↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/34

あゆちのびと衆 第一章 その九


       

         神使(しんし)

 

 

天文十九年も、やがて暮れる。

 

小六に命じた、牛馬輸送も順調だ。小六は金打(きんちょう)した手前、成し遂げなければ面目(めんもく)が立たないから、無償で(信長には後払いと言われている)励んでいた。


この頃の武士階級は、「面目」に、ことのほか拘(こだわ)る。面目が立つ立たない、潰れる潰される事には強く反応する。

半(なか)ば、盗賊の親玉(おやだま)のような小六でも、武士にかわりはなく、半強制的に、しかも口での金打と言えど、大勢の前での事だから、約束として守らないと、面目が潰れるから仕方がないのだ。 

 

では、面目が潰れたらどうなるのか。同じ武士階級から嘲笑(あざわら)われ、信用を無くし相手にされなくなり、最悪は、武士階級からの脱落も有り得るのだ。今回の顛末(てんまつ)は、信長の役者が、何枚も小六より上だったからなのは明らかだったが、武士の金打とは、それほど重大な、彼等の約束行為なのだ。

 

そして、那古野城の城下の、かなりの畑では、これまで、尾張にはなかった作物が植え付けられている。信長がそれぞれの村役を呼び、津島商人に購(あがな)わせた種を与え、彼等に有利な納税条件を示して、行わせているのだ。それが何かは、春までは他の者には判らない。

 

それらは別にして、この頃、那古野城下だけでなく、尾張平野のあらゆる場所の、領民の間では、奇怪な噂が飛びかっていた。

 

闇を切り裂き、風のように走る、巨大な何かを大勢が目撃していたのだ。


黒い影と共に噂になったのは、黄色や金色に輝く、六つの眼のような不気味な光と、松脂(まつやに)に似た、鼻につんとくる香りで、光を真っ赤だったと言う者も居れば、六つ共に色が違うと言う者もいた。

 

そのせいで、普段なら、多少の灯りがある、那古野城下は、暗くなってからは、人通りは絶え、真っ暗になり、聞きつけた、城下警備の侍達の、手に持つ松明の明かりが、鬼火のように、町中を行き交(か)うばかりとなっていた。ただ具体的な被害は、何ももたらされてはいなかったし、そういう奇怪な現象は、十日程でおこらなくなった。


六名が来て、十日が過ぎた。


信長は、彼等の名前以外は、彼等について、まだなにも知らない。だが忍びの業の事も、彼等の生い立ちや家族の事も、彼等から話せば聞く気はあるが、こちらから聞く気はない。信長には聞かなくても、彼等の背後の色で最も重要な、その心情が解るからだ。またそういう事柄は、時と共に、だんだん伝わるとも思っているからだ。

 

六名は、昼夜信長の側を離れない。夜間は三人づつが交代で、二ノ丸御殿全体を見張っている。不審者発見時は、なるべくなら無傷で捕らえ、手向かいされて、やむを得ない時は、成敗の許可を信長から貰っている。

 

六名は、寡黙(かもく)に誠実に務める。普段、信長が何も言わなくても先を読み、何事にも遅れない。と言って、信長への、おもねり、こび、追従(ついしょう)等は全くない。


野駆けの時は、脚でと、風が最初に言ったが、それをすれば、正体露見(しょうたいろけん)となるから、相談の上、それぞれが馬を貰い、信長達と同じ、ばさら姿で、一緒に駆けている。

 

馬術が巧みな信長が見ても、彼らの馬を操る技術は優れているが、それを誇るような態度は見せないし、口にもしない。


毎日の城内での鍛練時は、六名は参加せず、鍛練場所を、遠巻きにして警護する。

 

御殿で、信長が客や重臣家臣と会う時は、これまでは、信長が仰々しいと、誰も置かなかった役目だが、公の場所での行儀作法を覚える名目で、雪丸が、信長の佩刀(はかせ)を捧げ持って背後に、あと五人は、二人が座所下左右に座り、三人は広間入り口廊下に控え、万一に備えた。


