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第1話 兵器王の次男

 四月の風に刷りたての号外が舞っていた。

 建ちかけのビルの足場から降ってくる鉄の粉と一緒に、紙が顔に貼りついてくる。


 それを払いのけながら、僕は買ったばかりの赤いオープンカーで港のほうへのんびりと車を流していた。


 昼の日中だ。

 工員は工場に、勤め人は銀行の窓口にいる時間にこうして車を流していられるのが、新聞に兵器王と書かれる男の次男というものだ。


 生まれ変わる前の世界では、平日の昼間に若い男がぶらぶらしていれば、それだけで白い目で見られたものだ。


 最高すぎる。


 川向こうから正午のサイレンが鳴り出した。

 造兵廠に製鋼所に自動車工場。うちの工場の笛が少しずつずれて重なり、通りの窓硝子をびりびりと震わせる。


 この街では昼飯の時間までうちの工場が決めるのだ。


 そう思うと、耳の痛いあの音も悪くない。


「号外、号外! 株がまた最高値だよ! ケスラーもアッシュクロフトも前場で新値! この好景気は十年続くってさ!」


 交差点の角で鳥打帽《ハンチング》をかぶった新聞売りの少年が、サイレンに負けじと声を枯らしていた。

 足元に積まれた号外を勤め人らしい男たちが一部ずつ引き抜いては、その場で株式欄に目を落とす。


 誰も顔を上げないのは上げる必要が無いからだ。


 昨日も最高値で一昨日も最高値だったのだから、今日も最高値に決まっている。


「おい、一部くれ! 株式欄の厚いやつな」


「毎度! 一ダルだよ、坊ちゃん!」


 車の外へ五ダル硬貨を放ってやる。

 少年は道に跳ねた硬貨を犬のような素早さで拾い、号外を一部助手席へ投げ込んでから帽子を取って大げさに頭を下げた。


 昼飯一回分にも足りない額なのに、一日分の稼ぎを拾ったような顔をする。


 いいことをした気分だ。これだから小銭を撒くのはやめられない。

 小銭で人が喜ぶなら、徳とやらも積めて寿命も少しは延びるかもしれない。神様は信じていないが、保険と思えば安いものだ。


 助手席から呆れた声がした。


「レオン、それ五倍払ってる。そういうのを毎日やってると、そのうち新聞売りが車の前に飛び出してくるようになるよ」


 助手席のトビーが投げ込まれた号外を膝の上で広げながら、目も上げずに小言を言う。


 ひょろりと背の高い、鼻の上にそばかすの散った男で、僕より一つ下の十八だ。


 トビーは社内券の両替屋の倅である。


 父の会社は工員の給料の一部を、会社の店でしか使えない社内券で払う。

 それを割り引いて現金に替える店が工員の町には何軒もあり、トビーの父親の店もその一つだった。


 そのせいか、数字のことになると急に年寄りじみた口を利く。

 僕の株の注文を株屋に取り次いでいるのもこの男だ。


「釣りなんか取っておけばいいんだよ。小銭を拾うほうが面倒だろ?」


「そういうとこだよ、ほんと。……そういやさ、駐車場とか保険とか割賦(分割払い)とか、あれ、ちゃんと儲かってるの? レオン、月末に番頭から控えを一枚もらってるだけで、何にもしてないじゃん」


 トビーが号外の陰から、好奇心半分やっかみ半分の目でこちらを見る。


「まあ儲かってるよ。細かいことは番頭に任せてるから知らないけど、口座の数字が毎月増えてる。車が割賦(分割払い)で売れれば、停める所もぶつけたときの金も要るだろ。そういうことさ」


 分かる大人を雇って分からないまま上がりを受け取るのが、金持ちの次男の商売というものだ。


 幸い、前世の記憶があるのでアイデアはある。僕がやるのはアイデアと金を出すことだ。楽でいい。


 アッシュクロフトの家を継ぐのは出来のいい兄と決まっていて、次男の僕に何かを期待している者は、屋敷の中にも外にも一人もいない。

 期待されない代わりに小遣いだけはたっぷりと貰えるし、自由だ。


 気にはしていない。


 ……ほんとうに、していない。


 父から貰っている小遣いは、工場の工員の給料のざっと百人分だ。

 それだけあれば普通は余るのだろうが、困ったことに僕の場合は余らない。


 車を買い、女に毛皮を買い、取り巻きに奢る。

 何より、後ろの座席に座らせている娘の体にとんでもない額の金がかかる。足りない分は、こういう小さな商売と株で埋めているのだ。


「それより、僕の株はいくら上がった? 早く読めよ」


 トビーはまた呆れた顔をしかけてすぐにやめた。株の話になるとこの男は機嫌が直る。

 号外を膝の上でばさりと広げ直すと、株式欄の細かい数字を指でなぞりながら、嬉しそうに読み上げ始めた。


「ヴァイス研究所が二ポイント、ハーグレイヴが一ポイント半。アッシュクロフトは二ポイント半だけど、レオンは持ってないもんね。……ケスラーは三ポイント。先週売っちゃったやつだ」


