あゆちのびと衆 第一章 その二
密命
天文十八年の穀雨の頃、帰蝶が嫁いできた。
信長は十六歳だ。
帰蝶は蝮の利政(道三)の娘とは思えない、色白で目鼻立ちが整った小柄な少女だった。
御供衆は五百騎、輿は五挺、長持二十挺だ。
帰蝶付き武官として、明智一族の福富平太郎貞家が付き添って来ている。
彼は、この日から織田信長の家来になる。
宴は三日目に、那古野城の御殿大広間で行われた。
父、信秀や弾正忠家の家族重臣、各地の織田一族の主だった者。美濃斎藤の重臣が三名。津島や熱田の商人達も、羽織姿で何人か招かれている。
信長や身分の高い侍は直垂に烏帽子姿、それ以外は、肩衣姿だ。
末席に滝川左近一益も座っていて、折り目の効いた水色の肩衣を着ている。肩衣には、一益の家紋、丸に堅木瓜がちゃんと入っている。信長は、一益が広間に入って来た時、それを見ていて思った。
(左近は、やっとかめ(久しぶり)だがや。八衛門の縁者で招いたったけど、ええ格好(きちんとした姿)しとるがや。紋も入っとるし、借り物ではにゃあがや・・・左近の後ろもほがら色(明るい色)だがや)
明るい色とは。
信長にはこの頃不思議な事が起きていた。
人の背後に光りが見えるのである。最初は目の錯覚かと思ったが、何日たっても見える。
例えば、政秀の背後には、明るい陽のような光が見える。
今日、久しぶりに会った、父、信秀の背後も同じように光っている。
小姓どもや、直の家臣達も、信秀や政秀よりは弱い光だが、色が同系色だ。そして一益の背後も光っていたので、信長は明るい色だと思ったのだ。
その以外の今日、ここへ集まった者達は、実母の土田御前も含め、ほぼ全員の背後が暗い。清洲の織田大和守とその重臣の坂井大膳、岩倉の織田伊勢守とその一党どもの背後は真っ黒だ。
信長は、大勢の背後を見ようと、延び上がったり首を傾けたりして落ち着かない。政秀が見兼ねて、膝行してくる。
「お殿様、まあちいと、落ち着かないかんがね。皆の衆が見とるがね」
信長は我に帰り苦笑いする。
「ほうだがや(そうですね)・・・わかったでよぉ」
信長は考える。
(違いにゃあ、てて様と政秀と、俺の近習以外は、まあ暗りゃあ色しとるがや・・あれは、俺への心の嵩だがや・・・何で見えるかわからんけど、こりゃ、ええがや・・・もの言わんでも、敵味方すぐ判るがや)
信長は思わず笑ってしまい、政秀に睨まれるが横に座る白絹の打掛姿の帰蝶を見てまた考える。
(このめんた蝮は、来た日は真っ黒だったけど、今朝は、ちょびっと薄れとるがや。契ったからかの。えりゃあ、良がっとったで(強い快感を覚えていた)かもしれん)
今度はつい、声をあげて笑ってしまい、政秀が手にした扇子を己の膝に、バシッと叩きつけて睨みつける。
信長は片手を挙げて了解の意を表すと、口元を引き締め、背筋を伸ばして座り直す。
(ほんでも、信行(末盛城で、母の土田御前と暮らす信長実弟)は、ほがらも暗りゃあも無ゃあな・・・俺に楯突く気は無ゃあんかな。これはまた、鳥獣言葉とおんなじで、誰にも言ったらいかんわな・・・お師様にも言わんといたほうがええな)
信長は、目立たないよう、列席の人々の背後を見る。
(権六(柴田勝家)も、色無しだがや。守山の信光様はほがらだがや。新五郎(林通勝、那古野城一番家老)は、俺を嫌っとるわりに色無しで、佐久間(信盛、織田家重臣)や津島や熱田の商人どもも、色無しで、守護様(尾張守護、斯波義統様も色無し・・・犬山の信清はちいと、灰色だがや・・・母上が黒いのは、信行に家督継がせてゃあでだわな。あっ、ほがらなのおった。沢彦様か(信長の勉学の師、沢彦宗恩)まだおるがや、三位様に、一把様に大介様か。ほがら色は少にゃあな。仕方にゃあ、まあほんでも、このめんた仔蝮だけは、めっちゃんこほがら(明るく)にしたるでなあ)
そう思いながら、信長はまたつい笑ってしまった。
傅役の義務感からの政秀だけでなく、暗色の背後の全員が睨み付けてくる。
帰蝶までも、睨んでいる。
気付いた信秀が、場を繕うよう大声で言う。
「今日はよぉ~、目出度ゃあ日だで、そう怒りゃあすな(そんなに怒らないでくれ)。三郎はよお、嬉して、もたんもんで(うれしくてたまらないから)、笑ってまうんだわ。まあ、はよ酒飲んでちょ」
信長は、この時から、生来の猜疑心に己自身が苦しむ事が無くなった。他人の持つ信長への気持ちが背後の光りの色で判るようになったからだ。
だが当然、それは信長自身に起きた事だから、本人はその重要さと、有難さがまだ完全には理解できていない。
宴は、盛会に終わった。
かなり酔った信長は帰蝶を伴い、二の丸御殿の寝所へ入る。
「おみゃあは今日から濃だがや」
