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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep01-02-07


   7


 控え室の芙実乃は、静かに気を失っていた。かろうじて聞き取れる吐息にこそ乱れはないが、こうなった状況も状況だし、バーナディルとしても高をくくるわけにはいかない。とはいえ、思考加速による疲労や目眩に気絶は、異世界人、現地人を問わず、多かれ少なかれ全員が経験する通過儀礼のようなものでもある。症例のデータにも事欠いていない。

 異世界人の場合の最悪は、転生直後までの記憶の喪失だ。景虎にはそれを正直に伝える。現地人なら出生か受精の直後まで記憶を喪失する、なんて補足はしない。興味はないだろうし、言い訳と取られるのも避けたかった。

 ただ、加速への適応を見せた芙実乃が、最悪に至るとは考えにくい。せいぜい、今朝目覚めてからの記憶を喪っている、くらいが喪失の最大幅になるのではないか。もっとも、この予測とて言い訳がましく、おいそれと口にできたものではなかったが。

「わたしと早急に打ち合わせを終える必要があると判断した者がいて、部屋が思考を補助するようにされました。菊井さんは完全にまきぞえです。健康面で後遺症の心配はありませんが、記憶のほうは先に説明した懸念を捨て切れません。申し訳ありませんでした」

「芙実乃に初日のあれを繰り返させるわけか……」

 景虎の声がいささか沈んでいる。バーナディルもそこで、弟を庇う芙実乃の姿が蘇えり、いたたまれない気持ちになる。景虎がそれを指摘してきた。

「今し方それに思い至られた様子。最悪ばかりを口にして、そうはならぬと思っていたのであろう。不誠実とは取らぬゆえ、それを話されよ」

 バーナディルは頷いた。

「最悪に至るケースは、よほど適性のない人間でも、限りなく稀にしか起こりません。菊井さんは並外れた適応力を顕わしていましたし、そこまでのことにはならないというのが、科学者としての見解です。ただ、過負荷だったというのは、意識を失われている現状が、何よりも物語っています。担任として予断は許されません」

 今度こそ、バーナディルは確度の高い予想を口にする。景虎はそれを、ごくありふれた気絶と変わりない、という理解の仕方をした。言われてみればそのとおりだった。

「して、芙実乃が目を覚ますまでここで待つか、場所を移されるのか、どうされたい?」

 景虎の問いに、バーナディルは考え込んだ。中継を切っているせいで、入学式の進行具合はわからなくなっている。新入生たちはおそらく、担任ごとに順次居住区に引率され、開放という運びになるだろう。が、そうするに当たっての事前説明も、学校側として行わなくてはならなくなっているはず。つまり予定外の段取りと、迂遠な終了手順が発生したわけだ。

 ならば、今のうちに景虎と芙実乃は部屋に戻してしまう、というのも一案ではある。しかしそれを無断で行うとなると、ごたついているであろう職員や警備の人間に見咎められ、思わぬ事態を引き起こす危険がなきにしもあらずだ。上とは連絡を密にしておく必要があった。

 バーナディルは、景虎と芙実乃は引率せずに帰したい旨と、自クラスの開放順を最後にし、その居住区から離れているほうからクラスを解放するよう、上に希望を申請しておく。

 そもそもバーナディルは、自クラスの解放が最後になると予想している。最初、という可能性もなくはないが、その場合は最終組への変更を要請すればいいのだし、譲らない姿勢を見せれば、無駄に時間を浪費したくない学校側も折れてくれる、とも。

 学校側がそのスケジュールで動いてくれるなら、景虎と芙実乃を二人だけで部屋に帰しても問題は起こらない。想定どおり、申請は認められた。ただしクラスの解放は、会場の出口に近い順に四クラスずつで行うとのこと。経路を調整し、景虎たちを含めた五集団が顔を合わせないタイミングを見計らって、連絡を寄こすと言ってきた。

