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あいに溢るる  作者: 手石
異常な依存と異状に委譲しぬ意地
109/109

1.裏話.4 不感な少年は地面を俯瞰する

「迷子なの?」


「ん?」


 森林。真昼間だというのに、光が木漏れ日のみという、少し不安さも感じてしまうこの場所で。一人の少女が少年に声をかけた。風が木々を優しく撫でて零れる小さな音のみが響いている。


「あーっと……君も?」


「うん」


 「君も」という言葉。そして「うん」という返答。その短いやり取りで二人とも今の共通した境遇の相手と出会った事に、若干の安堵を見せた。


「マジか。迷子仲間が見つかるなんて思ってもなかった」


「私も」


 どういう経緯で迷子になったのかは分からないけど、そんな不名誉同士で安心してて悲しくならない?

 お互いが同じ考えだという事を確認し合えたからか、少女は座り込んでいる少年の隣に座った。と同時に、


「何で頭撫でる?」


「泣いてたから」


「……」


 少年の頭を撫でた。

 初対面の相手に了承も無しに頭って撫でられるもんかな普通?


「年下の子に撫でられるとか恥ずっかしいな」


「ふふふ……ガキは甘えて……え何で年下って決めつけたの?」


「ガキはちょっと言葉遣い悪くないか?」


 お互い失礼な言葉でやり取りをする。

 だから初対面だよね?

 が、そのやり取りで少し心が楽になったのか、少年の顔に若干の笑みが現れた。すると頭を撫でられたまま、少年は少女の顔を見つめた。


「オッドアイ……」


「ん? あ、これ?」


 そして少女の顔を覗き込みながら呟いた。突然の接近に、少女は撫でていた頭から手を離し、少し仰け反った。


「生まれつき。何か右目が銀色なの」


「へぇ」


 少女は左手の手の甲を自身の顔に向けたまま、自身の右目を指し示した。その仕草に若干高揚したのか、少年は少女の前に立つ。そして右手で前髪をかきあげた。


「どん」


「お」


「お揃い」


「オッドアイ仲間!」


 その奥の瞳は、左が黒、右が青を放っていた。

 そうそうそうそういうのそういうの。迷子仲間とかよりもそういう珍しい何かで共通点を見つけて喜ぼうよ。今喜んでる場合じゃねぇけど。そもそも共通点見つけてる場合じゃないし。


「意外とオッドアイって多いね。私の幼馴染もオッドアイだし」


「類は友を呼ぶ」


「容姿で使われたの初めてだよ」


 似た者同士は集いやすいと言えど、容姿ってそう自然と似るものではないと思うよ。特にオッドアイなんて先天性なんだから。

 少女は立ち上がり右手を差し出した。それに釣られるように少年は左手を差し出し、少女の右手の甲を掴んだ。何でだよ。


「私はミチル。んで、何で迷子になったの?」


「俺は名前がトヨで要因は釣り。ほら、国境と国境の間の海? って行ったことなかったからさ」


「すっ……よくここ通ろうと思えたね。地下とか空中とか、方法は他にもあるのに」


 何で疑問持たずに進められるんだよ。

 少女、ミチルは少年、トヨの言葉に半分感嘆にも満ちた声を出した。この森は魔鬼者が生息し、一般の人は立ち入る事さえ躊躇う場所なのだ。普通の人であれば、仕事か命が惜しくない人しか入らない、という印象しかないだろう。


「森林内にも大きな湖がいくつかあるから。ついでに行けたらなぁ、って」


「うっ……そ……こんな無謀な人、初めて見た……」


「イェイ」


「余裕綽々過ぎだな」


 そして更に奇行を連ねた。両手でピースをし、右手は掌を自身に向けて八時の方向に指を伸ばし、左手は掌をミチルに向けて二時の方向に指を伸ばしている。両腕をクロスしているその光景に、再び感嘆な声を上げるミチル。


「君は?」


「今言った幼馴染と一緒にかくれんぼ」


「そっちもそっちでだいぶ無謀じゃん」


 無謀な奴らしかいない。そらそうか、生半可な正常性を持ってる人ならこの森に立ち入ろうとはしないのだもの。魔鬼者見ても怖がってないもんこの人達。


「なら一緒に道探そうよ」


「いや、歩き回ってたら鬼に見つかるから」


「君本当に迷子? 泣いてる俺を笑いに来ただけじゃない?」


 そして、巫山戯ながらも対応してくれたことが嬉しかったのかトヨの顔に少しだけ笑顔が現れた。そしてミチルが伸ばした右手を掴もうと両手を差し出した。


 ゴッ

 ドガッ


「ん……」


「え……」


 瞬間、二人から数メートル離れた位置に黒い塊が落とさた。と同時に、桃色のパーカーを深く被り、目元どころか鼻先すらも見えぬその怪しい人物が黒い塊の上に降り立ち、破片を撒き散らしながら破壊した。


「……」


「な……に……?」


 その人物がミチルへと視線を向けた。と同時に、


「っ! 逃げろ!」


「え」


「早く!」


 ミチルが叫んだ。トヨは一瞬の躊躇いの後に、その願いにも似た指示の通り、謎のパーカーから逃げる様に踵を返す。


「ぐっ! 分――










 ベガリャッ


「ぇ……」


 全てが一瞬の出来事だった。

 二人の目の前に現れた不審者。それを見て逃げろと促すミチル。躊躇ったがすぐにその場を離れようとするトヨ。そして、


「……は……」


「ミチルちゃっ!」


 タサッ


「ひっ!」


 ミチルの右半身が無くなった。右肩、右腕、右脚。何が起きたのか理解できていないのか、ミチルは素っ頓狂な顔のまま、地面に仰向けで倒れる。

 だが何故か不思議なことに、ミチルの着ている衣服が、伏して触れている地面は、何事も無かったかのように、その色を変えず汚れていない。


「ぐぃぉおっ!」


「っ! ぁあぁぁ!」


 しかしすぐに自身の身に起きた事を理解したのだろう。それでも尚、泥臭く、目で訴えるミチル。異常としか言えないだろう。まだ低高校にすら通っていないであろうその幼さで、己の人生が突然幕引きを迎えるというのに最後の力を振り絞るその光景。トヨは、目の前にいる人物を助けたい、と込み上げてきたであろうその感情をぐっと飲み込み、その謎の人物から逃げるようにその場を離れた。喉元を通り過ぎなかったその感情は、そのまま口から大きく放たれてしまう。


