序章 信長異聞
本作は史実がベースではありますが、架空の物語です。構成上、悪役、仇役も必要です。ですから実在と同名の登場人物や組織に対し非難中傷や言動を咎める場面も発生します。しかしそれは筆者が想像した架空の様々です。従って、実在した人物、組織などを侮辱したり、非難中傷するものではありませんし、一切の関係もありません。
殲滅
比高二十間(約四十㍍)程の山城。風の強い冬の夜。
城のある山を、五つ木瓜と永楽銭の旗を立てた軍勢が、ぎっしりと取り囲んでいる。軍勢の前には所々篝火が焚かれているが、山頂まで光は届かない。
軍勢から三町(三百三十㍍)程下がった本陣。
「使者は」
「三度目の使者、戻りまいてござりまする」
「こたふ(答え)は如何に」
「やるならやれと、にべもなく・・・」
「・・・されば哀れじゃが、致し方なし。流星火矢を上げよ。青だがや」
「ははっ」
本陣から、「ひゅ~ん」と音をたてて、青く発光する矢が上空へ放たれた。
軍勢からもそれは見える。
軍勢を指揮する侍大将や徒頭、足軽頭、その他各組頭たちが一斉に配下に告げる。
「鏡のびとが来るがや・・・振り向くな。見てはならぬ。城から逃れる者を狙え・・・一人も生かすな・・・皆殺しだがや」
取り巻かれている山城はと言えば、すでに麓の居館辺りは焼き払われていて誰もいない。そして麓から上にだんだんとある三ノ丸や出丸や曲輪、馬出し等の場所は、ズタズタにされた屍と、傷だらけで虫の息の怪我人で埋まっている。山頂の本丸と二ノ丸だけが無事で、城方の五百人程が立て籠っている。
軍勢の後ろを更に取り巻くように大勢が走ってくる。
気配はするが、何故か足音は殆ど聞こえない。
軍勢の者は誰一人振り向かない。
頭上の暗闇から、「バタバタ」と何かが風を切る音が多数聞こえる。
軍勢背後から、「カタカタ」とか「キリキリ」「ドクッドクッ」と正体不明の音が小半刻(三十分)も続いた。
二万に近い軍勢も、音をたてて何かの作業をする、走って来た、びとと呼ばれた者達も軍律を守り無言だ。
やがて、城を囲んだ軍勢の後ろから、無数の擦過音がして、何かが城へと斜め上空へ、闇を切り裂き一斉に飛んで行く。
城からは、物が砕けるような音が続け様に聞こえる・・・・・最後に、最も山頂近い辺りの軍陣から、大きな火矢が放たれた。
人力ではなし得ないスピードでほぼ垂直に飛び上がった大火矢は本丸の櫓に真っ直ぐ落ちた。
その瞬間、本丸は轟音をたてて燃え上がった。
二ノ丸も瞬差で同様に燃え上がるが、それは火事と言うより爆発と言う言葉が相応しい現象だった。
物語はこの時から、かなり前に遡って始まる。
慈父の問い
尾張の野は広い。
北は美濃の山並みの麓まで。南は鳴海潟の熱田浜まで、西は伊吹山地と養老山地の辺り、東に目を向ければ、尾張丘陵、長久手から岡崎の東辺りまでを境に、沃野が広く広く続いている。
天文十四年、旧暦三月のなかば、早春の空は、西北の伊吹山からの強風に追い散らされて雲はない。
総天の青い輝きは目に眩しかった。
那古野城の物見櫓に小さな影が見える。吉法師だ。
城と言っても、天守も石垣も無い。城を守るのは、土塀と濠だけだ。
彼は元服前の十二歳。日焼けしていても色白が判る整った顔立ちで、締まった身体付きをしている。
だがその格好は奇抜だった。
帷子に三五縄(稲の芯の縄)を柄に巻いた赤鞘の大小をぶちこみ、髪は茶筅に高く結って萌黄の糸で巻いている。
腰には、火打袋だの、瓢箪やら足中(半草鞋)をいくつもぶら下げている。
吉法師は、毎朝、この櫓に馬責めの前に登った。
櫓には、厳めしい面頬(顔防具)を着けた物見の足軽が三名いたが、登ってきた吉法師には何も言わず、黙って叩頭し、片膝を突いている。
吉法師は、黙ったまま小半時(約三十分)も景色を眺めながら、考えていた。
(てて様が言やあた(おっしゃった)、あゆちの風は南からだったな・・・いつ吹くんきゃあな(吹くのかな)・・吹いたら皆が幸せになるってほんときゃあな(本当かな)
あゆちの風とは尾張に伝わる伝説で、その南風が吹けば、この世は全て幸せになると古くから伝えられていた。
あゆちは年魚市と書き、尾張の海岸部の大方を総称して年魚市潟と呼んでいるが、その由来や伝説の由来まで、今も良くわかっていない。
