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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep01-02-05


   5


 静寂。

 その作られた静寂をただ一人破っているのは、可愛らしい音の拍手を送る、控え室の芙実乃だけだった。芙実乃からすれば、誰も傷つかず死ぬこともない試合で、景虎が圧勝しているのだから、その反応で間違いはない。

 だが、会場にいる力場のことを知らない生徒たちからしたら、どうなのだろう。あの試合の結果、動かないバダバダルを見て、想像するのはただ一つ。死。なのではあるまいか。それだけはない、と知っているはずのバーナディルでさえ、打ち消すのに必死なくらいなのだから。

 きっと、バダバダルは気を失っているだけ。剣で気道を塞ぎきる、なんてこと、できるはずがない。隙間を作ることなく塞ぐということは、角度もぴったりと合わせる必要もある。喉の肉を撓ませて内側に押し込み、気道を狭くして余りある肉に押し付けたからといって、そんな真似、剣が身体の延長として、神経が通っているとかの空想じみた比喩ではあるまいに。だが再現率がそれを示して。

 バーナディルが思考に逃げているあいだ、画面の奥では、タフィールが向こうの控え室から飛び出して来て、中に入れろと言わんばかりに、ステージの境界を叩きだしていた。

 景虎もそれは視界に入っているはずだが、ナビを操作するコンソールを出そうとしているらしく、見ていない。あれは、自室や公共施設、それにビジターに一定のリソースを割り当てている場所でだけ操作できる。試合中のステージでは、もちろん禁止にされていた。

 景虎は諦めたのか、コンソールを出すそぶりをやめた。剣を床で擦らぬ程度に腕を下ろし、こちらの控え室に足を進めだす。試合の予定時間がまだ残っているから出られないはずだが、後ろのタフィールが上を説得したらしく、境界を通り抜けてバダバダルに駆け寄った。

 タフィールはバダバダルの横に跪くと、コンソールを出した。その際に、通話中を通知する緑の光が消えた。話し声がもれ聞こえてくる。おそらく話し相手が、コンソールを通じたデータ送受信がリンクした段階で、通話を切ってしまったのだろう。そちらでも会話は成立するし、画面と耳元の両方から同じ音声が聞こえるのを嫌う者は結構いる。

 バーナディルが見ているのは、公式映像だ。中断はされておらず、正面からのタフィールとその声を流し続けていた。

 映像の端にいる景虎に目を向けると、景虎が声に反応して身体ごと振り返っていた。背中を追う映像のほうで確認すると、景虎の陰になって隠れているのはタフィールではなく、少しだけずれている。つまり、景虎が見ているのは、その少し横に出現しているコンソールだろう。決着後もずっとコンソールを出そうとしていたし、よほど気になっているのかもしれない。タフィールのコンソールを俯瞰しようと、わざわざ引き返したくらいだ。

 タフィールは急いているのだろう。普段とは別人のように、真剣で早口だった。

「心臓と口の位置情報取得。対象の胸筋が厚いため、外部からの振動が拡散するとの警告、振動を通すため力場の解除が推奨されています。解除を申請します。気道確保後、空気の注入、心臓への振動付加をローテーションで。全行程のオブジェクト準備、整いました」

「会場の全力場、解除されました」

「これより、姓略バダバダルの蘇生作業に入りま――」

 その言葉を言い終えることなく、タフィールの首は刎ねられた。

 ゆっくりとしたシュルルルキリリシュルンという、柔らかな音に交じる高めで硬い音の残響が、静寂の中で波紋を広げる。髪を切り揃えられた首は、疑問符が附加された声になる前の声を微かに零し、回りながら放物線を描いて落下。切断面を床に吸着させると、粘り赤い移動の痕跡を横に引きながら、全方位を眺め回すかのようにくるん、すーっと滑って停止した。