「……」


 森の奥深くかそれとも街に続くのか、それすらも分からぬままただひたすら遠くへ逃げようとするトヨを、元凶であるピンクパーカーは無言でその後を見つめた。そして溜息を吐き、まるで「無駄なことをするもんだなぁ」と呆れるかのように眉を顰め、トヨの後を追った。足元に転がるミチルへの興味はもう無いのか一歩目を踏み出したと同時に、


 ゲシッ


 という音を立てながらその動かぬ少女を蹴飛ばした。

 そして……









 ベガリャッ












 ここは優等高校。

 名前の通り、優秀な生徒ばかりが通っている名門高校だ。端的に言えば学業だけは優秀な学校なのだ。

 喧騒という生易しい言葉で纏められない騒音が蔓延るこの日常。暴れ回っている生徒、壁に何度も拳を叩きつけている生徒、天井を歩いている教師……教師……!?


「……」


 そんな学校の第一校舎で、一人の少女が廊下に立っている。否、曲がり角の壁に張り付きその影から顔を出しいくつも並んでいる教室を覗き込むように眺めている。

 この校舎には移動手段の一つとして階段があり、一階から十階までを繋げている。壁が無く吹き抜けになっており、一階の恐ろしく広い共有スペースと下駄箱がどの階層からでも見渡せる踊り場付きの折り返し階段だ。そして階段の終着点には数メートルの道があり、その先で左折すると教室が並ぶエリアに到着するという構図となっている。少女はその階段の先にある曲がり角から顔を出しているのだ。

 憂鬱。少女からはそんな言葉が似合うほど重たい空気を纏っている。激しい喧騒とは真逆の


「後ろ失礼」


「んぇ!? ぇぁ……!?」


「んそんな驚かなくても」


 突然、少女の背後から声が響いた。少女は曲がり角に、その背後から現れた声から隠れる様に瞬時に移動した。そして先程同様覗き込むように声の主に目を向ける。


「もしかして同じクラス?」


「ぇ」


 そして声の主……少年は、目の前にある教室を指差しながらそういった。

 教室内にはすでに生徒が十数名おり、二人から五人ほどのグループを作って各々の会話を楽しんでいる。

 少女は少年の質問先の教室を確認した後、何故か躊躇うように目を伏せ、軈てゆっくりと、俯くように頷いた。


「お。俺も俺も。無事進級できたんだ」


「ぉ……ぉん!」


「……そんな俺怖いか?」


 同じクラスだったことが嬉しかったのだろう。少年は若干上擦った声で少女に語り掛ける。まさか会話を広げられると思わなかったのだろう、少女は一歩離れてしまう。


「い、い、ち、いよ、の、なななよの、ど、の!」


「分かった、一回深呼吸して」


「ひっ! ほっ! みゃぶなぶるっ!」


「深呼吸……かそれ……?」


 怖いね。多分空気吸えてないよそれ。冷静さ取り戻せる気がしないなそれ。

 少女はしゃがみ込み、過呼吸の方が空気を多く吸えるのではと感じてしまうような呼吸を繰り返した。


「初めまして。トヨだよ」


「ぉ……ぉぉぉぉおおっ!?」


「……」


 怖いな。やっぱり冷静さ取り戻せてないよ。あっつあつだもん。顔真っ赤だし。最早会話すらできそうにないよ。

 深呼吸したことでとりあえず奇声の羅列は無くなった。その代わりに何かに呼応するような声を口から流した。少年、トヨの自己紹介に応答している……で、良いのかこれは……?


「これも何かの縁かな……」


「ぇ……」


「……よし」


 するとトヨは何かを思案している。少女はその光景に見惚れるように、呼吸も忘れてトヨの顔を覗き込む。それを確認したからか、少年はゆっくりと右手を前に差し出した。


「新三年生記念、最初の友人になってくれないかな?」


「にょへのん!?」


「にょへのん?」














 優等高校は総合学科。よくある故に新しい学年になったらクラス替えが起こり、一年間共にしたクラスメイトも赤の他人に。それでも特に仲の良かった友人には、教室感を移動してまで会いに行く人もいる。それでも初めましてという人も多い。

 そして今は朝のホームルームなのだろう、全員が椅子に座り静かに前方を見つめている。そしてその視線の先には、上品そうな教師が立っている。軈てその教師は教室内をぐるりと見渡し、口を開いた。そう、今から始まるのは……


「それでは自己紹介のお時間でごわす」


「何で教師が一番盛り上がってんだよ」


「自己紹介という恥晒しを受けずに済める立場だからじゃねぇの?」


 憂鬱な自己紹介だ。

 何故教師に対してこんなに辛辣な言葉を投げかけているのか。それは教師の後ろにある黒板に書かれた文字にあるだろう。赤青黄緑黒紫桃橙白色の文字で、こう書かれている。


 自己紹介たいぃぃぃぃぃぃぃむ!