「わっち(私)のことけ。わっちには帰蝶と言う名がござりますずら」
「んなことは解っとるわ。ほんだけど、俺に嫁いだんだで、俺や俺の家や家来に馴染まなかんがや。ほんだで、美濃の名前はほかって(捨てて)、濃に変えるんだがや」
「濃とは美濃の濃やおね(ですね)」
「ほおだがや、えーか、おみゃあは今日から、濃の方だがや・・・解ったら脱げ」
しばらくすると、濃の声が恥ずかしげにする。
「んー、くつばかしい(くすぐったい)ずら」
この年、信長の異母兄、織田信広が城代を務める、三河安祥城が、今川義元軍師、太原雪斎に急襲され、信広は囚われた。織田信秀に以前横取りされた松平竹千代(徳川家康)との交換をするためだ。信秀は申し出をあっさり受けた。
信長は、悔しいとは思ったが、他にやることが多すぎたし、己が口出しできることではないから、沈黙しているしかなかった。何度か顔を見た竹千代の事もすぐに忘れた。
信長の日常は変わらない。人の背後の光の事は誰にも話してはいない。生駒屋敷にも頻繁に通う。
一益は、聞かれた事には誠実に答えるが、伊賀忍者の技術の詳細は、最初におおまかな説明をして以来(よそやから、ようわかりまへん)と答えない。
一益は、思っている。
(いっぺんは、みな話してまおかと思うたけど、親戚みたいな伊賀者の忍びの業ん事は言われへん。わてかて、己の業、全部は言いたないさかい。あれらかて、命賭けての業、他人に知られたあないわ。あれらの身ぃになったら、言うたらあかんのや。わいは外道違うんや。おおかた(大体)わてかて、伊賀の業のことなんぞ、げなげなばなし(噂話、聞き伝え)聞いただけで、ほんまなとこ知っとる訳でもないんやし)
信長は、一益の顔色で、彼の心の迷いを読み取るのか、強く追求しない。
信長の心には、一益が言った「闇の采配者」の言葉が残っていた。だがまだ急いてはいない。
この日も、信長は生駒屋敷に来ている。
「今日はよおー、熱田の浜行こ思っとるんだわ。おんしも来やあぁえーが(来ればいい)」
「へ、お供しまっさ」
信長以下、小姓どもと一益の二十騎ばかりが南へと駆けだす。一益は褐色の麻袴に同色の小袖、柿色の羽織に、両刀を束さんでいる。信長達は、いつものバサラ姿だ。
前田犬千代は、身体に似合わぬ大槍を抱え込んでいる。池田恒興と津田盛月は半弓を肩に担いで、腰には矢をいっぱいに入れた靫(うつぼ、矢入れ)を下げている。
「かつっ、さまっ、半弓持ってきたのは、ええ心掛けだけどよう、そうもよおけ(沢山)、靫に矢ぁー入れたら、つっと(早く簡単に)抜けるきゃ。おいぬ、槍落とすなよ」
三人は顔を赤くする。
生駒屋敷から熱田の浜へは、直線で約八里。
真っ直ぐな道など無いから、距離はもっと増える。一行は速足(時速十㌖くらい)で走る。全速力で走ると馬が潰れるからだ。
信長は、この頃、鳥獣言葉を聴き取る力を封印している。
特に、馬はおおむね文句や愚痴ばかりを言うからだ。
曰く、暑い寒い。腹が減った。鞭や弓折れで叩かれて痛い、眠い、雌はどこだ、疲れた、もう走りたくないなどなど・・・馬からだとて、弱音泣き言を聞くのは嫌いなのだ。だから耳を閉じたのだ。
覚醒以来、力は念ずれば自在だった。
信長の大鹿毛を真ん中に進む。弓鉄砲での狙撃を警戒してだ。一益も、生駒屋敷で借りた馬を巧みに操る。強風だが、皆怯まず進む。風で身体が冷えてくる。
「馬乗り、うみゃあがや・・・おんしはたしなみあるがや」
一益は、笑みを浮かべて、軽く頭を下げる。
いつもの日課をこなしてからだから、熱田に着いた時はもう夕方だった。
この辺りまで来ると、町は熱田の宮を中心にとても繁華だ。商家や民家がびっしりと立ち並び、生活音や人のざわめきが、さざ波のよう途切れなく聞こえてくる。
先頭を行く犬千代が聞く。
「お殿様、まるあつ行くんきゃ」
信長が頷く。
犬千代は熱田の森を左手に西南に馬首を巡らす。
少し行くと、もう波の音が聞こえ、黒々とした家並みが見えて来た。
風対策か、家屋は低く建てられている。狭い道を何度か回って、浜辺に建つ大きな倉庫のような建物の前に来た。
大木戸が開かれ、両側に篝火が焚かれている。
強い風に炎が揺らめき、火の粉がパチパチと舞っていた。その下の砂上に十人程が、膝を折って座っている。
信長は、何気なく燃え盛る篝火を見て、突然に覚とった。
(わかったがや、いつか、てて様の言やあた恐ぎゃあもんは、火だがや・・・火に勝てるもんは無ゃあがや)
電光のように閃いた極めて重要な事柄に、信長は身が引き締まる思いだったが、顔にも、言葉にも表さない。