吉法師は父の信秀にその話を聞いてから櫓に登るようになったのだった。
下から「きち様あーぁ」と呼ぶ声で吉法師は櫓を下りた。
下りた所には乳兄弟の池田恒興、通称、勝三郎。織田一族の津田盛月、通称、佐馬允の二人が待っていた。
二人とも、吉法師より二歳年下の小姓だ。その出で立ちは吉法師と似たり寄ったりで、髪こそ茶筅ではなく総髪を後ろで束ねているだけだったが、やはり帷子一枚に小振りの大小も赤鞘。
半袴の腰には吉法師同様様々な物をぶら下げている。
れっきとした武家の子弟にはとても見えない。
「かつっ、さまっ、今日はよぉ、於台川行ってめんたの鯉(メスの鯉)とるんだがや・・・えーか(よいか)」
恒興が聞く。
「吉様、天王坊行かんでもええきゃ(よろしいですか)」
「えぇんだわ、じいが怒るけど、ほかっときゃあ(放置しておけば)ええんだわ、とろくしゃあ(くだらないこと)こと教わったって、しゃあにゃあがや(しかたがない)」
二人がにやりと笑って「はっ」とかしこまる。
三人は主従と言うよりは遊び仲間で、しかも三人ともがいわゆる悪ガキで、勿論吉法師がその筆頭だった。
会話中のじいとは、傅役の重臣、平手政秀のことで、天王坊とは、吉法師が勉学をする寺のことである。
櫓下に繋いだ三頭の仔馬にそれぞれが飛び乗る。
吉法師の馬には、小さな葛籠がくくりつけてある。この時代の馬は現在我々が見る外来馬よりはかなり小さいが、それでも小柄な三人には大きすぎるから、仔馬を使っているのだ。
「それっ」
掛け声と一緒に三頭は駆けだす。
於台川(現在の名古屋市西北の庄内川)の彼等の漁場までは約一里半(約六㌖)。
道らしい道など無いが、吉法師も二人の小姓も、地形は熟知していて、田んぼの畦道や荒地を上手に駆か)けて行く。
駆けているうち、どこからともなく、同年代の男ばかりの童どもが集まってついてくる。
吉法師がびっくりするほどの大声で叫ぶ。
「皆のものぉ、今日は川狩りだがやぁあ」
仔馬といえど、馬の速度についていけるはずもないが、童らは慌てない。
目的地が判っているからだ。
童らは着物というのが憚られるほどのボロ切れをまとっただけで、ほとんど半裸姿。また草鞋などあるはずもなく、全員が裸足で、それでも逞しく駆けてくる。
半刻(約一時間)もかからず於台川につくと、吉法師は馬の葛籠を堤上の松の枝に縛りつける。
その後、追い付いてきた三十人ほどの童どもにてきぱきと指図して、川辺の浅瀬を泥や石で囲み川水をかき出す。
水温はまだ低く、皆の手足が赤く染まる。
桶などの道具はないが、人数が多いから、幼い手でもすぐに岸から五間(約九㍍)、流れに沿って八間(約十五㍍)ほどの囲った箇所の水嵩が減っていく。
清流は足で荒らされ、湧き上がる泥で濁った。
「おーし、さあ獲物を探せ・・・大物捕ったら褒美やるでよぉー、かつもさまも行けー、刀濡らすなよ・・外せぇ」
そういうと、吉法師は、岸辺に落ちている流木を集めに回る。
流木が足らないと見るとそこらに密生している葦や萱を刀で切って回って集め、積み重ねる。
焚き火の準備が出来ると、吉法師も大小を外して川に入った。
「冷べてゃあがや・・・ほんでもこれくりゃあ(これくらい)だと魚はじっとしとるぞ・・それっ、励め」
皆が川中を飛ぶように動きまわる。
喉が乾けば囲いの外の清流に顔をつけて水を飲む。
手づかみであっても一刻(約二時間)ほどで、鯉や鮒や鰻、ウグイに鯰などが大量に捕れた。
川岸に投げ出された獲物がまだぴくぴくと跳ね回っている。
吉法師は、火打石で焚き物に火を着ける。
「よーし、いっぺん上がれ・・・腹減ったろぉー、魚焼け・・・かつっ、葛籠持って来やあ(来なさい)・・・」
童達が、そこらに落ちているの木の枝に荒っぽく魚を刺して焚き火の回りに突き立てていく。
恒興が葛籠を取ってくる。
蓋を開ければ、白米の握り飯が、ぎっしり詰まっている。
「これはよぉ、夕べよぉ、賄い頭に銭やって内緒で作ってもらったんだわ」
盛月が笑いながら言う。
「さすが吉様、しんぼーえんりょとはこのことですわなも」
「おみゃあ、そんなこざかしい(生意気)ことのは(言葉)いつ覚えた」
笑いながら吉法師は続ける。
