エクストラシャペルン‐文学原理主義者とラノベ原理主義者の戦い
ありとあらゆる情報に、臨場感が足りない気がするのだ。
飛び出してくるような、そういう突き抜けて生き生きして、瑞々しくて、弾けるようなイメージの、アレがないのだよ。
超絶で超越的な二次元、あるいは三次元美少女のようなレベルの、柔肌のようなモノと同レベルの感じだね。
高次元ヴィジュアル映像世界観の、ハイレベルな領域における、特異点のようなモノが、最低そのレベルじゃないといけないよ。
某呪いのビデオ、のような、画面から飛び出して、現実に確実に絶対的に、致命的に、致命傷レベルで、
そういう感じのスケールの超越して突き抜けて超絶的な、そういう浸食力、それがないのだ、駄目なのだ、
侵食にして、浸蝕の侵蝕の神色だ、新色が欠けている、だ。
以上のような事を語ったのだ。
「はぁ、君の頭が可笑しい事を、わたしは知った、そう、ただそれだけだ」
「文学は、どれだけ素晴らしいんだ?」
「無限だ、文学は無限大に素晴らしい幻想世界なのだよ」
「それが答えか?」
「ああ、それが答えだ、真理だ、自覚し悟れよ若造よ」
「同年齢だろうが」
「文学に耽溺知ていれば良いのだ、文学だけが、この世界を唯一にして絶対にする、情報の神秘的なフィルターだからな」
「本当かよ」
「本当だ、文学は精神をビックバン、無限拡散させて、その後、一極に集中させるような、自我精神統一的な捗るような感じなの」
「お前、本当に文学ってのを分かっているのか、怪しくなってきたぞ、ファッション文学少女じゃないんだろうな?」
「なっ、なにをぉ!」
俺は文学を知らない、文学というモノを最も素晴らしい形で知りたい
「文学少女が、わたしのアイデンティティなのだ、チャーミングポイントで、君を惚れさせる唯一の手段だと思っている」
「やっぱりファッションじゃないのか?」
「わたしは、文学を極めた、生粋にして絶対の領域に存在する、イデア的な文学少女なのだ、ひれ伏せよ若造よ」
黒髪で、眼鏡をかけている、髪の毛は腰くらいまで長くて、三つ編み、である。
この条件を整えて、おまけに地味系だが超絶素材が美少女なのである。
そういう少女が「わたしは文学少女です」と、言う。
まあこれは、まあ無条件で認めてやって、信じてやって、錯覚させてくれるくらいの魔性の魔力があるんじゃないかね?
「わたしの名前は佳代だ、よろしく」
「ああ、そう、俺はタクミ、だ、よろしくね」
「うん、友達になろうね」
「まあ、いいんじゃないかぁ?」
正直、俺は文学と呼ばれるモノを知らない。
生粋のラノベ読みだと思っている、
唯一、まともに読んでいる文学っぽいモノだと、俺が思っているのは、新書の新進気鋭のあの人だ、そうあの人ね。
だから、ずっと文学というのは、どういうものか知らないで、今に至る。
だから、文学というのは、凄まじく深く、凄まじくスケールのデカいモノなんじゃないかって、そういう曖昧な期待がある。
さらに言えば、実は、文学色が濃厚だと言われる、ヴィジュアルノベルゲームやエロゲーなんかも、やったことがない。
俺は文学を知りたい。
文学というのは、ラノベと同レベルだと、考えるならば、世界観は二乗される、俺の世界だ。
ラノベはハッキリ言って、絶対の領域で確信が持てるレベルで、俺の中では価値がある。
特に、大長編、一シリーズで二十巻以上出てるようなタイプの、
どこから、大いなる圧力のような、大いなる力が働いて出てるとしか思えない、某ジャンプの大長編のような、
そういうタイプのラノベには、超大作が多く、俺の根幹を成す世界観だ、
そして、それらを補完する形で、他の作品群がある、という、こういうイメージが分かり良いだろう。
つまり、ラノベ業界という、全体像的な構造で、俺の世界観は成っている。
もちろん漫画なども含まれるが、やはり最も汎用性の高い、他に伝播して接続し易い情報媒体である小説が基幹だろう、のは異論がない。
さて、今さら文学的な世界の構造を、持てるだろうか?
文学とは、第一に俺が定義する範囲でだが、必要要件がある。
メディアミックスを一切考えないのである。
漫画にしたり、アニメにしたり、そういう商法とは隔絶して、
そもそも、そういう媒体を全く、絶対的に知らないかのような、情報の創造が、その過程が必須なのだろうと、
なんとなく思う。
小説を書く上で、この場面は、この展開は、漫画やアニメにしたら、と想像力を働かせて書くと、楽しいだろうが、
そういう事を一切しないで、文学的な世界観のみで、情報を創造するのである、つまり。
さらに言えば、
文学という、固有の世界の情報以外を、意図的に入れない事である。
文学というイメージの枠に収まる範囲内、無限大に想像力を働かせながらも、
意図的に、文学以外の世界観のようなモノを、徹底的に排除するような傾向が望ましいような、気がする。
例えば、文学っぽくないモノ、それを徹底的に排除する事によって、それのみで生まれるモノが、文学なのだろうと。
さて、こう考えると、文学の正体が見えてくる。
そう、文学とは、俺の持っていない世界だ。
文学とは、新しい領域の、完全に俺にとって、想像の世界の、幻想的な世界に踏み込む為の、方法論的なアレなのである。
一般的に言えば、文学に終わりはない。
文学など、存在しないのだから、終わりがないのだ。
文学っぽいモノを創造する、ただそれだけの、幻想を追い求めるだけなのだから。
だれも、本当の文学など、知っているとは思えない。
ラノベっぽいモノ、と、こう考えて頂ければ、大変分かり易いだろう。
だれも、本当のラノベっぽいモノなど、知るはずもない、誰も知らないモノを、創造するのが楽しいのだろうよ。
さて文学だ。
文学ってなんだ?
意味が分からないのだが。
ならば、その意味と、真価がわかるまで、探求してみれば良いではないか?
俺はその為に存在する、その為に生れてきたような、気がする。
てかさ、詰らない小説が多すぎるんだよね。
こんなに多くの、多彩で高次元な娯楽媒体が溢れているのに、なんで面白い小説程度が書けないの、馬鹿だろってね。
てか、そもそも他に選択肢が多いのに、面白くない小説を書いてるって愚かを晒してる奴が多すぎるのが笑えるの。
面白い小説が書けないなら、インプットをまず、しろって言いたいね、
神のように素晴らしい素敵な、漫画、小説、アニメ、エロゲー、いっぱい一杯、現世には溢れているだろうが、ってね。