瞬時に頭の中に様々な「火」についての事柄が、複雑にかけめぐる。だが、焦りは禁物と考えるのを中断して、今日の目的を心中で反芻した。
信長に続いて皆が馬を降りる。信長の馬を恒興が曳き、建物横の馬繋ぎに導き、他も同様にする。
「おー、さぶかったがや」
「寒い、さびい」
皆、一頻り寒い事を訴える。
建物の庇には大きな檜木の屋根看板があり、[丸熱]と彫り込まれ、その大文字の横には、○に熱の屋号も彫り込まれていて、朱色に塗られて浮き上がって見えている。
ひざまずいていた中から一人か立ちあがり、信長に近寄る。
「若殿様には、まあよお来てちょおでゃあたなも。今日はよお~、海ちいと、荒れとったでよお~、あんびゃあ(案配、具合)悪ぃ思っとったけどよお~、赤魚がよおけ釣れたしよお~、大さわらが迷って、こっからすぐんとこ(ここからすぐ近く)におったで捕らまえたんだわ。しめたるで、(頭部と尾の付け根の骨を切断して血抜きして鮮度劣化と身焼けを防ぐ)うみゃあでよ。さ~、早よ入ってちょぉ~」
一益は、篝火に照らされた、その小柄な男を見て驚いた。
藍色の厚めの刺し子半纏を着て、下半身は褌だけだ。小さな髷の髪は、陽に焼かれて茶色い。半纏から出た赤銅色の両手両足、上半身の中央部分、顔までが、青い刺青に覆われている。模様は、曲線と直線が入り交じり、幾何学的で美しい。手足は太く逞しく、刺し子からのぞく胸や腹は、ノミで削ったように筋肉が浮き上がっている。
年齢は五十前後かと思ったが、日焼けと刺青で定かではない。刺青を透かすように見て、顔そのものは、二重瞼の大きな目で整った顔立ちだが、やや異相と判る。諸国を巡った一益だが、こんな人間を見たのは初めてだった。
(どこぞの寺で見た、仁王はんみたいや。小仁王はんや)
信長が、一益の顔を見て言う
「漁人は初めてきゃ・・・このおじいはよおー、服部金之助、言って、こなへん(この辺り)の網元で、この大瀬子村(現在の名古屋市熱田区大瀬子町)の長だがや。屋号は丸ん中に熱で丸熱言うんだわ。顔まで墨入れとるのは、おじいがこなへんで一番えりゃあ(身分が高い)だでなんだわ。身体の墨は鱶避けと、海で死んだ時の判別の為だがや・・・おんしは穴子知っとるきゃ」
信長の言葉は常に脈絡がなく、唐突だ。
「食うたことはおまへん」
「人がおおかた夏によぉ、海で死んでよおー、すぐ揚げれりゃあえーけどよお、二~三日して見つけたらよお、見つけたまんまの姿で引き揚げるんだわ。下に向いて浮かんどったら、下向きのまんま・・・上向いて浮かんどったら、上向いたまんま・・・何でか言ったら、海ん中向いた方の身体に穴子が食い込んどるでだわ。一匹や二匹だにゃあぞ。身体中全部に食い込んで、尻尾だけ出してぴくぴく動いとるんだわ。人の身体に穴開けるで穴子だがや。このおじいたちは、侍だにゃあけど、肝は太てぇ。ほんだけど、その酷い様だけは見たにゃあもんで、舟に揚げたら、筵で包んで運んで、そのまま埋めてまうんだわ。刺青こんだけ身体に彫っとったら、穴子に食われても、鱶に噛まれても、誰かは判るんだわ。一人一人にその者だけの柄が入れたるんだわ」
彼等の刺青には、個人を特定できる、符丁のような柄模様がそれぞれに彫ってあるのだ。
一益は、その場面を想像しただけで、気分が悪くなってきた。
「おっ、青なったな・・・まあええ、がしはうみゃあがや。」
建物には、広い土間があり、漁具が置かれた板敷の広間の真ん中に囲炉裏が切ってある。皆、周りに座る。囲炉裏の真ん中に大鍋があり、いい匂いが漂っている。
金之助と同じ格好の、小柄で良く似た顔立ちの男達が、塗り膳に食器や杯を載せて運んでくる。大きい徳利も運ばれてきた。彼等の身体も刺青だらけだが、顔には彫っていない。
信長が、隣に座った一益にささやく。
「あれんたちは(彼等は)、金之助おじいの弟やら従兄弟やらでよお、みんな侍だにゃあけど、てて様の家来なんだわ・・・俺は、馬乗れるようなってから、ここなんべんも(頻繁に)来とって、舟も乗してまったし、漁のやり方も教わったし、魚捌くのも教えてまったんだわ(教えてもらった)」
金之助が言う。
「がしが、まあ煮上がっとるで、さっき、がし食べてちょぉ~、今日のはできゃあで、うみゃあぜえも」
金之助が、鍋から皿に赤魚を移して皆に配る。煮ると言っても海水に水を足しただけでの水煮だが。
恒興が感動して言う。
「どえりゃあ(とても、ものすごく)でっきゃあー(大きな)がしだがや・・・こりゃうみゃあわ」
信長は、皿ごと持って、がしの頭部に口を付け、目玉部分を音をたてて啜る。
金之助が、目を細めて見ている。信長に目玉部分のうまさを教えたのは金之助だったからだ。
「一尺は無ゃあけど、こりゃうみゃあがや」
