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架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之


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あゆちのびと衆 第一章 その一

         

      

        

         出会い

 

 


天文十七年、信長の父、織田弾正忠信秀は、美濃の斎藤利政(さいとうとしまさ)(道三)と和睦(わぼく)した。

 

その関係強化を願う、平手政秀の進言と奔走(ほんそう)により、信長は十五歳で、一つ年下の利政の娘、帰蝶(きちょう)と婚約した。


輿入(こしい)れは翌年と決まる。

 

そんな事は我関(われかん)せずとばかり、信長の日常と出で立ちは相変わらずで、馬を責め、刀槍(とうそう)を振り回し、弓と鉄砲を放ち、弾正忠家領内を大勢で駆け回っている。

 

ただ、この頃は心中に強い猜疑心(さいぎしん)と、訳もない怒りが沸(わ)き上がるのを自覚していた。そのせいか、顔からはあどけない笑みは消えている。生来の苛烈(かれつ)な性分(しょうぶん)が、頭をもたげてきていたからだ。  


吉良大浜での一戦で、家中評価は上がったが、それも一瞬で、変わらない行状(ぎょうじょう)に、今は家中のほとんどが、そっぽを向いてる。


信長は、敏感(びんかん)にそれを察する。

 

それに信長は、吉良大浜で血の洗礼(せんれい)を受けている。


血が流れるなどの表現は、当てはまらない。

巨大な入れ物に入れた、膨大(ぼうだい)な量の血液が、何者かの見えない大きな手で、辺りにぶちまけられたとしか思えない惨状に、足が震(ふる)え、歯が鳴(な)った。

 

戦闘規模が小さめだったから、味方の戦死者は、騎馬武者で四名、徒雑兵(かちぞうひょう)が十三名だったが、相手の今川勢は、その四倍ほどが討ちとられている。


それらの遺体は見るも無残で、吐き気と涙を抑(おさ)えるのは、至難(しなん)だった。


顔の真ん中を、槍で突き通された騎馬武者は、陥没(かんぼつ)して鼻が無くなり、両目が飛び出し、気味の悪い透明(とうめい)の筋(すじ)でぶら下がっている。    

顔色は真っ白で、血が激減(げきげん)した身体全体が、縮(ちぢ)んでいるのが良く判る。


何かで頭を叩き割られた雑兵は、桃色の脳味噌(のうみそ)が半分ほど無くなっていて、粉々にされた、残りの頭蓋骨(ずがいこつ)がやけに白い。


薙刀(なぎなた)か長刀(なががたな)で、肩から斬られた槍組の男は、臍下(へそした)辺りまでが綺麗に切断されて、白い骨や、まだ赤黒い内臓が、切断図を見るようはっきり見え、身体が重さでちぎれかけている。


辺りには、鉄さび臭い血の臭いと、死者の骸(むくろ)から流れて出した糞便(ふんべん)の臭いが強く漂っている。


他にも、折れた旗差し物、曲がった刀、折れた槍、斬られた手足の破片、赤黒い不気味な肉片が、そこら中に転がっている。

 

医学らしい術は、傷を水で洗い、傷口を縫(ぬ)い、膏薬(こうやく)を塗り、血止めの薬を飲ませるくらいしか出来ない頃だから、怪我人もひどい様子だった。


矢が刺さったままで抜けない時は、矢篦(やがら)を切り落として引き抜くしかないのだが、刺さって時間がたつと、肉が締(し)まって抜けなくなる。


だから、怪我人の身体を足で押さえつけて、何人かで力任せに引き抜くしかないのだが、それは激痛(げきつう)を伴(ともな)う。当然、絶叫(ぜっきょう)が辺りに響(ひび)く。  


突き抜けていればまだしも、運悪く鏃(やじり)が、胴体部分に残ってしまうと厄介(やっかい)だ。


手足なら、切断か引き抜いて血止めすれば助かることもあったが、胴体ではそれではすまない。

 

重要な内臓に鏃が深く食い込んで、傷つけられた者は、矢を引き抜いても、やがて死んでしまうから、介抱(かいほう)する者は見ているしかない。

 

肉親知己(にくしんちこ)なら、助けたいと思う。

だが、身体を切り開いて鏃を出したくても、切り開いた時点で死が早まるばかりだし、破壊された臓器(ぞうき)は治す方法がない。

だから介抱する者は、少しでも痛みを和らげる事を念じ、横たわる身体を撫(な)で擦(さす)るくらいしか出来ない。               


また、戦闘中、動脈(どうみゃく)を斬られたり突かれれば、出血多量や、出血性ショックで死んでしまうし、急所なら即死だ。

 

この合戦では使われなかったが、鉄砲傷は更に悲惨(ひさん)だ。

 

当時の火縄銃は、重さ約三㌕。銃長は、約百三十㎝。口径は三匁(さんもんめ)が標準的で、その三匁弾(弾重量十・五g、口径十ニ・三㍉)なら、五十㍍で、一㍉位の鉄板なら軽く貫通(かんつう)する。しかし、六匁弾(ろくもんめだま)(弾重量二十ニ・五g、口径十五・五㍉)になると、威力(いりょく)が段違(だんちが)いになる。

 