 ケスラー、と聞いた途端にハンドルを握る指に勝手に力がこもる。

 前の車との間が少しだけ詰まった。


 ああ、面白くない。


 僕は何でもない顔で通りの飾り窓に目をやる。


「売った後に上がるのは、相場の決まりみたいなものだよ」


「そう言うと思った。顔は悔しそうだけど」


「そんな顔してない!」


「してるよ。レオン、ケスラーって聞くと、いつもそういう顔するもん。眉のとこがこう、ちょっとだけ寄るんだ」


 トビーは自分の眉間を指でつまんで寄せてみせた。


「株のせいだけじゃないよね、それ。……あそこ、レオンのお兄さんの会社の商売敵だし。それにほら、フレッドが言ってたけど、あそこのお嬢さんにも、首都の集まりで――」


「トビー」


「はいはい。黙ります」


 トビーは少しも懲りていない顔で、号外の陰に首を引っ込めた。

 僕は詰まりかけた前の車との間を黙って開け直す。


 この男は株の数字と同じくらい、人の顔色を読むのがうまい。


 うますぎて時々うっとうしい。


「……でもさ、なんでケスラーを売って、ヴァイスなんか買ったの? みんなケスラーを買ってるのに」


「新しい薬を当てた会社の株は、当てたって噂が立ったときに買って、新聞の一面に載ったときに売るんだよ。ケスラーの若返りの薬は、もう一面に載った。ヴァイスの新しい抑え薬(サプレッサー)(体を生体部品(バイオウェア)に換装(グラフト)した連中が、一生打ち続ける薬)はまだ噂だ。それにみんなが同じ株に熱狂してる相場は、いつか必ず崩れる。崩れる前に降りるのが利口ってもんさ」


「それ、どこで習ったの」


「どこだったかな。酒の席で誰かが得意げに話してたんだよ」


 嘘ではない。前の世界のどこかの酒の席の話だ。

 トビーは感心したような疑うような顔で、鼻の上のそばかすを掻いた。


「ケスラーはそんなに買われてるのか」


「買われてるよ。あそこの株、靴磨きの爺さんまで買ってるんだってさ。若返りの薬が当たったとかで。うちの親父の窓口にも、給料日になると工員が来て、社内券を現金に替えて、その足で株屋へ行くんだ。借りた金で買って、上がった分でまた借りて買う。みんなそうしてる」