六名は、小姓達とも打ち解けて、もう仲良くなっている。信長はそんな彼らの、覚悟と心意気が、とても気に入っていた。


(なんの縁もなかった者達だが、もう長き間、一緒のような気がするがや・・・武士の嗜(たしな)みもよう心得とるし、歳も同じ位で、背中もほがら色で、兄、弟がごとき暖かき心地(ここち)になるがや・・それにしても、小六を縛ったのも、水掛ける呼吸も、活(かつ)いれたのも、鮮(あざ)やかな、手並みだったがや・・・年若き者達なれど、まさしく伊賀の手練(てだ)れどもだがや)


六名は、小南の言った忍びの掟を守り、決まった食べ物以外食べない。


忍びに必要な事とは解っていても、心が痛んだから、信長は、せめて、と、熱田から毎日新鮮な魚介を取り寄せ、賄い方に命じ彼等に供(きょう)させた。だが、食べ具合を信長が聞くと、ほんの少ししか食べていないと判り、ついには、風が直接賄い方に、供するのは止めてくれと、丁寧(ていねい)に断ったと聞いて諦めた。


賄い方は、甲賀の風習なのかと解釈(かいしゃく)して詮索(せんさく)しない。


炮烙火矢用陶器製作も順調だったし、火縄銃の銃床も、城にある五十挺分は、すでに完成していた。

 

信長が、ふと言い出して、鎧(よろい)装着時の銃床使用を試させたが、足軽用は問題皆無で、信長達が着けるような、全身を覆うタイプでも、鎧の肩覆いの部分が少し邪魔にはなったが、ずらせば特に問題はなかった。

銃床、銃架の作り方も、鉄砲放ちの内の手先が器用な者が、繁造に習ってマスターしている。繁造は監視は解かれたが、未だ、信長の許しがなく城からは出られない。


だが彼は、それを苦にもせず、城内を咎められぬ程度に歩き回り、家屋や設備の傷んでいる箇所を見つけては、嬉々として、それを直したり、いずれ授かるであろう、信長と濃の子の為の玩具を作ったりして、それを濃に報告して暮らしていた。


濃はその度、小銭をやったり、料理や酒を増やしてやったりして報(むく)いていた。濃は、父の道三と同じ年頃の繁造に、その面影を見ていたのかもしれない。


十一日目の朝、信長が、鍛練に向かう為御殿玄関を出ると、六人はいつものように、バサラ姿で式台下に控えていた。


信長が式台を降りると、縫こと不知火が近づいて囁いた。


「お殿様、今日のよさり(夜)、お見せしたいもんがあるんやけど、ちいと時を頂けまへんか。滝川様にもやさけ、お呼びして頂けまへんか」


夜になった。


長屋の裏に、信長と、密かに来た一益が立ち、六人が片膝で向かい合って居る。篝火(かがりび)が一基だけ据(す)えてあるから、真っ暗ではない。パチパチと松の木片が燃える音だけがしている。雪丸が立ち上がり、笑顔で言った。


「お殿様に滝川様、わてらには、まだ同輩(ともがら)が居てますんや。やけど、お殿様がわてらを、あいなくされ(気に入らないと扱う)はるかもしれへんよって、今まで言(ゆ)わんかったんでおます。御無礼な問いやけど、わてらは、この先もずっと、お殿様のお側でお仕えしたい思うてまっけど、お殿様は如何でっしゃろ」


「言うまでもない・・・・国を離れたお主等には、頼みにくき事ながら、なることなら、せめて、あゆちの事が成るまでは、共に居て欲しいがや」


雪丸が嬉しそうに言う。


「勿体ない、お言葉(ことのは)。有り難き事でおます。それ伺(うこ)ごうたらもう、がいっと(力一杯)勤めるだけやさけ。ほな、呼びまっさかい、ちいと化転(けでん)(驚く)しはるか、やけど、険(さが)しい事はありまへんよって(危険はない)」