口径によらず、鉛の弾が人体に着弾(ちゃくだん)すれば、鉛弾(えんだん)は潰(つぶ)れて傷を広げる。

それに弾は直進しない場合もある。着弾後、骨や内臓に当たると、身体の柔らかい箇所(かしょ)を、瞬間的に探るような動きもするのだ。


射入口(しゃにゅうこう)は小さくても、射出口(しゃしゅつこう)は、潰れて広がった鉛弾で大きくなる。


六匁弾で、額(ひたい)にぽつんと穴が空いた者の後頭部は、半分が吹きとばされてしまう。

首を貫(つらぬ)いて、頚椎(けいつい)に当たれば、骨とともに首は千切(ちぎ)れることもある。

手足の関節(かんせつ)にまともに当たれば、そこから手足はちぎれ飛ぶ。

胴体なら内臓を縦横(じゅうおう)に破壊し、切り裂いて肉片に変えてしまう。

 

火縄銃の鉛弾(えんだん)は、現在のダムダム弾やソフトポイント弾と同じだ。


それは現在世界中で、猟(りょう)以外での使用は禁止されている、鉛を剥(む)き出しにした恐ろしい銃弾のことだ。


今多くの国の軍隊や警察、法執行機関での使用弾丸は、原則的に弾頭の鉛(なまり)を銅(どう)で覆(おお)った、フルメタルジャケットである。貫通力が強いから、人の身体を必要以上に破壊しない。と、言っても、当たれば痛いでは済まないが。

 

火縄鉄砲のメカニズムは旧式で、連射性や射程(しゃてい)は劣(おと)っても、弾そのものの特性は変わらない。さらに、六匁以上の弾は、恐ろしい殺傷力を持っている。


だから鉛弾を使う鉄砲傷は、より悲惨(ひさん)なのだ。


このように、戦場は涙と悲哀(ひあい)に満ちていた。 信長はこの地獄の有り様が、これから己(おのれ)が突き進む道に常に付きまとうことを思い描(えが)き、一瞬は戸惑(とまど)った。だが、首実検(くびじっけん)を終(お)え、勝ちどきを上げたとき、迷いは消えた。

 

血の川でも海でも、わたりきって見せる。

具体的なやり方はまだわからなくても、あゆちの風の実現には、それが必要なのだと。

途中で死んでも、万全(ばんぜん)を期(き)した上なら仕方ない。

敵に負けない努力と工夫をして、それで負ければ、潔(いさぎよ)く死ぬだけだと。


それなのに、家中は今一つ緊張感にかけてかいる。


岩倉も清洲、犬山も、名前だけは織田でも、みな敵と言って過言(かごん)ではない。

全てが虎視眈々(こしたんたん)と、お互いを狙(ねら)い合っている。


なぜ、それがわからないのか。

 

弾正忠家の武力を高めなければ、明日にも討ち滅ばされるかもしれない。

そんな危機感が信長を焦(あせ)らせ、自分の行動原理を理解しない、回りの家臣らのだらしない普段の姿が、余計に苛立(いらだ)ちを覚(おぼ)えさせるのだった。

 

信長は、そういう思いを重ねながら、何故己(なぜおのれ)が、これほどあゆちの説に拘(こだわ)り、実現を目指そうとするのかと自問(じもん)した。何度か自問しても解らないが、身体の中から突き上げてくる、強烈(きょうれつ)な思いは消えない。だから、この頃は、それが己に課せられた使命なのだと考えるようになっていた。


真夏の今朝も、また政秀が苦情を言ってきた。

平手政秀は、那古野城の二番家老で、信長の傅役(もりやく)だ。


彼は、尾張春日井郡(現在の名古屋市北区平手町)にある、志賀城のれっきとした城主なのだが、信秀の命により、今は那古野城内の屋敷に住んでいる。この時の歳は五十六だから、当時としてはもう老人だった。だが鍛え上げた身体は逞(たくま)しく、ギョロリとした眼で、顔の半分を覆(おお)う髭(ひげ)に少し白いものが混じっていても、全体に威厳(いげん)があり、その立ち姿はまるで武神(ぶしん)のようだった。


そんな政秀が、目を怒(いか)らせて言う。

 

「三郎様、あ~もよ~け(あんなに大勢)の者達を、子細(しさい)も言われず召(め)し抱(かか)えられては、どもならんがね(どうしようもない)」


「召し抱えだっ・・・飯食わして、小屋に住まわしたっとるだけだがや・・・銭はやっとらんがや。あれんたらぁ(彼等は)はよ、惣領(そうりょう)だ無(に)ゃあの(長男ではない)ばっかなんだわ。家に居(お)りゃあ、肩身狭(かたみせみ)ゃあし、身ぃ立てるには外出るしか無(に)ゃあ。ほんだでみんな励(はげ)んどるんだがや。無理矢理だ無(に)ゃあぞ、己(おのれ)で決めて来とるんだぞ。先々にはよ、身分を問わず引き立てて、俺の馬廻(うままわ)りにする、見込みのあるやつを見極(みきわ)めとるし、鍛(きた)えな強よならんだろうがや」

 

信長は、領内の土豪(どごう)や地侍(じざむらい)、家臣の二男以下の者や、庶民(しょみん)でも、同じように二男以下の役に立ちそうな者を、三百名ほど、自分の直(じき)の家来とするつもりで、那古野の城へ入れていてた。

 

この頃は、長男以下の男は、武家でも庶民でも、家督(かとく)は継(つ)げない。

よくて、少しの財産を分けてもらって独立するのがせいぜいで、大部分は、武家なら家来、庶民ならその家の従業員、ひどいと奴隷(どれい)のように扱われるのが普通だった。 信長はそういう事情を利用し、衣食住を提供して家臣を募(つの)っていたのだ。

勿論(もちろん)、以前から引き連れていた童たちの中からも、大勢が応(おう)じている。

 

政秀は、その若者達の世話を任されて、苦労していたので信長に抗議したのだ。

 