 私の名前はエトキィ。


 ウザい。ちょっとやだなこんな教師。何でここまで自己紹介を楽しみにしてるんだよ。表情にはスンッとしてんのに心はルンルンじゃんか。そら生徒達も盛り下がるだろ。


「普通にやるのもあれでげ、何か他者が興味を持つ事柄を自己紹介に含めていただくがらり」


「鬼だ……」


「対岸の家事を爆笑しながら激写するよこの人絶対」


 そして両手を合わせ、じぶんの左頬に添えながら難題を増やした。そして生徒の反応は非難轟々だ。

 じゃあ何で教師の自己紹介は黒板に名前を書くだけという雑に終わらせたんだよ。ところで、何でこの教師は室内で傘を差してるんだ?


「ぎゃみ、シジファワさんからお願いげ」


「名前の順じゃないってマジ!?」












「げ、トヨさん」


「はい」


 名前を呼ばれたトヨは席を立った。順番に行われていく自己紹介。そこには何の規則性も無い為、生徒は皆震えながらエトキィの口から放たれる名前を聞いている。そして選ばれた人は小さく飛び跳ね、俯きながら言葉を捻り出す。もちろん、他者が興味を持つ事柄などすぐに思いつかないからだろう。「スポーツが得意です」「顔が広いです」「顔が物理的に広いです」等、興味を持てるか若干怪しい言葉ばかりが並んでいる。


「多分、殆どの人は初めましてかな。トヨだよ」


 そんな空気の中、トヨの自己紹介が始まった。


「他者が興味を持つ……どうしようかな……」


 そしてトヨも同様に、他者が興味を持つ事柄をすぐに思いつかなかったのだろう。自己紹介中に思案を始めた。しかしその表情と声色には少し余裕があるようにも見える。視線を真っ直ぐに、周囲のクラスメイトと一人一人目を合わせるように見渡している。右手を首に添え、脚をクロスさせている。


「イケメン……」


「ね。会長は愛らしさがあるイケメンだけど、こっちは正統派って感じで」


「スタイル良っ……」


「いるのかな恋人?」


「生徒会超美麗世代役員達の陰に隠れてこんな凄い人が……」


 その絵に描いたような仕草に、少々下劣な会話が小さな声で騒がれる。典型的なひそひそ話が教室内に繰り広げられる。


「……」


 もちろん、教室という狭い空間であればその話題の中心人物の耳にも簡単に届くだろう。トヨはさっきと同じ表情なのだが、どこか落胆という雰囲気が垣間見える。それでも軈て自己紹介の続きを絞り出すために、再び口を開いた。


「恋人はいないよ」


「うおぉぉぉぉおぉぉ!」


「どるるるるうるるるぁ!」


「こ、好みは! 求めるパートナーの条件は!」


「……」


 選択肢を間違えたかもしれないな……

 トヨの表情にそんなことが書かれているのが丸分かりだ。まるで空気を読んだような回答だったが、クラス中が沸き立った。エトキィもうんうんと頷く。やはりウザい。


「……最後の一年だけど、よろしくね」


「笑った! 笑ったぞ!」


「こういう笑顔の人に守られたい……!」


「視力が回復する!」


「……」


 自己紹介が一段落し、トヨは静かに席に着いた。教室は更に騒々しくなった。エトキィもうんうんと頷く。他にリアクション無いのかよ。


「ごわす、サクさん」


「うきゃ! ひゃ、はい!」


 かと思えば、突然サクの名前を呼んだ。未だ興奮人一倍大きな声とリアクションをしてしまったためか、三百六十度、全ての方向から強烈な視線を浴びる。その視線により、サクの心臓の鼓動が更に速くなる。


「わ、わた、わわ、私、あ、は! と、さ、サク! サク、せれさす!」


「お、おん……」


 トヨの時とは違う。皆まるで興味を示さない顔をしている。最低限聞き流すぐらいはしようという意思を感じられる。ただ数人を除いては。


「とととととととっ」


「……」


「興、こっき、みみ、味は、そも、の、と、そのの!」


「やめようやめよう、これ以上喋らせるのちょっと不安になる座って座って!」


 自己紹介としてはあまりにも寸足らずなものを聞かせたサク。エトキィが思わず遮るように制止させてしまう程だ。本人はひどく怯えながら指示に従うようにゆっくり座ったが、殆どのクラスメイトは既に興味を失ったようだ。しかし頬杖を付きながらもサクの方を見続ける人もいる。


「ぐるる、慣れていなければ自己紹介でも緊張をしてしまいますがんす」


 まるでサクの醜態をフォローするようにエトキィが口早にそう語った。


「それではお次は、テレンス」


 が、すぐに次の人へと移る。誰もその速い心変わりに疑問を持たなかった。










 ゴーン……ゴーン……


 少し重々しい雰囲気があるチャイムと共に休み時間になった。クラス替え初日、この後の予定はクラス内でレクリエーションを行うらしい。生徒はこの十分間の休憩で各々の行動を起こす。

 先程の自己紹介で気になった人のもとへ行く人。

 化粧室へ行く人。

 別クラスの友人のもとに行く人、逆に別クラスから来た友人と駄弁る人。

 そして……


「好きな食べ物は!」


「休日の過ごし方は! 趣味は!」


「何て呼べば良いかな! トックン?」


「初デートで行きたい場所はどこ!」


「おーぅ、全体的に距離感が近いな」


 トヨの周りに集まる人。

 少なくても今、このクラスに所属している人の半分以上はこの行動を起こしている。現在トヨの席の周りには二十人以上の生徒が集まっている。

 集まりすぎだろ。別クラスだったとしても、そんな集まりたくなるほどのイケメンなら一、二年生の時にトヨの噂ぐらいは流れなかったの? というかもっと良い質問あっただろ。初対面でデート場所とか特におかしいだろ。