「ほうだがや(そうなんだ)・・・じいに知られたらすぐに全部見破られてまうでよぉ、今日はどぉしてもめんた鯉を捕らまえたかったでよぉ・・・よし皆の者、火で暖まれ・・・着物、乾かせ・・・飯食え・・・魚食え・・・食いおわったら、場所変えてまっかい(再度)やるでよぉ」
皆一瞬青ざめるが、白米の握り飯と焼きたての魚を食らうのに懸命で、誰もが声も上げない。
当時は、武士でも白米はめったに食えず、玄米を常食とし、庶民は玄米どころか、稗や粟を、それも雑炊にして食うのが普通だったから、真っ白な握り飯は、集まった貧しい家の童たちには目に眩しい宝石のようなご馳走だった。
無言も当然だった。
枝に刺したウロコも削がない種々の魚が焼き上がると、熱さを堪えて皆手でむしって食べているが、味付けはない。鰻や鯰も、丸焼きだ。
吉法師が、腰の袋を投げ与える。
「塩振れ・・・味無きはうまにゃあ(まずい)がや」
焚き火の回りで輪になって座っている童どもが袋を回し、魚に袋の塩を振る。
「うみゃあ(美味しい)、この鯉はむっちゃんこ(とても)脂あるわ」
「このうなぎだってうみゃあぜえも(美味しいですよ)」
「おれはこの握り飯が一番うみゃあ・・那古野の若様来りゃぁす(おみえになると)といっつもこれ食わしてくれるで、いつ来やぁすかと待っとるんだけど、若様はあちこち行かなかんで、ここばっかは来れんわなあ・・・ほんだで今日、若様見た時、嬉しかった嬉しかった」
吉法師は笑みを浮かべて聞いていて答えた。
「まあちょこっとしたら、水練やらなかんでよぉ、ほしたら毎日来るわな。ほんでもまんだ(それでもまだ)俺の力では毎日、白え握り飯は持って来れんわな。俺がもっと大人になって、この尾張の一番偉ゃあ殿様になったら、おみゃあたちだけじゃなしによ、国中の皆が腹一杯白い飯食えるようにしたるでよぉ・・その時まで待っとりゃあ(待ってなさい)」
休憩が終わると、焚き火に川岸の湿った砂をかけ、火を完全に消す。
そして一行はそこから二町(約二百二十㍍)ほど川下へ移動し、また同じ事を繰り返した。
全員が泥まみれのボロ雑巾のような姿で奮闘を重ね、吉法師、念願のメス鯉を捕らえたときは、もう夕暮れが近かった。
「おーし、めんた捕れたで今日はこんで(これで)止めー・・・焚き火で暖ったまったもんから並べ。褒美やるでよぉ」
童らは、焚き火にあたるのもそこそこに、目を輝かせて順に一例に並ぶ。
「皆が暖ったまったらよ、かつ、さま、火ぃ消せ」
吉法師は並んだ者一人一人に声を掛け、批評をしながら腰の銭袋から銭を出す。
「さぶは、あんまりでっけえの捕れんかったで一文」
「たつはあのめんた鯉捕らまえたで五文」
「うしは、石をよぉけ(たくさん)運んでうみゃあ事(上手に)積んだで二文」
「ひさは、おんただけど一番できゃあ(大きい)鯉捕らまえたで八文」
当時の一文は現在の百円から百五十円ほどか。
いっぱしの番匠(大工)の日給が百文。鍛冶屋なら五十文だったそうだから、幼い子供の収入としたら大金だった。
最高八文最低一文の銭を全員に配り終わると吉法師は言う。
「俺はあのめんた鯉を古渡のてて様に持ってくで、おみゃあんたちも帰りゃあ(帰りなさい)・・・ほんで獲物は皆で仲良う分けて持ってきゃあ(持っていきなさい)。ほしたら(それでは)またな」
皆が歓声を上げ、獲物に群がる。
彼らは貰った銭や獲物は親に渡す。親は喜びまたの吉法師の訪れを望む。
これが尾張の国中で、やることは相撲だったり石投げだったり、竹竿での叩き合いだったりするが、必ずなにかしらの褒美があるので、親は子供が吉法師のもとへ駆け付けるのを咎めない。
そうしてるうち、吉法師の手足となる童の数は国中で五百人ほどになっていた。
メスの大鯉を鞍に吊るし、吉法師と恒興、盛月の三人は吉法師の父、織田弾正忠信秀の居城、古渡へと向かった。
恒興は道中で思う。
(毎度のことだけど、吉様の采配は見事だの。見とらんようで、最初から最後までちゃんと見とらっせるがや・・全部の働きも細きゃあとこまで見とらっせるがや・・卑しい者にもまほ(まとも)に接しなさるし、名前も全部覚えとらっせる(覚えていらっしゃる)・・・この方は本当に賢けえし器ができゃあな(大きいな)。織田の棟梁はやっぱり吉様だな)