 きのこ、という芙実乃の意味不明なつぶやきが、バーナディルの耳にこびりついた。

 会場は絶叫の渦、には包まれなかった。

 床から生えたようなタフィールの首。首がなくなってしまったタフィールの身体。横たわるバダバダルの遺骸。動くことのないそれらより、目を惹かざるを得ない者が、そのステージの上にいたからだ。

 柿崎景虎。

 戦神が己が継子に切望するであろう、美神の愛し子。

 景虎の行為を理解しようと、誰もが固唾を呑んで見守っていた。バーナディルの見間違えでなければ、景虎はタフィールの首が繋がっていた部分に剣をなすりつけ、刀身に血を塗れさせていることになる。華の蕾のような、麗しい色の唇を微笑みの形に綻ばせながら。

 バーナディルは、震えが止められない。歯の根も合わせられない。それは会場の観客たちも同様らしい。我も我もと演奏に加わって、打楽器のみのオーケストラを成立させていく。

 例外は芙実乃だけ。

 どうということのない日常会話のような口調で、タフィールの首を指しながら訊ねてくる。

「あれは、乗せればまたくっついて、喋りだすわけですよね?」

「――ええ。まったく。そのとおりです」

 支えていたはずの芙実乃を支えにして、バーナディルは卒倒をまぬがれた。肩を強く掴んでしまっているが、特に反応はない。おそらく、感情、いや、感性のどこかを閉ざしている状態なのだろう。刺激してはいけない。バーナディルは手の力を緩めながら、その肩をさすった。

「じゃあ、やっぱり、あそこで真剣になって人を殺してくるように言われてた景虎くんは、何一つ間違ってない、ここの人たちが望むとおりにしてあげてるだけなんですね?」

「その見解で、疑う余地もありません」

 検討もせず即答してみたものの、あまりの正しさに心が絶句しそうだった。

「まあ、生粋の下克上戦国人にとっては、簡単過ぎたかもですね」

「お見事でした。でも、それが、柿崎さんにとっては普通以下のこと。心得ておきます」

 生粋の下克上戦国人。芙実乃の中で、イメージと意味が凝縮したその単語は、バーナディルの脳ではこう理解されていた。

 無能で弱いあらゆる上役は容赦なく粛清する、血塗られた国獲り乱世の申し子。

「そうなんですよ。いまだって景虎くんは刀を洗ってるだけですもん。わたしのお母さんも、手すりについてた唾に触っちゃった時、公園の水飲み場で洗ってました。ほら、景虎くんの顔。蛇口を見てる感じじゃないですか。あの大きい人がべだべだにしちゃった刀が洗えて、ほっとしてる。わたしが服を洗ってあげた時に似てるかも」

 芙実乃がはたと気づいた、というしぐさで、顔を上げた。

「さっきのあれはお水を出そうとしてたんですね。でも出せなくて、汚いから刀も鞘にしまえなくて、帰って来ようとしてた。なのに……あのお喋りな人には出せてましたよね。やっぱり異世界人じゃないからですか?」

 くるりと振り返った芙実乃と目が合い、バーナディルの背筋に怖気が走った。この質問への回答は、細心の注意を払わなくてはならない。芙実乃がこの世界を憎むかどうかを決めかねない感じがする。言い回しで誤解を受けぬよう、バーナディルは慎重に喋った。

「――試合中は、ステージ上はもちろん、会場全体で個人のコンソール操作ができないようになっていました。現にタフィ担任も、試合中の状態が解除されるまで勝手にコンソールを出して、ステージを隔てる透明なオブジェクトを消せたりはできていません」

 芙実乃が、バーナディルの真意を確かめるように、じっと見つめてくる。逸らすわけにはいかない。が、心の弱さを消し去ったような瞳に、バーナディルは耐えられない。

 つい逸らしてしまう。

 ただ、そこには救いがあった。

 景虎が真紅を滴らせた剣を構えていたのだ。

 それを告げると、芙実乃はバーナディルから興味を失い、画面に釘づけとなった。

 華の顔を腕で隠す景虎。右手で柄の頭を握り、刀身を左側に垂らす。そんな構えから手首をそっと上げ、顔を覗かせる。閉じられた瞼。それが開かれた刹那、剣が一気に振り抜かれた。