「……」


 そんなトヨとは対照的に、サクは自分の席で一人だ。殆どのクラスメイトは先程の自己紹介で気になった人との会話を楽しんでいる。悲しいことに、誰も彼女に興味を示さなかったのだろう。静かに自分の席に……すら、トヨ目当てのクラスメイトが侵食して来ていたので教室の隅で時間が経つのを待っていた。哀愁が漂っている。背景はガラス越しの晴天が覗けるのに、サクの周りだけ曇天だ。


「サークー」


「ぁ」


 そんな悪天候な少女に、一人の少女が近づいてきた。先程頬杖を付いていた少女だ。


「また一年よろしく」


「ひぁっ」


 正面から、まるで威圧と見紛うような挨拶を行った少女。返事をせずに委縮した鳴き声の様なものを漏らすサク。それに苛立ったのか、少女は間髪入れずにサクに顔を近づけた。


「よ・ろ・し・く!」


「ぁ! よ、お、ろしくお願いいたしますっ!」


「はいよろしよろしー」


 友達なのだろう。それにしてはサクの反応は喜ではなく、少し苦しそうだ。気が付くとその少女のすぐ後ろから覗き込むように三人程のクラスメイトがサクを見つめていた。慣れた行為なのか、まるで定位置に着くかのように四人が配置された。しかし不思議なのが、その光景を見て聞こえているはずなのに全く意にも留めないクラスメイトだろうか。数人程度は心配そうな顔を向けているが、関わるのが嫌なのか目を逸らすだけだ。今この空間は、彼女が支配している。そう感じられた。

 が、そんな閉鎖的な征服が行われている空間に一人の物好きが近づいた。


「おーい」


「にひぁ!?」


 その物好きはサクの背後から、耳元で囁いた。突然視界の外から現れた誘われるような甘美な声にサクは飛び上がりながら驚きの声を上げた。目の前の人物達はそのサクの痴態……には見もせず、その囁き声の主に目を丸くしながら口をパクパクさせた。


「ぁ……と、どうして、き、来た、来たの……」


「泣くぞそのセリフ」


 その物好きはトヨだった。いつの間にやら包囲網を抜けだしており、サクの背後に回り込んでいたらしい。その物好きの正体と行動にクラスメイトは目の色を変え、その行動を黙って見つめた。


 ガガッゴッ


「いや、やや、やの、人、めい、おと、会話、話、おはな、した、から」


「話相手を自分で決めるぐらいさせてくれ」


 聞き取るのが困難な声を発する……というか漏れ出るかのように口から単語の節々が飛び出た。トヨはサクから離れ、まるで押しのけるようにサクのすぐ横に入った。サクは立ち上がり、トヨから一歩離れた。その勢いで椅子はサクの体に押され、大きな音と共に小さく後退した。

 凄いな。サクが何を伝えたかったのか理解できたのか。自分は全く理解できなかったぞ。


「え……トヨ君、さ、サクのこと知ってるの……?」


「クラスメイトの顔と名前を知ってて何でそんな驚く? サクちゃんは友人だよ友人」


「友人!?」


 サクに話しかけたことに放心し、まるで自分たちは眼中にないかのように壁のように立ち顔を向けてこないトヨ。その背中を見て尚、少女はトヨに背中越しに声をかけた。


「あ、え、えと、私はクフニウ! よろしく!」


「あ! ととと、私はピュンスケっ!」


「セットファス! セットファスです!」


「も、モンス!」


 怒涛、というより必死というべきだろうか。少しでも記憶に残ってほしいのか、人波という名のガードが緩くなったトヨに押し掛けるように自身の名前を羅列する四人。サクの時とは違う、完全に繕ったような声をしている。


「……」


「ぇ……と……」


「……うん。よろしく」


「っ! よろしくお願いします!」


 それを再確認した後、四人の中で一番前に立っていたクフニウが、トヨとサクの間に割り込んだ。まるで二人を引き裂くかのように。それを確認したからか、他三人もトヨを囲うように立ち塞がった。


「あ、そうそう! トヨ君ってカフェ巡りとかって好きかな?」


 そして会話を一方的に始めた。 再びトヨの周りに人が集まってしまった。しかもサクの周りに。サクは屈みながら、コソコソとその場から離れていった。


「ひぁ……!?」


 しかし、この場にいる……すれ違いざまにそれを目視したサクを除いた全員が気が付かなかった。トヨが一瞬、怒気を含んだ表情を見せたことを。










「……」


 教室内から自身の安全地帯が無くなってしまったため、教室よりも一回り大きい共用の大化粧室に避難したサク。明るいペールオレンジ色の壁に囲まれており、また扉に入ってすぐ左の壁一面に大きな鏡と洗面台が設置され、それ以外の壁には個室が設置されている。現在利用している人はおらず、この空間にはサク一人しかいない。サクはその鏡の前でスマホを操作している。次のレクリエーションの時間になるまでここで待機するつもりなのだろうか。


「ねぇサクー」


「ひぁい! え、なで……トヨ、君と、話……!」


 そんなサクの策略を遮るかのように、態々サクに話しかける人物が現れた。クフニウだ。先程まで欲心を露にしながらトヨに近づいていたというのに、何故か今はその権利を放棄しサクに近づいたのだ。サクも突然現れた危機なじみのあるその声に驚き、手に持ったスマホを落としかけた。


