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架空戦記 あゆちのびと衆   作者: 岩山輝之
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あゆちのびと衆 第一章 その十


       

       

         鎖帷子(くさりかたびら


 


信長は、師走しわす初めのその日、鳴海城辺りの巡察に向かう。毎月の頭には、尾張東南部へ馬責めも兼ねて行くと決めてあるからだ。

 

空は灰色の雲がれ込め、雪がちらついている寒い朝だ。

 

鳴海城は、いつか信長達が火縄銃の銃床を試した鳴海の浜のすぐ側だ。

 

鳴海城には、弾正忠家の股肱(ここう)の臣、山口左馬助教継(やまぐちさまのすけのりつぐ)が、息子の九郎二郎教吉(くろうじろうのりよし)を従え、守将として在番ざいばんしている。


教継は、二十年も前から、信秀に従い、今川、松平や美濃勢と何度も闘い、その豪勇は近隣に鳴り響いている古強者(ふるつわもの)だ。

 

鳴海城は最前線に近いから、いつ今川、松平勢が攻めてくるかわからない。だから信長は、城の視察と将兵の激励げきれいをしようとしたのだ。

 

信長には、いつもの六名と小姓衆が三十人程、付き従っている。


全員がいつもの小袖でだけではなく、小袖より長い着物に、その下には紙子(かみこ)(紙の着物)を着込み、着物の上には木綿胴服(もめんどうふく)(コートのような長い上着)で寒さ対策をしている。胴服はこの頃すでにポピュラーな衣装だが、色は信長の好みで深紅で揃えてある。


足元も全員が革足袋に強鞋(こわわらじ)だ。一行の中で、信長を見分けるには、茶筅髷を見るしかない。


那古野城を出て南下し、鎌倉街道を進む。熱田の森を右手にさらに下ると小高い笠寺辺(かさでらあたり(現在の名古屋市南区笠寺観音辺り)が左手に見える。


更に星崎(ほしざき(名古屋市南区星崎町)の辺りまで来ると民家が三十軒程かたまっている。各家からは、炊煙すいえんが立ち上ぼり、煙の臭いが漂ってくる。


民家が途切れて、小さな森が左手に見えて来ると、森の中から、「ウオッ」と一声がし、次の瞬間「ターン」と乾いた発砲音がした。


近い空間を通れば、ピュンと聞こえる弾の風切り音はしないから、弾が外れたのが判る。

 

信長は「ウオッ」と聞こえた瞬間、身体が勝手に動き、上体を馬の平頸(ひらくび)に倒した。


同時に、信長の左を駆けていた鷹迅(たかとし)こと鷹目が馬から飛び、信長を抱えて一緒に地上に落ちた。かなりの勢いでの落馬だったが、鷹目が我が身で信長を(おお)うようにしてかばったから、ごろごろと転がっても、信長はすぐ立ち上がった。


だが額に小さな擦り傷があり、血が少し出ている。鷹目が立ち上がった信長の肩を押さえて言う。


「お殿様、御怪我は他におまへんか。他にも曲者おるやもでっから、(かが)んでおくなはれ」


不知火と雪丸が馬から飛び下りて駆けつける。

 

柱と風は、銃声がした瞬間、馬を巡らせ森の中へ突っ込んでいる。右は馬を大きく巡らせ、森の外側へ回りこんで行く。他の小姓はやや行き過ぎて、馬を返して信長の回りを取り囲む。


「騒ぐな。怪我は無ゃあのとおんなじだがや。柱助と風之進が筒音(つつおと)した方行ったがや。それっ、十人ばかり、加勢に参れ」と、信長がしゃがんだまま指差した方へ小姓衆が馬で駆け出す。

残った者は、しばらくその態勢のまま待った。

 

風が馬を曳いて戻ってきた。柱が鉄砲を手に続く。風の両手の革手袋は泥だらけだ。馬の背には細縄で縛られた茶色の(かたまり)が載せられていて、それは異臭を放っている。

風が塊を振り向いて言う。


「こやつが鉄砲、(くす)べよったんでおます」


そう言いながら、風はしゃがんで地面の砂をすくいとり革手袋を擦り合わせて砂で泥を落とす。その泥も臭い。


後ろに続く柱が手に持つ火縄銃を信長に差し出す。

全体がほっそりしていて、飾りが無く、銃身が八角形で銃床がやや長い。火縄挟みに火縄は無い。


信長が手に取って言う。


「薩摩筒かのん・・・値高いと聞いとるがや。火縄無ゃあのはなんでかのん・・・放ち手は討ち取ったのかのん」


風が緊張の面持ちで信長だけに聞こえる小声で言う。


「こやつは、(こく)に体当たりされて気ぃ無くしとるんでおます・・・(こく)が気づいてくれな、弾ぁ、お殿様に当たっとったかもしれまへん・・・不調法しでかして、ことのは(言葉)もありまへん・・・御叱りは後で頂きまっさかい、今は那古野へ帰るのがもっとも(当然)やと」

 