「ほんな事せんでも、普代(ふだい)が大勢おるがね」


 「その普代がなにやっとる・・・城と家行ったり来たりしとるだけだがや・・・日々の己の調練や、家の子郎党を鍛えるの、まめまめと(真面目に)やっとるのが何人おるか知っとるか。馬は厩(うまや)に繋(つな)ぎっぱなし、刀も滅多に抜けへん。言われた事だけやって、飯くって、糞(くそまり)して昼寝しとるのばっかだかや。美濃はまあええかもしれんけど、清洲や岩倉は険(さが)しいんだで(危ないから)・・・じいはそう思わんのか」


 「これは慮外(りょがい)な事を言わっせる・・・某(それがし)の家では、家中、皆揃(みなそろ)いての鍛練は欠かしませぬ。清洲や岩倉に、険しき様子あるなどとは聞いとりませんわなも」


「様子あったらもう遅せえーんだわ・・おみゃあの家のことは言っとらん・・・力蓄(ちからたくわ)えないかんで、その為になることやっとるんだで、とろくしゃあこと言っとるな・・・この頃は、津島や熱田の上納(じょうのう)増えとるの知っとるぞ・・・」


「ほれはほうですがなも・・・某(それがし)が言うのは、銭のことばかりではにゃあがね・・・家中の和だがね。和した後に、皆をひれ伏させないかんがね」


 「笑わしたらいかんわ、俺が恐ぎゃあ(おそぎゃー=怖い)思わせな、だぁれもひれ伏(ふ)さんわ。俺がつおならな(強くならなくては)、惣領言うだけでは、だぁれも腹から恐ぎゃあ思わんがや。あれんたち(彼等)は、俺の手足になってくんだで、あれんたちは俺の力の大元(おおもと)の宝になるんだで、俺はもう行くでよ」


言葉で的確な説明をしようとしても、頭に血が登り、うまく出来ない。

だから、益々腹が立ってくる。


最後はいつも「だぁっとれぇーっ(黙っておれ)」で終わるのがこの頃の常だったから、今日は比較的穏やかだった。

 

そう言う口喧嘩をしても、信長は政秀を真から憎んではいない。


政秀の深い愛は、信長にちゃんと伝わっていた。

 

幼い頃から、時々、信長が疲れて居間で寝てしまうと、政秀は奥女中の手を借りず、自ら黙って信長を抱き上げ、寝所へ連れていく。


夏なら蚊帳(かや)にいれ、冬なら分厚い掻巻(布団)をかけ、常に傷だらけの手足や顔に、馬の脂薬を優しく塗る。

 

薬を塗りながら、政秀は呟く。


「おみゃあさまは、ええこなんだでよう 

おみゃあさまは賢(かしこ)てつおい(強い)御子なんだでよ

わしがちゃんと守ったるでよぉう

おみゃあさまがほんとは優しいのはわしは知っとるでよぉ

怪我をしたらいかんぜぇも(いけませんよ)

病(いたつき)になったらいかんぜぇも

織田の頭領は、おみゃあさまだでよ

五つ木瓜の旗を押し立てるのは、おみゃあさまだでよう

はよ、大きなってちょうよ(くださいよ)」


政秀は、唄うように繰り返す。


信長は照れくさくて、気付いて目覚めても寝たふりをしているが、そのうち本当に寝てしまう。 


そういう事が物心ついてから、何度もあったし、感受性の強い信長は、常日頃の政秀の挙動(きょどう)の節々に滲(にじ)み出る、優しさ暖(あたた)かさを感じていて、政秀を信頼していた。だが公式の場での、説教と叱責(しっせき)には辟易(へきえき)として、面と向かうと、つい憎まれ口をきいてしまうのだった。

 

当時、津島(つしま)は、木曽川支流の佐屋川(さやがわ)、天王川(てんのうがわ)の川湊(かわみなと)で、尾張随一(おわりずいいち)の賑(にぎ)わいを見せ、熱田はそれに次ぐ。津島商人の頭役の七人衆は、大橋清兵衛を筆頭に弾正忠信秀の父親、信定の頃からの被官(ひかん)だった。


信定は、彼等の一人に、信秀の異母妹を嫁がせている。それほど彼等を大事にしていたのだ。


信秀は彼等を手厚く保護し、特権を与えて上納金を受ける。定期的な課税はしないが、時々の事情により、冥加金(みょうがきん)、運上金(うんじょうきん)の名目で徴収(ちょうしゅう)する。金額は常に莫大(ばくだい)だが、商人達は守って貰う立場だから払うしかない


この頃は、戦を予感した信秀の命で、徴収が増やされ、古渡の金蔵は根太(ねだ)が抜けそうになるほどで、その入りきらない分が那古野の蔵に運ばれていて、信長はそのことを言ったのである。

 


炎暑の中、広い於台川での水練は心地良い。


川水は青く澄み切って、場所に寄ってはエメラルドグリーンに輝いている。


今日は、百人ほどで泳ぎ回る。


以前からの池田恒興と津田佐馬允に、前田犬千代と佐々蔵之介(さっさくらのすけ)が加わっている。


二人は勝三郎と佐馬允より、二歳歳下だが、勇猛果敢(ゆうもうかかん)なのは劣(おと)らない。


他にも、武家の子弟で、手のつけられない暴れ者ばかり、十人ほどが小姓になっている。


褌(ふんどし)一枚の彼等は、手に短めのヤスを持ち、勇敢(ゆうかん)に澄みきった深みに潜ってゆく。

 

岩陰でじっとしている鯉やうなぎ、鯰(なまず)などを刺しては上がってくることを繰り返す。

 