雪丸が懐から、何かを取り出し、口に咥(くわ)えて強く何度か吹いた。

音は全く聞こえない。


信長が不審に思い、その訳を聞こうとしたとき、それら(・・・)は来た。


闇の中から、音も立てず、三匹の獣が現れたのだ。


高さが三間半(六㍍三十㌢)もある、那古野城の土塀を、飛び越えて来たとしか思えないのは、物音が全くしなかったからだ。


一匹は真っ黒で、馬の倍もある巨体で、頭の高さが七尺(二㍍十㌢)よりやや低く、鼻先から尾の先迄は、四間(七㍍二十㌢)はあり、重さは百三十貫(約五百㌕)はありそうだ。

 

二匹は、それぞれ真っ白と灰色で、高さ五尺、長さは三間位(五·四㍍)、重さは八十貫(約三百㌕)もあろうか。


二匹も、 犬だとしても、誰も見た事のない大きさだった。三匹の身体全体が、何かに覆(おお)われているかの如く、鈍く光っている。三匹とも、桁外(けたはず)れの大さだが、均整(きんせい)がとれていて、非常にしなやかな外見で、その姿は、恐ろしいというより、美しいという言葉が当てはまる。

 

雪丸が、片手で何か合図でもしたのか、三匹は信長達の前に、大人しく踞(うずくま)った。


三つの口は閉ざされ、六つの眼は金色に輝いて、何故か、松脂のような香りが漂ってくる。


耳と鼻が犬程尖っておらず、肩幅狭く、胴が短くて尾が長い。紛(まぎ)れもない、狼(Wolf)の特徴だ。

 

信長も一益も驚きの余り、言葉が出ないが、一益は覚った。


(あんときのけぶらは、こいつらやったんか。なんちゅういかい(なんて大きな)・・・・狼か・・・ほんまもんの、がおやがな(本物の化け物だ)


踞った一頭とは視線が合い、二頭は見下ろす高さの視線の信長も、やっと言う。


「こ、これは・・お、狼か・・・これほどの狼が伊賀には居(お)るのか•・•・・魔性(ましょう)が来たかと思ったがや・・・俺は、ふぐり(睾丸(こうがん))がぎゅっと縮んだがや・・・ほうか(そうか)、尾張中で騒がれとったのは、この狼どもを見たからか。ほんで、お主等は、これを如何に使うのか」


驚く信長だが、三匹の狼の背後、と言うより、三匹の身体全体が、それぞれ金色の靄(もや)のような輝きに包まれているのにも、更に驚いているが、それは口に出来ない。


「へいっ、わてらと一緒に、お殿様を御護りするんでおます・・・尾張へ来てもう十日、こやつらは、この辺りの臭い覚えましたさけ、それで、御城下も御騒がせしてもうたんやけど、まずはそれが成りましたさけ、胡乱(うろん)なもんは、もう滅多に、ここへは近寄れまへん。お殿様、こやつらの事は、部屋で話させてもろうて、人目がありますよって、いっぺん去(い)なさせまっさけ。名ぁだけ、覚えてやっておくなはれ」


黒い巨体の狼は、影と書いて「影(よう)」 灰色の個体は「剋(こく)」 白色は白と書いて「白(びゃく)」


雪丸が、また笛のようなものを吹き、片手を振ると、三匹は立ち上がり、身を翻(ひるがえ)して闇に消えた。


信長の居室。 

部屋へ入るなり、一益が「あの狼は、」と何か聞きかけたが、信長が手で制止して、雪丸の説明を聞こうと言った。八人が車座に座り、信長が膝を崩せと言って、全員が胡座(こざ)をかく。雪丸が、狼についての話を、順序立てて話し始めた。以下が内容だ。