森の外側を点検してきた右が、小声で安全を伝える。

だが、森の中以外に曲者はまだいる可能性があるから、一同は風の言葉に従う。

小姓達は事態に気が動転したのか、曲者の狙撃失敗の訳を問う声も上げない。


雪丸が、懐から狼笛おおかみぶえを出して吹いた。

姿を隠している(こく)(びゃく)に帰城を伝える為だ。

 

昼間に巨大な(よう)を人目につかず移動させるのは困難だから信長警護に連れてはいけない。だから(こく)(びゃく)が二匹だけで姿を隠して同行していたのだ。


(よう)は那古野城内か、まわりの森のどこかに潜んで城を守っている。


笛吹きは馬に隠れてだし無音だから、他の小姓は気づかない。

狼三匹の事は、まだ信長、一益と六名だけしか知らないのだ。

 

信長の馬と、曲者を載せ雪丸が操る馬を中心に密集し、全員が鞭を鳴らして道を急ぎ、那古野城へ無事に帰還きかんした。


雪丸は動く馬上で器用に身体をずらして曲者の臭い身体には触れないようしている。

 

信長が六名以外の小姓衆に城内を見回るように命じる。


信長と六名は曲者を馬に載せたまま、雪丸達の長屋裏へ向かい、不知火は途中で信長に一益を呼べと言われて天王坊へ走った。

 

恒興と左馬允、前田犬千代と左馬允の兄、中川重政がついてくる。四人は憤怒ふんどの表情だ。


中でも六尺まで背が伸びた犬千代は、鞭代わりの弓折れをビュンビュンと振り回し今にも馬上の曲者に殴りかからんばかりの勢いだ。


信長が(とがめる。


「こりゃ、おみゃあんたらぁ、曲者が忍んどるかもしれんで、見回ってこい言っとるんだがや。俺に(あらが)うか」


中川重政が答える。


「この、ど畜生を吐かさな気が済まんがね。俺はこういう(やから)の扱い慣れとるんだわ。お殿様、お怒りにならんといてちょう。俺に責めさしてちょう」


他の三人も信長にすがるような目付きになる。

信長は雪丸達を見渡し、その顔付きで判断したのか許可を出す。


「お~し、ほんならやらしたる・・・ほんでもよぅ、死なしたらいかんがや・・死なんように責めよ」


犬千代が片手で、臭い塊を馬から引きずり降ろす。

信長の前まで引きずってくると、異臭は強まる。


風が言う。


「この、ごくたれは、田畑(でんぱた(こえ混じりの泥を己の身体、頭から足先まで塗りたくりくさって、(おのが臭い消しやがったんでおます」


言いながら、風は足の裏でかたまりを蹴る。


ごろごろと転がって、塊が「うっうう~ん」と声を上げる。


風が続ける。


「鉄砲を木の股に据えて、胴薬の臭いせんよう火縄使わんと、(かしぎの煙に紛れて、火皿に付け木で(じか)に火ぃつけて(くすべよったんだっせ。」


信長が不思議そうに言う。


くそまり塗るとは、侍ならせんことだがや・・・猟師かのん」


「いや、こやつの身体は侍の身体でおます。武芸の鍛練してる(きんにく)でっせ・・・わてらにけぶら(気配)覚えさせんかったんは忍びの心得も、ちいとはあるやもしれまへん」


後ろ手に縛られ、目隠しをされ、身体全体もぐるぐる巻きにされている曲者は勿論、猿轡(さるぐつわ)もされているから、うめく事しか出来ない。


「臭いのん。まず水かけよ」


信長の命に小姓四人が井戸へ走り、それぞれが自ら桶を抱えてすぐ戻った。

ザバーッザバーッと水が掛けられるが、泥はなかなか落ちない。


信長が苛立たしい声で言う。


「まあええ・・それっ責めよ」


四人が水桶を放りだして、(むちと弓折れで塊を叩きだす。叩かれて泥が飛び散り、半裸の身体が見えてくる。顔が髭に覆われ、身体も毛深いのが判る。


(うぬ)がっ」


「てみゃあぁわぁっ」


「このっ、糞まみれがっあ」の怒声と共に

「ビシッ」「バシッ」と、鋭い音が響き渡る。城内見回りを終えた小姓衆も集まってくる。


曲者は激しく叩かれても「うう~っ」とか「ぐはっ」と呻くだけだ。


風がその様子を見ながら四人に言う。


「こやつは右肩と(あばらが何本か折れてまっさけ、そこ狙うてしばいてくんなはれ」


四人は代わる代わる、風が言った身体の場所を皿に力を込めて叩く。

露出ろしゅつしたはだはもう血だらけだ。


それが小半刻続いたが、曲者は血塗れにはなったが呻くだけだ。


左右次(そうじ)こと右が信長に言う。


「お殿様、こやつはなかなかの性根(しょうねでおます。このままやったら()わしてまいまっさけ、わてらに御任せ願えまへんか。傷負わさんとかせまっさけ。

一刻程はかかりまっけど」


信長が頷いて言う。


「お~し、いっぺん止めよ」


四人の小姓は汗だくになり疲労困憊(ひろうこんぱいの様子で曲者から離れた。右が他の五人の仲間に目配せして何か合図すると、五人はぱっと散ってその場から走る。


三人は篝火の台木を一緒に担いで運んでくる。一人は先の尖った四尺程の柱と木槌を持って戻り、一人はまた水桶を一杯にして戻る。柱を持ってきた風が、木槌で地面に柱を叩き込む。血塗れの曲者を柱に縛りつけ、その上に三角錐形(さんかくすいけいの台木を置き、台木の上部に水桶を置く。