恒興は、吉法師の褒美のやり方や川狩の采配を見て、幼心にまた改めてそう思ったのだった。
古渡城は、那古野の南。
於台川からは約二里。
三騎が古渡の城門に着いた時は、もう薄暗かった。ほのかに見える城の黒い輪郭は、なにか巨大な生き物がじっとうずくまっているように見える。
頑丈な大手門は当然に堅く閉まっていた。恒興が、遠慮がちに大手門を叩く。
「たのもーたのもー」
中から恐ろしく尖った声がする。
「誰だあぁ~、推参者めぇ~、このような時刻に何だあ~」
恒興が震える声で答える。
「那古野の吉様がよおぅ、大殿様に鯉持ってきたんだわ」
門横の櫓から誰かが覗く。
「あれま、吉法師様か、ちょこっと待ってちょ、すぐあけるでなも(開けますからね)」
吉法師は、メス鯉を恒興と盛月に台所へ運ぶよう命じる。
足だけはすすいだが、あとは泥まみれのまま、信秀のいる奥へと向かう。
信秀の居室で両刀を投げ出し、あぐらをかいて座ったとたんに白絹の寝巻き姿の信秀が入ってきた。
顔が真っ赤で、あきらかに怒っている。
吉法師は動ぜず、「てて様・・・」といったとたん・・・
「わっぱっ~あ~ぁ~(小僧)おみゃあは何やっとんだあ、那古野の城は誰のだぁ、城の主が城におらんでどうすんだあ・・・おおかたぁあ(大体)おみゃあのその態(かっこう)はなんだあぁ・・・そこらのこつじき(乞食)とおんなしだがやぁ~あ」
口から泡も吹きそうに信秀は怒鳴った。
太った身体が怒りに震えている。
「てて様、聞いてちょ・・・俺はよぉ、てて様にめんたの鯉食わしたりてゃあ(食べさせたい)思って於台川行って捕らまえてきたんだわ・・・ほんでもよ、おんたはよおけ(大量)おってもめんたがなかなかおらんもんで、遅なってまったんだわ・・いまのめんたは卵抱えとるでよ。てて様、鯉の卵好きだがね」
と、服装の事は無視して答える。
「たわけっ、弾正忠家の惣領のすることか・・・おみゃあはまあふんとに」
そう言いながらも、信秀の顔は弛んでいく。
「鯉はどうした」と、床の円座に座る。
「かつとさまに賄い所持ってかした(持っていかした)」
「ほぉ~か、これっ、たれかある」
居間の前廊下にきらびやかな装束の前髪小姓がさっと手をつく。
「吉と勝と佐馬を風呂入れたれ・・・着物も変えたってくれ・・ほんで、四膳と酒。わっぱどもは大飯食らうで、飯も櫃ごと持ってきてちょ」
信秀はもう笑みをたたえている。
そこへ、勝三郎と左馬允がくる。
小姓が「されば、若様、お二人も」と、案内に進む。
政秀がまた呼び掛ける。
「吉よ、那古野は政秀らが守っとるで、今日は泊まってきゃあええわ」
吉法師は二人を引き連れ、微笑んで小姓に続いた。
「うみゃあ、こりゃふんとにうみゃあわ(本当に美味だ)・・・この卵のうみゃあのにはたまらんがや」
そう言う信秀は諸白の上酒をもう一升ほども飲んでいる。
部屋には給持の奥女中が二人いるだけで、信秀への酌や、三人の飯や汁のお代わりにてんてこまいをしていた。
その二人の髪が、少し乱れているように見える。
吉法師ら三人は、信秀の予言通り二升入りの飯櫃を空にする勢いで食っている。
吉法師は思う。
(この女中どもも、どーせ、てて様のお手付きだがや・・・ほんでも、なんで二人しかおらんのだ。女中みてゃあ百人からおるのに。あっ、判った。てて様は、俺が来た時、ちょうど、この女中二人と『致して』おりゃあたんだわ。てて様は寝巻きで出てこやあたし、女中の髪もほつれとったがや。あははっ、てて様はふんと(本当に)におなご好きだな)
信秀に取り分けた、塩水で煮た鯉の腹部分以外は、三人が骨までしゃぶって綺麗に食べ尽くしたが、頭部分は吉法師が独占する。
吉法師は鯉に限らず、魚は目玉部分が一番好きだった。
目玉の中身のとろりとした味わいと目玉回りのしこしこした筋肉が好きになったのは、よく行く熱田の浜の漁師の長に教わってからだった。
その手練れの漁師はこう言った。
「若様、魚のどこがうみゃあか知っとらっせるかなも(ご存知ですか)」
「ほりゃあ(それは)脂多い腹んとこだにゃあの」
「お~、ほうだなも(そうですね)・・・ほんだけどよお~(そうではありますが)、本当にうみゃあのは、魚がよお~己でようけ(多数)動かすとこだがね・・・・ひれ回りに尾っぽ回り、口回りでよお~一番は目玉とその回りだがね」