「何でトヨ君と仲が良いの?」


「え……えと……な、な、で、何でと申……しま、ますと?」


「ハキハキ喋れよ聞き取りにくい」


「ひっ……!」


 サクは鏡を背にし、クフニウに向き直る。いつの間にやらクフニウの背後にはピュンスケ、セットファス、モンスの三人が立っていた。

 この一人が前に出て三人が後ろに立つという構図は定番の配置なのだろうか。なんかダサいな。

 サクは四人の言動一つ一つにビクビクと震えている。その様子に苛立ったのか、ピョンスケが一歩前に出て


「なーに怯えてんの?」


「別に脅してるわけでもなんでもない、ただの友人同士の会話でしょ?」


 そうは見えない。まるで捕食者と非捕食者の関係にしか見えない。


「ね? まるで私達を姦人に仕立て上げてるみたい」


「うーわ最低。貴女の大切な数少ない友人をそんな風に扱うなんて」


「ひい……!」


 見せてるというよりも、実際そう見える。

 今度はセットファスが、「大切な」「数少ない」「友人」を夫々強調して、まるで押し付けるかのようにサクに言い放つ。サクはその勢いに気圧され、洗面台に少しだけ乗り上げてしまう。


「トヨ君とちょっと早く仲良しになれたからってね?」


「調子に乗るなんてね?」


「と、とと、ちょう、しに乗ってなんてっ……!」


「あ?」


「んぃ!?」


 否定の声を上げようとするサクだったが、凡そ友人同士の会話で聞かないような、ドスを利かせた一文字で返されてしまう。瞬時に声色を落としサクに威圧感を与えるその行為は、言い慣れているとしか思えない。しかし、ここまで詰め寄っているのにサクに触れる気配が一切無い。


「まぁ私達は優しい人間だから。どうすれば良いか分かるよね?」


 ガッゴッ


「はぁ……はぁ……い、いたいた……!」


「ぇ」


 そして一方的な、脅迫まがいの交渉を口にした瞬間に化粧室の扉が開かれた。クフニウ達とは違う。大きな音と共に勢い良く。その衝撃音が室内を疾駆し響き渡る。


「トヨ君!?」


「もう皆、次のレクの場所に移動してるからさ……早く準備、はぁ……しよ?」


「あ、どご、あら、あり、がとう!」


 たった数分間だが探し回ったのだろうか、息を切らし肩を大きく動かしている。その姿に、サクは若干、安堵の様な表情を漏らした。そして優しく声をかけるトヨ。その光景に、自分だけに向けられた行動だと感じたからか、クフニウは先程の単語すら途切れ途切れだったサクと同じような反応を示した。


「そそくさって、教室出てったけど、何か、大事な用事だった?」


「だ、大丈夫大丈夫! しょうもない、他愛のない会話だけだったから!」


「そうそう! 友達同士の会話! ね!」


 ピョンスケとセットファスが必死に繕い、クフニウとモンスが両手をブンブンと振っている。が、その四人からはまるで共感を強要するかのような表情と語気をサクに差し向ける。


「ね!」


「ぇあ……! は、はひぃ!」


「……」


 そして今度は露骨に、ピョンスケがサクに共感を求めた。サクは再び怯えた表情をしながら、その強要を受け入れてしまった。第三者から見ても怪しい関係性にしか見えない一人と四人の構図。トヨもその光景に一瞬無言を見せた。が、直ぐに振り返りながら口を開く。


「と、にかく。レク始まるから、急いでね」


「あ、折角なら一緒に行かない!」


「行こう行こう!」


「……分かった分かった」


 先に行こうと扉に歩こうとした。が、回り込むようにクフニウが道を塞いだ。そしてトヨの腕を左右から掴みクフニウとピョンスケで懇願した。その抜けられぬ包囲網の前に、トヨは諦めたかのように頷いた。

 まただ。またこの表情だ。

 と、サクは少し委縮してしまった。先程一瞬見せた怒気を含む表情を見せた。が、またしてもサク以外は気が付かない。


「サクちゃん?」


「ぇ、は、ん!?」


「ん、じゃなくて。サクちゃんも」


 そしてそのまま外に出る……のではなく、首だけを後ろに向けサクへと顔を向けた。その行動に、俯きがちだったサクは顔を上げ両手を自身の胸に当て一歩後退った。サクだけでなく、四人衆も無言で驚いている。


「皆で一緒に行くんでしょ」


「え、わ、私も……!?」


「……友達と一緒に行くだけなのに何でそんな驚く? ほら」


 一歩、また一歩と後退るサク。そんなサクにお構いなしに歩み寄り手を差し伸べるトヨ。その不快感の無い無邪気にも似たその強要を無下にすることもできず、サクはその手を取ってしまった。


「っぁ……!」


 そしてまたしてもサクだけが見てしまった。穏やかな表情を見せるトヨの後ろで四人が、トヨの視界の外で露骨に不快そうに眉を顰めていた。それを見てサクは明日からの自分の生活を悟り、憂いに沈んだ。













 春。始まりという雰囲気を感じられ、新しい一歩踏み出す人も多い。そんな人たちを後押しするためなのか一年の中で過ごしやすい季節。まるで後押しではなく前から道を塞がれたかのように、重々しい足取りで下を向きながら優等高校の敷地内へと足を踏み入れる人物がいた。サクだ。


 憂鬱な一日がまた始まる。


 前日、何故かイケメンと友達になり、イケメンが自分に不快感を見せずに手を差し伸べてくれた。その心優しい行動のおかげで、優等高校最後の一年間も最悪のものになる。

 そう思いながらサクは校舎に入る。朝なのに元気な騒音間違えた喧騒が響き渡る。


「……」


 そしていつものように、

 昇降口に数十個設置されている、三メートルの高さほどある縦に長い直方体で、六面全てがモニターになっているその箱の前面に両手を突き出した。二秒後、箱がピンク色に点滅しサクの顔が現れ、それを確認したらサクは階段へと駆け出す。

 一段一段が少し高く踏むと少しだけ沈む柔らかい階段を、同じく柔らかい手すりを掴みながら上る。数人の生徒が談笑している廊下をゆっくりと警戒するように歩く。

 目の前の大きな扉に触れると同時に、その扉が何故かガララッという音と共に横方向にスライド、そのまま教室に入り、再び同じ扉に触れ扉を閉じる。自分の席を見つける。昨日ほどではないがトヨの周りに人が集まっており、サクはその群衆を避ける用に回り込んで、席に座る。

