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架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之
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あゆちのびと衆 第一章 その八


      

     

        小六の金打(きんちょう)


 


季節はもう冬だ。

 

伊賀からの要請ようせいにより、六人の住居が建てられた。


信長の寝所のある、二の丸御殿の回り廊下の外側の庭を潰して建てたのだ。伊賀へは、それが整うまで待てということと、六名の背格好を知らせるよう連絡してある。


小屋レベルではなく、ちゃんとした長屋を建てたから、建設には半月かかった。


完成した長屋は信長の寝所と居室に廊下一つで面しているから、警備に不都合はない。

 

平手政秀が、いきなり見知らぬ者を抱えるのかと不満を訴えたが、滝川一益の縁者を行儀見習の為、無報酬むほうしゅうで近くに(はべ)らすとの信長の苦しい言い訳に、無料(ただが効いたのか抗議は止んだ。


信長は、那古野城の全員を集めて、甲賀から六人が来ることと、己の側に行儀見習いとして(はべ)らす事を伝え不要な差別と詮索せんさくをすることを禁じた。

 

大勢の者が、信長に行儀が教えられるのかと、内心嘲笑あざわらったが、それを口にする者はいない。信長が隠れて必死に行っている数々を知らないから無理はないし、バサラを止めない信長が何をしようと、ただそれだけで信長に絶望して何事にも関心がわかない者が多いのだ。家臣達の背後の色は明色と暗色が半々程だ。

 

そうではない、前田犬千代が不満げに聞く。


「お殿様、なんでそんな奴輩(やつばら御傍(おそばに置くんきゃあも。滝川様の縁者だ言ったって、信、置けるんきゃあも。(さがしいんだにゃあきゃあ(危険ではありませんか)」


「おいぬ、案ずるはもっともだけどよ、滝川の家の子ばっかだで身元はたしかだがや。滝川のてて御(父)に頼まれたでしゃあにゃあがや(しかたないではないか)・・・俺が会って確かめるでええんだわ」

 

六名は伊賀者ではなく、甲賀出身とした。伊賀も甲賀も言葉は殆ど同じだったから、尾張者には区別がつかない。伊賀との関わりはまだ一益以外は知らないから、秘密保持の為そうしたのだ。


準備が整ったと、朝五つ(午前八時)、伊賀へ鳩を飛ばすと昼九つ(午前十一時四十分頃)には鳩が戻り、明日早朝に着くと返ってきた。


一益はまた鳩を飛ばし、自分が迎えにいくことと目印を書いて教えた。

それには「(りょう」と一文字の答えが来た。


一益は、まだ暗い内に天王坊を出発し、脚を飛ばして木曽川の東堤で待った。


一益は、侍らしからぬ、菅笠(すげがさに麻小袖、紺染めの羽織姿だ。腰には、左文字の宝刀だけを差している。


夜明けと共に、渡し舟が動きだし、最初の舟に船頭以外のそれらしい七つの人影が見えた。


一益は人数が増えているから、首をひねるが待つしかない。

やがて舟が着き、七人が(つつみを登ってきた。


先頭の一益と同じ位の年らしき一人は端反陣笠(はしぞりじんがさ)に野袴、黒木綿くろもめんの刺子の(ひとえと羽織、足元は脚絆を巻き革草鞋で固めている。腰の大小の拵えは立派だ。

 

後に続く六人は、揃いの角笠(円錐形の陣笠)に柿色地刺子麻帷子(かきいろじさしこあさかたびら)と野袴に足元は同じだった。


六名の差料は束巻きがほどけていたり、鞘の塗りが剥げていたりして、立派とは言えない。


そして六名は、いつか一益が伊賀からの帰りに担いで来たような大葛籠を全員が担いでいた。七人全員が両手に弓を射る時に使う弓懸(ゆがけ)に似た革手袋をしている。


一益は気づく。


(こやつらはできる。歩みが(なめらかや。荷ぃ背負うてあの歩きは余程の修行せなできへん。指隠すんは百地らと一緒や。顔も素やな・・・伊賀もんの気ぃの度合いはほんまもんやな)


葛籠を担ぐ六名の体つきは当然ばらばらだが、一名が五尺に満たない小柄なのを除き、五名は五尺八寸から三寸で、異常に筋骨が逞しいとか顔つきが鋭いような事はなく、その外見と印象は常人並みだ。

 

先頭の武士が一益に気付いて近寄ってきた。 

 

一益は笠を取り、両手を膝にして、忍者の発声で「あゆち」と発する。向かい合った武士も陣笠を取り腰をかがめて同様に「風」と発した。


合言葉は一致し、一益は腰の左文字の宝刀を武士に渡し、織田家家紋を確認した彼はすぐにそれを返す。


二人とも満面の笑顔だ。武士が先に言う。


「これは滝川殿であらはりまっか。お初でおます。わては伊賀の神部氷室督小南(かんべひむろのかみこなん)(不束(ふつつか)もんでおます。此度(こたび)はせつろしい事せんどにただけに(煩わしいことをなんども沢山)成さはって、ようかようかと(よくもよくもと)おおきに言わなあかんとずっと思うてたんだっせ」

 

と、優しい声で言う。小南は背丈五尺七寸、すらりとした身体に端正な顔が小さいから、バランスがとれて見栄みばえが良かった。


一益は驚いた。小南と言えば伊賀の十一人衆の一人で、忍術達者として甲賀まで音に聞こえた武勇の忍びだったからだ。何故彼が来たのかは解らない。


「そげなおおさわな。わいは、三郎様の使いしただけでっせ・・・・神部はんの御武名は前から伺ってましたえ。わてがこうかの滝川左近一益でおます。今日はほんまによう来てくれはって、お殿様もえらいお喜びでっせ。まずはわてが居てる天王坊へご案内いたしまっさ。皆の名ぁも聞きとおすけど、往来おうらいではなんや思われまっさけ話しは道々で」


