小説創作について‐エッセイ的な読み物、記憶の最適整理整頓みたいな記述独白メモ
初めて小説を書いた時、あの溢れるような情報の出力奔流は忘れられない。
あのとき、あの瞬間は、自分が世界の、掛け値なしに中心点、
存在比率的に言うなら、神のような存在に至った気すらした、
というのは大袈裟かもしれない、過去が美化されている気もする、
とかく、情報処理、演算、等々が、小説を描くのに最適化されていた、研ぎ澄まされていたのだろう。
あの感覚を模倣するのが、後の人生の全てになるのかもしれない、
模倣するなら、あのときの心境を明確に覚えておく必要があるだろう。
記憶というのは、酷く曖昧で忘れやすい、という原則がある。
およそ心境を最大限記録しようと、言語で保存しても、かなりの率でオリジナルを保持するのは難しい。
それでも、ある程度は忘却率を低められる気も、しないでないので、メモしておく。
あのときは、小説という、物語を言語で作る、初めてだった。
前人未到の、未知の領域だったのだ。
だから、一番、良いものが書けたのかもしれない、個人的には、あれ以上が無いのだから、しょうかたない。
今現在までで、初めて書いた以上の小説がない、
もっと分かり易く例えるなら、初体験以上の、小説執筆経験が無いのだ、
これは問題だ、常に自己ベスト、全盛期を更新し続けるような、そういうのが理想だからだ。
確かにで言えば、アレ以上の物語は、なんとかして作れるだろう、
だが、ここで問題なのは、
自分は、単位時間当たりに、創造した、できた情報にしか、本質的に価値を見出さない。
ということ、
例えば、情報に価値を設定したとき、それを時間で割るという、計算方式だ、
言うならば、
即興で短時間で書いた小説は、情報価値を時間で割ったとき、本質的な情報価値が高く、
逆に、プロットを練りに練って、長時間で書いた小説は、情報価値を膨大な時間で割ったとき、
本質的な情報価値が、余りにも低廉になってしまうのだ。
人は誰でも、面白い小説が書ける、これは真実だ、真理ともいえる。
それは、人生でも例えられるだろう。
だが、誰でも、面白い物語小説を、短時間で大量に生み出す、
あるいは、超面白い物語を小説を創作することは、絶対に出来ない、
なぜなら、それには実力と能力とか知識とか、根本的なステータスが絶対必須だからだ。
奇跡は、起こそうと思って起こせるものではないからだ、
奇跡は起こらないから奇跡、
奇跡を連発できる存在がいるなら、
その存在は、客観的に見て、奇跡を連発できるほど相対的な実力が飛びぬけた、凄い存在、上位者なのだ、
と、語ったところで、なにが言いたいか、というと、
自分は、これになりたいのだ、
面白い小説を作れるようなりたいし、本質的な情報価値の高い物語を創作できるようなりたいのだ、
これは二律背反する、
面白い小説を作って社会貢献する、のと、能力向上に特化した小説を作るのは、だ。
なぜなら、
ボランティアのように、面白い小説を作るには、投資する必要があるのだ、いろいろと、
だが、自己啓発的に物語を作るなら、それは、まったく読者を楽しませるようなモノには、なり難い。
真に天才で上位者ならば、それを克服できるかもしれないが、自分はまだ至っていない、その段階まで、
これから至るつもりだが、死ぬまで至れないかもしれない、
話が逸れたが、
真に自己啓発的な内容で、且つ、真に社会貢献もできる、そのように物語を作る創作者が理想なのだ。
完全趣味でやってるのに、それが読者を満足させられる領域に達している、という、
酷く一般化、あるいは、己の天才性を、大衆受けする、分かり易い内容に落とし込む技術が必要になるだろう。
それは既に、もう一種の才能や能力に比類する。
天才なのに凡人と同様の感性が、客観的に、あるように見えるのだ。
常人離れした魅力があるのに、親しみやすさも同居するなど、およそ不可能を成し遂げるに値する。
それが、物語小説には絶対必須なのだから。
カリスマ性が溢れているのに、どこか、十二分な親しみやすさも感じられる、
これは芸能人を見れば、某福山さんくらいしか、おられないのでは?
それだけ希少価値の高い真価なのである。
これを意識して、創作すると、果たしてよいのかもしれない。
真に価値ある情報とは何か、を考えるとき、とても参考になる、
意識するだけで、世界が、情報創作創造までの全工程作業のが、違って見えるレベル、かもしれないのだから、
魅力と、親しみやすさ、これが相反するモノと、あるいは背反し易いと、第一に意識しておくべき、
それを超越して、魅力と親近の同化、それを念頭に描くのだ、
これが、己に足りない一だったのかもしれないと、そう想う、
シャルロットという、キャラクターを引き合いに出してみよう、
彼女は、魅力的には最強レベルの、魅力先行、というより、魅力が爆縮しているようなキャラだ、
この彼女に、親近感を持たせる、という発想で、上記テクニックを実践してみたいと思う。
思ったのだが、既にやっていたようだ、
彼女は、基本的に、恋人キャラだ、
こんな子を、恋人という、馴れ馴れしく、親近感を持たせられるポジションに、既に置いていた、
ならば、ただただ、作者が魅力と親近感の同居のような技術、テクニックが劣っていたと、そう見る他無い、 ここから導き出されるのは、
魅力やカリスマ性、それと大衆化一般化、親近感の表出、演出、描き方を意識して鍛える、である
これからも、自分はよりよく、言語だけで何か、確かな価値を創作してみたいと想う、
おそらく、これは一生を持って、楽しめる暇つぶしだと思うから。




