情報付加価値産業社会とライトノベルとこれからの将来的世界について
今の世の中は、生きるだけなら一切の不自由が無い、一言に恵まれた世界である。
さらに言えば、恵まれた環境で生きることすら、比較的容易になっている。
だからか、更に恵まれた環境を創出すること、それが肝要になってきた。
昔は恐らく、歯車のようなマニュアル人間が尊ばれてきた。
低出力で低スペック、だけど精神的に安定している、思考停止している頑固で強情な親父のような奴。
だが、そういう奴らは既に、今の社会では不要、お払い箱、老害と呼ばれるに値するくらいだ。
これからの世界では、歯車に止まらない、自分一人で確かな価値を創造できる人間が尊ばれる。
つまり、高出力で高スペック、常に前進続ける、鍛錬と勉学を怠らず、新たな価値を創造する責任感を持つ。
そのようでなくては、これから加速する世界で、必要とされ続けるのは難しい。
なぜなら、時代の変化は昔と比べて遥かに早く、後発の人間は、先発よりも圧倒的に恵まれた文化を踏襲するからだ。
さて、ライトノベルは挿絵が重要なのは真理だ。
なぜなら、中身は最先端な新鋭的な内容でも、娯楽としては既存の作品群よりも面白い、とは必ずしもいえない。
だったらば、安価あるいは無料で閲覧できる、古典的または昔の作品を読めばいい、という事になる。
そこで、現代において価値ある情報、高品質な挿絵を付加すると、どうなるか?
それはもう、圧倒的に突き放す。
そもそも昔の作品など、所詮は今の作品の踏み台以上のモノにはならない。
真に昔の作品に価値があるのならば、それを各々の世代が無限にループしていれば済むのだから。
情報に付加価値を持たせる、それが現代産業でモノを売る常套手段である。
だから、付加価値を持たせられる、俗にインテリ、頭の回る奴らが必要なのだ。
個性個性言われるのも、それがゆえんだろう。
自分自身に、そのキャラに、個性という付加価値を持たせて、周りよりも光り輝く人間なのだから。
くわえて最近の格差社会の伸張も、それが原因である。
相対的に、情報に高次元に付加価値を持たせられる。
そういった知的エリート、上位の人間が力を発揮する産業に移行して、その重要度が上がったのだ。
ならば、相対的に下位中位の人間はいろいろな面で冷遇されるのは必然、上位の優遇の為に、である。
俯瞰してみると、社会的に重要度の下がった、知的劣悪者たちは、まるで上流階級を支えるかのようである。
これは最近の政治動向を見ても一目瞭然で、やってる事は大概”金持ちがさらに金持ちになる”政治だ。
逆に言えば、貧乏人がさらに貧乏になる政治、でもある。
しかし、これはこれでしょうがないとも言える面がある。
なぜなら、世界的なグローバルな競争に打ち勝つためである。
世界的な情報付加価値産業の競争において勝利を得るためには、知的エリートの質と量を増やすほか手はない。
この競争において、中産階級下流社会の出る幕は無いので、彼らを冷遇してでも、という話だろう。
なぜ、これほど競争に必死になるのか? 不思議に想うかもしれないが。
現状の日本は、ハッキリと世界的に見てジリ貧の様相を呈している。
人口減少、高齢化、将来的には圧倒的大多数の高齢者という、倫理的に切り捨てられない負債を背負った国、である。
確かに治安はよく、文化も程よい、いろいろな強みもある、だが、他国の成長もあなどれないのだ。
人口パワーや犠牲を厭わない成長主義、また新たな文化・技術の芽生えは色々な国で見られる。
それに文化などは、割とコピーが簡単だ、文化人の海外流入もある。
もちろん文化を受信する、需要者を啓蒙する必要があるので、一概ではないが。
とにかく、この競争に負ければ、日本などは今の経済力や地位を保てないのだ。
これから、更に格差は広まるか。
あるいは、上流階級は果てなく優遇されて。
それ以外は、均一に一定を下回らない並みレベルの生活を送る形になるか。
とかく、医療も娯楽も技術も、これから更に伸びるはずである。
それを伸ばすのは上位陣であり、将来的にも彼らを優遇しない事には、社会は最適に最高効率で回らない。
幸福の最大化を願うのは、常に上位20%くらいの恵まれた人間達である。
下位の80%、ただただ不幸の最小化を祈るものである。
しかし社会というのは本質的に、上位20%が実権を握るものだ。
なぜなら彼らこそが社会を引っ張り、下位の世界を支えている存在だからだ。
彼らの無上の欲望、幸福への渇望を満たすために、社会は在ると言っても良い。
これからの未来は、より混沌として、不条理と理不尽に溢れながらも、一切の不合理と不効率がなくなった。
歪みながらも歪みのない、秩序的な混沌状態、それが人の世に蔓延るだろう。