小南は、伊賀衆との盟約を図った時、最後に百地が、賛成の訳を問い、それに答えた男だったから、この時既ときすでに信長に心酔しんすいしていたのかもしれない。

 

道中で、一益は、人数増には触れず、まず六名の若者を、伊賀出身を隠し甲賀の滝川家の家の子とする事を伝えた。他に信長の日常の行動パターンや、信長の性分、那古野城の者達の一益の知る限りの情報を歩きながら伝える。

 

昼間で人目があるから、常人の速度でしばらく歩み、もう蟹江という時、道から北に一町ほど離れた森の中で微かに音がした。

 

一益は音と共に感じた気配に思わず立ち止まる。話しを聞く為に一益を取り囲むよう歩いていた七人も止まる。


一益は森に眼をやり、緊張の表情で気配を探る。


(なんやろ、三つ妖気(ようきあるけぶら(気配)がしよる。一つはとひょうもない()っきさで、二つはいかい(大きな)犬くらいか。とひょうもないのは、大しし(大猪)か、大かのしし(大鹿)か。こげないかいししやかのししはこうかでも見ぃも聞きぃもしたことないがな。やけど、こやつらはなんでこげな怪しいけぶら感じんのやろ)


七人は普通の表情で待っている。


やがて気配は消えた。

一益は、何も言わずまた歩きだす。

七人も止まった訳も尋ねず、歩きだす。


(わかった・・こやつらは今のがなんのけぶらか知ってるんや・・・そやからけぶら感じても顔色も変えへなんだんや・・なんや、けったくそ悪いがな(いまいましい、気分が悪い)けぶらはわいの気ぃのせいやない・・・まあ今日からは同輩(ともがら=仲間)やから、じきに言うやろ)

 

だが、その不快を表情に出すような一益ではない。


炮烙火矢製造と鉄砲の新銃床などについて話すのは、信長からしばらく待てとの命があったからの話せない。


一益は信長に食べさせてもらった海の幸の話をした。穴子の話と、熱田の漁り人の刺青の話には、七人とも興味津々で聞きいった。


更に一益が熱弁をふるい、魚介類の旨さを語ると、小南はともかく、六人の若者は生唾を飲む。


「お殿様のお側に居ったら、いずれ、腹一杯食えまっせ・・・・なんせ漁の達人がすぐそばの熱田に居てるから」


六人は何か複雑な表情をした。


一益は気付いた。


(あっ、しもた・・・この子ぉらはまだ、修行中かいな・・・火ぃの通ったもんは食われへんのやったがな・・・身ぃが重なるよって、木の実やらしか食えへんのに、(むごい事言うてもうた)

 

忍者は食べ物を選ぶ。特に伊賀の修行中の年少者は、それを徹底し、修行を終えて壮年になっても、任務に赴く前はそれを行い、身を軽くし、神気を養うのだ。


彼等がそのような時に口にするのは、しいの実、カヤの実、またたび、むかご等の木の実や、粟、ヒエ、麦等の雑穀だけだ。あとは酒も殆ど飲まない。


甲賀も同様で、一益も、忍びの者だから、当然の知識なのに、話題に詰まったのと、妙な気配にとらわれた事も手伝って、つい言ってしまい、それが、如何に残酷な事かに気づいたから、しまったと心に思ったのだ。


一益は、ばつが悪くなってしまい、残りの道中は無言で脚を早めて先導した。


木曽川畔から天王坊までは、約五里だ。

明六つ(午前六時頃)に出発して、朝五つ(午前八時)には着いたから、常人の二倍の速度だ。一益は冬なのに汗をかいた。七人はその気配もない。


(今頃は、ええもん食ろうて、酒もただけに飲んでやから、こうなるわな。あかんあかん、精進精進)


足を濯いだ七人を一益の部屋へ案内する。六つの葛籠は部屋には入りきらないから、廊下に並べ置く。

 

暫くして、いつもの役僧が信長の訪れを知らせた。


信長の甲高い声が聞こえる。


「道覚、大儀」


襖がさっとひらく。


信長は、百地、藤林と会見した時と同じく、深紅の直垂姿だ。髪はまだこれから鍛練があるからか、いつもの荒結びだ。


信長は上座の床几に座る。


胡座の一益と七人は一斉に板敷に頭を擦り付ける。


一益が膝行(しっこう、立ち上がらず膝だけで移動する)して、信長の横に座り直し言う。


「これにあらはる御方が、織田弾正忠家、御惣領、織田三郎信長様である。一同、御拝顔のえいよくせよ」


一益の大仰おおぎょうな言葉に信長が照れくさそうに言う。


「こりゃ滝川はん、そげなおおさわな事言ことゆうて、あかへんえ・・・・こげなときは、おいんなあ(いらっしゃい)だけでええんと違いまっか」


一益も、七人も一瞬ぽかんとした。信長の伊賀言葉があまりにも上手だったからである。

一益が真っ先に笑い出す。小南も、六人の若者も笑いだす。


小南が笑い過ぎて、目に涙を浮かべながら話そうとする。

しかし、中々笑いが止まらない。


「お、お殿様、あはは、まあなんと、あはは、わてらのことのは(言葉)じゃうず(上手)に使わはって。御じゃうず過ぎやから笑ろてるんでっせ。ご無礼を怒らはったらあきまへんえ」