目玉の真ん中の硬い球形部分をぷっと吐き出しながら、信長は一益に向いて言う。
「このがしは、根魚でよ(回游せず、岩場などに住み着く魚)、根魚も色々だけどよ、このがしの身はよ、噛むと歯の間から抜けてまいそうになるほど、つるつると身力あるんだわ。俺は魚の中で、がしが一番好きなんだわ」
信長は、上手に箸を使い、三十㌢近い赤魚を食べていく。皮も残さず、箸で取りにくい部分は、目玉部分のように啜って食べる。残ったのは、ひれと骨だけだ。
魚の食べ方が粗末な者には、信長の怒声が飛ぶ。
「おじいんたちが命張って捕らまえてきた魚、えーかげんな食い方したらいかんがや。骨啜って食え」
皮だけ残した一益にも言う。
「皮に脂あるんだで、皮も食わなかんよ」
そう言われて、一益も、皮まで食う。
「今日はよ、ここで泊まりだで、おみゃあんたち、酒飲みたかったら飲め」
酒好きな小姓は、早速、濁り酒の徳利を傾ける。
栄螺や鮑、にし貝に大アサリ、拳大の蛤なども運ばれて、がしの鍋に変えた鉄網にどんどん載せられていく。
金之助が、また言う。
「貝も、よ~けあるで食ってちょ~よ。ほしたら、さわら捌くわなも」
金之助の一族の二人が、頭を落として、腹わたを出した鰆を、長い板に載せて運んでくる。鰆の皮はまだヌメリを残し青黒く光っている。
「こりゃまた、めっちゃんこでっけえがや」
信長が叫ぶように言った鰆は、頭がなくても六尺(百八十㌢)を越えている。
「答志の辺まで乗り出しても、おるかおらんかの(現在の三重県鳥羽市に属する答志島と呼ばれる離島辺りまで、舟で行っても存在するかしないかわからない)大物だがね。四貫は(十五㌕)あるで、これ、おんただで、白子(雄の精巣)一貫くりゃああったで、今向こうで塩焼きにしとるで」
金之助が中腰で、綺麗に研がれた日本刀の様な大包丁で鰆を捌く。
背骨に沿って浅く、す~っと切れ目を入れ反対の下ひれに沿って同じ事をし、向きを変えてまた同じことをする。そして再度、今度は深く包丁を同じ箇所に入れて三枚にした。
身の柔らかい鰆だが、金之助の腕と、包丁の切れ味で身割れはしていない。二枚の身を皮を下にして並べると、大きな包丁を器用に使って腹骨を削ぎとる。余分な肉は全く腹骨についていない。小さな鋏のような道具で、中骨をぬいていく。皮は引かない。中骨を抜いた箇所を境に、片身を半分に切る。四つの大きい肉塊を、さらに細かく切って行く。
桃色がかった白い身に、ギラつく[焼け]はない。捕った後の処理が適切だったからだ。
皮付きの魚肉を、囲炉裏の上の鉄網に載せて、さっと焼いていく。両面に焼け目がつくと、横に置いた桶の冷たい井戸水に浸けて冷ましていく。冷めた身を取り出して、綺麗な綿布で水気を取り、今度は細長い柳刃包丁で、小皿に小さく切り分けて行く。
二塊も切ると金之助が、信長に小皿を渡し、横にあった小壺を指して言う。
「若様、刺身は酢で食うけどよ、いっぺんこのたまり(たまり醤油)で食ってみやぁせ、うみゃあがね」
この頃は、刺身は酢で食べていて、たまり醤油はまだ希少な高級品だったのだ。
信長は、小皿の鰆肉に小壺のたまりをかけて一切れ食べる。鰆は冬に脂が乗るが、春の今も、調理の仕方により旨くなる。皮付きで炙れば、皮身の間の脂が逃げないから旨く感じるし、まだポピュラーではないたまり醤油を使えば尚更なのだ。
「おっ、おじい、うみゃあがや・・・皮がぱりぱりしとるし、刺身はこのほうがええがや。皆の者、たまりで食え・・・ほれから、おじいよ、こぉおもよぉおけ(こんなに沢山)、俺んたちだけで食えーへんで、家のもんやらに分けたってちょおー」
「若様には、まあ御優しいなも・・・やい、弘に末に秀、お殿様が下さる言っとらっせる(仰ってみえる)で、貰って母家と、こな辺に配ったれ」
金之助に言われた服部の家人達が、嬉しそうに、鰆の身を貰って行く。
そこへ、大皿に洩られた白子の塩焼きが運ばれてきた。
「焼けたがや・・それ、白子も食え」
魚の命の塊のようなその焼けた白子は、ねっとりと、濃厚な旨味が強く、噛むと皮が破れて白い肉汁が溢れだす。
「こんな精つくもん食ったら、どもならんがや」
そう言った盛月に恒興が言う。
「何がどもならんのだ・・・おみゃあの土筆か」
「たわけぇー、何が土筆だ・・俺のは白鋼(玉鋼)で出来とるんだわ」
「誰が言った・・・去年の夏の津島祭の時のあの馬女か」
「馬女だぁー、おしまさんのどこが馬だ。
おしまさんは初めての俺に優しく教えてくれたんだかや・・・おみゃあさんのはかっちんかっちん(非常に硬い)だで、私、もたん(堪らない)がね、言ったんだぞ・・・そりゃちいと顔長ぎゃあかな思ったけど、おみゃあにそんな言われたにゃあわ。おみゃあなんかまんだ女子知らんがや」