 全て当たり前の、何の変哲も無い日常。だからこそサクは身震いをしていた。


「おはよ」


「ひゃっ!」


 そして自席で縮こまっていたサクに話しかける人物がいた。やはりトヨだ。先程まで十人以上のクラスメイトと会話をしていたはずなのに、突然目の前に現れた。無理矢理その群衆から抜け出てきたのか、トヨの背後では群衆がトヨを見ながら騒めいている。


「挨拶しただけなのにそんな驚かんくても」


 サクのリアクションが不服だったのか、口をとがらせた。

 いや驚く。さっきまで多人数と会話してた人が目の前に一人で現れたんだよ。友人とはいえ驚くよ。


「お、お、おは、はははっ」


「トヨ君ー?」


「……じゃあ、次の休み時間にでも」


「ぇ……え、ええっぇ、え!?」


 そして挙動不審になっている間に何故か休み時間に予約を取られた。そのたった数秒の間にクラス中は無言で沸き立った。

 今まで一人で過ごすしかなかった休み時間に、イケメンという超絶異次元イベントが気が付いたら作り上げられたサクは困惑の声を上げることしかできなかった。










 何の妨害もなく授業を受けられ、何の障害もなく道を歩くことができ、何の不快感も受けることなく一日を過ごす。そして隣には、何故かイケメンが立ち人懐っこく会話を魅せてくる。

 普通の人絡めれば当たり前の日常、サクにとっては当たり前を通り越し異常とも言える日常を過ごすこと一か月ほど。遂にその当たり前を壊そうと動きが起きた。









 とある日の放課後の校舎裏で。


「お前。何してんの」


 低い声で、脅すような声で、クフニウがサクに詰め寄っている。通路も無い場所で人通りも少なく、また夕日は大きな校舎に阻まれ光を通すことができず、二人は影の中に隠れるように立っている。珍しく、この日はクフニウ一人しかいない。


「な、ななな、言わ、れ、ても!」


「何で快適に、それにトヨ君と一緒に過ごせてるんだよって聞いてんだよ」


「そ、そそ、それは、私も、わ、なん、何が、なんだか」


 ガッ


「んぐっ!」


「嘘つけおかしいだろ。何もしてないのに無傷なわけねぇだろ。お前以外に利益が無いのに誰がお前自身を助けんだよ」


 クフニウは、怯えて言葉に詰まるサクの頬を右手でがしりと掴む。声は少し安らかなのに、まるで支配するかのように強く、サクを物理的にも精神的にも抑え込む。


「どうせ親が得た地位でしか勝負できないもんな! 金か! 人脈か!」


「ふぎっ」


「それぐらいしか取り柄らしい取り柄が無いもんな? 取り込めそうな味方もいないもんな?」


 サクよりも一回り大きい体格故にか、サクの視界いっぱいにその静かな鬼が広がっている。何故か憐れむかのように言葉を繋げる。痛みか恐怖か、サクの瞳にうっすらと涙が伺える。


「で誰だ? こんな醜悪で美点を一つも持たない吃音な女に無様に尻尾を振るノータリンは?」


「ゃ、から、わた、私は……」


 クフニウに睨まれ、それでも否定の言葉を止めないサク。クフニウはサクから手を離し一方後ろに下がった。


「あぁ! それかトヨ君の嫌らしい弱みに入り――


「俺のヤらしい弱みって何かな?」


「ぇ」


 そして突然。まるで見計らったかのように、遮るように、恐らく今一番来てほしくないであろう人物の声が、虚しく空を散った。二人とは対象的に、トヨは陽の光が当たる場所に立っている。


「なっ! ななん! な!」


「何をそんな驚いてんの? こんな人目をはばかる場所で俺のヤらしい弱みについて語るとか……怪しい」


 案の定クフニウはサクの様に単語を正確に紡げない、言葉と呼べない音を口から発する。そしてトヨから遠ざかるように、サクの隣へと勢い良く後退する。


「何……て、別に、陰に隠れて危ない遊びをしてただけだよ! 何も怪しくないよ!」


「……誤魔化すにしてももっと安全な言葉選びがあったと思うよ」


 怪しいな、っていう言葉に対して危ない遊びという返答は些かおバカが過ぎるのではないかな?

 が、それでも目の前にいる蛮人には警戒する姿勢を見せないトヨ。いつもの媚びるような鳴き声ではなく、先程サクに見せていた……本性のような姿を見聞きしていなかったのだろうか。


「はぁ……危ない遊びなんてやめて、真っ当な放課後を過ごしてね」


「ぁ、は、ひは! じゃ、じゃあ失礼するね! また後でねトヨ君!」


 呆れるトヨ。その姿だけで背筋を伸ばすクフニウ。サクには一切視線を向けずにトヨにだけ声をかけ、まるで用は済んだとばかりにすぐさまその場から退散した。どんどんと小さくなっていく背中を見送りながら、トヨはサクに近づく。


「はぁ……じゃあサクちゃんも。行こ?」


 そして手を差し伸べ、何も疑わぬ優しい微笑みに包まれながら、サクは記憶を辿った。

 かつて、今と同じように詰められた時に、まるでタイミングを見計らったかのように助けてくれた、あの日を。そしてそれ以降、ぱったりと、不気味な程ピタリと無くなったクフニウ達の攻撃の数々を。