信長も笑顔で首を振る。


転合(じょうだん)だわ・・・・一益といっつもしゃべくりまくっとるでよ、言葉覚えてまったんだわ。(ゆるされよ。ほんだけどよ、六人と聞いたけどよ、一人増えたんかのん」


やっと笑いが収まった小南が、真顔にかえり、姿勢を正し両手を突いて言う。革手袋はしたままだ。


「すんまへん、御色代(ごあいさつ)遅れてしもて。改めて、拙者は伊賀は百地三太夫の手の者で、神部氷室督小南と申す半端者でござります。ほんまなら、六人だけで来させるんだしたが、その来させるいわれ()わなあかんし、滝川はんから、硝薬の事聞かれましたよって、わてが参じたんでっせ」

 

それから小南が話した内容は、硝薬の事は含まれなかったが面白かった。

 

信長警護を言い出したのは、百地と藤林で、盟約が成る前に信長の身に何かあってはいけないからとの発案だった。


だが、それを伊賀衆に伝えた途端、我も我もと自薦他薦じせんたせんを問わず大勢が殺到し、最後は術比べで勝ち残った中から、人柄などを考慮して六人を、百地ら首脳部が選んだという事だった。


そして、時期が合った硝薬の製造についての相談は鳩の手紙のやりとりではまどろっこしいという事で、その知識のある者が、六人と共に行く事になった。だが、これもまた大勢が殺到さっとうしたから、最後はくじ引きで決めて、小南が勝って来たのだ。


その術比べやくじ引きの具体的なやり方と行われた出来事を、小南が口真似や仕草を真似て面白可笑しく話したから、今度は信長が大笑いし、笑い過ぎて床几から滑り落ちるほどで、部屋の空気は俄然がぜん明るくなった。

 

話が済んで信長が言う。


「ようわろうたがや・・・まあすぐ昼だがや。笑ったで、よけと(余計)腹も減ったろう。六名の名だけ聞いたら飯にしよまい」


小南が目で(うなが)し、右端の若者から、自己紹介を始めた。


「お殿様には、お初にて。わては伊賀の伊賀崎道順の寄り子にて、名張なばりの風と申しまする。歳は二十歳(はたちでおます。以後宜しゅうお(たの)申します」


と、六人が次々と名乗る。


二人目は、城戸弥左衛門の寄り子の、はしら、十八歳。


三人目は、植田光次の寄り子、みぎ)、十九歳。


四人目は、甲山太郎四郎の寄り子、不知火しらぬい)、十七歳。


五人目は、小南の寄り子で、雪丸ゆきまる)、同じく十七歳。


六人目は、下柘植の小猿の寄り子で、鷹目たかめ)、十八歳。


信長は、それぞれの特殊な名前に驚いたが、中でも雪丸と聞いて驚いた。

鳩が懐かしんでいたのが、目前もくぜん)の若者だと判ったからだ。


(この者が雪丸か・・・・なんと不可思議な縁だがや。鳩どもが喜ぶがや)


信長は当然、それは口にはしないが、雪丸に目線が行き、それを感じたのか、雪丸がにっこり笑う。


信長はその笑顔もだが、七人の背後の光に感動していた。彼等の背後は最初から明るく輝いていたからだ。

だが、その事も口には出来ない。


「さようか。あいわかった。お主らの有り難きこころざし)つつし)んで受けるでよ・・・・励んでくれよ」

と、信長が膝に手を置き頭を下げたから、七人はまた改めて頭を擦り着けた。


「色代も済んだで飯食(めしく)おまい(食事をしましょう)。あちらに用意させたるでよ。滝川、あない(案内)せい」

 

信長は内心では硝薬製造の話を一刻も早く小南に聞きたかったが、それを強行するのは礼儀に(もと)るから、飯と言ったのだ。


食事の為移動する。先頭を行く一益に続く信長の背中を見ながら、小南は思っている。


(百地と藤林の旦はんが言うてた事はほんまやった。こげな強い威ぃを覚えたんは初めてや。業前もこの御方の歩き方、所作で判るがな。武道の達人や。達人中の達人や。一派立てられる程や。どげな鍛練しはったらこがいに成れるんやろ。やはり持ってはるからやろか・・・がおや・・・ほんまもんのがおや)


六名の若者も、全く同じ思いを抱いている。


庫裏(くり=厨房)では、金之助とその配下が忙しく立ち働いている。寺の小坊主たちは、 食器や出来た料理を一生懸命運んでいる。


七人は金之助達の刺青に眼を見張るが、何も言わない。

直垂を着替えて、いつものバサラ姿でやって来た信長が言う。


「皆の者大義。遠来の客じゃ、粗相そそう無きよういたせ」


全員が働きながら、「へへ~っ」と声を揃える。


「それにしても、金之助、またよおけ(いお持ってきたの・・・・俺んたらだけでは食いきれんがや・・・小坊主っ、御師様(おしさま)ござったら(おみえならば)お呼びして参れ」


小坊主が走り、やがて沢彦がやって来た。

信長が片膝になって頭を下げて言う。


「御師様、またやかましゅうしてまって、お許しくだされ。今日は遠来の客が参ってこの有り様でござります・・・熱田の金之助が魚よおけ持って来たで、我等だけでは食い切れませぬ。御師様も御相伴頂ごしょうばんいただければ、坊主どもも座に連らなれまする。粥ばかりでは腹に力も入りませぬゆえ、本日だけと言う事でお許し頂けませぬか」