 黒片と虹光が弧の形で見る者に焼きつく。白い床に、赤い花弁が帯状に撒かれる。まるで色の共演。なのに、そのカーテンコールは、刀身を確認して鞘に収めるだけ。だがそれは、白銀の光を操る、優美を極め尽くした剣舞であるかのようだった。

 にわか楽団員たちは音楽を失い、忘我して恍惚に酔いしれるしかない。

 バーナディルと芙実乃も、それになりかけていた。しかし、背後からの武骨な足音が、美しい沈黙の時間を奪った。二人が振り向き、時が止まる。

 否。脳への干渉だ。室内が脳処理の演算補助をするモードに入っていた。

 それをしたのは、足音の犯人でもある担任軍人、ホッコリン大尉。通路側から入ってすぐに起動させたのだろう。その手の銃口は、バーナディルに向けられていた。彼が意識で送った音声が、演算補助により聞き終えた状態となって認識される。

「あの生徒の監督権を寄こせ。バーナディル担任博士」

「何をするつもり、いや、それより、これは最高速だな。さっさと解除しろ! 完全未体験者が巻き込まれているぞ!」

 バーナディルは語気を荒げた。演算補助を受けると思考と感情が並列処理され、心から尊敬する相手でもなければ敬語は出づらい。言おうとしたことを敬語のフィルターに通さず、そのまま言ってしまう感じだ。元からそんな感じの人間だとあまり変わらないが、特に感情の種類によって、バーナディルはそれが顕著になる性質だった。

「余計な問答はいい。おまえが従わないなら、これで始末をつけるだけだ。未体験者とやらも開放できるし、むしろちょうどいいな?」

「待て! 生徒全員が見てる前で射殺するつもりか! 彼の担任はわたしだ。わたしが行く。そもそも、監督権の譲渡など、誰の許可で言ってきてる」

「殺人が起きてるんだ。緊急事態に許可など必要ない。責任だなんだは、終わってから軍にいくらでもしてくるといい」

「……中継が止まってなかったぞ。強行すると言うなら、わたしも処罰は辞さずに大尉の発言を放送局にリークする。中継もこのまま、彼と大尉の姿を流し続けるよう申請するが?」

「ノロマが。最初の殺人が起きた時点で止めていろ。だからタフィがあんな目に遭うんだ。俺がもっと早く監督権を譲渡されてたら、あんなことが起こる前にあいつを拘束できてたのに」

 バーナディルは、言語送信プロトコルにコンソール操作プロセスを流し、タフィールの、万人向けの公開情報を受け取り終えた。男性との交際歴なし。ホッコリンの一方的な恋愛感情をどうあげつらってやろうか考える。が、浮かばない。男女の機微など専門外だった。

 先を越される。

「お……ま……え……はっ……、わたっ……し、を、また、動かせ……なくした、ばかりでなく、景虎くんまで、動けなく、する、つもり、か……」

 芙実乃だった。

 信じられない。初めての場合、十倍程度の脳処理補助でも、ほとんどの者が何もできないで終わるのに。いや、確か芙実乃はプリント直後に認否の送信をしている。あの感覚が残っているなら、強制的に音声データ処理を受け、声を送るコツを掴んでしまう可能性も出てくるのか。バーナディルが思考で動揺を削り取っているうちに、ホッコリンが喋りだしてしまう。

「魔法使いが。どれだけ遅れた世界で育ったのやら。あんなに平然と殺人を犯して、ただで済むわけがないだろうが」

「やめろ、この子に話しかけるな!」

 バーナディルが割って入る。これだけ話しても一呼吸するほども経過してないのだから、変わっているはずないのだが、芙実乃の表情を見られないことが歯がゆかった。彼女には、前にいるホッコリンの苛立たしげな顔しか見ることができない。銃を向けて口を閉じてなおも言い募ってくる。バーナディルに続き芙実乃にまで口答えされて逆上しているようだ。