 トビーはそれが世の中の正しい回り方だとでも言うように、ちょっと得意げに鼻をこする。

 靴磨きまで株を買う相場というのも、前の世界で聞いた話にそっくりだ。


 いつか崩れる。崩れる前に降りればいい。


 いつ降りるかが分からないのが困ったところなのだが。


 もっともその若返りの薬を、僕は一滴も買えない。問題はうちの家の信心なのだ。


 この国の人間の六割は、聖輪教会という教会に通っている。

 教えの芯は「人は手をつないだ一つの輪。輪から外れるな」というもので、体を作り替える者は輪から手を離して獣の側へ行く者だと説く。


 百七十年前、旧大陸の吸血鬼の総督を追い出して建った国の教会だから、人の形を変えることには今でもひどく厳しい。


 その聖輪教会の中にも派があって、裕福な家の多くは緩い派に属し若返りの薬も平気で使っている。

 ところがうちの家は、よりによって白輪派という一番厳しい派だ。


 病気や怪我を治す薬も滋養の薬も構わないが、若返りの薬と体の性能を上げる薬と、生き物から作った手足や臓物は駄目。

 たとえ失くした手足の代わりでも、だ。


 せっかく寿命が買える世界に生まれたのに、寿命を買わない家に生まれてしまった訳である。


 神様というのがいるのなら、なかなかいい性格をしている!くそったれだ。


 まあ、長生きの算段はそのうち何とかする。

 死ぬのは一度で十分なのだから、二度目は出来るだけ先へ延ばしてやるつもりだ。


 後ろの座席から、香水の匂いと一緒に甘ったるい声と腕が伸びてきた。


「ねえレオン、仕立て屋のあとで毛皮屋に寄ってくれるって約束、忘れてないわよね? グリーン街の角の銀狐の襟のついたやつ」


 繁華街のクラブ『モナーク』の歌い手のルシールが、座席の背もたれ越しに僕の首へ両腕を回してくる。

 金色に染めた髪が頬をくすぐり、絹のブラウスの胸元がわざとらしく僕の肩に押しつけられる。


 胸元の開きに目が行って、ハンドルが右へ流れた。歩道の看板に鼻先が寄る。

 慌てて切り返す。絹が薄いのが悪い。

 いや待て、僕の女だ。見て何が悪い。そんな格好で寄りかかってくるほうが悪いんだ。よし、毛皮でも何でも買ってやる。今夜は部屋に呼んでやる。


 二十三で、喉より先に脚と胸で客を呼ぶと評判の女だ。


 そして僕はその評判が噂だけではないことを、ゆうべも確かめたばかりだった。


「覚えてるよ、ルシール。でも四月だよ? すぐ暑くなる」


「だから今が安いのよ。夏に買って冬に着るのが賢い女なの。……それにね」


 ルシールは僕の耳元に唇を寄せて声を落とした。


「冬まで待てないなら、今夜、それだけ着て見せてあげてもいいのよ?」


 それはすごく見たい。

 銀狐の襟のコートはたしか九千ダルで工員の月給の三か月分だが、僕の小遣いなら三十分の一にも満たない。


 それでこの女を好きに出来るなら、安いどころの話ではない!


 と、ルシールの隣から聞こえよがしの舌打ちが飛んで来た。


「狐なんて、解体場じゃ一匹三十ダルで皮剥いでるよ。毛皮屋のおばさん、それを九千で売ってるんだ。いい商売」


 ジーナだ。

 後ろの座席の端に小さな体を沈めたまま、ルシールの首に巻いた狐の襟巻きを、顎をしゃくって見下ろしている。

 口の端だけを片方吊り上げた、裏通りで育った子供がよくやる笑い方だ。


 ルシールの腕が僕の首の周りでぴくりと強張る。


 おっと、始まったぞ。


「剥いだ皮と、仕立てた毛皮は別物なのよ、お嬢ちゃん」


 ルシールは振り向きもせず、舞台の上で客に向けるのと同じ蜜を塗ったような声で言い返した。

 ただし「お嬢ちゃん」のところだけは一音ずつ区切って、爪を立てるように発音する。


 襟巻きの狐の頭を指で撫でつけているのは、たぶんそうしていないと手が出そうになるからだろう。


「縫っただけで三百倍になるんだ? 変なの」


 ジーナはきょとんと目を丸くしてみせた。わざとだ。

 ルシールの形のいい鼻の穴が、ひくりとふくらむ。


「レオン。あなた、どっちの味方なの」


「僕は狐の味方だ。死んでまで悪口を言われちゃ、狐が浮かばれない」


 どっちの味方をしても、もう片方から何かをねだられるのだ。

 こういう時ははぐらかすに限る。


「狐の味方なら、お嬢ちゃんの味方もしてあげなきゃね、レオン。狐もお嬢ちゃんも、皮を剥いで縫い直したおかげで高い値が付くもの」


 ルシールは蜜を塗った声のまま、ジーナの手首にちらりと横目をやった。


「は?」


 ジーナの声が一段低くなった。

 膝の鞄の留め金に、白い指が掛かっている。


 さすがに言いすぎだろ、と思った。

 手足を換えた娘に向かって、皮を剥いで縫い直したなどとよく言える。性格は悪いし、怖い。


 まあ、ルシールのそういう所が、僕は気に入っているのだが。

 それを一度も僕には向けてこない所も含めて。


「なに、事実でしょ?」


 ルシールは振り向きもせずに、襟巻きの狐の頭を指で撫でつけた。


「二人とも、狐の話はそこまでにしな。ジーナ、お前にも何か買ってやるから」


 ジーナは返事をしない代わりにぷいと顔を外へ向けた。

 それでも口の端が持ち上がったのが鏡の中に映って見えたので、僕は満足する。


 女二人に取り合いをされるというのは、何度味わっても気分がいい!