 

柱が懐から、U字形に曲げた細い竹筒を取り出し水桶にいったん沈めて、両筒先を革手袋をしたままの両指で押さえながらの(ふち)(め込む。外側の筒先から指を離すと、サイフォン原理で水がスーッと流れ落ちる。


柱は水が出るのを確かめてまた筒先を押さえ、懐から小さな布切れを出して筒先に押し込む。暫く待つと筒先の布から水が滲み一滴づつ「ポタッ、ポタッ」と垂れ落ちてくる。

それが曲者の頭に一滴づつ降りかかる。


「お殿様、これでほかしといたらええんだす」


柱の言葉に信長が驚きの表情で聞く。


「こんなことで、こやつがしゃべるんきゃあ」


「この責め喰らって一刻堪いっこくこらえたやからはおりまへん。ま、ほとといて(気長に)お待ちくだはれ。話す気ぃになったら、猿轡しててもわかりまっさけ、皆様はちいとお休みにならはったら」


信長が小姓衆に言う。


「皆の者、よ~けで見とっても、しゃあにゃあがや・・・賄い所行って湯漬けでも喰らって参れ」


雪丸が両手の革手袋を脱ぎ、取り出した手拭いを曲者頭上の水桶に浸け、絞って信長の額の傷を拭く。更に懐から貝殻を合わせた入れ物を出し、中の膏薬を変色した指先で少し塗る。


「血ぃは止まってまっさかい。この薬はよう効くんでおます・・・明後日(あさって)には傷消えますよって」


丁度そこへ一益と不知火が走って来た。

一益が真剣な表情で言う。


「お殿様、御無事でなによりだした。御怪我はそれだけでっか・・・・こやつでっか」


一益が縛られた曲者の顔を正面からいきなり足裏でる。


曲者の頭が縛られた柱にガツッとぶつかり、潰された鼻から鼻血が勢い良く噴き出す。


それでも怒りが収まらないのか、一益は脇差しを抜いて曲者の顔に近づけて怒鳴る。


「わりゃあ、鼻削はなそ)ぐか、目玉くり貫くか、手足の指、みな、斬り落といてほしいか。たれ)の命や、()()わな、その上ふぐり(睾丸)と竿(男根)切ってわれの口ん中にぶちこむどっ。われっ、お~っ、われえぃっ」


普段物静かな一益の激情に、信長も含め全員が驚いて声もない。

曲者はやはり呻くだけだ。一益が脇差しを振りかぶるのを見て信長か言う。


「滝川っ、待て、斬るな・・今喋らす算段さんだん)いたしたがや」


すると一益は振りかぶった脇差しを下ろし、六名と小姓衆に向かって怒鳴った。


「おまはんらっ、こないにただけについとってからにっ、鉄砲、(くす)べられるってどないな事やっ・・お殿様にきず)まで負わしてもうてっ・・・風之進、おまはんが年長やっ。言うてみいっ」


そう言われて、風が片膝をついて事件の概要がいよう)を説明した。勿論、(こく)大殊勲だいしゅくん)は小姓衆がいるから言わない。


曲者の鉄砲を見たり、曲者の臭いを嗅ぎながら話しを聞くと、一益の表情が少し和らいだ。


「さよか、泥塗りたくって、火縄も使わなそらわからんわな・・・やけど、行き先判ってたんやから、何人か先行って物見するんが、お側に(はべるもんの務めやろっ・・・以後は改めてなはれ。ほいてお殿様、この腐れ外道のやりようやと、此方(こなたよし)(味方の情報)が漏れてる(ふし)がありまんな。皆ええか、誰ぞがお殿様狙うとるんや、気ぃを強う締めてかからなあかんのやで」

 

六名と小姓衆が項垂(うなだ)れて「ははぁっ」と畏まった。


一益が、脇差しを納めながら、曲者を責める仕掛けに視線を向けて言う。


「水の垂れがええ塩梅やな」


信長が表情を厳しくして言う。


「皆の者ばかりのせいではない。俺も心得足らずだがや・・・俺も以後改めるがや」


「・・・・ほうでっか・・・ほな、お殿様には、今日できっぱりそのお姿止めて頂きまっせ・・・髪も茶筅はあきまへん・・皆と同じ後ろで縛る形にして頂きまっせ・・訳は(わんでもお分かりだんな」