「お二人にはこのまま部屋に戻ってもらうことになりますが、通路の混雑を避けるために、ここを出るタイミングは、連絡を待たなければならなくなりました」

「それまでに芙実乃が目を覚ましておらぬ時はいかに?」

「――寝かせたまま椅子ごと部屋に連れて行きましょう。覚醒したらわたしに警告が入るようにしておきます。話してみて問題がないようなら柿崎さんにも知らせます」

「知らせというのなら、むしろ問題があった時であろう。そうでないのなら、芙実乃の好きにさせよ。わたしと同郷の女性なのだ。人死にの見物など正気の沙汰ではなかったろうからな。顔を合わせるのを怖がるやもしれぬ」

 景虎は芙実乃だけをまともな人間と思っているのかもしれない。学校側が彼にさせたことを考えれば、そう受け取られるのもやむを得ない側面がある。それに、パートナーだけを特別視するのは、異世界人にありがちな心理状態らしい。

 しかし、そういう言動を繰り返すと、不利益をこうむるのはむしろ景虎や芙実乃なのだ。見苦しく思われようと、立場上、バーナディルは反論しておかねばならなかった。

「柿崎さん。ステージでも述べましたが、わたしどもは、その、あれを殺人ショーとして観覧するようなつもりではなかったのです」

「ああ、場所に細工をして、刀を切れなくしたのだったな」

「場所――とお気づきでしたか?」

「部屋では切れていたのでな」

「部屋で? 着衣のどこかで試されましたか?」

 景虎に支給したのは、剣以外だと着衣に類する物だけだ。物品を購入した形跡はないし、別の物とするならあとは食事くらいか。しかし景虎の答えはバーナディルの想像の上を行った。

「――ご自身の耳で試し切りを――いつのことで?」

「自室に入ってからだ。あの日は刀に案内されて部屋に着いたし、何もせずともオブジェクトから出せたのでな」

 送り先が景虎の自室だったこともあり、初日には鍵も設定せずに景虎自身に送らせた。つまり、景虎は一人になった途端に耳を切って、武器の切れ味を確かめていたことになる。行動からして他の生徒とは一線を画している、と思い知らされた気分だった。

「それで細工は剣でなく、場所だと気づかれましたか。最初の攻撃でですか?」

「いや、その時点ではほぼというところだ。相手の頑丈さは銀色の女性も口にしていたしな。それで目を貫き、頭の中を掻き回そうと思った。それができなかったところで確信した」

 目玉まで頑丈には鍛えられない、という見解か。バーナディルは呼吸を整えて、核心を突く覚悟を決める。景虎から正気が疑われるような答えが返ってきても口外するつもりはないが、担任としては彼の真意を確かめないわけにもいかない。

「柿崎さんは、切れるとわかっていて、タフィ担任の首を刎ねられましたか?」

「然り」

「…………理由をお訊きしても?」

「強いて挙げるなら、手を抜くわけにもいかぬから――か」

「真剣に戦うように、わたしが再三申し上げたからですか?」

「ふむ。そなたにははぐらかされたままであるが、問うているわたし自身が誠をはぐらかしては、それをうやむやにしておく口実となるのであろうな」

 棚上げになっていた監督権の行使について、景虎が見定めるような目を向けてくる。バーナディルとしては、しないという確約も、するという宣言も、避けたいところだ。景虎はそれを承知の上で不義理を自覚させ、後ろめたさを抱えさせるつもりなのだろう。表面上は優しげにしか見えないが、バーナディルを追い込むように、真意を語る。

「わたしはそなたに従っているつもりはない。許容できる要請を気分で受けるか決めているだけだ。手を抜かぬとの想いの中にあるのは、照覧させている毘沙門天と、せいぜいが立ち合いの相手だったバダバダルに対してで、そなたの言葉など欠片ほどもないのだ。そういうことにしておきたい、そなたの腐心がわたしや芙実乃のためであろうことは理解するし、謝意もある。が、それが心外であることにも留意されたい」