動きが多ければ、その部分の身が締まるのは道理だったから、吉法師はなるほどと感心して納得した。
目玉好きはそれ以来だった。
「吉に勝に佐馬、腹膨れたか。吉は相変わらず目玉が好きだな・・・おみゃあはやっぱり変わっとるわ・・・さぁ寝よみゃあか(寝ようか)」
吉法師は信秀に従い寝所へ向かう。
勝三郎と佐馬允は別室へ下がった。
精力絶倫の信秀は生涯に十二男、十三女を得る子福者だ。
信秀は毎晩ととっかえひっかえ側女と寝るのが日常だったから、吉法師が信秀と同部屋で寝ることになったのは、たまたまの訪れと、信秀の気紛れが原因で、吉法師が物心ついてからでは、これが最初で最後だった。
吉法師は自分を真から愛してくれているのが、父、信秀とじいの政秀だけなのを知っている。
それ以外の重臣やら家中の者どもが自分を疎ましいと思っていることや、末盛城にいる実母の土田御前までもが、吉法師を廃嫡して、弟の勘十郎信行に家督を継がせたいと願っていることも知っていた。
だからといって、皆に好かれようとか認められようなどとは一度も思ったことはなく、自分の服装や行状についても、いちいち訳があるのだが、説明も弁解もする気にはなれなかった。
野駆けや、諸々の行事は全て軍事演習とその研究であり、童共の先導は将来の家来の見極めと採用の為である。バサラな格好は、単に動き安いだけで、諸道具は便利で必要だから持っているだけなのだが、回りの大人どものほとんどは、それが理解できず、しようともしない。
だから吉法師は、田分(愚か者)に言うてもわからんわとばかり、平然としていられるのだった。
信秀が分厚い絹布団に入る。
吉法師は信秀の隣の布団に入る。
仰向けの信秀が呟くように突然言う。
「吉、おみゃあは、今日、本当は何で来た(なぜ来た)」
「うっ、てて様の御顔が見てゃあてよう(見たくて)」
「見え透いた偽りをこくな。たわけっ。儂には判っとるぞ。おみゃあは銭が欲して来たんだろう。メンタの鯉を土産にしてよう。おみゃあの配下の童共に散蒔く銭が要るで来たな。平手には、おみゃあに易々と銭与えてはいかんと言ったるで、褒美の銭が足らんのだろう」
「てて様、さすがは尾張の虎だがね。言いだせんで難儀しとったんだわ。よう御解りで」
「たわけっ。親を煽てるか、わははっ、まあええ。知恵を巡らしたつもりでも、まだまだおみゃあは未熟だわ。銭はやる。明日の朝、十貫文(一文を百五十円として約百五十万円)くれてやる。使い用をよう案じての」
「ははっ、確と。てて様、ありがてゃあ、あははっ」
「散蒔きゃあええと思ってはならぬぞ。
ほれはほれとして、吉よ、あゆちの話を覚えとるか・・・あゆちの風は待っとっても吹けへん(吹かない)。吹かすんだがや。おみゃあが吹かすんだでな、忘れるな」
「どうやって吹かすんきゃあも」
「万民の安穏を目指すんだがや。この世から戦や殺し合い無くさなかん・・・万民が飯食えて、理不尽に扱われんと暮らしてけるようにしたらないかん。それが出来たらあゆちの風が吹いた事になるんだわ・・わしが生きとる内には出来んでよう。おみゃあがやるんだがや。その為にはよう、きっとあらけにゃあ(とんでもない)血を流さなかんのだわ。その覚悟いたせよ・・・血の海渡るんだで」
吉法師にその後半の意味はまだわからない。
信秀が、続けて熟柿臭い息で問う。
「吉よ、おみゃあはこの世で恐ぎゃあもん(恐ろしいもの)は何だ・・・全部言ってみよ」
吉法師は突然の問いにすぐには答えられず、しばらく考える。
「地震、日照り、野分け(台風)、戦に疫病、大水」
「おう、ほうだがや・・・ほんでもよう、まあ一つあるがや・・・案じて(考えて)みよ」
吉法師は考えたが思い浮かばず、そのうちに寝てしまった。信秀も、その場限りで忘れたのか、以後そのもう一つについては何も言わなかった。
天文十五年、吉法師は、父親、信秀の居城、古渡城で元服した。十三歳だ。名を三郎信長と変えるが日常は変わらない。
信秀が美濃衆や今川勢と戦いに赴く前は、必ず古渡城へ駆けつけ、信秀が家来衆と開く軍議を物陰から聞く。凱旋または敗れ帰った後の軍議も同様に必ず聞く。