沢彦は笑顔で頷き、上座に座った。

信長も笑顔で言う。


「お許しだがや、寺中の者呼んで参れ。左近、康吉らも呼んでやれ・・・小坊主ども、おみゃあん達も支度済めば相伴許す」


普段は毎日、お粥ばかりの小坊主達は歓声を上げ準備を急ぐ。


沢彦に続き、寺の坊主達もやってきたが、料理を見て、教義に反するとでも思ったのか、引き返す者もかなりいた。呼ばれた康吉達三人はいそいそとやってきて、顔見知りの坊主達の側に座る。それでも、広い小庫院(客用食堂)は、百人程の人で埋まった。

引き返す者を認め、信長の眼が一瞬キラリと光ったが特に咎めはしない。


小南が信長にそっと近寄り、囁くように言う。


「お殿様、恐れ多い事やけど、隣に座ってよろしおすか・・・滝川はんも御一緒に」


信長は、それが硝石製造の話の為と判ったから頷く。


部屋の隅に他の者達から離れて、信長を中心に左右に小南と一益、それに連なり囲むように六名が胡座座りで座った。全員、刀は一益の部屋に置いてきているから、腰には脇差しだけだ。

 

料理のメインは海鮮鍋で、その具は伊勢エビを中心に、紫貝(大あさり)に蛸のぶつ切り、たいら貝の大きな貝柱、蛤等にネギや大根、里芋等を赤味噌で味付けしたものに、うたせエビ(赤社エビ)の塩茹で、くちぼそ(もがれい)の刺身、車エビの塩焼き、うま面ハギの煮物、アワビ、栄螺さざえ)もいつものように山とある。それに、坂手(さかて)島(現在の三重県鳥羽市沖の島)の雲丹(うに)まであった。座の真ん中に置き炉が)えられ鍋が載っている。

 

やがて支度が整い信長が言う。


「海はもうこごえる冷たさじゃ。金之助らが、それに耐えて捕らえて参った幸だがや。此度はおじいたちは、坂手島さかてじままで出張でばったがや。皆の者、心して味わえ」


全員が「ははあっ」と畏まり宴は始まった。


 信長が料理の説明をしながら言う。


「これは坂手島の雲丹うにだがや・・・今は旬だないけど、おじい達が気張って採ってきたがや。滅多には食えん名物だがや。このできゃあエビは、味噌がうみゃあでよう。この馬の面みてゃあなハギは肝がどえりゃあできゃあでうみゃあんだわ・・・まあ皆、脚、崩してよ。俺はよう、尾張の田舎大名の小倅こせがれでよう、身分で言やあ、無位無冠むいむかんの名無しのうつけだわ。ほんだでそうも張り詰めとらんでええで食べやあ(緊張解いて食べなさい)」


六名はそう言われても箸も取らない。

小南が言う。


「おまはんら、今日はええんや・・・お殿様の御志やさけ、腹一杯食いなはれ」

と言った小南は、一益が道中で後悔した通りの忍者の食事事情を手短に語った。信長は全く知らなかったから驚いて言う。


「そうきゃ、そこまでやらな忍びは勤まらんか。あいわかった・・・ほんだけどよ、今、神部殿が言ったように、今日だけは食ってくれ。明日から精進すりゃあええがね。俺も今日は鍛練休みにしたで食うでよお。ほれからよ、お主らのその弓懸ゆがけに似た革手だがよ、それは他に如何なる(ことわり)といたすかのん。俺は(おおよ)その委細は承知しとるけどよ」


小南が、はっとした顔になって言う。


「これは、心ならず(うっかり)でおました」

と、片手の革手袋を脱いで、信長だけに見えるように変色した手を見せて続ける。


「この手ぇは、伊賀忍びの証がごとき手ぇでおます。そやさけ、人には見せるもんやないんでおます。やけど、それ言うたら表では働けまへん。隠さなあかんけど隠したらなんでや思われまっけど、此度(こたび)はそれなりの(ことわり)あったらええん違うやろか」


信長が難しい表情で少し考え、やがて言った。


「ほしたらよ、それはこうかの古くからのなら)わしとすればええがや・・・尾張者はこうかの事は何にも知らんがや」


それで革手袋の常時装着の対外的理由は決まった。


もし一益がそうしていないのを誰かが何故かと問えば、彼は甲賀滝川家の子弟で、身分がちがうからその慣習が無いと言えば、事情を知らない尾張者は、そうかと言うほかない。


再び小南にそく)された六人は喜色きしょく)を浮かべ、口々に「ほなっ」と食べ始めた。


初めての食べ物ばかりなのか、一口ごとに、う~んとか、ほお~とかの賛嘆の言葉が出る。特に坂手島のオレンジ色の雲丹には全員が旨さに驚き、皿はすぐ空になった。


小南も料理を食べながら、硝石製造の話を始めた。時々信長が質問する。


まず、鳩の便りで述べたよう、伊賀には硝石、それをして火薬製造の技術があり、それは、伊賀に多生するヨモギと人尿、樟脳しょうのう)(クスノキから取る結晶)その他を使う技術で、一益の読み通り、それは渡来人から伝えられたものだと言う事だった。そして、では何故それを大量生産して売らないのかと信長が一益に尋ねた事の答えは、やはり一益が推測したように、不要な侵略を避ける為と、土地が粘土質で痩せている伊賀では、普通の作物を作るにも余計な手間が様々かかり、とても自分達が遣う以上の硝石火薬製造をする余裕がないという事だった。

 