 これはおそらく、戦いに際しての姿勢の問題だ。神聖視、あるいは信仰観に踏み入るような案件でもあった。それに激昂せず、こちらの事情を鑑みた謝意まで示してくれるのだから、景虎が暴力に訴えることを安易に是とする人間でない証左とも言える。

「わたし自身が誤解しないのであれば、世間からの誤解は許容していただける、という理解でよろしいでしょうか?」

「それでよい」

「承知しました。ただ、いささか、神に見せたいという理由でタフィ担任の首を刎ねられたというのが、柿崎さんの行動としては性急という印象を受けてしまいます。そこに至る価値観を教えてはいただけませんか?」

「ふむ。つまり、だ。毘沙門天という戦の神に、わたしは幼子の加護を願い、その願いへの捧げ物として戦いを献上すると誓った。それが蓋を開けてみればあの体たらく。その上、死人を蘇えらす敵方の者を放置したとあっては、怠惰との謗りを受けても申し開きできまい。そういうつもりで臨んだ戦いでなければ、蘇えったやつといくらでも戦ってやってよかったのだが、あの場で許容できたのは、せいぜいが遺骸に泣き縋るくらいまで」

 だから蘇生を開始させなかった。景虎としてはぎりぎりまで猶予を与えていた。蘇生についての誤解もあるにはあるが、それはその前の接触に起因する。タフィール自身が、即座に蘇生できて、それを実証しているという趣旨の発言をしてしまっている。この経緯は、学内や政府内だけに止まらず、一般にさえある程度許容され得ると思う。

 景虎の信条が突飛とまでは言えなかったことに、バーナディルは安堵を覚えた。回復役を優先して無力化する、という戦術を景虎が知っていたはずもないが、戦場においての最適解には違いない。この論理を盾にすれば、景虎への風当たりをさらに弱められるはずだ。

「納得いたしました。では、その、剣を洗ったのはどう解釈すれば……」

「刀とはそもそも血を吸わせるのが正しい。息の根を止めるため……、いや、勝手の違う使い方をして、汚れていたからな。正しく使ったついでに、正しい姿に戻そうというくらいか」

 本当につい洗っただけだった。美意識の問題だとすれば、それはもう個々人の価値観に委ねられる。ささいな手の汚れなど気にしない者もいれば、拭いたり洗ったりしなければ気の済まない者もいるだろう。ただ、感覚の話となると理解に苦しむ者を納得させるのは難しい。

 しかし、おそらく景虎にとっての剣は、神経すらも通った身体の延長のようなものなのだ。少なくとも、見せたかったわけでないのははっきりしている。芙実乃に怖がられるのを忌避してはいないようだが、無用に怖がらせようとするはずもない。バーナディルよりも先にそれに思い至るくらい、景虎は芙実乃を慮っている。

「かろうじて理解はしますが、万人が共感しないだろうと思っていただければ幸いです」

 景虎は興味なさげに頷いた。芙実乃に対する以下の気持ちで、配慮するようなことでもないと思っているのだろう。強く要請すべきか。だが、蘇生のない世界でですら人の命を断てる景虎に、蘇生のある世界での命の大切さを説くなど、滑稽過ぎてまるで道化だ。バーナディルが決めきれないでいると、上から指示が入った。退室時間の指定だ。タイムスケジュールをリンクさせて、芙実乃のオブジェクトが自動で動きだすよう設定する。