「間違っていたら、ごめんなさい」


「……」


 あの化粧室から始まった奇妙な平和。サクはその偶然とも思えぬ出来事の連鎖に、愈々一つの答えを導き出した。恐る恐る、爆弾を解体するように慎重に、サクはトヨに歩み寄り口を開いた。手を取らず突然声を出したサクに、トヨは不審な顔一つせずに笑みを向ける。その表情に、一瞬、サクは口から出そうとした疑問を飲み込もうとしたが、すぐに口を開いた。


「トヨ君が……い、いつも……わ、わた、た、私を、助け、て、てくれてた、の……?」


「……」


 いつもと同じように聞き取りにくい喋り方だが、いつもと少し違い目の前にいる人物から目を一切逸らさずに質問をした。核心を突き、自分の置かれた境遇を良くも悪くも変えてしまった元凶であると告発されたトヨ。しかし不気味な程、トヨの表情は、仕草は、何も変わらない。その答えが今のトヨの姿からは推測ができない。


「……」


「……っ!」


「……」


 沈黙が流れる。まるで質問の意図……どころか意味すら理解していないかのように、トヨは全くの無反応を示している。時間が流れるのに比例し、サクの表情が強張りを見せていく。


「俺は」


「っ!」


 軈て漸く、トヨの口が開かれた。差し出された手はゆっくりと降ろされ、表情は段々と無表情へと変わっていく。


「サクちゃんを、助けていない」


「な……なな、ご、ごめ、やっぱ勘違い……!」


「……事実、今もサクちゃんは苦しんでいるだろ」


「ぇ……え、ぇぇ、え、ど、ど……?」


 そしてまず、否定から入った。否定ということもあり、サクはすぐに謝罪をしたが、続く言葉にすぐに聞き入った。どこかいつもと違う、少し強い言葉を放つトヨ。かつて何度も、隠すように一瞬だけ曝け出していたトヨの憤怒の雰囲気が少しだけ感じられる。


「俺の行為は救援ではなく一時凌ぎでしかない」


「え……何言って……! じゃ、じゃあや、やっぱり……!」


 そして漸くサクの疑問の答えをハッキリと出した。しかしどこかすっきりしない、何か裏に大きな膿でも隠しているかのように遠回しな自虐のような言葉で伝える。


「いじめの怖いところは、いじめを行う側が……悪いことをしている側が絶対的強者であり正しいという雰囲気が無意識に出てくることだ」


「ぇ……何、が……」


「いじめは無くならないんだ。いじめという言葉で収めている限りは」


「……」


 意味など無いのにサクに強く訴える。その瞳の奥には諦めの意が伺え、気まずそうにサクから目を逸らしている。


「だから俺も嫌なんだ。いじめられるのは」


「嫌……で……そりゃ、誰でも、だ、嫌じゃ……」


「助けたら、次に狙われるのは助けた人物になる」


「ぁ……」


 トヨの口から出てくる言葉には重厚感がある。憶測から出てくる考えではなく、経験談を語るかのように、記憶を辿るかのように。


「だから俺はずっと……一時凌ぎをしてた。問題を先送りにしていた」


「や……も……トヨ君みたいな人気者なら……」


「俺も最初は利用してやろうと考えた。不服だけど」


「え」


「……自己紹介の時にも言ったけど、クラスメイトの殆どが初めましてだ」


 トヨはサクから一歩離れ、両手を顔の前に置き強く握った。不甲斐ない己を握りつぶしているのか、涼しい顔で嘲笑うかのように空気を握る。


「人気という不確定なパラメータなんて……短く不安定な関係性なんて、簡単に壊せる。いじめはそんな狂気をはらんでいる」


「そんな……」


 訴えるように眉をひそめてサクの顔を見る。一瞬口を開いた後、気まずそうに視線を逸らした。


「……いや、言い訳だな」


「え……」


 そして突然頭を両手で抱えた。


「俺が弱いからだ」


「ト、トヨ君……?」


「っ! いじめが怖いからだ!」


「ぁ……」


 まるで怯えているかのようにゆっくりと背を丸める。我儘を言う子供の様に。その声は震えているが力強い。


「見えない範囲でいじめを未遂に変えたり、こうやってこっそり会って、少しでもサクちゃんの気を紛らわせることが……精一杯なんだ……」


「っ……」


「……ごめん……」


「謝……ん、ないで……」


 トヨはその丸まった体勢のまま謝罪を行う。その真意を初めて確認できたことへの安堵か、サクは強張っていた表情を少し崩しながらしゃがみ、トヨの顔を覗き込む。


「だからせめて今だけは……サクのために何でもする」


「ふへっ!?」


 ドダッ


「何でも良い。少しでも気分を紛らわせるなら、俺は何でもする」


「え、ひぇ!? え、え、何、え、夢!?」


 するとトヨはパッと顔を上げ、目の前に迫っていたサクの顔を見つめた。突然目の前に現れた端麗な容姿に、サクは大きく仰け反り尻もちをついた。更に続く言葉とたおやかに迫るトヨに、サクはへたり込んだまま動揺する。


「ん! い、いやいやいや! 今でも十分ここころが軽くなってるから!」


「そ俺の行為は不十分で保守的で、足りないんだ! 事実、クフニウさんがさっき君を詰めていただろ!」


「ぁ……」


 トヨの目は本気だ。本当に自身の力不足を、この方法で補いたいと考えているのだろう。トヨは手を差し伸べた。

 サクから見える今のこの光景は、まるでトヨの背中に翼が生えているように見えている。全ての生物を慈しむ空想上の生き物として知られている天使のように見えている。


「分かった……分かったけど、せめて今はまだ考えさせて……」


「……ぁ……」


「それに……その、流石に、私程度の人にその、そ、そんな簡単に何でもとか、言わない方がいいよ……」


「……ありがとう……」


「……ぴゃ!?」


 サクはその手を取りゆっくりと立ち上がる。そしてすぐ、トヨと手を繋いでしまったことに気が付き、慌てて振り払うように手を離した。


「でも、サクだからここまで言えるんだ、ってのは分かって」


「……」


 流れるように、言葉を吐き出すトヨにサクは安堵以上の不安を感じたのだろうか、少し怪訝そうな顔をした。

 それもそうだろう。謝罪も、感謝も、自分がしなければならないのだから。何故受け入れる側になっているのか、不思議で堪らないのだろう。それでもサクはそれ以上は何も言わずその場に佇んだ。