信長が、えっと言う顔をしたが、改めると言ったから不服は言えず頷いた。


一益が笑顔で言う。


「わては前からお殿様にその装束止めて欲しかったんだっせ。せやけど、家来からは(えまへんよって、こら)えとったんでおます・・・その訳は、ちいとお待ちくなはれ」


そう言うと一益はまた来た方向へ走りだした。


信長が小姓衆に言う。


「それっ、今のうちに行け・・・左近が戻ってまた怒りだすかもしれんがや」


小姓衆は、はっとした感じで口々に「ではっ」「さればっ」と言いながらその場を去った。


 曲者が、「フンッ」と鼻を鳴らした。


それを聞いた柱が、曲者の前にしゃがみこんで言う。


「わりゃあ、この仕掛けを(わろ)うたな。こげな水がなんやと鼻ぁ鳴らしくさったな。

ふふふ・・・あとちいとしたら、われは、泣きわめくんやで」


信長が曲者から離れ、雪丸を手招きし小声で言う。

雪丸は先程脱いだ革手袋をまたはめている。


「俺は(こく)に救われたがや。せめてなにか」


「・・・ほな、お殿様、(こく)を撫でたっておくなはれ・・今その桜の木の後ろにいてまっさかい」


雪丸が、狼笛は使うまでないのか、指を口に当てて「ヒュッ」鳴らした。


すると庭の隅の桜の木影から灰色の獣が飛び出して、信長達に向かって来た。


「明るい時見たのは初だがや。やっぱりできゃあな。(よう)ならまたふぐり縮むがや。これ、(こく)これへ参れ」


すると(こく)は迷う様子も見せず、信長にタッタと近づき踞った。

信長が頭を撫でる。(こく)が見上げて、信長の眼をじっと見る。


常の封印(・・を解いた信長には、(こく)の言葉が聞こえた。


「お殿様、御身(おんみ)は、わてと(よう)(びゃく)が身に代えて御守りしまっさかい、思うまましなはったらええんでっせ」


信長が思わず頷いて、それを見ていた雪丸が思う。


(やっぱりや。お殿様は(こく)のことのは解るんや。わいには解らんのに、頷いてはるんは(こく)のことのは解るからや。持ってはるからや)


信長が動いて、(こく)の松脂でバリバリした身体を撫でると、剋は満足そうに眼を閉じた。

 