まず伊賀では、狼を大神と呼び、大昔から、伊賀周辺の山奥から、狼の産まれたてを拐(さら)ってきて育て、忍び仕事の補助をさせてきていた。


狼は、慣らす事が難しいが、慣れれば犬より遥(はる)かに優秀だ。忍者にとって、犬が一番の大敵なのだが、この時代は、多くの大名が、犬を警備警戒に使っていた。だが狼を使えば、犬はその臭いだけで、パニック状態になり、文字通り尻尾を巻いて、役目が果たせなくなる。だから伊賀忍者は、狼を危険を犯しても拐ってきて撫育(ぶいく)し、使ってきたのだ。


拐う際は、多産の狼の仔を、一匹だけ拐ってくる。

親狼は、拐われた事に気づいても、残った仔達を、放置できないから諦める。


だが、もし全部の仔を一度に拐うと、親狼は絶対に諦めず、どこまでも臭いをたどって追ってくるから、それはタブーとされていて、今までに例は無いが、産まれたのが一匹だけだったら、その個体には触らないのも掟とされていた。


そして、仔狼を拐うのは、六名の様に修行を積んだ者の卒業試験として行われ、全て雄(おす)の、影(よう)、剋(こく)、白(びゃく)も、それぞれを雪丸、風、鷹目が、赤目四十八滝の奥、大峰山、吉野山から、早春に拐ってきて育てた。


(柱、右、不知火は修行時期が異なり、皆、仔狼は拐ってきたが、それは普通サイズにしか育たなかった)

 

そして、巨大な狼の親は、やはり巨体かというと、それは意外に違って、普通の体格の親から、突然に大きく育つ仔が産まれ、それは育ててみなければわからない事で、その産まれる訳も謎だった。

 

だが、影(よう)に関しては、これまでの伊賀の歴史上で、当たり前だが、最大と言うことと、剋(こく)と白(びゃく)も、歴代の五指に入る事が、百地らが古い記録を調べて、判明した。

 

信じ難い事だが、三匹の狼は産まれて、丁度一年だった。


百地と藤林は、この時期に三匹が伊賀へ拐われて来て、彼等でさえ肝を潰す大きさに、驚異的なスピードで育った事から、それが敢国神社の三柱の神からの、神使(しんし)の眷属(けんぞく)だと断じ、雪丸達に連れて行くよう命じたのだ。

 

そして、雪丸の笛は、犬笛同様、狼にしか聞こえない音を出す、伊賀に古くから伝わる道具だった。


そのエサは、三匹が、己で雪丸等に許されたタイミングで、近い距離の山野で、猪や鹿、熊でも狩って食べるのだ。


話が大体終わり、雪丸が黙ったので、信長が茶を入れるよう命じ、六名が一斉に取りかかり、全員に茶が行き渡ってから、信長が口を開いた。


「狼を大神と・・・神の眷属(けんぞく)とは・・・・俺は我が眼が信じれん・・・あのような大きさなるに、まだ一歳とは・・・ほんだけど、エサを己で獲(と)るなら、三匹はお主等になんで従う。エサ貰って主従が成り立つんだがや」


雪丸が、飲んでいた茶椀を置いて答える。


「それは、使命、やろと思てます。使命持ってるさかい、エサ貰わんでも、三匹はおんなじ使命のわてらに従うんでおます・・・わてもこの五人も、大神のことのは(言葉)わかりまへん。やけど、大神はわてらのことのは解するんでおます・・・不思議やけど、ほんまなんだっせ。百地と藤林の大旦はんが言わはったように、三匹は、神さんの眷属(神の一族)やから、神さんから使命貰って、現れたんやと思うてるんでおます。神さんが、あゆちを成す事に感応(かんおう)しはって、遣(つか)わさはったんに、ちがいないんでおます。やから、わてらの命聞く言うんやなて、三匹は使命に沿(そ)って、わてらと一緒に働こしてるんや、としか思えへんのでおます。」