「たぁーわぁーけぇー、俺はとっくに女子みてゃあ知っとるわ・・・ちょびっと歳行っとるけど、ええ女だがや」
「分かった。隣屋敷の後家だろ・・・あの野猫(やびょう、タヌキ)面のどこがええ」
「何ぃぃー、野猫だあー、三津さまのあの眼差しがたまらんのに、てみゃあ(お前。おみゃあより相手を見下した呼び方)には解らんわ・・・三津さまはよぉー、おみゃあ様のは、反りくり返って、薙刀みてゃあだ言って頬擦りしてくれるんだぞ」
年上の河尻秀隆が加わって言う。
「おみゃあたち、その野猫と馬面、終みゃあまで埓、明かしとるんか(エクスタシーを与えれているのか)」
恒興が答える。
「埓、なんだそれ」
盛月も、きょとんとしている。
秀隆がまた聞く。
「知らんのならしゃあにゃあ・・・ほんならよ。おみゃあらの白鋼と、薙刀をよ、野猫と馬に、まあこう、ぎにゅっとしてからよ、息何べんの間保つ(挿入してから、己が果てるまで何呼吸持つ)」
恒興が、少し考えて言う。
「息なんべん、あっわかった。俺はこの前は三べん。ほんでもよ、その次は五へんは保ったがや」
それを聞いた盛月が、勝ち誇ったように言う。
「三べんに五へん・・・けっ、情けにゃあやつだがや・・・俺はいっつも十ぺんは保つがや」
秀隆が真面目な顔で言う。
「さようでござるか、おのおの方、お見事なる武者振りでござりますわなも」
恒興と、盛月は、からかわれていることに気づいていない。
恒興が、答える。
「いやいや、まだまだでござる・・・重ねてのかんこー(工夫)が肝要と覚えまする・・・ほんでもよ、埓明けるってなんでゃ」
聞いている全員が爆笑する。手を止めた金之助も、包丁を放り出し、腹を抱えて笑っている。
信長が言う。
「わかったわかった・・・おみゃあんたちのとろくせえ話は止めときゃあ・・おじいが笑い過ぎて死んでまうがや」
貝類が焼き上がり、皆、それにかぶり付く。
さらに、母家から、アサリ汁と、味噌をつけて焼いた握り飯が運ばれ、皆、それを食うのに夢中になり、恒興と盛月、秀隆の言い合いは終わった。
信長も普段はあまり飲まない酒を少し飲んで、いい気分だった。
(ここにおるもんは、皆背中がほがら色だがや。気、張っとらんでええで楽だがや。金之助に、今川の探り頼むのは明日でええがや)
知多半島は、本来、弾正忠家の領地なのだが、この頃は、駿河今川家が所々侵食してきていたから、信長は危機感をもち、海に生きる金之助達にその情報収集を頼む為にここを訪れたのだった。
一行は満腹になり、囲炉裏の回りで雑魚寝する。金之助が、信長だけでも母屋で寝るよう懇願したが、賑やかがええからと、皆で寝た。
建物内は、囲炉裏の熱で暖かいから、かいまきも布団もなくても寒くない。
八つ(午前一時頃)頃、信長達が寝てまだ一刻もたっていない。表が騒がしい。
信長は静かに身体を起こした。部屋内は、魚油の灯油(ともしあぶら。小皿に鰯の油を入れて灯芯を差し込み火をつけた照明器具)でぼんやり明るい。
一益が、左手に刀を持ち膝をたてて、外の気配を伺っている。二人以外は、皆熟睡していて、何人かは大きないびきをかいている。信長が小さな声で言う。
「案ずるな、おじいん達が漁出てく回し(準備)しとるだけだで」
一益が微笑んで緊張を解く。信長が手で寝ろと合図して、二人はまた寝た。
翌朝、金之助以外の男達は海に出ている。
朝餉の支度は、服部家の女達がする。
一益は、建物に入ってきた女達を見て驚いた。
四人の女たちは、黒染めの、揃いの膝までの括り袴と筒袖姿だが、突き出た手足や襟元の肌には、やはり青い刺青が入っている。年齢はまちまちだが、十代前半くらいの少女も同様だ。
信長が言う。
「女も海で働くもんで、墨は十歳で入れるんだわ。針で身体中突かれたら痛ゃあにきまっとるけど、海人のしきたりだで、皆耐えるんだわ。おんしの言う、きんまいとは、これらの事だにゃあか」
一益は、思わずその少女をまじまじと見てしまった。
青い墨の色彩がまだ鮮やかだ。注目されて、恥じらう少女は、確かに美しかった。
「ほんまや。なんちゅうきんまい娘ぉ~やろ。ちいこいのに(幼いのに)痛かったろに。意気と覚悟やな・・・歴々の侍にも、負けへんがな」
朝餉の、海藻、と魚肉の雑炊は旨かった。皆、何杯もおかわりをする。一益も大盛を二杯食べた。
「よし、帰るか・・・じいが怒っとるぞ」
犬千代が聞く。
「平手様、なんで怒る」
「いっつもとおんなじだかや・・・城留守にしたらいかん言って怒るんだわ」
「お殿様だけきゃ」
「さー知らんな・・・おみゃあたちは俺と一緒に決まっとるでな・・・大抵怒るわな」