「死なせないようになってるステージで、安全に戦わせてやってるのに、本当に殺す馬鹿がいるか。檻に入れられて当然なんだよ」

「……勝手、な、ことを。わたしと、景虎くんを、こんな、とこに、連れて、きて。殺し、あえと、言って、おいて」

「恩知らずが。生き返らせてやったんだよ。おまえの故郷じゃ、おまえを土にするしかできないだろ。こっちは誰も、おまえの死に、関わっていない」

 ホッコリンはそこで一度言葉を止めたが、もし、ここに流れている時間が通常のものだったなら、彼は口を歪めて嘲弄していたのだろう。

「おまえを殺したのはおまえの弟だよ。おまえとおまえのいた世界にふさわしい、どうしようもない弟な」

 バーナディルは言葉にならないほどの怒りを覚えた。自分がホッコリンにしてやろうとしたことの、極致のような言葉で芙実乃を打ちすえたのだ。あの日、バーナディルが記録しておいた、芙実乃のプロフィールを参照して。

 もちろん、そんなものは芙実乃の精神にかかった苦痛に較ぶべきもない。

 熱が。憎悪が。伝わるはずのないそれらで、刻一刻と、空間が圧迫されてゆくようだ。

 錯覚……などではない。苦しくさえある。本当にどうなっているのか。呼吸を整えることもできないし、そもそもそれが必要なわけでもない。なのに苦しい。抗いようがない。苦悶の表情すら浮かべられない。そこでふと、バーナディルは脳をくすぐる記憶があることに気づいた。これとよく似た症状を、聞いた覚えがある。後ろの芙実乃から。まさか……。

 怒りや憎しみを送ろうとしている?

 元の世で経験した生々しい苦痛の記憶を、言語化を借りて受け取らせようとしているのか?

 ……もし、その着想が正しいのだとしたら、演算補助で思考や会話をしているだけの自分たちなど、この中で生きる術を体得している芙実乃からすれば、このシステムを使いこなせていないも同然の赤子に違いなかった。芙実乃は、ここで感情や知覚そのものを伝播してしまう類の資質を備えて転生してきたことになるのだ。

 菊井芙実乃は、身体を動かせない領域で、拡張した精神活動を行える人間。この瞬間世界初で確認された、現状で唯一人の支配者階級たりえる、優越種の少女なのだ。

 その結論に達したバーナディルは、ホッコリンに最高速の解除を急がせようとする。

 だがその前に、芙実乃に臨界を突破されてしまう。

 絶叫が放たれた。

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 なななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな

 うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう

 言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言言

 くくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく

 悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪

 をををををををををををををををををををををををををををををををををををををををを

 弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟弟」

 それは聞こえた、などという、なまやさしいものではなかった。

 感情の鋸で、言語中枢をぎたぎたに弄り挽かれる、絶え間のない蹂躙。

 バーナディルは、意識を手放させてくれるよう、何かに懇願する。

「そこまで」

 その声が聞こえた途端、バーナディルは左の手と膝を床につき、直後には眼前のホッコリンが棒きれのように倒れた。演算補助から解放されたのだ。

 後ろを見ると、芙実乃が宙に浮いている。オブジェクトに支えられては……いない。

「まさか魔法が発動してる?」

「正解。使ってるのはわたしだけど」

 芙実乃の口は動いてない。どう見ても意識を失っている。ならば、先程から会話している、少女らしき声の主は誰なのか。部屋を見回しても、四人目の姿はなかった。

 こんなことができる人物なんて……。

 バーナディルには、たった一人にしか思い至らない。

 史上六人目の異世界人。はじまりの魔女と語られるその人にしか。

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