そこへ一益が走り戻った。手には銀色に輝く着物の様な何かを持っている。踞った(こく)を見てぎょっとした顔をするが、信長を見て言う。


「お殿様、御衣装変えて欲しいんは、これ着て頂きたいからでっせ。鎖帷子(くさりかたびら)でおます。今日からは着物の下にこれを着けてくなはれ」


それは、小さく薄い鎖を編むようにして作られたボディーアーマーだ。


信長が受け取り、重さを量るよう手で上下させる。


「さほど重くはないがや・・・あいわかった。必ず着けるがや」


「鎧兜ん時もでっせ。上身(うわみ(上半身)に着けるそれは一重やけど、(いくさ)ん時は二重にして、下身(したみ(下半身)にも着けて頂くんでっせ。」


一益は、バサラ姿では鎖帷子がはみ出てしまうから、普通の衣装に変えて欲しかったのだ。

その防御力は銃弾には及ばなくても、刀槍や矢ならかなり高い。更に戦場で二重の鎖帷子の上に鎧兜を装着すれば安全性は高まる。


「ちいと重うても、お殿様の御身体護るんやから、堪えて頂くんが御たてば(立場)からしたらもっともなんでおます」


信長が苦笑して言う。


「心得た。ばさらのなりと茶筅はたった今止めたがや・・・・ほんだけど、夏は暑いだろうのん。じゃが、これは如何に(あつら)えたのかのん」


「御城下の金打ち職人に言うて造らしたんでおます。上身下身(うわみしたみ)が二揃いと、手足覆いに急所覆いまでありまっせ。後で全部、御届けしまっせ」


(こく)が何かの気配に反応したのか、急に立ち上がり、さっと走り去る。


少しして、犬千代と勢月が、盆に載せた土鍋を一つづつ運んで来た。中川重政は幾つかのお椀と箸に片手で床几、恒興は土瓶と茶碗をそれぞれ盆に載せて来る。


「何を持って参った・・・飯か」と、信長。

犬千代が鼻をうごめかせて言う。


「お殿様も、六人衆も腹減っただろ思って、(きじ)雑炊と(さぶ)いで酒も持って来たがね。糞塗くそまみ)れにも匂い嗅がしたったらええがね」


「お犬、でかした。ちいと(さぶ)いでのん。おみゃあんたち、たまには雑炊くらいよかろう。食え食え」


そう言われた伊賀六人衆がお互いを見合せ、笑顔になって茶碗に雑炊を(よそ)い、風が、まずは、と信長に捧げ渡す。


味噌仕立てで雉肉きじにく)と溶き卵がたっぷりで、ネギを刻んで入れた雑炊だ。

重政が床几をしつらえ、信長が座る。信長が食べ始めると六名も片膝で食べ始める。

一益は曲者の様子をじっと見ている。

勢月が土鍋ごと曲者も前に置く。


曲者の鼻がひくひく動く。


「こやつはこ~も(こんなに)痛めつけられても食い気残っとるがや・・・・どもならんやっちゃ(どうにもならない奴)」と、勢月が吐き捨てる。


信長が一益を呼び、(こく)の活躍を小声で伝える。

犬千代達がいるから、一益は言葉は発せずただ何度も頷いて、雪丸達に笑顔を見せる。


ばたばたと足音を鳴らして大勢がやってきた。


一番家老の林新五郎秀貞に平手政秀。青山与三右衛門、内藤勝介らの重臣(おとなに、それぞれの従者達だ。


秀貞が片膝になって信長に言う。


「三郎様っ、若様っ、御怪我はっ」


「大事無(だいじにゃあ。擦り傷だがや」


政秀が四人の小姓と六人に怒鳴る。


「おみゃあんたちは、何やっとった。(あすんどったんか。たわけぇ~、たとえ向こう疵でも、御面体(ごめんていに疵つけてまって・・・今この場にて腹斬れぃ」


信長が苦笑して言う。


「じい、そ~も怒らんでもええ・・・曲者が臭い消しとったでしゃあにゃあがや・・・え~から下がれ、下がれ」


そう言われても四人とも引き下がらす、口々に非難の言葉を繰り返す。


「ま~、わかったで、この者らには俺がきつう言うで、曲者が吐いたら言うで、下がれっ」


それでも誰も下がらず悪口も止めない。


信長がすっと息を吸って辺りがびりびりと震えるような大声で言う。


「だっまれっえぇ~、あるじが下がれっ言っとるんだがやぁあぁ~、俺の命が)けんのかぁああぁ~」

 

信長の口からは雑炊の米粒が飛び散った。

わめいていた重臣四人が、身体をぶるっと震わせて黙る。


「左様では無ゃあがね・・ほんだけどお殿様」


政秀がまだ言おうとして、信長の強い光りの眼を見て止める。

四人がお互いの顔を見合わせて頷き合い頭を下げる。


「されば、曲者の詮議せんぎはお殿様にお任せして。これにて」


秀貞が代表して言い、その場から立ち去る。顔はその従者に至るまで不満顔だ。


信長が表情を戻す。

重臣達と入れ替わるように小姓達がぞろぞろと戻り、中川重政が怒声をあげる。


林様方(はやしさまがたに喋ったのは誰だあ」


皆無言で顔を見合わせている。


「まあええ、八郎右衛門尉(はちろうえもんのじょう、あれもじい等の勤めだがや・・・急に戻ったでかもしれんがや」

と、信長が重政の通称を呼んで言う。


その時、曲者がこれまでとは違う呻きを上げた。


「うっ・・うっ・・ぐっ・・ぐっ・・」


その間隔が水の滴りと一致しているのは誰にでも判った。

柱助(ちゅうすけこと柱が、ニヤリとして言う。


「効いてきたで・・・どや、われっ、まっぺん笑ろうてみい・・鼻鳴らさんかいっ」


曲者は時々頭を振りながら、同じ呻きを繰り返す。


左右次こと、右が言う。


「水はなんぼでもあるんやで・・・いつまで気張れるやろ・・・そやっ、あと一刻気張ったら、桶、も一つ増やしたろかい。滴り一つ増えるんやで。どやっ、この糞呆気っ(くそぼけ)」


風之進こと風が曲者を見つめて言う。


「あと僅かで降参や。身体が震えてきてるわ」


その言葉通り、小半刻もせず、曲者が縛られた身体を滅茶苦茶に揺すって泣き(わめく。何かを訴えているが、猿轡で解らない。


信長が近づいて聞く。


如何(いかがした。話す気になったか。舌など噛もうとすればまた水責めいたすがや。応なら頷け」


曲者が頭をがくがくと縦に振る。不知火が桶の竹管を外して水を止める。

信長が目で合図して、柱が、目隠しと猿轡を解く。

風が曲者の背後にしゃがみ込み、下から片手で軽く両顎りょうあごを押さえるのは舌を噛むのを防ぐ為だ。

 

不知火と雪丸、鷹目が三人掛かりで篝火台を移動させる。


信長が立ち上がり、曲者に歩み寄る。犬千代が床几を運んで曲者の前に据え、信長が座る。


曲者が「ふ~っ」と息を吐き、信長を見る。


「おどれが信長けえ・・・わしはやり損なったんじゃ・・・はよう首落としゃあええが。肩も(あばらもへしゃげとるん(つぶれている)じゃけえ、この上なんぼ責められても、わしは喋らんけえ、責めても、おえりゃあせんのじゃけえ(どうしようもない)・・・」


信長を信長と呼ぶのは、親か主筋にしか許されない呼び方で、その無礼な言葉使いに、皆が激昂(げきこうして近寄ろうとするが、信長が手で制する。


「聞いた事の無ゃあ言葉(ことのはだのん。おみゃあはどこから来た・・名は・・おみゃあは忍びか」


「生まれは西国じゃがのう、名なんぞ言うても何になろうか・・・忍び言うて、わしゃあそげん下賤げせんなもんじゃないが。修験道はちいと教わったけんどのう・・・ど~せ、じき西方浄土(さいほうじょうど行くんじゃけえ何言うても詮無(せんないけんのう」