信長は誰が何を言ったかをいちいち書きとめ記憶していて、それが有益か否かだったかも孤独に分析していた。信長はそれを将来の戦時の心得や采配の仕方に役立てようとしていたのだ。
そうした場合以外は、バサラ姿で弾正忠家領内だけに止まらず、己の小姓達を引き連れて尾張平野をあちこち駆け回る。
童共を集めての石の投げ合い、竹槍での打ち合い、勿論川狩りや、弓矢での狩りも好んで行う。三月から九月までは、於台川での水練を毎日一刻は行う。特に馬を責めるのは一日も欠かさない。
ほとんど行かなかった天王坊にもたまには行くようになった。気まぐれに聞いた、天王坊住職の沢彦の話に興味が出て来たからだ。
天文、地理、歴史、沢彦が知る限りの他国の様子。信長も、市井の事情はよく知っていたが、沢彦のまた違った角度からの一般領民の話は面白いし、京都出身の沢彦の都での数々の出来事話も聞きがいがあるものだった。
そして信長は、この頃から、弓術は市川大介、鉄砲は橋本一巴、刀槍術は平田三位を師として、懸命に学んだ。
鉄砲は、仕組みを学び、装填などの操作方法を学べばあとは、その鉄砲の癖を覚えて命中率を上げ、迅速な再装填が出来るようになればよかったから、さほどの苦労は無かった。
弓矢も、物心つくまえから好きで、弓を引いてきただけに上達は早く、師の市川は、毎日弓を引く事だけを命じ、家中の侍達への指南に戻った。
刀槍術はそうはいかなかった。
三位は、尾張守護、斯波義統の一門だが、元服してすぐ、鹿島新當流を学ぶため常陸の国の鹿島神宮を訪れ、塚原卜伝の弟子となった。
卜伝は、晩年、足利将軍の義晴、(十三代義輝の父。この頃の名乗りは義藤)からの、秘かな招きに応じ都を訪れた帰り、尾張に寄った。その一行を信秀が歓待した折、三位は弾正忠家の指南役として働く事を懇願されて今に至ったのだ。
鍛錬は城内の広い武道場にて行われる。
三位は午前中は一般家臣の指南をするから、信長への指導は午後からとなる。
城内の道場で三位は言う。
「若様の先々は軍勢の采配が務めの最たるものにて。若様御自らが、敵と刃を交わす事はまず無き事であろうと思いはしまするが、戦場では何が起きても不思議はないのでござります。ゆえに若様にも刀槍術を学んで頂かねばなりませぬ・・・初めに槍を」
信長は神妙に聞いている。
三位は、中背で全身が筋肉で隆々としている。頬は削げ眼の光りが強い。信長のバサラ姿には全く言及もせず、侮る態度も見せない。
三位も本身の槍を構えて信長に言う。
「鎧兜姿になれば、その重さに動きが鈍りまする。それを忘れず、足を前後に開き、身を低く構え、敵の出方を見定めて、一気に突くのでござる、槍が上下左右にぶれてはなりませぬ。真っ直ぐ敵を突き通す御覚悟で槍を使うので御座る。これをば槍筋を通すと申します。狙うは敵の顔のみ。突いたらすぐ引く。遅れれば肉が締まり抜けなくなり、槍を失いまする。これは肝要な事故、御忘れなきよう」
三位は続ける。
「また、馬上にては、騎馬の敵はおおかた兜を上げて突っ込んで参りますゆえ、その兜頭を叩くか、顔を突くのでござる。まともに槍先で叩かれ突かれれば敵はたまらず落馬いたします。さすればそれで若様の勝ちとなるのでござる。仮に面を下げて迫る者あれば、それは強敵にて・・・その折は一旦躱すか、槍をいっぱいに伸ばして敵の馬面を突きなされ・・・さすればまた敵は馬が暴れて落馬いたしまする・・・敵の首取るは若様の務めにあらず、家来衆の務めだと思し召されませ」
毎日槍の練習は続く。
信長が少し上達すると刀の稽古も始まった。
「鎧兜にての刀使いは槍と同じにて。鎧武者を斬ってはなりませぬ。低く構え突きの一手で、まず狙うは槍同様、顔。刀も素早く抜かねば失いまする。念の為申し添えまするが、顔が狙えねば、脇の下、両の手足首、股間を狙えばよろしいかと」
大体の形が出来てくると、本身の刀槍と鎧兜をつけての訓練になる。場所を道場から馬場の隅に変える。
目標は太竹に濡れ筵を巻きつけたものだ。
馬に乗り、叩く、突くを繰り返す。
徒立ちになり、叩いて突くも繰り返す。
槍と刀を持ち替えての鍛練は昼から夕方まで続く。
手は豆だらけで潰れて出血するが、塩水につけて布を巻くだけだ。
信長は午前中は小姓達や童共との様々をこなし、昼から三位との稽古をするから、夕方にはかなり疲労する。だが一晩熟睡すれば朝には活力がみなぎってくる。