 二人が張り合っているのは毛皮のことだけではないのだが、それを車の中で口にするほど僕も野暮ではない。


「それより、レオン。今夜もお店に来るなら、この前の晩みたいなのはやめてよね」


 ルシールが僕の首から腕をほどいて、急に店の支配人の代理のような顔になる。


「シャンパンを棚ごと開けて、噴水に注いでお客さんを噴水に放り込んで、楽団に金を撒いて朝まで目の回るような速さで弾かせて。最後はピアノの上で寝ちゃって、朝になったら蓋の中が……ああもう、思い出したくもない。支配人、泣いてたわよ」


 言われて思い出してみれば、あれはいい晩だった。


 僕とジーナとトビーのほかに会社の幹部の息子たちも五、六人いた。

 モナークの一番奥の席を丸ごと借り切った晩で、ロビーの噴水からは一晩じゅう、安物の果物のような泡の匂いが立ちのぼっていた。


 蓋の中のことは覚えていないが、覚えていないということはたぶん楽しかったのだろう。


 それだけで頬が勝手に緩んでくる!


「泣くほど払っただろ? ピアノも新しいのを買えって言ったじゃないか!」


「そういう問題じゃないの!」


 そのくせ、ルシールの目は笑っている。店の支配人が泣いたのはたぶん嬉し泣きだ。

 あの晩の僕の払いだけで、あの店はひと月分を稼いだのだから。


「ピアノに吐くのはやりすぎだよレオン。僕はクロークに預けてあった誰かの帽子に、ちょっと戻しただけだもん」


 トビーが号外から目も上げずに口を挟む。自慢になると思っているらしい声だった。


「ちょっとじゃないよ。帽子が三つ駄目になったって、クロークの女の子が泣いてた」


 ジーナに冷たく言われて、トビーはむっとしたように号外から顔を上げた。


「ジーナだって、用心棒とテーブルの上で腕相撲して、テーブルを真っ二つにしたじゃないか。それからブランデーを瓶ごと」


「あれは向こうが先に挑んで来たんだもん。それに一番みっともなかったのはルシールだよ」


 ジーナが通りを眺めたままさらりと言う。口の端がまた片方だけ吊り上がっている。


「テーブルの上で歌いながら、靴も靴下も脱いでその次も脱ぎかけてたじゃん。支配人が頭を抱えてたの、半分はあれだよ」


「靴を脱いだだけよ! 靴だけ!」


 ルシールの声が見事に裏返った。首から耳まで赤くなっているのが、鏡の中でもよく分かる。


 僕は笑いを噛み殺した。


 ルシールが脱ぎかけたのは靴だけではなかったし、止めたのは支配人ではなく僕だった。

 だがそれをここで言えば、今夜の約束のほうがふいになりかねない。


 それに真っ赤になって言い返すルシールの顔は、あの晩テーブルの上で歌っていたときと同じくらい見ものだ。


「噴水のお客さんさ、あの後ほんとに警察に電話したんだって」


 号外を膝に下ろしたまま、トビーがぼそりと付け加えた。


「来たのは叔父さんの警備会社の警官だろ? どうせ僕の名前を聞いて、帽子を取って帰ったさ」


「ほんと? 警官って、そんなに簡単に帰るものなの?」


 ルシールが半信半疑の顔で僕とトビーを見比べる。

 店で騒ぎがあるたびに警官に頭を下げているのは、支配人と彼女たちなのだ。


「ほんとだよ。この辺りの警官はみんな、レオンの叔父さんの会社の社員なんだ。給料を払ってる家の息子を引っ張っていく警官なんか、この街にはいないよ。先月ジーナが港で人足の腕をへし折ったときだって、レオンが叔父さんの会社に電話を一本かけたら、晩飯前には出てきたもんね」