小南が言う。


「お殿様の方の御事情は(金がない事)、百地らも心得ておりまっせ・・・そやけどわてらはもうお殿様についてくと決めてるんでっせ。そやから硝石や火薬作り増やすんはもうやりかけとるんでおます。やから、その為に一つお願いしたい事もあって、わいは参上したんでおます」

 

それは、信長の領内の、もう役に立たなくなった牛馬を伊賀になんとかして送って欲しいという事だった。


硝石大量生産には尿が欠かせないが人の尿だけではそれに及ばないという事と、その尿目的の牛馬が伊賀で潰れたら、それが肉や塩漬け肉の副産物になって伊賀衆、特に老人子供の食糧になり、骨や革も使い道がいくらでもあり、金は貰えなくても、それが硝石製造に集中する一助になるとの事だった。

 

当時、肉食の禁令は、時々の権力者から、過去からこの時に至るまで、度々発令されているが、身分に関わらず、ほとんどの者は背に腹は変えれないから肉食を躊躇(ためらわないし、伊賀者も同様なのだ。


小南が続ける。


「伊賀の男衆は、大半が忍びの修行して、幼い頃から、ええ歳になるまで精進続けまっさかい、臓腑(ぞうふ丈夫じょうぶうて、長らえてる(長命)もんがただけに居るんでおます・・・そやから、それらが食うもん貰えたら、それら(じじらもその分、硝石作りに励めますんや。作る言うても、はなにヨモギと、尿(しと)混ぜたら、後はみとせ(三年)もほかしとかなあかんから、あと、細い手順はちいとありまっけど、そげなほかしとく場ぁが増やせるんだすわ。牛馬の尿(しとはただけに出まっさけ」


ヨモギには特有の根球細菌があり、その働きと尿の作用で硝酸しょうさん)が生成できるのだ。


「さようか・・・それはなんと有り難き。

今俺は、言葉だけでしか、謝意を伝えられぬ。口惜(くちおしき事ながら、それが只今の有り様じゃ。その報いは必ずやいたすでのん。牛馬の事はなんとかなりそうだがや。早速さそくに手配りいたすがや」


小南が「ははっ」と畏まった。

一益も感激の面持ちだ。

信長がほっとした顔で小南に聞く。


「硝石は目処めどついたがや。あと一つ今案ずる事があるがや」


「なんでっしゃろ」


「うむ、六人の名だがや・・・先程聞いた名では、他の者が(いぶか)しく思うがや」


「あっ、ほれはほうでんな・・・風やら柱やらでは、なんやろ思われますわな・・どないしたら」


「うん、姓は寄り親の借りて、名は風なら風の一文字使って、まあつね侍人(さむらいびとの名らしきのにすればええがや・・・今夜一晩案ずるでよ、俺に任せてくれんかのん」


「へへ~っ、お殿様に名ぁ貰えるやて、ほんまに恐れ多い事でおます・・・おまはんらも御礼言わな」


六人が箸を置き、座り直し、手袋のままの両手を突いて頭を下げた。


話は大体済んだから、食事に集中する。


酒だけは、遠慮して宴には出さなかったが、豪華な料理に皆会話もせずに食べ尽くした。最後に卵入りの塩雑炊がでた。穴子に鮑を細かく切ったもの。ワカメとネギの千切りも散らしてある。


一益も、もう平気だったし、七人も穴子の凄惨な習性を道中で聞き知っていたが、気味悪げな素振りも見せず何杯もお代わりして平らげた。


小南と六名は、信長が名前を考える一晩は天王坊に泊まり、六名は那古野城には明日行く事になった。


小南は、役目を果たしたから、明朝帰ると言い、信長は常差しの赤柄赤鞘の脇差しを与え、とりあえずの謝意とした。


雪丸は、一益から鳩の事を聞き出し、己が鳩を飼い慣らした事を明かして鳩小屋を訪れた。鳩達は大騒ぎで喜ぶ様子だったが、鳩が何を言ったかは信長がいないから解らない。


明くる朝、小南は、六名の名前を記した紙を懐に、そっと来た信長、一益と六名の他、康吉達三人に見送られ名残惜しそうに帰って行った。


残った六名の伊賀流忍びの名は決まった。


名張の風は、寄り親の伊賀崎に信長が考え出した風之進で、伊賀崎風之進(いがさきかぜのしん)


柱は同様に、城戸柱助(きどちゅうすけ)


右は同じく、植田左右次(うえだそうじ)


不知火(しらぬい)はぬいを縫として、甲山縫(こうやまぬい)


鷹目は、柘植鷹迅(つげたかとし)


最後の雪丸だけはそのままで、神部雪丸となった。


彼等を姓だけで、伊賀者と判断出来る者は尾張には誰もいない。


六人は、一益に礼を言い、大葛籠を担いで信長に続いて那古野城に入り、長屋へ着いた。


廁と風呂は共同だ。部屋の前には各々の名前が書いた紙が張ってあり、それに従い入室すると、各部屋にはふすま)(夜着)などの寝具一式。城内で着る肩衣袴が二そろいづつ。小袖に(ひとえに綿入れ、(ふんどし、足袋まで必要なものは全て整っていた。


中でも肩衣の色は、それぞれに赤青黒黄緑白で分けられていて、色を見ればそれが誰かがすぐに判るようになっている。

部屋の隅には、あまり綺麗とは言えない木綿の単と、瓢箪ひょうたん)やら中身の判らない袋等が乱れかご)に入れて積み上げられている。確認するひまはない。急いで着替えを済ませ、六人揃って信長の部屋の前にひざまづ)き、風之進が代表して呼びかける。


