15.特訓
翌日、私はレオン様を連れていつもの庭へ向かって歩いていた。
以前なら外へ出る時には私のスカートを掴んで後ろを歩いていたのに、今では少し離れた距離を歩くのが当たり前になっている。
庭へ出ること自体に慣れてくれたのだから喜ばしいことなのだけれど、何も掴まれていないスカートを見ると、ほんの少しだけ寂しい気もした。
「エレナ」
「はい?」
「昨日言ってた相手って、誰?」
少し前を歩いていたレオン様が足を止めて振り返る。昨日から気になっていたらしく、部屋を出てからすでに4度目の質問だった。
「もうすぐ分かりますよ」
「さっきもそう言った」
「今度こそ本当にもうすぐです」
「……怪しい」
「別に、何も怪しくないですよー」
ジトーとした目で私を見るレオン様の視線を避けるように、私はレオン様の前を歩き出す。
すると、『あっ、待って』と私の後を歩いて来ているのを感じながら、目的地へと向かう。
庭の奥へ進み、やがて見覚えのある大きな木が見えて来た。
以前、レオン様が嬉しそうに私を案内してくれた木だ。近くまで来たところで足を止めると、レオン様もつられるように立ち止まった。
「着きました」
「……ここ?」
「はい」
レオン様はしばらく周囲を見回し続け、不思議そうに私を見る。
「誰もいないけど」
「いますよ」
「どこ?」
「あちらです」
私は一際大きい木から離れた何本もの木が立つ一角を指さすした。そこは近いうちに庭を整えるため、この辺りの木は何本か伐採する予定だと、事前に侍女長から聞いていた場所だった。
「……木?」
「はい、木です!」
レオン様は木を見上げ、それから私を見る。もう一度木へ視線を戻したあと、やっぱり納得できないらしく、眉を寄せた。
「昨日、練習相手がいるって言ったよね?」
「言いましたね」
「木じゃん」
「立派な練習相手ですよ」
「木が?」
どうにも信用されていない。けれど、いきなり人を相手にするわけにはいかないし、ぬいぐるみのような柔らかいものでは、どれくらい力を入れたのかも分かりにくい。
その点、この木ならレオン様よりずっと大きく、いい練習になると思う。
「この木なら使っていいと許可もいただいています。もともと伐採する予定だそうなので、もしへし折ってしまっても問題ありません!」
「……折る前提なの?」
「念のためです」
そう言いながら、私はそっと視線を逸らした。横から疑うような視線を感じたけれど、それには気づかなかったことにし、パンッと両手を打ち合わせた。
「さあ、始めましょう!」
「ごまかした」
「はて、何のことでしょう?」
「絶対ごまかした」
なかなか鋭い。しかし、このまま話していても練習は始まらない。私は一番近くに立っている木のそばまで移動し、レオン様にも来るよう手招きした。
「では、まずは普通に抱きついてみてください」
「普通に?」
「はい。ただし、できるだけ優しくですよ。旦那様にするつもりで」
「……父上に」
その言葉で少し緊張したのか、レオン様が自分の手を見る。そして、意を決したように一歩前へ出て、恐る恐る幹へ両腕を回す。
——バキッ。
「……」
「……」
思っていたよりもずっと早く、鈍い音とともに、レオン様が抱きついていた木がゆっくりと傾いていく。
レオン様は慌てて腕を離したものの、木はそのまま地面へ倒れた。
「……ごめん」
ぽつりと、独り言のように声が落ちる。
「折ってもいいと許可をいただいたって言ったじゃないですか」
「……うん」
「そのための木なんですから大丈夫です。さあ、次に行きましょう、次に!」
私が隣の木を指差すと、レオン様はもう一度だけ倒れた木を見てから小さく頷き、今度は先ほどより慎重に次の木へ向かう。
二本目では、先ほどより慎重に腕を回していた。すぐに折れることはなかったものの、少し力が入るたびに幹からミシミシと嫌な音がする。
レオン様もその音に気づいて力を緩めていたけれど、何度か繰り返すうちに、レオン様の腕が触れているあたりに細い亀裂が入り始めた。
「……これ、もう駄目?」
「まだ折れてはいませんけど……練習相手としては、そろそろ限界かもしれませんね」
よく見ると幹も最初よりわずかに傾いていて、このまま続ければ少し力が入っただけで完全に折れてしまいそうだった。
「では、次の木にしましょう」
「……うん」
レオン様は不安そうに二本目を見たあと、隣に立つ三本目の木へと移る。
レオン様は自分から木の前へ立つと、ゆっくりと腕を回していく。今度は大きな音もせず、木に目立った変化はない。レオン様もそれに気づいたのか、少し期待するようにこちらを見た。
「どう?」
「かなり上手くなってきましたよ」
「やった!」
ぱっと嬉しそうに笑った、その瞬間だった。
——バキッ。
「あっ」
レオン様が慌てて離れたものの間に合わず、二本目の犠牲となった木がそのままゆっくりと地面へ倒れていった。
「……」
「……」
「喜ぶのは離れてからにしましょうか」
「……うん」
しょんぼりとした声が返ってくるが、今の失敗も無駄ではない。
落ち着いている時なら、さっきのように力を抑えられるようになってきている。あとは気が緩んだり、嬉しくなった時にも同じようにできればいい。
そこからも何本か相手を変えながら練習を続けた。
最初ほど簡単に折ることはなくなったものの、少し力が入れば幹が軋む。その調整をするのは思っていたより難しいようだった。
そこからさらに何度か試しているうちに、予定していた時間も残り少なくなってきた。
「レオン様、次で最後にしましょう」
「……うん」
少し名残惜しそうにしながらも、レオン様は最後の木の前へ立った。今までより慎重に腕を回し、少しずつ力を加えていく。
――メシッ
レオン様はその音にぴたりと動きを止める。慌てて腕を離したので、私はすぐに幹へ近づいて確認する。
先ほどまでの木のように亀裂が入っている様子はない。少し力がかかった跡こそあったものの、傾いてもいなければ、折れそうになっているわけでもなかった。
最初の一本をあっさり折ってしまったことを思えば、ずいぶんな進歩だと思う。
「……どう?」
少し不安そうな声が背中から聞こえる。
私は木から視線を戻し、旦那様の姿を頭に浮かべる。騎士団の副団長を務めるだけあって、旦那様はかなり身体が大きく、鍛えていることも服の上から分かるくらいだ。
「このくらいなら、旦那様は大丈夫です!」
「本当?」
「はい。旦那様なら、このくらいでは問題ありません!」
そう言い切ったところで、少し離れた場所に控えていた騎士様と目が合った。
木が倒れた時のために付き添ってもらっていたのだけれど、私の声が聞こえたのか、今は何とも言えない顔でこちらを見ている。
それと同時に、レオン様も呆れたように私を見ていた。
「……それ、父上に言ったら怒られない?」
「言わなければ大丈夫です」
私は少しだけ身を屈め、レオン様にだけ聞こえるよう声を落とした。
「ですので、内緒にしてくださいね?」
そう言うとレオン様は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。その顔はこれから何かを企んでいる子どものようで、少しだけ楽しそうだった。
ちょうど、旦那様が帰ってくる時間も近づいて来た ている。なので、木を相手にした練習はここまで。
次に待っているのは、練習ではなく本番。
「さあ、とびきりのサプライズを旦那様にしましょう!」