曲者は、信長を間近に見ても、その強い威や気を感じないのか、驚いた顔はしない。

死を覚悟したからか。感じる力がないのか。

それは判らない。


「左様か。されば、それっ、水桶一つ増やしてまた責めよ」


髭面の曲者が叫ぶ。


「いやっ、水はやめてつかあさい・・・ぽたぽたはおえん・・・水はたまらんけえ・・水はいやじゃけえ」


「選べるたてば(立場)か・・・たわけめ、それっ」


たちまち準備が整えるられ、また水責めが始まった。


曲者はまた猿轡をされたから、唸るだけだ。

信長が言う。


「ひとたび喋ると言うて、手前勝手を(れるとは、武士に有るまじき(やからだがや。糞尿塗っても仕物(暗殺)成さんとしたは覚悟ある奴とも思ったが、おみゃあは武士では無ゃあ。百姓か、乞食(こつじきか」


曲者が眼を怒らせて呻く。


「なんぞ言いてゃあか。全て話すなら責め止める。だが次は(ゃあぞ。狂うまで続けるでな。ええか、狂い死にしてゃあか」


曲者が首を横にぶるぶる振る。犬千代が曲者を篝火台の下から引きずり出す。

猿轡を弓折れを突っ込んで荒っぽく下に下げる。


「名を申せ」との信長の怒声に、曲者がふて腐れた声で答える。


「く、栗原永峰(くりはらながみね・・・通名は(けい


恒興が笑いながら言う。


「恵、おなごの名だがや・・・姓があるなら武士か」


「わしゃあ武士じゃが・・・浪人じゃけど。名が女みたい言いおって、わしゃあおどれなんぞ、片手で(れるんで・・・やったるけえ、縄解けやぁ」

と、栗原は恒興を睨む。


信長が取り合わず続ける。


「誰に頼まれた・・・おみゃあの一存では無ゃあだろ・・泥を塗ったのと火縄使わんかった訳は」


「狂い死には嫌じゃけえ、言うわい。清洲の坂井たら言う輩に銭で頼まれたんじゃ。清洲城下で馬喰(ばくろうと博打してからに有り金全部に刀まで(かたに取られて往生こいとったけえ、つい僅かな銭で乗ってしもうたんよ。今思うとみな仕組まれとったんじゃ。博打もわや負け(大負け)したんはあの馬喰が、やし(詐欺師)じゃったからじゃわ。わしが酔って鉄砲扱い上手やと言うてもうたけえ、眼ぇをつけられてめられたんじゃ。きちゃない(汚い)泥と火縄の訳は、坂井がおどれの(はたには忍びがようなもんがおる言うたけえ臭い消さないけん思うたからじゃ。じゃが己でしたことじゃけえ、逃げはせんわい。さ~、はよう首ぃ斬れぃ」


信長の眼が光る。


「坂井とは、大膳の事かのん・・俺をいかに見分けた」


栗原は首を横に振り「知らん・・・坂井としか言わん・・見分けはその茶筅じゃが。坂井が言うたんじゃ」


「ほしたら、今日、俺共(おれどもが鳴海向かうと何故わかった」


「それも坂井から、月頭(つきあたまには、おどれらが必ずあそこら通る聞いたけえ、森に潜んで待っちょったんじゃ・・今日が二日目じゃが」


重政が栗原に問う


「鉄砲は如何(いかがした」


「坂井に借りたんじゃが」


「銭はいくらもらった・・・ほんでどこやった」


「三貫文(約四十五万円)で、首尾よういったらまた三貫文じゃが・・・初めの銭はわしが捕らまった森に埋めてあるが・・・ほんじゃけど、あん時わしはどがいして捕らまったんかいのう。狙い定めて火皿に付け木突っ込んで、鉄砲が、どんっとなったと同じに、なんぞがどしゃげて(ぶつかって)きよった気はするがのう・・・松脂の臭いがした思うて気がついたらここじゃけえ・・・わからんけえ、教えたりんさい・・・そうじゃ、ぶつかる前に、わんか、がおか言うた・・・ありゃ犬か。おどれらは犬使うんじゃのう。足軽でもなかろうに、ひとかどの侍が犬か。国変われば、じゃの」


栗原が嘲笑ちょうしょうしているのは明らかだ。


一益が信長に聞く。


「このごくたれは、安芸あき備後びんごの出ぇだんな。都で聞いたその辺り出ぇのもんのことのはに似てますよって・・・そげなことはほかしといて。坂井たらは清洲の侍でっか」


「うむ・・・尾張下四群守護代、織田広信が重臣(おとな坂井雅楽頭大膳(さかいうたのかみだいぜんだわ。(おのれで己を小守護と呼んどる僭越者(せんえつものだがや。彼奴(あやつなら俺を狙って刺客放つくらいはやるがや」


「那古野に坂井と通じとるもんがおりまんな。わてや雪丸等(ゆきまるらぁの素性すじょう見破ってまんな。其奴(そやつも始末せなあかんけど、それより先に、この栗原使こうか、なんぞ勘考して、坂井を討ち取りまっか・・・いずれは事ぉ構えるんでっから、この折りに(わしたりまひょか」