「お殿様、御待たせいたしまいた。整いましてござりまする」


「うん」と、信長が出て、六人の装束を見て言う。


「お~っ、ええ武者振りだがや・・・よう似合うがや。ほしたら行こか」

 

表御殿の広間に、那古野城の主だった者どもが並んで胡座で座り待っていた。


信長が一段上の座所に座り、六人を手招きして座所下に家来らを向いて座らせて言う。

そこへ濃が静かに来て信長の前の一段下がった板敷に片膝で座る。


「皆の者、この者らが先頃言いおいた、新参の六名である。今から名乗らせるで、よう聞いて覚えよ。その方どもの名乗りはその後だがや。それと、この六人の革手はこうかの習わしであるから、咎めてはならぬ」


一同が「ははあっ~」と畏まり、お互いの紹介が始まり、終わったのは二刻の後だった。


信長が言う。


「大義。されば下がれ」


濃が最初に下がった。


濃への挨拶がまだだったから、風之進こと、風は焦り、目で濃を追いながら、信長にどうしたらと同じように目で訴えた。信長は片手を振り気にするなと表し、笑う。


家臣達は、やれやれの表情で、それでも礼儀に)っとり広間を出て行く。


「さあ、今日はどうするかのん・・・お主達、馬乗れるきゃ」


赤い肩衣の風之進が答える。


「乗れまっけど、わてらはあんまり馬は使えへんのでおます・・・お殿様出かけらはるんやったら、わてらは脚でお供するんでっせ。このなりではあきまへんけど」


「おう、そうだがや。俺はよう、外行く時はいっつもこのなりだがや・・・家来どもは、ばさらだ言って嫌がっとるけどよ、小姓たらあもおんなじなりだで、おみゃあん達も似せなかん。部屋にこんなの置いたったろ」


信長はいたずらっぽい顔で、胸を張り、己のばさら装束を誇るよう言った。


「へっ、ほなそのように・・・しばらくお待ち下さりませ」


六人が去ると、信長が、あっと何かを思いついたように手を鳴らし大声を上げる。


「かつっ、さまっ、おいぬにくら、これへ参れ」


えーいえーいと声がして、呼ばれた四人が転がるようにやって来た。

恒興が代表して聞く。


「お殿様、なんか御用きゃあも」


「うん、おみゃあん達、あと二十人程でよ、馬飛ばして、蜂小(はちしょう)を探して連れて参れ・・・生駒屋敷か、前野んとこか、後は清洲の傾城宿か、なんでもええで、ちゃっと探して連れて参れ・・・ええか、ちゃっとだぞ・・・すぐ行けえ」


「ははあっー」と四人が飛び出していく。信長は、牛馬の移送を誰にやらせるか急に思いついたのだ。

 

蜂小とは蜂須賀小六正勝はちすかころくまさかつの事だ。

彼は信長より八つ年上だ。


小六の父、正利は蜂須賀村の豪族で乙名おとな(名主)を勤め、以前には美濃斉藤に仕え、次に犬山の信清から信長の父、信秀に鞍替えするなど、知謀の限りを尽くして乱世を生き抜いてきた強者だ。今現在は、信秀の不興を買い、蜂須賀村を出て、宮後(みやうしろ城(愛知県江南市宮後町)に移っているが、身体の具合が悪く、半ば隠居の様に暮らしている。


それを知っていても、窮屈(きゅうくつを嫌う小六は実家や宮後城には寄りつかず、気儘きままに暮らしている。彼は、武勇に優れ俠気に(あふれていたから、したう者が数多くいて、元の川並衆棟梁、草之井長兵衛くさのいちょうべえを押し退け、いつの間にか木曽川筋の野伏り数千人を配下にもつ蜂須賀党の頭分になっていたのだ。


彼は誰の家来でもない。彼等は普段、現在よりは格段に川幅が広い、木曽川や長良川、揖斐川の中洲、川原に住み暮らし、舟を操り、諸大名からの要請で戦働きもするし、自分達の縄張り内を断り無しに通行する舟を襲い財貨を奪うことも躊躇(ためらわない。


要するに彼等は神出鬼没のゲリラ集団で、小六はそれを自在に操る強い力を持つ男だった。

信長とは、生駒屋敷で会ってから妙に気が合い、武芸を競ったり鉄砲での狩猟も共にした。川を生かした生業等や戦働きの褒美で富裕な小六は、信長同様、専用の鉄砲を持っていて、その腕前は一益に負けず劣らずだった。


信長は、一益と知り合ってからは、多忙だったから、疎遠そえんになっていたが、牛馬を伊賀へ送るのは小六が適任だと(ひらめ)き決断して探させたのだ。


小六は信長の家来ではない。だが、小六も八右衛門同様、何故か信長に引き寄せられて好意を持っていたから、これまでも、信長の為に度々働いた。その度に信長は家臣となれと迫ったが、小六は窮屈な城勤めが嫌で断り続けてきた。が、信長のそれ以外の頼みなら、まずこば)まない。牛馬移送は小六に適任なのだ。

 

小六がいつ連れてこられるか判らないから、信長は、伊賀の六人を濃に引き合わせる事にした。


居室に着く直前、六人がばさら姿に着替えて廊下を曲がって来た。信長が手を上げて制止し、部屋へ入れと手で示す。


「たれかあるっ」


大声に、奥女中がすぐにやって来て、濃を呼べとの信長の命に、身をひるがえ)して三ノ丸の濃の部屋へ向かった。

 