一刻ほどすると、沢山の獲物は放り出したまま、那古野へ戻る。


獲物は、城の賄い方が、馬を曳(ひ)いて取りに来る。勿論、それは信長の若者達の食い扶持(ぶち)となる。調練と食料確保を兼ねているのだ。

 

城へ戻ると、城横の広い馬場に集まり、信長の采配で槍衆の練習をする。

 

信長は、演習を繰り返すうち、槍の長さは長い方が有利と気付き、最近、それまでの二間半を三間半柄に変えていた。

三間半は、六㍍三十㌢である。演習にも同じ長さの模擬槍(もぎやり)を使う。

 

戦さ場での戦いは、最初に弓鉄砲や印地(いんぢ)打ち(縁を鋭くした石を投げる事)をお互いに放ち合い、その後、槍足軽衆が槍で戦うのだが、その時は最初は突くのではなく、振りかぶって叩き合う。叩いてから、突くのだが、槍の柄が長ければ、こちらは届いても相手の槍は届かない。


相手の槍衆を蹴散(けち)らせば、最後の騎馬武者の突撃の際、味方の騎馬武者は相手の騎馬武者だけに集中できるが、相手はこちらの槍衆に、下から突き上げられるのを警戒しなければならない。


馬を突かれても深刻だ。落馬すれば、より攻撃を受けやすくなるからだ。

 

信長としては、鉄砲をもっと増やしたいのだか、並の日本刀が現在価格に換算(かんさん)して、一振(ひとふり)二十万〜三十万円くらいのこの頃、鉄砲は一挺(いっちょう)百五十〜二百万円もしたし、大量生産が近江国友村等で可能になるのは、ずっと後のことだったから、信長は、今出来るだけの最善を尽くしていたのだ。


信長は、槍衆を五十人一組を最低の人数とし、二十五人に一人づつの小頭と五十人に一人の組頭を定めた。

 

五十人が百人、百五十人と増えたり、また離れて五十人になる訓練を続けた。


仮の家来としての、組頭や小頭になっても立場はすぐに変わる。

信長の課題がこなせない者は、組頭は小頭に、小頭は平(ひら)へとすぐ落とされる。

目敏い動きをする者は、小頭や組頭に引き上げられる。


これも仮だが、徒組(かちぐみ)に引き上げられた者も、何人もいたし、落とされたままの者も何人もいる。


その時点での、己の役割を正しく理解出来るか、出来ないかが選択理由だった。

 

 信長は叫ぶ。


「五十人が疲れたら二列目と入れ替わる。

その時、三列目めも続いて一緒に前に出る。

一列目は、出て来る二列目と三列目の邪魔にならんように、ちゃっと(早く)下がる。槍で味方傷つけたら、たわけ(愚か者)だがや。それが、うみゃあこと出来るよーなりゃ、例え三百人の組になろうと、千人になろうと同じだがや・・・入れ替わりゃあ、また力湧いてくるがや」


信長自身も駆け回りながら、配下を指導する。


「丸なったり、横に広がったり、三角に尖って突っ込んだり、ほんでも五十人の組は、決して離れたらいかんぞ。五十人がしっかり固まっとりゃあ、そう、ちゃっちゃっ(簡単には)とはやられえせんの。誰かが倒れても、戦の最中は、ほかっとかな(放置しておく)いかんぞ。勝ちゃあ、後から助けたれる。負けたら皆殺しにされると思えぇ~、おみゃあ、今のが本物の槍なら頭割られとるぞっ。おみゃあ、そんな殴り方では、相手倒れえへんぞおうっ(倒れないぞ)」

 

それは、繰り引きと呼ばれる戦法で、西国では、すでによく使われていたが、信長はその事は知らず、自ら訓練の中から編み出していたのだった。


暑さと過酷な訓練で、全員が水をかぶったように汗だくになっている。帷子(かたびら)や小袖(こそで)は汗でぐしょぐしょだ。

 

信長自身も、百人ほどの若い騎馬侍を率(ひき)いての訓練を繰り返す。 

使っているのは、真剣や真槍ではなく、木刀やたんぽ槍と呼ばれる、演習用の模擬の道具だが、殴られたり、突かれれば痛いし、皮膚が破れることも多々あった。

しかし、大勢が、血塗れになっても、砂煙(すなけむり)を上げての訓練は続く。


全員が目をいっぱいに開き、ふいごのような呼吸で、喚声(かんせい)を上げて走り回る。

 

「それっ、おいぬっ、くらっ、遅れるなあぁっ。頭を下げて走らんと、敵にたどり着く前にやられてまうぞおうっ・・・矢弾(やだま)も飛んでくるんだで、敵勢を広く見とらないかんのだぞおうっ。相手の頭辺(あたまへん=頭の辺り)狙えぇっ。突いてもえーけど、突いて抜けなんだら、槍無くすか、己も引っ張られて落馬だがやあぁっ。殴(なぐ)れ、殴れ、殴られやあっ、おおかたぁ(大体、概ね)落ちるわぁ・・・ほーだほーだ(そうだそうだ)」


まだ三十挺しかないが、鉄砲衆の訓練も怠(おこた)らない。

 

「鉄砲はよ、一挺づつ癖(くせ)あるでよ、それを早よ覚えなかんのだわ・・・自分の鉄砲でゃあじ(大事)にしてよ、弾込めもちゃっちゃっと(迅速に)やれるようならなかんのだわ・・・角(的)に当たるのは、もっとも(当たり前)と思わな、だちかん(どうしようもない)のだわ」

 