 トビーは号外を畳み直しながら、自分のことのように胸を張った。

 僕の名前で動く物の話をするとき、この男はいつもこういう顔をする。


「牢屋の豆のスープ、まずかった」


 ジーナが通りを眺めたまま、つまらなそうに付け足す。

 腕をへし折ったことより、豆のスープの味のほうが気になるらしい。


「僕のときは三時間かかったけどね。賭けの元締めの真似事して捕まったとき」


「お前は僕の名前を出すのが遅かったからだろ。最初に言えって、いつも言ってるだろ!」


 トビーは肩をすくめて、号外に目を戻した。


 捕まったらまずアッシュクロフトの名前を出す。それだけでこの街の留置場の鍵はたいてい開く。

 取り巻きたちにとって、それは僕と付き合ういちばんの得なのだろうし、僕にとっても取り巻きが減らない一番の理由だ。


 鏡の中のジーナはそんな話にはもう飽きたという顔で、膝の上の鞄を指で叩いている。


 ジーナは十八になる。背は僕の胸までしかないが、顔は僕が連れて歩く女の中で一番いい。

 移民の娘にしては珍しく肌が白く、港の日差しの下を一日歩かせても少しも焼けない。


 顎の線で切り揃えた黒い巻き毛がその白さを際立たせ、黒目の大きな目は睫毛が長い。

 黙って座っていれば、お屋敷の娘が肖像画から抜け出してきたように見える。


 もっともひとたび口を開くと解体場の言葉しか出てこないし、目つきは港の荷役の親方より悪いので、肖像画の夢は三秒ともたない。


 着ている紺のワンピースと白い襟は僕が買ってやった物で、さっきから指で叩いている膝の上の黒い革の鞄も、僕が買ってやった物だ。


 中身は拳銃だ。


「ねえ、その鞄の中身、撃ったことあるの? あんな高い物、持ち歩くだけ持ち歩いて」


 ルシールが狐の襟に顎を埋めたまま鞄に横目をやった。さっきの狐の仕返しのつもりらしい。


「高いから持ち歩くんだよ。……それ、造兵廠の職人が一挺だけ作ったやつなんだって。うちの親父の窓口に来る旋盤の工員が言ってた。軍に納めるのより上等で、値段は工員の一年分だってさ」