濃はにこにことすぐやって来た。


「お殿様、お呼びきゃあも」


「うん、名前はさっき聞いたでええけど、おみゃあに色代まともにしとらんで、この者らが案じとったでよ。おみゃあに頼みもあったんだわ」


「なんやろ・・・言うてちょうでゃああそわせ」


「うん、六人は、扶持無しの見習いに表向きなっとるけどよ、なんにも持っとらんでは、面目が保てんがや・・・ほんだで、おみゃあの手元金から毎月よ、ようけでなてええで(沢山でなくて良い)銭、まめにやってくれんか。俺の手元金は、この頃政秀が押さえてまってどうもならんのだわ」


「そんなん、えんなやお(いいですよ)・・おまはんらはわざわざこうかから、お殿様のお側来てくれたんずら・・・わっちがおまはんらがあんき(安心)するようするんやお」


濃は彼らが実は伊賀者とは知らない。


解らない言葉があっても、雰囲気で濃の気持ちは感じられるから、六人はほっとした表情だ。

そこから、改めて六人は濃に自己紹介を始めた。


それは勿論、信長が授けた名前だ。


濃は一人一人の印象を紹介を聞いていちいち述べる。


風の時は「おまはんは鼻筋通って、目もきりっとしてて、ええ男ぶりずら」


柱の時は「おまはんは、名前通り柱みたいに頼りなりそうな強そな男らしいええ顔やし」


右の時は「なんやらすばしっこそうな感じやな。矢弾飛んで来ても、さっとかわせそうやな・・・口が可愛らしいな」


不知火には「思慮深しりょぶか)そうな子や・・・額が出てるからかな・・賢い証やお」


雪丸は「目が、くりくりして、おまはんは、なりは小さいけど、優しそうなええ顔立ちやお。城のおなご衆が言い寄るずら」


鷹目には「おまはんは、なんや、お顔に品があるな。都人(みやこびと)かな言いたいくらいや・・・眼が綺麗ずら。よう見えるんやろな」


濃が最後に革手袋は無視して言った。


「そのバサラ姿も皆よう似合うずら・・・髪を縛る派手な紐したらもっとずら・・・後で届けさせるんやお」


濃はまたにこにこと去った。


「お濃はよう、なかなかに賢きおなごでよ。美濃の蝮の娘とは思えん優しきとこもあるええ女だがや・・・口喧くちやかま)しいのが、まあかなわん言やあそうだけどよう」


褒め言葉ばかりだったから、六人とも赤面だ。 


そこへ、恒興の声がした。


「お殿様、おったおった」


信長が部屋を飛び出し、六人も続く。

恒興は廊下に疲れた様子でしゃがみこんでいた。


「どこにおった」


はあはあと息を切らして恒興が言う。


「お殿様の御推量通り、清洲の傾城宿だがね。最初に行ったで早よ見つけたんだわ。ほんだけど、酒飲み過ぎてまって馬乗るどころか歩くのもあぶにゃあ位だで・・・おいぬとあと三人で担ぎ上げて、蜂様の馬に縛りつけて、今ここへ向かっとるがね・・俺は早よ知らせようもって(早く知らせようと思って)駆けてきたんだわ」


「ほうか、小六のたわけめ・・・侍の心得もにゃあ大うつけだがや・・・おみゃあんたち、これから可笑しいでついて参れ・・たわけに(やいと)据えたる」

 

信長が、何故かニヤリと笑って表へ向かい、皆続く。


御殿玄関の式台に信長が仁王立ちし待っていると、沢山の馬音がして、城門をくぐって小姓たちが帰って来た。先頭の犬千代が小六の馬の綱を引き、ひとえ)に羽織袴姿の小六はその馬に縛りつけられている。小六の大小は蔵之介が縛って肩に担いでいる。


犬千代が、馬から降りて信長に聞く。


「お殿様、縄ほどくんきゃ」


信長が頷いたから、何人かが手分けして縄をほどき、小六を引きずり降ろして、また式台前まで石畳の上を引きずって来た。小六は全く正体がなく、またすぐ横たわって寝てしまう。今風に言えばべろんべろんだ。


「誰ぞ、井戸水を五~六杯汲んで参れ」


何人かが走りすぐ水桶を一杯にして戻ってくる。


「たわけにぶっ掛けたれ」


そう言われても、誰も水を懸けない。


小六の武勇はこの辺りでは鳴り響いているから、小姓たちは恐ろしくて出来ないのだ。

信長が怒声を上げる。


「なんだあ、おみゃあんたちは、揃って腰抜けかあ・・・おみゃあん達がやれんのなら、俺がやったる」


信長が式台を降りようとすると、後ろで控えていた鷹迅(たかとし)が声をかける。


「お殿様、そげな事はわてらがやりまっさけ」


信長がそうかとまた仁王立ちに戻る。

六人が揃って式台を降りて、小姓達から水桶を受け取り、無造作に小六に水を掛けた。


特に力を入れているようには見えないが、工夫があるのか、水が掛けられる度、小六の身体がごろごろと転がる。


最後の水を掛けられて、小六がやっと気づく。


「わあっ、ぐはっ、つべてえがや・・・誰だあ、水掛けたのはぁ~・・・あれま、ここはどこだあ・・・・俺が誰か知っとるのかあ」


びしょ濡れの小六は濡れた顔を手で拭いながら、回りの小姓達に怒鳴る。


「おみゃあか、おいぬ、おみゃあか、くらっ、つねっ・・・俺に水掛けたの誰だあ。俺は蜂須賀の棟梁だがや・・・無礼討ちにしたるがやぁ・・・・あれっ、俺の刀どこやったあ」