信長は、まだ全国の大名が誰も成しえていない、兵農分離をこの時点での三百人で果たしている。

信長は、その重要性にまだ気付いていない。


ただ、せっかく訓練した、犬千代や恒興達、すでに正式な家来身分の者以外の、庶民や身分の低い武家出身の者達は、その後、親の意向や家庭の事情などで、ほとんどが、正式な家来になる前に実家に戻ってしまった。


うつけと呼ばれた、信長への信頼が、薄かった事に加え、俸禄が衣食住だけでは、武家の親の承諾が得られなかったし、一般の各家庭は労働力を失う事を嫌がったからだ。


独断でそれを解決する権限を、まだ持つ事を許されていなかった信長は、信秀と政秀になんとかして欲しいと頼んだが、取り合ってもらえず、諦めるしかなかった。 


朝の水練から、三刻(約六時間)もたった。


「おーし、今日はこんで仕舞(しま)やあ(終了しなさい)、えらかったがや(よく頑張った)。皆水浴びて飯食え・・・怪我はちゃんと手当てせないかんがや」


日に二食が当たり前のこの頃、信長は三食食(しょくく)わせた。


今日のような川狩の獲物、野駆けの時に弓鉄砲で射ち止めた鳥獣も、全部与えた。


飯はさすがに白米ばかりではないが、玄米に粟(あわ)や稗(ひえ)を混ぜたものを、望むだけ食わせた。粥(かゆ)や雑炊は薄いのが普通だったが、那古野のは、どろりと濃くて、味も味噌や塩で調えられていたから、皆満足していた。

 

若者達の身体は、逞しく大きくなっていく。

しかし、それも前記の事情で、結局は無駄に終わったが。


信長も、小姓どもと、井戸で水を浴び、同じ飯を食う。


今日は天王坊での勉学はない。


いつもは、馬であちこちへ行く。


津島や熱田、岩倉に清洲、たまには犬山までも足を伸ばす。


「今日はよ、生駒屋敷(いこまやしき)行こみゃあか(行きましょうか)」

 

犬山へ向かう途中の郡(こおり)の在所にある、生駒家長(いこまいえなが)、通称、八右衛門(はちうえもん)の屋敷。


八右衛門は、信長の叔母の兄。


河内生駒(かわちいこま)の出で、馬借(ばしゃく)業を主に、灰と油を商う土豪(どごう)で、極めて富裕(ふゆう)だった。


大きな土蔵(どぞう)が、四つも並ぶその広大な屋敷は、幅三間もある深い濠(ほり)が回りを囲んでいて、厚い土屏(どべい)と頑丈(がんじょう)な木戸が外敵の侵入を防いでいる。


屋敷内部は母屋に厩(うまや)、作業用の小屋が幾つもで、井戸は三ヶ所、使用人の住む長屋が二棟(ふたむね)もあり、他には客が泊まる離れの客殿(きゃくでん、)まである。

 

八右衛門は、温厚だが勇猛だし、武芸の鍛練も怠らない。


屋敷の者には、下働きの者まで武芸鍛練を毎日行わせる。そんな八右衛門を慕(した)って屋敷には大勢の男達が逗留(とうりゅう)している。


兵法者、牢人、修験者、修行僧、旅商人、旅芸人等だが、八右衛門は身分は問わない。


諸国を廻る、彼等の話しを聞く為に、門戸(もんこ)を広げてもてなしているからだ。


だから八右衛門は、諸国の事情に通じていて、信長は、そのような話を聞くのが好きだったから、よく通っていたのだ。

 

八右衛門は、犬山城主織田信清の家臣だったが、この頃は、バサラでも、不思議な「威(い)」を身体から発し、何かを懸命に成し遂(と、)げようとする信長に、強い期待を内心で抱いていたから、信長が来れば歓待(かんたい)する。

 

「まあ、三郎様、よ~来てちょ~だいたなも(よくいらっしゃいました)・・・きんのう(昨日)、村のもん(者)が鶴(つる)持ってきたでよ~晩げ(夜に)に、鶴汁(つるじる)食べてってちょ~よ、ほんで、津島で購(あが)なった金平糖(こんへいと)もあるでよ」


金平糖は当時、高価で貴重である。


信長は甘い物も好きだったから、相好(そうこう)を崩(くず)して答える。


「八右衛門、かたじけないがや・・・かつやら、さまやら、供(とも)も大勢来とるで、さっき(自分より先に)食わしたってちょ(食べさせてやってくれ)」

 

そして信長は、いつものように逗留者達のもとへ行った。


誰かれ構わず、色々な話をして情報を得る為だ。特に初顔を見つけると、迷わずそこへ行き話をするのが常々だったから、まずそういう者を探す。


一人見つけた。

二十歳半ばくらいの侍が、部屋の隅で横になって酒を飲んでいる。

 

信長を見ると、微笑んで起き上がる。己の前の酒器や食器を手早く片付け、背後に廻して隠す。

 

紺麻(こんあさ)の筒袖(つつそで)と、たっつけ袴(ばかま)は清潔だし、顔も端正(たんせい)に整っている。髪は総髪を後ろで束(たば)ねて、手入れしているのが判る。


長めの脇差(わきざ)しの拵(こしら)えは、かなり立派で、バサラ姿の信長を見ても、驚きや嘲(あざけ)りは表情にない。身長は五尺七寸(百七十㌢)近く、身体は細身でも逞しいのが判る。


少しの動作も、無駄なく所作(しょさ)が爽(さわ)やかだ。武芸の心得がかなりあると信長は見た。

信長は、こういう人間が元々好きだから、一目で気にいって近寄る。

 

胡座座(こざすわ)りに座り直して、軽く頭を下げた若侍が言う。


この頃は、正座ではなく、胡座と言い、膝を大きく広げ、右足を左足の前に出して、あぐらをかくよう座るのが当たり前だった。


見た目には、意外な優しい声だ。

 