「平手様、説教、長ぎゃあで、やんなるんだわ(嫌になる)・・・いつかは一刻半(三時間)も叱られたがね。そう言やあ、お殿様、あんとき知らん間にどっかいってまって(知らない間にどこかへ行って)・・・ほんでまた平手様怒りだして、往生した(困った)がね・・・今日は消えてまっていかんよ、お殿様」
信長は笑って答えない。恒興が信長の馬を曳いてきた。外に出ると金之助が、砂上に正座している。
「おじい、ありがとな・・・頼んだ事やるときは、気ぃつけて、無理はいかんがや・・・漁のついでで、えーんだで(いいから)・・・これはよ、夕べの馳走と頼み事の礼だがや。」
信長はいつの間にか金之助に、今川勢探索を頼んでいたのだ。信長は、腰の革袋を金之助に渡す。
受け取った金之助が、手応えで判るのか、
「いかんわぁ~(いけません)、大殿様から、御禄貰っとるのに、こ~もよ~け(こんなに沢山)貰えんがね」と言う。
「えーんだて(いいんだ)、頼みの事はてて様は知らんのだで、これは那古野の金蔵からもってきたんだで」
中身は砂金が四十匁だった。一匁は3.75㌘。金1㌘は当時1万円から1万1千円位だから、現在価値で百五十~百六十五万円程か。
金之助は何度も受け取りを断ったが信長が許すはずもなく、最後は、砂地に頭を擦り付けて一行を見送った。
帰り道、一益は信長と馬を並べた。他の小姓どもは、少し離れて二人を囲むように進む。
「三郎様には、あの長になんやら頼み事があらはったんでんな」
信長は頷くだけで、詳細は言わない。
そしてまた突然に言った。
「俺はよ、おんしを召し抱えたいんだわ。
ほんでもよ、その前に、やってまいたい(やってもらいたい)事がちょこっとあってよ・・・それいっぺん言い合わせ(相談)してゃあんだわ。その時にはよ、那古野でも生駒んとこでも、あんばい悪りぃんだわ。人に知られんようにやらなかんのだわ・・・」
信長の馬が嘶く。
「ほんだでよ、那古野の西の天王坊がえーんだわ(適している)・・・・今日はよおー、八右衛門とこ帰らんと、天王坊行ってくれん(くれませんか)。天王坊にはよ、御師の沢彦様おりゃぁーて(おられて)、おんしの事頼んだるで、しばらくは天王坊の寺侍でおってくれんか(他人を欺く為に、天王坊の寺侍を演じていてくれないか)。ほうしてくれたら、なんでかあんばいええでよ(色々な事が都合がいい)、陰扶持出すでよ(公ではない秘密の給与)」
一益は、召し抱えたいとの言葉に驚いたが、それ以上に、信長の用意周到な配慮に言葉も出ず、ただ頷く。
「あっ、ほうだがや、さっきの雑炊はよ、穴子雑炊だがや・・・旨かっただろう」
一益は聞いた途端、吐き気をもよおし、馬を道端に寄せた。
「ははっ、金之助おじいはいつも言っとる。
命は廻るってよ・・・死んだら人も獣も、ただの肉の塊だがや・・・・それが他の命を生かすんだがや・・・穴子の様は酷えけど、他の魚だって目の前に食える肉浮いとりゃ人のでも獣のでも喰うがや。蝦蛄の様は、もっと物凄えんだぜ。おじい達も蝦蛄だけは食わんほどだわ。人が野天で死にゃあ鳥や獣につつかれるがや。畑には、下肥ぶっかけて、大きく育てるがや・・・むくむくしい(気味が悪い)思ったら、食うもん無くなってまうがや。人も魚も獣も他の命食わな生きていけんのだで」
一益は、さらに蝦蛄の様を想像してしまい、大量に吐きながら納得した。
(お殿様言うても、年下のもんに、言われる事ちゃうがな・・・もっともな(当たり前)事やがな。吐いてまうとは、憂い(恥ずかしい)こっちゃ)」
季節は、もう立夏の頃である。国中の田や池で、蛙達が喧しい。
一益は、天王坊に住むようになった。
天王坊は、寺域六万坪の七堂伽藍の巨刹である。一益には僧坊の一室が与えられていて、雑用は年老いた寺男が誠実にやってくれる。
痩せた沢彦和尚は、温和な雰囲気だが、寡黙な人だったし、毅然とした雰囲気が近寄りがたかったから、初日に挨拶して以来は話もしていない。
生駒屋敷にあった一益のわずかな荷物も、予め運ばれていたし、生活に必要な物に不足は無い。信長が言った陰扶持も、月に二貫文(現在価値で約三十万円)と決まった。だが、寺だから、食べ物が精進料理ばかりなのには、閉口した。
(まあ、明けても暮れても、かんぽ(漬物)とお粥ばっかりや・・・そやけど、ほんまは、これくらいがちょうどやから、こらえなあかんわな。火ぃ~通したもんやら魚肉、食ろうたら身ぃ~が重なるさけ。生駒屋敷ではそんなんばっか食ろうてたから、この頃は、太刀打ちも遅なってるしな。ほんまなら、お粥もあかんのやけど、まあ薄いさけ、だんない(大丈夫)やろ)