やがて鎧兜での三位との訓練は一段落した。
鎧兜無しでの訓練が始まる。
「敵が槍にて向かって参った時は、敵の槍を叩くか払って上槍にいたすのでござります。敵の穂先が外れたら、即、突くのです。この見切りはなかなか難しき事なれど繰り返せば御身が覚えまする。槍止めの業は更に難しき事なれば、まずは若様の槍が上槍になる修練をなさいませ・・・刀はその後に」
槍先を外した、たんぽ槍と呼ばれる訓練用の槍で、三位と打ち合い、叩き合う。
信長の頭はこぶだらけで、身体中は痣だらけだ。
初めは全く歯が立たないが、日に日に上達する。
文字通り血の出る訓練を続けて三月が過ぎた。信長の背はまだ低いが身体は三位同様、筋肉の鎧を着たように変化している。
ある日、信長に、三位が鋭く突き出してくる槍筋が突然見えた。
すかさず軽く払い三位の腹に己のたんぽ槍を突き出す。
三位は突かれながら、笑顔で言う。
「若様っ、御見事っ、出来ましたぞ」
信長は三位の笑顔を初めて見た。
「今の呼吸と見切りを忘れてはなりませぬ。
突き加減も真正しく(正確で)本身なら某の腹は突き破られておりました」
刀の修練が始まった。
「刀は左手にて持つと心得まする。右手は軽く添えるのみにて、斬る刹那、両手を絞り、力を込めまする。刀を振りかぶり、斬りおとすまで、真っ直ぐぶれずが肝要にて。これをば刃筋が通ると申しまする。刃筋通らば、鈍刀にても一人二人は斬れまするが、刃筋乱れれば如何なる名刀でも、何も斬れず、刃はこぼれ、刀身は曲がるので御座る」
と、三位は目の前の地中に差し込んだ竹を斬った。
無造作に抜いた刀が、きらっきらっと四度、煌めくと、太竹が先端から四つに斬られて、どさどさと落下する。信長は思わず駆け寄り、落ちた竹を見る。
さほどの力を入れてないような三位の様子だったが、切断面は光って均一で角度も綺麗に一定だ。
この時の三位は、信長には魔神の生まれ変わりだとしか思えなかった。
戦慄の腕前をひけらかす事もなく、見た目には意外な優しい声で、要点を的確に教え、やってみせ、出来るまで大声も出さず粘り強く教える三位を信長は敬愛した。
だから三位の言葉には素直に従い、課された修練を黙々とこなす。
「敵が間合いに入ってくれば、その目、柄を握る両手、剣先を同時に見て、刀がどこを狙ってくるのかを推察せねばなりませぬ。したが、それは瞬きの間の事にて、容易ではござりませぬ。されど、若様が目指すは、王者の剣にて、あなた様は端武者にあらず。敵をいちいち討ち取るのは、槍修練にても申しましたが、家来衆の務めでござる。されば若様は敵を退ければよいので、もっと申せば敵に斬られなければよいのでござる。推察が成る前に敵が迫れば、身を引いて躱し、間合いを保ち、また推察する。これを繰り返せば、敵は必ず隙を見せるか、態勢を崩しまする。その時に迷わず反撃するのでござる」
足さばきも学ぶ。
「闘いの場が、この場の如く常に平らで石や木の根もないとは限りませぬ・・傾斜、泥濘み、おうとつ、砂、草にて滑ることもままあることにて・・・されば常に摺り足でござる。摺り足ならば邪魔を足が感じまする。そして、やむを得ず、後ろに下がる場合、真っ直ぐ下がってはなりませぬ・・・必ず右か左へ斜めに下がる事が肝要にて・・・斜めなら、敵は態勢を変えねばならず、そこに隙が生じまする。真っ直ぐ下がれば敵は態勢を変えず踏み込んで参りますゆえ、此方が不利となりまする」
信長は教えを守り、心で、刃筋、槍筋と唱えながら、修練を続ける。
左斜め後ろに下がるのは割と簡単に出来たが、右斜め後ろに下がるのが、なかなかスムーズに出来ない。
同じ事を繰り返し、また一月が過ぎ、足さばきはスムーズになる。
「若様には、足さばきは御上達なされました・・・最後に斬合いにて最も肝要なるは、敵の太刀筋を見切る事でございまする・・・本日よりその修練を始めまする・・まずは、刀を抜いて、拙者を本気で斬る気で参られませい」
信長は一瞬迷ったが、三位を信頼して斬りかかる。
間合いの中まで踏み込んでも素手の三位は動かない。
信長は目を瞑って、思い切り突きを放つ。
当然、全く手応えがない。
三位の立ち位置も変わっていないよう見える