「これは、お初でおます。わては、こうか(甲賀)から流れて参りまいた、滝川左近一益(たきがわさこんかずます)いうもんでおます。きんまい(美しい、立派)坊(ぼん=幼いあなた)はんは、どなたはんだっか」


信長は甲賀の地名は知っていたが、甲賀出身の者に会うのは初めてだったから、意味のわからない言葉があって当然だった。 


一益は信長の、バサラ姿を勇ましく美しいと褒(ほ)めたのである。 


その感覚は尋常ではない。 信長の装束が理(り)にかなっていると評価したのだ。


初めて自分を正しく理解した男の、甲賀言葉のきんまいの意味がわからない信長は、そうとは知らず答えた。


「俺はよぉ、那古野の三郎信長だがや。」


「は~、ほうでっか・・・お噂はここにおるもんやら、生駒の旦(だん)さんに聞いてまっせ。よう精進(しょうじん)してはるそうでんな。わては、いっぺんお会いしたい思うてましたさかい、嬉しゅうおすがな」

 

信長の頬(ほお)が赤らみ、それを隠すような厳しい問(と)いをする。


「聞いたらいかんかも知れんけどよ、おんし(あなた=おみゃあよりは丁寧な呼び方)は、なんで流れ歩いとる」

 

一益は、不快な表情もせず答える。


「わては、国元で、ちょかって(調子にのって)色々やらかしてもうて、ほやさかい、おられんようなって、しょ~ない(仕方ない)よって、あちいこちい(あちらこちら)してたんですわ。言(ゆ)うたら阿呆(あほ)ですわ」


生駒出身の八右衛門が時々使うから、阿呆だけはよく解って、信長が少し笑う。


「ほうかね。俺もよぉー、国中で大うつけだ言われとるでよぉ、おんしとおんなじだがや。ほんでおんしは、どこを巡(めぐ)ってこやあた(こられましたか)」


「最初(はじめ)に根来(ねごろ)で一年(ひととせ)ほど、縁者(えんじゃ)の坊主んとこおって、次は京に摂津(せっつ)、河内丹波(かわちたんば)、若狭加賀、越中越後に信濃から甲斐で相模駿河(さがみするが)、遠江(とおとおみ)で、しまいに三河から、ここ来たんでっせ」


「ほうきゃあ(そうですか)、ほりゃえらかった(大変でしたね)がや・・・どんだけかかりゃあた」

 

「ほれは時のことでっか、ほれやったら五年(いつとせ)ほどでんな」


「根来は何で長かったんきゃ」

 

「ほら、根来の寺ゆうたら、ぶえんしゃ(金持ち)ですさかい、毎日ごっつぉ(ご馳走)で、酒もうもうて(美味で)、そやさかい、居心地がよ~て(良くて)、よ~て、ほれに鉄砲教わっとったんどす・・・わての縁者(えんじゃ)は根来の僧兵(そうへい)で、鉄砲放ちやさかい、色々仕込んでもらいましたんや」


「根来の鉄砲放ちは、巧(たく)みきゃ」


「ほらもう、坊主のほんまの仕事はな~んもせんと、朝から晩まで鉄砲燻(てっぼうくす)べて(発射して)ますさかい、腕上がって当たり前ですわな。ほやけど、西の雑賀(さいか)の衆も、なかなかのもんやそうでっせ」

 

そういう話を二刻も続け、信長は主に、根来僧兵と雑賀の鉄砲衆の事情を、大まかに知った。


「おんしは、いつまでここに居りゃあす(みえますか)」


「ここも居心地、え~さかい、しばらくは遊ばしてもらお、思ってまっさ」

 

信長は、それ以来、生駒屋敷を頻繁(ひんぱん)に訪れ、一益から話を聞いた。


各地の軍勢、民情、物成り、領主の政治姿勢、財源、税制等々。


一益は、知る限りを丁寧に答える。


彼は近江言葉だから、少し意味が通じないこともあったが、そんな時は、信長の表情を見ただけで、察して言葉を変え、信長か解(わか)るまで説明をする。

また、余計なことは言わず、簡潔的確(かんけつてきかく)に解りやすく話をする。


諧謔(かいぎゃく)のある一益の話に、信長は時々声を上げて笑う。

 

信長は、そういう一益がますます気に入る。

一益も、まだあどけなさの残る信長の、物事の核心(かくしん)を突く鋭い質問に、畏敬(いけい)の念(ねん)を強める。


(この坊(ぼん)は並やないわ・・・身のこなし、歩き方見たら判るがな・・武道の業前も恐ろしい程の達人(たつじん)や。未だ十五やて、どげな鍛練したらこがいになるんやろ。がお(化け物)みたいや・・・話しても何事も肝心(かんじん)な事がなんなんか、よ~分かってはるわ。歳は九つも下やけど、なんや不思議な威(い)があらはるわ。先はわからへんけど、この坊なら、弾正忠家率いて、ええとこまで行くんちがうやろか。こういう方のねき(傍に)おったら、ええん違うやろか)

 

その日、一益は、信長の求めに応じて鉄砲の腕を見せた。


生駒屋敷内の射場で、八右衛門の持ち銃を借りると、手慣れた動作で弾薬を込め、銃を放つ。

一町(百十㍍)先の、厚さ一寸のスギ板の的には命中したが、真ん中の直径五㌢程の黒点は外れている。


三発撃つと、信長と一緒に見ていた八右衛門に尋(たず)ねる。


「これは、ちいと、右に寄りまんな」


八右衛門が頷く。


「癖(くせ)わかりましたさかい、見とってくなはれ」


火縄銃の発射準備には、熟練者(じゅくれんしゃ)で二十五秒程がかかるが、一益は二十秒でやってのける。


四発目が、的の黒点を撃ち抜いた。ど真ん中ではない。五発目、六発目と、だんだん真ん中に寄っていく。

 