「ほうか、神が感応(かんおう)してくれているのか。三匹はその為に・・・」


 雪丸は、影(よう)を育てた様子を語る。


 飼育方法は先輩忍者から学んでいた。


怯える影(よう)を懐で暖め、牛の乳を与え、三日で乳を飲まなくなると、山で鳥や兎、狸に貉(てん)等を捕らえ、その生肉を雪丸が噛んで柔らかくして与え、便の出が悪くなると、尻の穴を舐めてやる事までもあった。

寝る時も必ず抱いて寝てやって、影(よう)が、急激に育って懐には勿論、抱き抱えるのも出来なくなるまで、雪丸は肌を合わせるよう育てていた。


影(よう)は十七日で、普通の狼の大きさになり、その後は一日事に、眼で見て判る勢いで、「ぐぐっ」 「ぐぐっ」と大きくなり、三十日後には、今の大きさになった。


それは、伊賀中の話題となり、雪丸が居た伊賀の下神部の小南の屋敷は、連日、見物の伊賀衆が引きも切らず、何日か目には、百地と藤林まで来て、雪丸等は、その整理と接待に忙殺(ぼうさつ)された。見物に来た伊賀衆は、百地、藤林も含め、影(よう)の大きさに肝を潰し、驚愕(きょうがく)した。


そうしているうち、特に何かを仕込んだということもなく、影(よう)は、まるで雪丸の言葉が判るように活動するようになった。その時はわからなかったが、剋(こく)も白(びゃく)も急激に育ち、それぞれの育て親の風と鷹目の言葉が判るかの如く、行動するように同時期になっていた。


かなり複雑な命令も、ちゃんとこなす。

三匹は引き会わされ、すぐにお互いを舐め合い、臭いを嗅ぎ合って、仲間と認め合い、行動を共にするようになった。

 

その後、雪丸達に命じられると、三匹だけで狩りに行くようになり、猪を指定すれば猪を、鹿なら鹿をと、影(よう)が代表するように咥えて戻るようになった。 


そして三匹はその頃から、山奥へ行くと、必ず身体に、透明な松脂を、擦(こす)り着けてくるようになった。


松の木の皮を、鋭い爪や牙で切り裂けば、松脂は滲(にじ)み出てくるから行為そのものは、出来て不思議ない事だったが、松脂のつんとくる匂いは、犬は勿論、狼なら嫌う匂いのはずなのに、何故三匹が、そのような事を行うのかはわからなかった。

その匂いは、信長と一益も感じたし、尾張での騒ぎの折りも。目撃者の口にも上(のぼ)った事だ。

 

その謎は、小南の屋敷で暮らす、忍者を引退した老人が解いた。

 

松脂は、身体を保護する鎧の役目を果たし、経験を積んだ猪が、それを行うのは知られた事だが、普通の狼が暮らすのには不必要なその行為は、この先の使命実現の為の、戦場での働きを予想しての事ではないか、と言ったのだ。


確かに、松脂が身体をコーティングのように覆えば、刀や槍、矢も簡単には通らない。それを後(のち)に、百地が追認したから、苦手な筈の匂いを苦にしない三匹は、やはり神使の神獣だということになった。


二月(ふたつき)が過ぎ、雪丸達は、三匹の脚力と追跡能力を試そうとした。


育て親三人が、遠い場所に先行し、それを一匹づつ場所を変えて追跡させ、時を計り探ろうとしたのだ。

 

影(よう)の時は、伊賀から直線で約五十里の、甲斐の国の駒ヶ岳。

 

雪丸は、全身柿渋色(ぜんしんかきしぶいろ)の忍び装束に短い忍び刀を背負い、最低限の忍び道具と食糧を懐に、日が暮れてから駒ヶ岳目指して伊賀を出発した。


街道は使わない。目印にするだけだ。道に沿った田畑を闇に紛れて駆け抜ける。時には道を外し、谷は駆け登り駆け降りる。川は飛び渡り、飛べない時は急流でも濁流(だくりゅう)でも、泳いで渉(わた)る。


