小説が完成する瞬間
駄文、散文ではありますがよろしくお付き合いをお願い致します。
最終回のお題は『小説が完成する瞬間』です。
あなたは小説という創作物が完成する瞬間と言うのはどの時点であると考えますか?
作者がプロットを練り終えた時?それとも原稿を脱稿した時?ネットに公開された時?本という形を取って書店に並んだ時?
けそけそが考える小説が完成する瞬間は、読者に読まれてその情景を想像された時です。言葉という伝達手段を用いて作者の中に存在する情景を伝達する媒体が小説であるのならば、その伝達が成された瞬間こそが完成の瞬間であり、小説として産声を上げる瞬間なのだと常日頃から考えております。
つまり、このエッセイもけそけそが考えて見たこと、感じた事を言葉として表してこの小説家になろうサイト上に発表して、あなたに読まれた瞬間にようやく完成したと言えるのです。
エッセイであろうと伝記であろうと物語りであろうと、書き手の聞いて欲しい、読んで欲しい、伝わって欲しいと言う欲求の塊です。しかし、それが読者に読まれるまではただの自己愛の塊にしか過ぎません。他人と言うフィルターを通して初めてコミュニケーションとして成立し、相手の心に何かを訴える事が出来るのです。つまり、創作物において読者というものは必要不可欠な存在なのです。
さて、けそけそは創作物をコミュニケーションであると表現しました。それは面白いや、わくわくした、等の正の感情表現のみならず、つまらない、胸糞悪い等の負の感情表現も含む物だと考えております。何故ならば人間の感情は正から負へ、負から正への振れ幅が大きいほど情が動きます。つまり感動が大きくなるのです。
作家という生き物はこの感動を作り出す事に喜びを見出す生き物ですから、負の感情表現も知らなければなりません。その時に最も有効なのが読者からの負の感情表現、つまりクレームと呼ばれる悪評になります。
何がつまらなかったのか、どんな部分が不評を呼んだのかは参考になる程度の騒ぎではありません。感想欄に不評を吐き出さずには居られなかった読者の不満という作家にとっては生の栄養素に他ならないのです。
確かに強い否定の言葉をかけられれば萎縮したり、自分自身が否定された気になったりで心穏やかでは居られないかも知れません。ですが、心穏やかで居たいのであれば創作物など発表せずに読者で居続けて、受け取る側でいてください。与える事の苦しみと言うのは想像するよりも遥かに大きなものですし、更にその上から罵声を浴びるのは理不尽極まりない出来事なのかもしれません。
ですが、勘違いをしないで頂きたいのはその罵声の原因になったのは作者の発表した創作物そのものであると言う事実と、創作物は読者に読まれて初めて完結する事が出来るという現実です。
すこし厳しい物言いになってしまいましたが、大なり小なりの創作物を発表し衆目に晒すというのはそれだけのリスクがある物なのだとけそけそは考えています。
心地の良い妄想ではなく、現実に人と人を繋ぐコミュニケーションですから返る反応も耳障りの良いものばかりではないのです。
それを糧として進むのも、耳を塞いで立ち止まるのも作者次第です。
この文章があなたの一助になれば幸いです。
今までのお付き合い頂いてありがとうございました。 これでこのエッセイは幕引きとさせて頂きます。
予想以上の方に読んで頂けたようでけそけそとしてはかなり満足しています。
それでは、またどこかでお会いできたらよろしくお願いします。