一益は、発砲時、何故か片目を瞑(つぶ)らず、両目を開けて狙い撃ちをしているが、信長は気付かない


「遠いさけ、よう見えまへんよって、わかりやすう、黒丸んとこだけ撃ち抜きまっさ」


そう言った一益は、手早い操作で、発砲を繰り返す。

十発撃つと、銃を下ろし、的に向かう。信長も続く。


的の黒い部分だけが、刃物で抉(えぐ)りとられたようにきれいに消失していて、他の部分は、試射三発の弾痕(だんこん)以外はそのままだ。信長と八右衛門が、思わず感嘆(かんたん)の声をあげる。


「大きい声では言えんけどよ、おんしは、一巴様よりうみゃあがや」

 

一益は、その後、那古野城内の角場(射撃場)でも、信長の持ち銃を撃って何度も腕前を示したが、橋本一巴に遠慮してか、教えめいた事は何も言わなかった。

 

信長の聞き取りは続いた。


ある日、思いだしたように信長が聞いた。


「色々聞いたけどよ、おんしの国の話はまんだ(いまだに)だったがや」


「そうでおましたな・・・わてとこは、伴(ばん)の旦那(だんな)とこの、まあ家来言うたら、ちいとちゃい(少し違う)ますが、一党でんな。こうか(甲賀)五十三家ちゅうのがおまして、ほんなかにまた二十一家があるんだす。伴は中山城の主でおます・・・城言うても、那古野のお城みたいに大きゅうはありまへん・・・砦(とりで)ですわ・・・こうかには、そんなんが百八十からあるんですわ。 他に、中山と望月、言うんがいてまして、まあ三家が、こうかの頭分(かしらぶん)ですわな・・・ほやけど領主ではおまへんさかい、こうかでは「惣(そう)」言うて、何事も皆で寄って話し合いで決めるんでおます・・・細(こまい)いもん(身上が小さい者)が、助け合おうて暮らしとるんですわ。けど人が多いさかい、話はなかなか纏(まと)まらんし、いさかいもようあるんでっせ・・・血ぃ見るまではいかんのでっけど、まあ、年中なんやかんやとやっとるんだっせ。」


「ほうか(そうか)、甲賀は忍びの国だと聞いたがや。おんしも忍びきゃ」

と、信長が唐突(とうとつ)に聞く。


一益が少し照れくさそうに答える。


「まあ、よう知ってはりますな・・・忍び言うても、わてらのは、山ん中での戦の仕様(しざま)でおまして、並みの侍が学ぶ武芸と、それほど違わへんのでっせ・・・使う道具はこうか流だっけど」


そう言うと一益は、懐(ふところ)から革袋を取り出した。


「これは十字手裏剣(じゅうじしゅりけん)でおます」


袋から、五枚の切っ先鋭い手裏剣を取り出す。


「ザザッ」と金属が擦(こす)れる音がする。

鈍く輝くその手裏剣は、かなり使い込まれている。


「わては、この手裏剣五枚のおかげで、あちいこちい廻れたんでおます・・・山ん中でこれで鳥や獣撃って、凌(しの)いどったんでっせ。塩は多めに持っとりましたんで、焼いて食ろうて、ですわ」


信長は驚いて聞く。 


「弓鉄砲でも仕損じあるがや・・・おんしは、達人だかや」


「いや、ちゃいます。三間くらいなら、人の目玉狙って外しまへんけど、こうか者(もん)はみなやりまっせ。肝心なんは、そ~っと傍(ねき)行くことですわ。それ出来な、けぶら(気配)消して獲物近寄るの待つんですわ。達人やなんて、そんなん、かなん(困ります)」


信長は、それを今やってみろとは言わない。例え一益が流浪(るろう)の浪人(ろうにん)だとしても、ひとかどの侍の、しかも鉄砲などの表芸(おもてげい)ではない、隠すのが当然の忍びの業が、見せ物ではない事を理解していたからである。

一益もそれは当然だと思うが、年少の信長の深い覚悟に内心(ないしん)舌を巻いている。


その日、二人は逗留者の雑居部屋ではなく、八右衛門の居室にいたから、気兼(きが)ねなく話せた。


「そのけぶら消す言うのが、なかなか出来んわな。おんしは、忍びの者だがや」


「こうかちゅうとこは、昔から、そこら中、ただけに(沢山)薬草成っとりまして、わてらんとこは、昔からそれで薬こさえて、それ売って、たっき(生活、暮らし)たてとったんだす。そら、傭(やと)われ行って稼(かせ)いだりもしまっけど、たいがいは田畑やってまっせ」


信長は以前の会話で「ただけ」や「けぶら」の意味は知っていた。

 

柔らかく否定する一益に、信長がまた鋭く聞く。


「薬か。毒も毒薬ちゅう(毒薬と言う)薬だがや」


「お~怖っ・・・三郎様は冴(さ)えてはりまんな。そうだす、毒使うて、どなたはんかを仕物(しもの)にかける(暗殺する)んわ、まあ、よぞい(おぞましい)ことでっけど、雇主(やといぬし)はんに言(ゆ)われたら、仕様(しよう)おまへんわな」

 

毒薬での暗殺仕事を、咄嗟(とっさ)に認めて答えてしまった一益に、顔色も変えず信長がまた聞く。 


「今は何処(いずこ)へ仕(つか)えとる」

 