川を泳げば、雪丸の臭いが跡絶(とだ)えるが、それは影(よう)を試すのに都合がいい。結果的に影(よう)は、それをものともしなかったが。

 

鬱蒼(うっそう)とした森では、木間(こかん)を猿(ましら)のように飛んで伝って移動していく。

時々ある、その地を支配する者が設置した山城や砦、関所や番所も、飛び越えたり道を外したりしてかわす。


平地は勿論、山が急になっても、そのスピードはほとんど落ちない。


初めての場所でも、地形や山容、星の位置で判断するから迷わない。喉が乾けば、飢渇丸(きかつがん)(渇きや飢えを凌ぐ忍者の食糧)を、数粒食べては走り続けた。


直線では五十里でも、実際の距離は七十里もあったが、雪丸は五刻(十時間)で駒ヶ岳の麓(ふもと)に着いた。


平均時速は、半刻に七里(約二十八㌖)だ。雪丸はこれでもまだ全力ではない。平均時速をあと二割位上げるのは、彼には容易な事なのだ。


人気(ひとけ)のない谷の入り口に、身を隠して暫(しば)し仮眠する。二刻程熟睡して目覚めると、もうすでに傍(かたわ)らに影(よう)が踞(うずくま)っていて、目覚めた雪丸の顔を、ペロペロ舐めた。


雪丸と影(よう)は、暗くなるのを待って伊賀へ帰った。

 

帰り道では、度々雪丸が、影(よう)の背中に掴まって走ることもあり、往路よりは早く移動出来たが、道中で、影(よう)を見て起きたような、騒ぎの有無を確かめながらだったから、六刻が費やされた。


騒ぎがなかったのは、影(よう)が姿を人に見せなかったのは勿論、足跡さえ、人目につく所には残さず、往復百四十里を走り抜いた証だ。

 

伊賀へ帰りつき、影(よう)の出発時間を聞くと、雪丸が出発して、三刻過ぎた真夜中の暁九つ(二十三時五十分)だったとわかり、逆算して影(よう)の平均時速が、半刻に十一里と少し(約四十七㌖)と判明した。


さらに雪丸は、影(よう)の最高速度を計った。


全速を命じられた影(よう)が、雪丸を背に、真っ暗な伊賀の平地を、時速百㌖を超えるスピードで、小半刻(三十分)も、ぐるぐると走り続けたのを、学んだ目算で割り出している。


それらの様々な出来事から、影(よう)の能力の高さが証明された。

 

同様に、剋(こく)は風が、若狭湾の常神岬(つねがみみさき)の先端に先行して、剋(こく)は直線で約二十八里、実際には三十五里の距離を、平均時速約五十六㌖で走破した。


白(びゃく)は、鷹目が三十里南の熊野大社に先行し、険しい山地にも関わらず、実際の距離、四十里を走った白(びゃく)の速度は、時速約五十㌖と判明した。


二匹も軽く、時速百㌖が出せる事を鷹目と風も目算で確認していた。

これらの事で、三匹の神性はまた確信された。並みの狼では、絶対なし得ない偉業だったからだ。


長い話が終わったが、信長も一益も、言葉が出ない。


雪丸が笑顔で言う。


「お殿様も滝川様も、三匹は此方(こなた、味方)やさけ、御案じには、ならんで(心配しなくて)ええんでっせ。あれらの使いよう、案じまひょ(使い方を考えましょう)」


信長も一益も、まだ聞いた事情が整理できないのか、無言だ。


「・・・・わてが一つ思うたんは、戦場(いくさば)行ったら、彼方(かなた、敵)も陣構えますわな。ほいてよさり(夜)になったら、馬ひととこ集めますわな・•・そこへ三匹忍ばして、いきなり吠えさしたら、どないなる思わはりまっか」