「ん……」


「ぁ。おはよう」


「ん」


 とある部屋の一室でトヨは目を覚ました。柔らかいベッドの上で、暖かな毛布に包まれている。そしてベッドのすぐ横には、


「サク……?」


「ぁ、えと、なんかトヨ君、が、変な人達抱えながら、空から降ってきて……」


「わぉ丁度良すぎる落下場所」


「俺達を変な人扱いすんじゃねぇ!」


 サクが立っていた。制服ではなく私服なのだろう。長袖のシャツと足首まで覆うパンツを履いている。

 この部屋に運び込む前に何が起きたのかを聞いたのだろうか、トケジロク達は床に座らせている。妥当だが待遇に差がありちょっとだけ可哀想。


「じゃあここは……」


「わ……たしの、家……」


「そっか……ありがとう」


「ひぁ! ぬ、わ、どろい!」


 態々運んでくれたということで、トヨはベッドから降りながらお礼を言う。が、サクはトヨから離れるように後退った。

 今更お礼の言葉一つでそんな動揺しなくても……いや、違う。これは動揺とは少し違う感情が大きく出ている。


「何で……そんな、逃げるみたいにしてるの……?」


「……」


「俺が唾棄されるべき存在だからかな」


「ぇ……」


 そう、恐怖だ。

 それに気が付いたのか、トヨは若干自虐じみた声を出した。そしてスマホをポケットから取り出し画面を確認した。その画面には「皆のクラスメイトのトヨ君に関するお知らせ」というタイトルのメールが届いたことを知らせていた。


「俺……別世界出身なんだ」


「……ぇ……え」


「ほら、一緒にいた二人。別世界人を狙ってやってきたみたいなんだ」


 何故突然、そんな理解できない暴露をしたのだろうか。隠し通せば良いものを、誤魔化せば良いものを、そんな諦めたようにか細い声を出して尚、味方を無くすようなことをしているのだろうか。

 サクは理解できないまま、動けず、掛ける言葉も思いつかず佇む。トヨに首だけで指し示された二人は目を逸らす。


「……こうやって拾ってくれたのは凄く嬉しい。ありがとう」


「ぁ……あ……」


 ここまで聞いてサクは漸く理解した。トヨが何をしようとしているのか、何を考えているのか。


「だから、ごめん。少し休んだら、すぐ行くよ」


「やめ、そんな、言わ……」


「いつもよりも震えた声。怖がってる証拠だ」


「ぁ……や……」


 手を伸ばす。目の前の人物は全く動いていないのに離れていってしまう、そんな感覚を味わう。

 声を上げる。目の前の人物は耳を傾けてくれているのに声が出ない、そんな不快感を味わう。

 それでも今ここでトヨに触れることができなかったら、二度と彼の姿を見ることはできないだろう。永遠に彼が孤独になってしまうだろう。


「無理させてごめん。すぐ出てくよ」


「じゃ、じゃあ今使う!」


「……ぇ……」


「っ!」


 だから咄嗟に叫んだ。目を伏せたトヨから一切目を逸らさず力強い視線と共に。


「あの時の! 私のために何でもする権利を! 今、ち、使う!」


「サク……?」


「わた、私み、たいな人間じゃ! 分不相応なのは分かってるから! それでも……!」


 絶対に使うまいと決めていたこの権利の使用を。


「行、かな、いで……! 離、れないで!」


「っ……」


 しかし命令ではなく懇願するように。サクの言葉を理解したのか、トヨは目を丸くしながらサクを見つめ返す。


「言ってる意味を理――


「分かってるよ!」


「ん……」


「言いたいことも! 今のトヨ君の気持ちも! 何で……私から距離を取ろうとしているのも……!」


 トヨはサクの言葉に、その誘惑にも思える懇願に迷いを示した。信じられないという、何故そんな可笑しなことをするのか理解できないといった様子で。


「何、かな、その目は……! 自分は、化け物の手を取って、無理矢理繋ぎ止めたくせに!」


「ぁ……」


「立場が逆になった途端に手を振り払おうとしないで……!」


 しかしサクはハッキリと。言葉に詰まりながらも単語一つ一つを力強く浴びせながら、遂に右手をトヨに伸ばした。そのバカげた行動にサクが真剣な考えだと漸く理解したのか、トヨはその手をじっと見つめる。


「……い、いい……のか……?」


「良いに、決まってる、じゃん!」


「ホントのホントのホントに、良いの……?」


「ぁ、ホント、早く掴んで、恥ずかしすぎて逃げ出したいから」


「……既に後ずさりしてるじゃん」


 そして全てを台無しにした。せっかくカッコよくトヨに手を差し伸べたというのに。

 しかしそれを見たトヨの表情は少し和らいだ。思い詰め、逃げ出そうとしたものではなくなり、今目の前で震えた声で自分と真摯に向き合おうとしてくれている人物と、向き合うように。


「ん」


「んひゃい!」


「天使……みたいだな、サクは」


「ぇ……」


 恐る恐る。しかし確実に、トヨはサクの手を、両手で、優しく掴んだ。


「あり……がとう、サク」


「ひゃよわわっわぁん!


「んぐ……ん……り、がとう……!」


 そして最後に、サクの奇声とトヨのサクに啜り泣く声が部屋中に響いた。

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