信長は日課をこなすと毎日のようにやって来る。
沢彦は、信長の意図を知っているのか、信長が自分の所へ来ず、一益の部屋ばかり来ても咎めない。
頼みたい事があるはずだが、信長はなかなかきりださない。
「お殿様、今日は、わての方からお尋ねしても、よろしおまっか」
信長は笑顔で頷く。
「みぃらい(未来)についての御存念は、にごはち(おおよそ)に、どうでっか」
信長は少し考えてから、言った。
「聞いてまって(もらって)、言いやすなった。
笑われーへんかしゃん(笑われないだろうか)思ってなかなか言い出せなんだんだわ。まずよ、尾張にはよ、あゆちの風言う説があってよ、なんでか解らんけど俺の中から、やらなかんやらなかん(そうしなければ)と湧きだしてきてよ、消えーへんでよ、この頃は俺の使命だ思っとるんだわ、その説はよ」と、信長は心に秘めた究極の目標を、初めて他人に語った。
一益は無論、初耳だったが、その壮大な目標に感動した。
「左様でおまっか。あゆちの事は知らん話やったけど、ようわかりましたで。何でも言うてくなはれ。わいはお殿様についてきまっせ」
「かたじけない。ほんだでよ、まず尾張統一だわな。それがてて様がやってくれるんか、俺がやるんかわからんけどよ、やり方も討ち滅ぼすんか、調略でやるんかもわからんけどよ、やらなかんのは必ずそれだがや・・・ほんで、もし、俺が家督継いだらよ、鉄砲を増やすがや、それも六匁ばっかにするがや。他にもあるけど、それはまあ、まんだ慌てんでもええ事ばっかで・・・ほんで、こっからが、おんしにやってまいたい事だけどよ。伊賀の百地、藤林、服部の三人と、いっぺん会いてゃあんだわ。俺の事みてゃあ知っとるはずもにゃあけどよ、それがかえってええんだわ・・・俺はよ、伊賀者を直に抱えてゃあんだわ・・・今の俺にはそんな力にゃあけどよ、家督継いだら、なんとかなるんだわ。ほれが出来たらよ、次はよ、雑賀と根来の衆とも、繋ぎ取りてゃあんだわ」
信長の眼は輝いている。
あまりの話しに、一益は絶句する。
しばらくまた考えて信長は続けた。
「まだあるがや、順はわからんけど、尾張統一したらよ、民を増やすんだわ・・・租(税金)はよ、今は六公四民だけどよ、俺は七三にしてゃあんだわ」
「七公三民だっか」
「ちゃうちゃう(違う違う)、三公七民だかや」
「は~っ、そらええことだんな・・・そやけど、そんなんで国が成り立ちまっか」
「人が増えたら物がよーけ動くがや・・・物動けば、銭も動いて増えるがや・・・今はよ、座が何でも仕切っとって、働かん奴輩(やつばら、やつら)が、働いた者から、謂われの無い銭吸っとるがや・・・俺は許せんのだわ・・・銭取るだけの関もだがや。尾張統一したら、座も関も全部無くしたるんだわ。ほしたらよ、租も減らせるがや。尾張の民がよ、白飯腹一杯食えるようになるがや。その為にはよ、きっと戦場の血の海、渡ってかないかんがや。頭から血をかぶるがごとき日々を覚悟せないかんがや。その覚悟はしたつもりだけどよ、俺がかんこーしやあ、流れる血の計は減らせる思うんだわ。伊賀や雑賀根来との事はその為なんだわ。昼日中の戦のやりようはわかるけどよお、夜はやりよう限られるしよ。此方の損じるの減らすのも、あの者等が居りゃあ、やれるかもしれんのだわ。ほんだでよ、闇を采配する者と組まなかんのだわ」
「とひょ~もないいかい(とてつもなく大きい)お望みだんな・・・そやけど、やれんことではおまへん・・・縁と伝辿れば、なんとかなりまっしゃろ。伊賀者は織田様の侍にするんでっか」
「いや、伊賀者は伊賀者のまま、しばらくは、家中にも知らせず、おんしと俺だけで召し使うんだわ。軽く扱うつもりはにゃあんだわ。侍帳には載せんけど、俺の直として手厚うするんだわ」
「ほんなら、探りさせるんだっか」
「ほれはほうだけどよ、他にもやってまいたい事あるんだわ・・・てて様に問われた事で、思いついた事あってよう・・・やれるかどうかわからんけど、おんしに聞いた伊賀の様なら、やれる思うで、言い合わせ(相談)してみてゃあんだわ・・・百地やらが、俺なんかとは組めん言やあそれまでだけどよ・・・いっぺん会って合力頼みてゃぁんだわ」
「甲賀者はええんだっか」
「おんしには、無礼な話だけどよ、伊賀が靡いたら甲賀も靡く思っとるんだわ・・・甲賀の業も必ず使わなかん時来るだろけど、まずは伊賀で、伊賀が駄目なら、甲賀もいかんわな」
伊賀は三家の力が強いから、その三人が承知すれば、伊賀全体を召し抱える事も出来るかもしれず、その動きを見た甲賀衆が、それに追従することは充分あり得ることだった。現時点で、信長と利害関係も無く、尾張の領主でもない、言ってみれば無名の信長に、伊賀衆がどう応じるかは不明だったが、会いたいと言う信長の意図が一益には理解出来た。