 答えたのはトビーだった。自分の物でもないのに、やけに得意そうだ。


「撃ったことはあるよ。空き瓶なら」


 ジーナは鞄を指で叩くのをやめて、隣のルシールの顔をじっと見上げた。


「人はまだ。レオンが撃てって言わないから」


 ルシールの喉が、こくりと鳴る。狐の襟を握る指に白く力がこもっている。

 僕は頬が緩むのを堪えた。ジーナは冗談のつもりで言っていないし、ルシールもそれが分かっているのだ。


 トビーの言うとおり、あれは店で買った物ではない。

 父の造兵廠で一番腕のいい職人を呼びつけて、アッシュクロフトの名前で一挺だけ仕上げさせた。


 造兵廠は父の物で職人も父の雇い人だが、父には一言も断っていない。

 どうせ言わなくても、父の秘書あたりはとうに知っているのだろう。


 兵器王の工場の一番の職人に、連れ歩く娘の道具を作らせる。次男に生まれた甲斐というのはこういう所にあるのだ。


 左の袖の内側には細身のナイフも一本吊るしてある。こちらも刃物屋で一番いい物を選ばせた。

 可愛い服に中身だけがまるで似合わないところが、僕は気に入っている。どこへ行くにも彼女はこの二つを手放さない。


 彼女の生まれはメリディア系の移民の家だ。

 メリディアは海の向こうの旧大陸の南の国で、前の大戦のあと、食い詰めた連中が船底に詰め込まれて大勢渡ってきた。


 この国の古い住人たちは、そういう戦後に来た連中をまとめて「旧い大陸のくず」と陰で呼ぶ。


 屠場や筋小屋(ナーサリー)のような、街で一番きつくて一番安い仕事をするのは、たいてい彼らだ。

 ジーナの親もそういう仕事で体を壊して、彼女が小さいうちに二人とも死んだ。


 それからのジーナは身寄りも無く、日雇いと喧嘩で食いつないでこの街をふらふらしていたのだという。


 おかげで僕が拾えたのだから、文句は無い。


 そしてジーナの体の大きな部分は、生まれたときの物ではない。


 両腕も両脚も付け根から先は、生体部品(バイオウェア)に換装(グラフト)してある。

 黒い瞳も二つとも作り物だ。


 胸の中では、郊外の牧場の大きな鳥から作った疲れを知らない心臓が打ち、毒にも病にも強いモンスターの肝が彼女の血を濾している。


 首の後ろには、反射を速める神経の生体部品(バイオウェア)まで入っている。

 表向きはまだ研究中の代物で、入れるときには医者がしまいまで渋っていた。


 入れさせたのはどれも隣の州の一番いい認可病院で、神経のほかは認可の下りた最新式の品だ。

 アッシュクロフトの次男が連れ歩く娘の体を好きに取り替えさせている、と街で噂になれば醜聞になるので、換装(グラフト)はいつも州境の向こうでやらせている。


 そのうえ、どの部品もジーナの体によく馴染んで強い。


 腕は彼女の肌の白さに合わせて色を染めてあり、指の形も爪の色も元の手に似せて仕立てさせたし、目は元の目と同じ黒にさせた。

 人から見て分かるのは、肩や膝や手首の繋ぎ目に細い縫合の糸が残っていることくらいだ。


 生体部品(バイオウェア)の具合を見て、合わなくなれば新しい型に取り替えるので、体のあちこちにいつも新しい縫い目がある。


 ルシールはそのジーナの手首の縫い目を、気味悪そうな横目で眺めている。


「ねえ、前から言おうと思ってたんだけど。その糸、何とかならないの? 手首のとこ。見てるとこっちまで引きつれそう」


「ならないよ。先月、右手を新しいのに替えたばっかりだもん。抜糸はまだ」


「先月? 替えたばっかり?」


「右手の握りが左より弱かったんだ。だから替えた。その前は目。その前は脚」


 ジーナは昼飯の献立でも話すような平らな声で答え、ついでのように縫い目の残る手首をルシールの鼻先でひらひらと振ってみせた。

 ルシールがひっ、と小さな声を上げて身を引く。


 僕は内心で笑った。歌い手というのは、怖がらせると声が半音上がるのだ。


「でも、そういうのって、薬をずっと打たないといけないんでしょう? 換装(グラフト)しすぎると頭がおかしくなるって、お店のお客が言ってたわ」


「打ってるよ、週に一回。でも、あたしは頭がおかしくならないんだって。医者が言うには、特異体質なんだってさ。換えた手足と喧嘩しない体。普通の人なら、あたしの半分も換えたら獣みたいになっちゃうんだって。それにレオンが買ってくれるのは最新式だから、体にかかる重さも軽いんだってさ。まだ六割ちょっと。限界はずっと先」


「その薬代も生体部品(バイオウェア)代も、全部僕が払ってるんだぞ!」


「うん。だから、ほかの奴の言うことは聞かないよ。レオンが『やれ』って言ったら、やるだけ」


 付け足したジーナの声はほんの少し得意げだった。


 可愛いことを言うじゃないか。

 もっとも、僕が「やれ」と言う前に動いてしまう日も、たまにはあるのだが。


「レオンの言うことしか聞かないのは、最初からだもんね」


 トビーが号外を畳みながら、思い出したように笑った。思い出すと今でも可笑しいらしい。


「僕、あのとき隣にいたんだ。裏通りでさ、取り巻きの一人がジーナをからかって、次の瞬間には壁まで飛んでった。で、ジーナが倒れたそいつの指を、一本ずつ踏んでくんだよ。笑いながら」


「あいつの指、いい音したよ。五本とも違う音」


 ジーナが懐かしそうに目を細める。懐かしむ所がそこなのが、いかにもこの娘らしい。


「それ見てレオンが手を叩いて、『お前、僕に付いて来い』って。……踏まれてたほうは泣いてたけど」


 ルシールが、気味の悪い物でも見るような顔で僕とジーナを見比べた。

 そういう拾い方をする男と、そういう拾われ方をする娘なのである。今さら驚かれても困る。


 十四のとき、ジーナは日雇いで潜り込んだ解体場で、機械に右腕と両脚を持っていかれたのだという。そこから体を換装(グラフト)するようになったのだとか。


 トビーの言う裏通りの晩は、ジーナが十六、僕が十七の秋のことだ。

 住む所も無いと言うので中央通りの裏の貸し部屋を一つ借りてやり、それからずっと、ジーナはそこに住んで僕の車に乗っている。


 それから一年半、僕は彼女の体に金を注ぎ込んで来た。

 腕と脚は最新式に替え、残っていた左腕も強いのに替え、目を替え、心臓と肝を替えて、首の後ろには神経を足した。


 入れた生体部品(バイオウェア)が体にかける重さを、医者は負荷(バーデン)と呼ぶ。

 普通の人間なら二割か三割が限界だそうだ。六割を越えてけろりとしているこの娘は、やっぱり普通ではない。


 最新式は軽いそうだが、僕が一番高い物しか入れさせないのは軽いからではない。

 安い物は色も染めず形も似せないので、灰色がかった獣の皮の色がそのまま出る。


 夜中に僕の首へ回ってきた腕がそんな色をしていたら、興ざめもいいところだ!


 鏡の中のジーナは、また膝の鞄を指で叩き始めている。


 移民の娘を連れ歩くなんて、と眉をひそめる大人もいる。

 だが相手が誰でも飛びかかる用心棒が手に入って、おまけに顔までいいのだから、こんなにいい買い物は無い。


カクヨムで先行公開しています。続きを早く読みたい方はこちらへどうぞ。

https://kakuyomu.jp/works/11054822666094116079

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