不規則な生活をするようになった娘への近所の目。まだ幼かった弟妹へは当然秘密は明かせず、不審な点を誤魔化さねばならない。
今思えば、未成年の娘が命を張る仕事に就き、しかもいきなり稼ぎ頭になったというのも親としては困惑することだったのだろう。
父はよく言えばお人好しで、そのせいで母も苦労していた。それを支えたかったのが魔法少女になったきっかけだった。
しかし実際には、私の行動で家族が壊れそうになっただけだった。
監視の存在も、大きな秘密も規格外の報酬も、全ては家族のストレスになっていたのだ。
後ろめたそうに、私の稼いだ金に礼を言う家族。ストレスに感じていることを口に出さず、それがわだかまりとなって家庭の空気は澱み、私は自分の無力さを思い知った。
表向きスポーツ分野での転校として特殊防衛省の寮へ入ってからは近所の勘ぐりもなくなり、監視の目は魔法少女を辞めたことによって完全になくなった。しかし離れて暮らしたことによって出来た距離を今更埋められると思うほど私も楽天家ではない。
進学や就職を機に家族と離れ、そのまま別の暮らしを築いていくことはさほど変わったことでもない。そうやって離れていたほうが、お互いのためになる。そう思って暮らしてきた。
「三科ヒカリ」
俯いた私の手を、ドクターシノブが突然握った。いつも付けている手袋も外され、強めに握られた手から体温がそのまま伝わってくる。
「貴様は頑固な人間だ。だから頭ごなしに言っても考えを変えることはないだろう。だから自分のことも家族のことも、自発的にそう思わない限りは特に信じる必要はない。ただ、」
ぎゅっと握った手を、ドクターシノブが引きながら歩く。
「この私のことは信じろ。私は、貴様より貴様のことをよく知っている確信がある」