一益は、己や甲賀の情報を隠すのは諦(あきら)めた。隠そうとしたのは、信長を気に入ってはいても、いまだ主(あるじ)でもない、将来的に敵味方もわからない相手だったからで、我と我が故郷の秘事を、全て打ち明けるのには危惧(きぐ)があったからだ。だが、ここでの会話を重ねるうち、一益は悟(さと)った。


(あかん、この坊(ぼん)にはなんも隠されへん。問いが鋭すぎて、案ずる間ぁがあらへん。それに知らん事かて、己の知ってる事組み立てて、分かってまう賢(かしこ)い方や。聞かはる事がいちいち、真ん中や・・・どうせ覚(さと)らはるんや。聞かはること、みな答えたろかい)


「まあ五年(いつとせ)も帰っとりまへんさかい、今はどうやろ、でっけど。六角はんに松永はん、筒井はんと、足利の公方(将軍)はんとこも、ちいとは(少人数)行っとる思います。そやけど、多分(じょうだい)、六角はんとこが、一番人数ただけや思いまっせ」

 

六角とは六角定頼(ろっかくさだより)、義賢(よしかた)親子。義賢は後の丞禎(じょうてい)。筒井は筒井順昭(つついじゅんしょう)(順慶の父親)、松永は松永久秀、足利将軍とは足利義輝である(この頃の名乗りは義藤)。


「何で六角へ、よおけ行っとる」


「六角はんとこが、付き合い昔から多て」


「ほうか。ほんなら、行っとる甲賀衆の扱いはどうでゃあ(如何ですか」)


「それはもう、わてら侍帳(さむらいちょう)にも載(の)らへん銭雇(ぜにやと)いの山者(やまもん)ですよって、はなから蔑(さげす)んどりますわ。どこの家でも侍どもは口もききよりまへん。禄(ふち)かて、よう貰(もろ)うて十石(現在価値で、約五十万円)位ですわ。常にはせつろしい(煩(わずら)わしい)仕事ばっかやらされておるんだす。そやけど、勤(つと)めせんと仕様おへんよって、皆堪えて勤めとります」


「ほうかね、ほしたらよお、甲賀衆の一番の得手(えて)は、なんでゃあも(なんですか)」


「そら、脚(あし)でんな・・・山ん中でおますから、やぁでも(嫌でも)足腰つおなります(強くなります)がな。それに、忍びの家のわてら、もう、五つ六つから、山ん中、走り回りさせられますねん。忍び仕事言うたら、そら、走ることが肝(きも)やさかい、仕様おへんけど。わてでも、日に二十里は走りまっせ」

 

一益は嘘(うそ)をついた。一益が、一日に走れる距離は軽く三十里(百二十㌖)だったが、最後に少し残った自己防衛本能が、そう言わせたのだ。


「二十里。馬でも走れんがや・・・ほんならよう、甲賀衆で、今すぐ険(さが)しい命(めい)やれるのは(危険な任務を果たせるのは)何人くりゃあだ」


「千人くらいですやろか」


「一万石か」


 一益にその意味はすぐには解らない。

 信長は少し考える様子だ。


「隣の伊賀も、忍びの国だろがや・・・伊賀はどんな風(ふゅう)でゃ」


「伊賀は、喰代(ほおじろ)の百地、湯船の藤林、千賀谷(ちがだに)の服部言うんが、頭分だす・・・伊賀も「惣」あるんやけど、甲賀と違って、三家の言い分がつよぉおます。まず、伊賀は人数(にんじゅ)が多いんだす。五千は、働けますわ。三郎様のさっきの問いなら五万石だんな」


一益は、信長が甲賀衆全部の仮の経費が、一万石と言った真意を見破っていた。

信長は薄く笑う。


「されば、伊賀者の力は如何に」


質問が、核心に及んだ為の緊張か、尾張言葉が消えている。信長は甲賀や伊賀について、これまでに、一益以外の逗留者におおよそは聞いていて、総合的な戦闘力が、伊賀の方が勝っているらしいのを知っていたのだ。


「よそ(他所)やから、わての知る限りでっけど、伊賀者は、はなから、修行が違うんだす。三つや四つから、酷(ひど)い事させますんや。言うたら切りおまへんけど、修行の途中で死ぬもんやら、不具(かたわ)になるもんが、ただけにおるそうでおます。その代わり、業(わざ)修めたもん等は、そら、がおですわ。こなた(味方)なら、こがいに頼りなるもんは、いてまへん・・・かなた(敵)なら、こげに、とひょ~もない(とてつもない)もん、おりまへんな。わてらは、雇い先に顔曝(かおさら)してまっけど、伊賀者は、顔隠すし、七方化、言う術つこうて、なんにでも化けよりますんや。顔から、背格好から歩き方まで他のもんに成りきりよります。そやから、雇い主でも、あれらの素の顔知らんのでっせ」


「見分けられんかったら、どもならんがや(どうしようもないじゃないか)」


「それは、符丁言うか、あれらの独特な合図があるんでっせ。その中身は、わてらは、知らんのどす。あれらの掟はきつうおますから、漏れてこんのでっせ。そやから、あれらは皆、闇(やみ)に生きとるんでっせ・・・・闇を采配(さいはい)しとるんでっせ」

 

普段、冷静な一益の声が、最後にやや上ずった。


信長が家来にした、三百人についての動向の描写を、全くしてありませんでした。本日は、2025.12.16日です。書き足す事も出来ません。仕方なく、辻褄合わせの言い訳を無理矢理付け加えました。とても見苦しいと自覚してます。申し訳ございません。 

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