小六は立ち上がり、小姓達に掴み)かろうとするが、酔いがひどくてうまく立ち上がれない。

伊賀の六人は素足だったから、手早く手拭いで足を拭き式台に上がり信長の後ろに控える。


「蜂小、てみゃあはそれでも侍か・・・な~にが蜂須賀の棟梁だ・・・この糞だあけ(たわけの最大級)」


信長に怒鳴られてやっと気遣いた小六がいう。


「あれま、お殿様だがね・・・なんだあ、お殿様もここ来とったんか・・・あはは。ありゃっ、ここはどこだあ・・・清洲の傾城宿だにゃあがや・・・あっ、那古野だがや・・俺の相方(遊女)はぁ~・・・あっ、くらっ、てみゃあが担いどるの俺の刀だがや・・・返せ・・おみゃあんたらあ、皆殺しだがやあ」と、もう支離滅裂しりめつれつ)だ。


縫こと不知火が小声で言う。


「お殿様、怪我させんよう動けへんようしまっか」


信長が頷くと、縫は、ばっぱっと飛ぶように駆け降り小六の背後に立つと、小六の肩をそっと触る。


立ち上がりかけていた小六がどういう加減か、それだけで、あっさり座り込む。


不知火は懐から丸めた細紐ほそひも)を取り出すと、小六の首から始め、くるくると全身を手早く縛って小六に言った。


「蜂小様、いごいたら(動いたら)あきまへん。首が締まりまっせ」


「なにぃ、てみゃあは誰だあ・・・・顔見せろぅっ、こんな紐、千切ちぎ)ったるがや」


小六はそう言って身体に力を込め、紐を引き千切ろうとする。


真っ赤な顔で力んでも、紐は切れず、それどころか、何故か締まってしまい、胡座の小六の上半身が段々前に傾いて行く。


「ぐふっ、ぐ、ぐるしい。息できん・・・てみゃあ、ほどけ。ほ、ほどかんと・・」


小六は気を失った。縫は素早く首を縛る紐をほどき、小六の上半身を起こして右手で背中を軽く突いた。


小六はそれですぐに意識を取り戻したが、手足は縛られているから動けない。


「ふ~っ・・・・あっ、あれっ、なんだあ、紐ほどけぇ~、咎人(とがにん(犯罪者)だにゃあぞ・・・俺の銭で酒飲んで(わりぃか・・・遊び女抱いてわりぃか・・・」と、叫び、背後の縫を振り返ってまた怒鳴る。


「てみゃあが縛ったな・・・見ん(つらだがや。どこの誰だあ・・・・名乗れ・・許さんでなあ」


信長が呆れ笑いで言う。


「小六、おみゃあは度しがたき、たわけだがや・・・正気に戻さねばならぬ。誰ぞ、やいと(灸)を持て」


「はあっ、や、灸・・・お殿様、止めてちょ、俺は灸はいかんのだがや・・・頼むで灸は」


「いかん、俺は頼みあるんだで、おみゃあの酔った脳では解らんで、灸で目、醒まさせたる」


「た、頼み、またどうせ、銭も寄越さんと、あれやれこれやれだにゃあの・・・・やだやだ・・・やれへんやれへん・・・おおかたぁあ(大体)人にもの頼むのに、縛るわ、水掛けるわで、無礼だわ・・・」


信長は薄ら笑いで言う。


「おう、言う事はそんだけか・・・待っとれ」


そこへ、丹羽万千代長秀にわまんちよながひでが、灸道具を抱えて戻った。


「それ、頭と肩にできゃあの(すえ)たれ」


頭頂と両肩に、もぐさを山盛りにされ、火を付けられた小六は罵声を上げながら、暫くは耐えていたがやがて


「あぢい、あちっ、熱っついて、熱つつ、たまらん・・・止めてくれぃ・・・も、もう酔いは覚めたで、止めてちょう・・・」


信長がにこにこと聞く。


「さようか、熱いか・・・止めて欲しいか」


小六が泣き顔で、うんうん頷く。


「されば、我が頼みを聞いて働くか・・・小姓どもに遺恨いこん)持たぬか、返答せいっ」


「うっ、う~ん、あ~っ・・・熱いっ、熱っついがや・・・わかったわかった・・・お殿様の言う通りするで、止めさしてちょ」


「わかったなら金打(きんちょう、刀を打ち鳴らし誓約する事)いたせ」


「刀にゃあのに、金打みてゃあ出来んがね」


「口でいたせ」


少し黙ってから小六が言った。


「ち~ん」


全員が大爆笑し、小六は解放された。


小六は命じられた事への一切の質問を禁じられ、勿論真実も知らされないまま、牛馬を集め、運ぶ事に専念した。伊賀との連絡は当然一益が鳩で行う。

 

潰れる前の牛馬は簡単に集まった。飼っている各家では、役に立たなくなったからと言っても、不憫ふびん)で殺す事も棄てる事も成らず、仕方なく寿命が尽きるまで、ただエサをやり、繋いでいただけだから、僅かな銭でも喜んで引き渡してくれたからだ。


集まった牛馬は、夜間、場所により、於台川や、木曽、長良、揖斐川などを使い、目立たないよう数匹づつ船に乗せ、陸伝いに伊勢の白子の浜まで運ばれた。鳩を使い、あらかじめ時間を取り決め、白子浜には、伊賀衆が受け取りに来た。織田側としての、それは全て小六とその配下が行った。


伊賀者は、小六達とは接触せず、決められた場所に小六達が繋いで行った牛馬を静かに連れ去るのだった。

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