「うむ、だが此奴の言い分をすぐ(まことと断ずるものん・・・大膳が所業と確かめねばならぬがや」


「ほな、此奴を清洲の城門前にでも縛ったままほかしてきまっか・・・此奴がどない扱われるか、見届けたらわかりまっせ」


「偽りで無くば、此奴は斬られて埋められるか、五条川にでも流されて、後は知らぬ顔だがや」


「ほな、この薩摩筒を清洲の目立つ橋のたもとにでも曝したらどうやろ」


栗原が叫ぶ。


「わしは(みて凍みてたまらんけ、はよう首斬れや。じゃけどそん前に雑炊食わしちゃれ。供養じゃ思うたらええが。酒も一口のう・・・飲ましたりんさい」


一益が栗原の顔を後ろ蹴りにし、栗原が勢いよく倒れる。

栗原は起き上がろうとするが、出来ず、もがきながら怒鳴る。


「わりゃあ、初めに鼻へしゃがしたんもおどれじゃろ・・・二へんもへしゃがしよってぇ、ようもささらもさら(無茶苦茶)にしてくれよったのう・・・縛られて手向かい出来んけえ、わしはおどれを七生祟しちしょうたた)ったるけえのう・・・覚えときんさいやあぁ」と、もがきながら中柄でがっしりした体つきの栗原が言う。


一益が信長に聞く。


(わしまっか」


信長が少し考えて答えた。


「八つ裂きにしても飽き足らぬ奴じゃが、肝は太えがや・・・斬りすてるは易な事なれど、いずれ捨て駒にて使う時節(タイミングもあるのではないかのん・・・」


「へっ、ほな此奴を牢にでも」


「ほうだな・・・城の牢は空いとるで、放り込んどくか。その前に傷の手当ていたせ。傷にくそまり入れば毒回って死ぬがや。縄解いてして致せ。手向かえば斬りすてよ」


四人と六人は意外な顔をしたが命に従う。


風が脇差しで栗原の縄を切る。

小姓四人が刀を抜いて栗原を取り囲み、六人がまた水をばしゃばしゃかけて血と泥を落とそうと試みる。


「なんじゃあ、また水かけるんけ・・・凍みとる言うとるんじゃ・・・牢なんぞ入らんけえのう・・・斬れや、はよう斬れぃ」


立ち上がって信長に近寄ろうとした栗原に重政が刀を振りかぶる。


水をかけていた風が二人の間にさっと身をいれ、栗原の鳩尾(みぞおち辺りを拳で突く。


さほど力は入れていないように見えたが栗原はすぐに倒れて失神する。


それからは十人掛かりで、湯をかけ傷を洗い、手当をして、栗原を牢に放り込んだ。


信長は栗原を責め殺したことにし、栗原は別の名前と罪名を与えられたが、そんな事を気にする者は誰もいない。


真実を公表すれば、林や平手等が騒ぎ立て、思うように行動出来なくなると読んだからだ。栗原が騒いで何かを訴えても、牢番は信長の(じきの足軽だから問題ない。


その真夜中、一益が風と鷹目の協力のもと、薩摩筒を清洲城下の繁華な通りに捨ててきた。


風と鷹目が隠れて成り行きを見守り、一益は清洲城内に忍び込んで、本丸内の織田広信の居室の天井裏から、城内の動きを見張る。


朝になり、鉄砲が捨てられた通りの前の商家が開店し、そこの奉公人が鉄砲を発見して騒ぎになった。


やがて町役人が現れて鉄砲を受け取り清洲城内に入って行くのを見届けて、風と鷹目は那古野城へ帰った。


一益は、暗くなってから帰ってきて、忍装束のまま、信長の寝室を探り、濃がいないのを確かめて静かに襖を開けた。


「滝川、大義。如何であったかのん」


「栗原が言うたんは、ほんまでしたで。清洲の殿さんも大膳も、(あわつて、慌つて(あわてて)今にも那古野から攻めてくるんやないか(うて・・・城の守り固めよって・・・殿さんが大膳をば叱ってましたけど、仕物咎(しものとがめたんやのうて、時節と狙う先があかんて喚いてましたえ・・古渡の大殿様がまだ生きてはるのに、大殿様狙わんと、なんでお殿様やて・・・とさいが、貴奴等はまたいつかは大殿様かお殿様、狙うてやりまっせ・・・お殿様、ここは腹括はらくくるとこやありまへんか」


「うん、もっともだがや・・・ほんだけど、攻め込むんのはまだ出来んがや・・まんだ力蓄ちからたくわえる時だがや・・此方の家来が損じるのはまだやれんし、重臣どもが報ずれば、てて様が必ず止めるがや・・・広信は未だてて様の主君だでよ」