「柿崎さん。控え室を出る際には、剣をこちらでお預かりしても?」

「致し方あるまいな。脇差とともに届くというなら、砥石やらも頼みたいところだが」

「…………砥石、とは、どのような用途の品を指しているのでしょうか?」

「刀の手入れに必要な物だ。名のとおり砥ぐための石だな」

「…………砥ぐ……と、形が変わってしまうのではありませんか?」

 バーナディルは、見解の相違が著しいのだと承知していたが、浮かんだ疑問をそのまま口にした。会話を重ねることで、言語感覚を通じてイメージが補完し合えるはずだ。

「厳密なことを言いだすと、確かに磨り減ってしまうのやもしれぬな。だが、妙な感触の肉を切れぬままなぞり、骨も断ったのだ。鈍った刃先を整えぬわけにもいかぬ」

 景虎の回答で、どういう行為をしたいのかはさておいて、どういう結果を求めているのかは推察できた。折れない曲がらない凹まないの加工を拒まれた最初のケースだから、武器の損耗を気にされるなど、思いもよらなかったのだ。

 バーナディルは、言外に承るような気持ちで言った。

「切れ味が落ちている、というご心配でしたら、何もせずとも時間が経てば、最初の形に戻ることになるはずです」

「…………何?」

 だがしかし、思わずもれたのであろうその声は、かつてないほど明瞭に不機嫌さを内包していた。ごくり、と息を呑む。わけがわからない。あれほど変化を拒んでおきながら、元に戻ることを喜ぶどころか疎むなど、バーナディルにしてみれば自家撞着が過ぎる。

「気に障ることを申したのであれば謝罪します。それと、可能な限りご要望には応じる所存ですが、柿崎さんがどのような状態をお望みなのか、わたしには察せられないようです」

 景虎は浅く息を整え、平穏な口調を取り戻して言った。

「手入れは自分でしたい。刀が勝手に元に戻るというのは好かぬのだ。そうならぬようにしておいてくれぬか」

 腰から外した剣を、鞘ごと渡される。受け取って、バーナディルは考えてしまう。そういった物を作るシステムなど、果たして存在するのだろうか。難しいと思う。硬質化なら付加するだけだが、復元性を抜くというのは、基本構造の根本的な見直しになるからだ。

 恐る恐る、バーナディルは伺いを立てる。

「検討しますが、月一戦の初戦にも間に合わない可能性が高いと思われます」

「今日の鍛錬どころではない、と?」

「そうなります。とりあえずの鍛錬用として、今日のところはこのまま部屋に送りますか?」

 景虎は頷いた。そうは見えなかったが、苦々しさを噛み殺しているのかもしれない。

 バーナディルは景虎の気分を害したまま帰すことに一抹の不安を覚え、あまり時間が残されていないと知りながらも、長い疑問を繰り出していた。

「柿崎さんはその、わたしのような科学畑の人間から見ても、極めつけの戦士に見えます。技量は言うに及ばず、判断力や思考力など、そういう諸々を含めたすべてにおいて。ですから、本当はわかっているはずです。壊れない武器、刃毀れしない武器の有用性を。なのに、なぜ。なぜそれを求められないのですか? 先程の話を聞くまで、思わず洗ってしまうくらいには、この剣をお気に召していたと思われるのですが」

 バーナディルが言い終えたその直後、懸念していた制限時間が丁度に来てしまったようだ。芙実乃を乗せたオブジェクトが出口へと向かいだす。景虎はそれに手を添えて続くと、こちらを振り向きもせずに、疑問に対する端的な答えをつぶやいて残してくれた。

「折れぬ刀を恃むは小心が過ぎよう。折れる刀を折らぬよう振るのが侍だ」

「サムライ……」

 認識される意味では戦士、としか訳されないその言葉を、バーナディルは残響をなぞり口にした。これまで迎えられた数多の異世界人たち。彼らは例外なく武器の高性能化を受け入れ、おそらくだが万能感に酔いしれていた。侍とは、そういう凡百の世界を代表する戦士たちとは一線を画す、いわば精神性を尊んだ者の称号なのだ。

 背中を向け、行く景虎と芙実乃。

 それに届かない小声で、バーナディルは述懐する。

「わたしたち……、いや、彼女は。初めて何かの本物をこちらへ招き入れてしまった」

 異世界軍学校に、刀を振るう侍を。

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