「無礼もなんも、事の流れからしたら、お殿様の言わはる通りでおます・・・ほんなら、わいは、今日にでも、ここ立って国へ帰りまっさ。なんとか百地やらと繋ぎつけて、お殿様に会うよう言うてみまっさかい、ちいと待ってておくれやす」
「ほれはありがてゃあ・・・ほんなら、ちょこっと待っとってちょ」
信長は慌ただしく部屋を出ていった。
一益は旅支度をしながら考える。
(わいの話、りんちょく(律儀)に聞いてはったんやな。百地やらは業(忍びの術)極めた達者やさかい、むっかい(難しい)事やけど、あれらなら、三郎様の値打ちすぐ悟りおるやろ。会うたらきっと、それで、おおきにや(会えさえすれば、信長の思い通りになる)。がいっと(力一杯)やったろかい・・・そやけど、おとさん(父)は怒らはるやろか・・・おかはん(母)はかわし(為替)でようけ銭送ってくれてたさかい、帰りゃ喜ばはるやろけど)
暫くして、信長が戻ったのか馬の嘶きが聞こえる。
一益は嘶きのする境内の方へ向かう。
一益は藍染の小袖、羽織と黒染革の袴姿だ。腰には大小を束さみ、後ろの腰に小さな胴乱が結ばれている。
足元は革足袋と強草鞋(人毛を編み込んだ丈夫な草鞋)で固めている。
本堂前の境内に、信長が馬を曳いて待っている。
それは、信長が熱田の浜へ乗って行った大鹿毛より、ひとまわり大きな連銭葦毛で、立派な鞍を着け頭を小さく振って立っている。
信長が言った。
「この馬はよ、ちょこっと前にてて様にもらったんだわ・・・まんだ責め甘みゃあけど、ええ馬だで、乗ってっきゃあええわ」
「おおきに。そやけど、鈴鹿の山越えなならんし、馬やと、かえって遅なりまっさかい、己の脚で参りまっさ」
「おんしの脚達者はわかっとるけどよ、人目がある昼日中に走りの業は見せられんがや。ほんだでよ、蟹江辺り(現在の愛知県海部郡蟹江町。当時は、この辺りまで海が迫っていて、蟹江の地名通り、蟹が大量に獲れたと言う)まで馬使ってよ、そこらの馬借(馬を使った運送業者)に那古野の馬だ言やあ、褒美貰えるで、喜んでここまで曳いてくるで・・・蟹江の城は今川方だけどよ、ぬるぬるの構え(油断している城の状態)だで、通ってもどうも無ゃあで。ほんでこれは、ようとう(費用)だわ。銭だと嵩張るで、砂金だけどよ、俺の今の手元の全部だわ。百匁(三百八十~四百十三万)くりゃあは、入っとるで、惜しまんでええ。国でのちょかりの始末にも使やぁあええでよ。あとはよ、俺の使いの証にこれもってってちょっ」
一益の故郷での失敗への償いにまで、気遣いを示す信長の言葉に、一益の眼が潤む。
この頃の黄金の威力は単純換算では割り出せないほど絶大なのだ。
そして、信長は、言葉の最初に、一益の脚力を、人目に曝すことが忍者としてのたしなみに欠けるだろうと言っている。
一益は、急な旅立ちに慌てて、初歩的な忍びの心得を忘れた選択をしかけた己を恥じる。
信長が砂金入りの革袋を渡す。次いで、鍔の無い短刀を腰から抜いて差し出す。
一益は皮袋を懐に仕舞う。
儀礼用のその豪華な短刀は、全長一尺二寸(三十六㌢)で、柄巻きのない、出鮫柄で、目貫は黄金製の五つ木瓜の織田家家紋だ。鞘は、螺鈿で飾られていたから、鞘全体が、キラキラとしている。小柄、笄も黄金造りだ。
「元服に使ったんだわ・・・左文字だと聞いとるがや」
「そがなきんまい御腰物を・・・ようとうも、ぎょうさん・・・おおきにどっせ。わいのちょかりの事まで」
そこで言葉が詰まった一益は、無言で腰の太刀を抜くと、下緒をほどいて太刀を背中に背負い、緒を胸前で結んだ。
信長から短刀を受け取ると、両手で捧げるようにして、それに軽く頭を下げ、持ち直して懐深くへ仕舞い、信長にも一礼して、手綱を受け取り馬に乗った。
「ほな、お殿様、がいっといってきまっさ(力一杯行って参ります)」
天王坊の表門を出た途端、涙が溢れた。
(大気やな、それやのに、細い事もちゃんと心配りはって・・・やっぱりきんまいお方や)
那古野から、甲賀までは、直線で約二十里だが、実際の走行距離は一·五倍ほどもあり、また険しい鈴鹿山脈を越えなければならない。
一益は、蟹江で馬を返した後は、目立たないよう道を急ぎ、渡し船で、木曽、長良揖斐の三川を渡ると、人目を避け、道を外して野を駆けた。
桑名の端を駆け抜け、菰野の辺りまで来ると、鈴鹿の山々は目の前だった。
暗くなると、道に戻って、全力で駆ける。夜目が利くから、松明は使わない。
山に入れば人目が無くなる。
獣道を辿り、谷を駆け下り、崖を駆け上がる。
「朝までには、鈴鹿の山ぁ、抜けれるわな」