「ほな、仕物にかけなしようおへんな。仕物言うても(やいば使わんでもやれまっさかい」


「毒か」


一益が首を横に振る。


「大殿様の御意向もおますよって、なんぞ手ぇを案じんと。お殿様との御間(おあいだ不仲(ふなかになってもあかんから」


「手をのう」


「わいにちいと時を下しはって。清洲城下を探って、手ぇになるわけ見つけてきまっさかい」


「承知」


一益は十日程して天王坊へ帰り、康吉が那古野城へ信長を呼びに来た。


「お殿様をお呼びするやなんて御無礼でおました」


「ええんだわ・・城内は人がようけおるで。して手は」


「ありましで。清洲の殿さんが、城下で見初(みそめた(ひさいう名ぁの若いおなごがいてまして、須賀屋すがやいう米家の末娘なんでっけど、それを大膳が忠臣面で取り持とうして、奥女中で城上がらせようして頭ごなしに下知げちしよったんやけど、その娘には言い交わした勇三いう名ぁの想い人がいてたから、嫌や言うたそうですわ」


「如何した、続けぬか」


「へ、なんやかわゆしゅうて(可哀想で)。ほんでも大膳が聞けんなら娘の親の店潰すておどしよって、娘は諦めて城上がりに行きかけたら、勇三が諦めきれず駆けつけて二人して(つべたい五条川へ身ぃ投げてしもうたんだっせ。怒り狂うた大膳は代わりにその娘の姉二人を我が屋敷にさろうて家来共と手籠(てごめにしよって、二人は(じて舌噛したかんでってしもたんでおます」


一益の眼は潤んでいる。


「ほれでも気ぃが治まらん大膳はその上、須賀屋潰して、財貨全部巻上げてもうて、二人の亡骸なきがら引き取った残った親二人と娘の兄一人は嘆き悲しんで首括(くびくくったんだっせ・・・縁者が願っても(とむらいも許さへんから、須賀屋も回りもそのままの亡きがらの臭いで近寄れへん程なんだっせ・・・それだけやなて、広信や大膳自身も、家来の坂井甚介さかいじんすけ河尻左馬丞かわじりさまのじょう織田三位おださんみ川原兵助かわはらひょうすけおもだったもんも、人死(ひとじにこそのうても、似たような事をただけにやりくさってるんでっせ。狙うんは、財貨に田畑(でんぱたおなごに稚児ちご(男色の相手)で。事に大小あっても、あんなんでは、清洲の民人(たみびとは盗賊のねき(そば)で暮らしとるようで、かなん事やし、ごう(くんでおます。須賀屋の一件は二十日程前の事でおます」


「須賀屋の者共は哀れだがや。腹も煮えるがや。ほんでもその事を如何に手とする」


「お殿様狙うたむくいと、罪咎つみとがもあらへん民に(むごい仕打ちした報い受けて貰うんだっせ」 


「うん。じゃが如何に」


「敵討ちにするんでおます」


「敵討ちしたい者は黄泉冥界(よみめいかいだがや。縁者か」


「いや、怨霊おんりょうにてったって(手伝って)もらうんでっせ」


信長が笑顔で聞く。


「笑うとこではないけどよう、滝川、お主、己のことのは解っておるきゃあ」


「わて一人では成せまへん。風等ぁにもてったって(手伝って)もらうんでっせ・・・広信も大膳も清洲の主だったもんは、皆、怨霊に取りかれて狂うて死によるんでおます」


「ほうか、解ったがや・・・それで恐れさして、弱らせて毒は盛るが、すぐには効かぬようにして、表向きは、悪業あくぎょうの報いに怨霊に取り殺されたとするんであろう」


「そげな細工や仕掛けするんは、わてや伊賀六人衆には、かなな(簡単)な事やけど、お殿様の御心中はどうでっか・・・武士に有るまじき事やとか、闇討ち同様で卑怯ひきょうやとか思わらしまへんか」


「俺はとっくに腹括っとる・・・あゆちの為なら血の海も渡ると誓ったがや・・・軍勢率いて討ち滅ぼすも、あやつらの悪業に乗じて滅ぼすも同んなじだがや・・・卑怯もだましもその為の兵法だがや・・・哀れな民の恨み晴らしてせいぜい怖ろしき目に合わせてやれい。ただ、守護様への手出しはならぬ」


斯波義統(しばよしむね様、武衛様(ぶえいさまでんな。へっ、肝に。ほいてお殿様、此度は、狼三匹も使い、六人衆も、当分は清洲やから、わてらが出たあとは、ここのまもりは一段と厳しきものにと願い上げるんでおます」


「承知」


一益はその日から、伊賀六人衆を代わる代わる天王坊に呼んで、事情の説明と脅しの方法を話し合った。

仕物に使う薬物や材料道具は、一益や六人衆が甲賀や伊賀から大葛篭で大量に運んであるから事欠かない。


そして、一益の元には、かつて信長に付き従っていた童達の中で、成長し商人や職人になっている者が十人集められた。


彼等は、清洲城下になんらかの繋がりのある、身軽で心効いた若者たちだった。十人は信長から一益に従い働く事を頼まれたのだ。


一益は合図を決め、働く時の心得を教える。先渡しの褒美も貰い、若者たちはその時を待った。

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