「あげな、いかいがお(あんな大きな怪物)が吠えたら、馬は泡吹いて逃げよるか、魂消(たまげ)て、そのまま逝ってまう(ショックで死んでしまう)のも出よりまっせ」と、一益。


「馬逃げたら、彼方の力は、半ばになりまんがな。あとは此方の、やりたい放題ですわ」


雪丸が答え、信長がにやりとして言う。


「雪丸、その通りだがや・・・その様(さま)を思うだけで、笑えるがや・・ほんだけどよ、此方にも馬は居(お)るがや・・それは如何にいたすかのん」


「へっ、それは皆と案じ済みでっせ。馬は臆病やけど賢(かしこ)い生き物でおます。やから、影(よう)等ぁが、己(おのれ)らを襲わへん解ったら、心安(こころやす)んじて、面(つら)会わせても恐がらんようなるんだっせ・・・これは伊賀で試し済みなんでっせ・・・やから、御家中の馬を全部集めて、影(よう)等ぁと、慣れさせたらええんです・・・あれらは、己のけぶら(気配)消せまっさかい」


「うん、もっともだがや・・•されば明晩からいたすとするがや」

 

信長は、その理由を、夜戦に慣らす為と触れ出し、家中の馬を、暗くなる前に、順番を決めて、那古野城の馬場に、連れてくるよう命じた。信長の馬に関する知識が卓越しているのは、家中全員の知る所だったし、その命に逆らう者はいないから、翌晩から家中の馬は半分づつ集まった。

 

周り中に、点々と篝火が焚かれた馬場は、雪丸達六名が大きく取り巻いて監視している。

 

信長も、闇に隠れて見ている。


信長が聞き逃した事を、傍の雪丸に尋ねる。


「三匹の名の、訳か由来(ゆらい)はあるのきゃあ」


信長は、さぞ立派な訳や由来があるかと期待していた。だが雪丸はこう言った。


「ありまへん。わてと風と鷹目が、呼び安い名ぁを、思いついたまま、付けただけでおます」


信長は拍子抜けしたが、普通にさようかと答えた。

 

馬場の隅には、影(よう)達三匹が気配を消して踞っている。


三匹には、廃棄予定の、古びて色褪せた旗やら幟(のぼり)などを、雪丸達が簡単に縫い合わせた大きな布が、すっぽり被せられている。

 

だが、集まった二百頭程の馬達は、影(よう)等の臭いを嗅ぎつけ、怯えて、馬場の反対側にかたまっている。馬達は、目を光らせ、違う獣の臭いと、嫌いな松脂の刺激臭に警戒して、両耳をピンと立てている。狼三匹は布の下で全く動かない。

 

それが三晩続き、四日目の夜になると、馬の中でも好奇心が強い個体が、何頭か三匹の側までくるようになった。


また二晩がたち、雪丸達は大きな布をとっぱらった。狼達はそれでも動かない。目は閉じたまま、息も微かに最低限しか行わない。


その状態を、更に二晩続けた次の晩、近寄る馬の一頭が、影(よう)の松脂が付着していない顔の部分に、鼻を擦り付けた。更に鼻で影(よう)や剋(こく)の身体を軽く押す。それでも狼達は全く動かない。

 

それがまた、五晩続き、次の晩、馬達は入れ替わり立ち替わり、狼三匹に近づき、小さなちょっかいを出しては戻りを繰り返す。

 

そして、最初の日から二十日目、三匹の狼は静かに立ち上がった。馬達は恐れずにいる。三匹は静かにゆっくりと歩き出し、馬達の群れの中に別れて入って行く。

 

馬達は、恐がるどころか、次々と寄ってきては、三匹の顔の辺りをひと舐めしては入れ替わる。中には影(よう)達の尻に、鼻を当てる馬もいる。ピンと立っていた馬達の両耳は、力が抜けて下に垂れている。


影(よう)達は、それまで吼えたり唸ったりはしなかったが、最初は小さく、段々大きい声で吼えた。馬に声を覚えさせるためだ。


最後の真夜中、三匹の狼は最大と思われる声で吼(ほ)えた。


「グワォ~オオオォールルル~」


「ガオ~オオオォ~」


「ワオォォォォ~ウルルル~ン」


馬達は、一瞬凍り付いたが、パニック状態にはならない。

 

パニックに陥(おちい)ったのは、城内の事情を知らない者達と、城下でその恐ろしい声を聞いた領民達だった。

 

馬場へ近づこうとした者達は、雪丸達に制止され、声の主は不明で押し通され、城下の者達も、声が一声(ひとこえ)づつだったから、やがて静まった。


こうして、信長軍の馬は、全て三匹の狼に慣れた。


信長も、その様子を時間を決めて毎晩見ていた。信長には馬達が如何に不安がり、日がたつに連れ心持ちが和らいでいったのがその会話からわかっている。

普段は封印している力を、念じて解放すれば、鳥獣の言葉がたちまち解るようになるからだ。

  

 信長の馬、東雲(しののめ)が、一益の雷(いかずち)と話している。


「おい、あの気配はなんでゃあ」と、雷(いかずち)。


「知らんがや。ほんだけどよ、恐ぎゃあにはちがわんがや」


「嗅(か)いだことにゃあ、臭(にお)いだがや。松脂の臭いも嫌だがや。なんでお殿様はよう、こんな、とろくしゃあことをよう、毎晩しやぁすんきゃあなあ(愚かな事をなさるのか)・・・寒びぃしよう、早よ、厩(うまや)帰りてゃあがや・・・おみゃあさんなら、訳知っとるだろう」


「知らんのだわ・・・お殿様はよう、俺にのっとらっせる時は、あんまし物言えへんのだわ。みゃあにち(毎日)責め終わったら、俺を拭(ふ)いて、労(いたわ)ってはくれるけどよう・・・まあほんだけど、お殿様は賢けえお方だでよう、そう案じんでもええんでにゃあの」


「他の馬んたらあ(馬達)は、どえりゃあ怖がっとるがや・・・俺の主(あるじ)の、滝川様なら訳知っとるかも知れんなあ。あとでよう耳立てとくわ」


これが初日の会話で最終日には・・・


「あれが狼か。ほんだけどよ、狼てゃあ(狼とは)、あーもでっきゃあか(あんなに大きいか)。なんだあ、あのどえりゃあ、できゃあ吼え声は」と、東雲(しののめ)。


「俺は恐(おそ)がすぎて、糞漏(くそも)らしてまったがや。狼かどうかはよ、見たの初めてだでかんわー(初めてだから判断がつかない)。ほんでもよう、俺んたらあ(我々)を、喰おうとはせんで、ええんでにゃあの」


「これはよう、おおかたよう、お殿様がよう、戦場(いくさば)でよう、あの狼三匹をば、使う事もあるかもしれんでよう、俺んたらあ(我々)が、魂消(たまげ)んように、引き会わしてくれやあたんだわ(くださったのだろう)」


「ほーか、ほーだなぁ。あの恐ぎゃあ狼は此方か(味方か)・・・ほりゃあ良かったがや。あんなもん彼方(敵)だってみよ、どなけん(どんなに)鞭で叩かれても、走れーへんがや。馬、辞めなかんとこだったがや」

 

馬場の外の暗闇から、馬の会話を聞いていた信長は、最後の雷(いかずち)の冗談に、笑い声を上げそうになったが、必死に堪えて部屋へ逃げ帰った。


それからも、那古野城の馬、軍馬と駄馬を合わせて四百頭、全てを慣らす為、同じ事が二回繰り返された。ただ、城内の混乱を避ける為、雪丸の提言により、狼達の咆哮はさせない事になった。臭いに慣れれば良いからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。