「目を瞑ってはなりませぬ・・・狙い処から目を離せば、刀は空を斬るばかりにて。隙が出来、斬られまする。さあ、参られよ」
振りかぶって右袈裟に斬りおろすが、三位は僅かに身を逸らせて刃を避ける。刀を返して左逆袈裟に斬りあげてもほんの少し届かない。信長は手を変えて必死に斬りかかるが、どうやっても届かない。
小半刻続けると、信長の息が上がってきた。
「若様、本日はこれまでと・・・今、御覧になられたが見切ると言う事でござる。見切り出来れば如何なる強敵にも斬られませぬ。故に、修練は難儀ではござりますが、若様なら御出来になれまする。明日よりまた共に精進いたしましょうぞ」
明くる日から、信長の見切る稽古が始まった。
信長は木刀、三位は細長い竹を持つ。
三位の攻めを信長が木刀で防ぐのだ。
釣り竿なみの竹棒も、三位が持てば凶器と化す。
「こつっ」「ぱちんっ」と音がするたび信長は強い痛みを覚える。最初は五度に一度しか防げないが、日に日に防ぐ回数が増える。三位が力を加減しているのは判るが、それでも身体に当たればかなり痛い。信長の上半身と顔や頭は傷だらけだ。
いつの間にか、信長は三位の攻めを殆ど止めれるようになった。すると三位が素手で躱す事を命じ、それからは素手で三位の竹棒を躱す訓練を行った。
飛び跳ね、飛び退き、身をそらし、左右に後退し、三位の横をすり抜ける。どんなに素早く動いても叩かれ突かれる。
「若様、動くのも良き事なれど、それでは見切る事にはなりませぬ・・・敵の刃が届くか否かを見極めるのでござります・・拙者に斬りかかったことを思い出しなされ」
信長も分かっているのだが、三位の手本のようには出来ない。恐怖が先立ち、身体が勝手に動いてしまうのだ。信長は悩んだ。結果、耐え、堪えるしかないと結論を出す。
叩かれ突かれながら、紙一重で竹棒を避けるつもりで三位の動き全体を満遍なく見る。竹棒は千変万化の動きをするから、紙一重で躱すどころかまともな打撃を受ける日々が続く。その間も信長は他の日課を欠かさない。背は伸び、身体も更に逞しくなっていく。
一方、三位は毎日の修練を共にしながら、少し戸惑っていた。
(この御方の飲み込みの早さはなんじゃ。素直な御気性と稀に見る御利発は差し引いても、尋常ではない・・・わしが二十年の余、修業鍛練を続けて、ようよう会得した業をこの短き間におおかた身につけてしまわれておる。天賦、天禀か。未だ骨も固まらぬ若輩に、如何にして難業が成せるのだ・・・さても不思議なる事じゃ)
そう思っても、三位は不快なのではない。乾いた砂が水を吸うよう、着実に進歩していく信長に教えを施す事に喜びを覚えていたのだ。
そして、刀槍の修業を始めてから十ヶ月目の日暮れ、三位の竹棒を、信長が紙一重で初めて躱した。
三位は喜色満面で言う。
「若様っ、出来ましたぞ・・・御見事でござる。只今の見切りを如何にしたか御覚えはござりますか」
「前に御師様の槍筋が見えたような気がした時とおんなしだわ・・・刃筋が見えたような気がしたもんで、ちょびっと身体反らしゃあええと思ったんだわ・・・ほしたら身体が勝手に反ったんだわ」
「誠に重畳。されば、若様にはこれ以上の拙者との鍛練はいりませぬ。明日よりは御一人にて、敵を仮想し、稽古をなされませ。槍を振り、突く。刀を抜いて振り、突くを欠かさず行のうのでござる。また仮想の敵の攻めを見切る稽古も同様に。我が流派に置いて、若様の御腕前なら、本来は免許皆伝でござるが、それは拙者とだけの隠ろへ事(秘密)といたしまする。訳は、己の業前はなるたけ秘するが戦乱の世の将の嗜みだからでござる。若様の御たてば(立場)なら一層に、業前を他人に晒して良い事は何も無いからでござります。更に何度か申しましたが、若様が振るうのは王者の剣で、極めを申せば業を振るわずとも、刀槍はこのように使うと知っておられるだけでよいのでござる。御解り頂けましたか」
信長は片膝をついて、頭を下げる。
「はっ、心得たがね・・・ほんなら、明日よりは御師様の御言葉通りにするがね・・・御師様は今後はどうしやあす(どうなさいます)」
「拙者は家中の者等への指南がまだござりますゆえ、これまで通り道場へ通いまする」
信長は安心したのか笑顔で言う。
「ほりゃあよかった・・・ほしたら迷ったら道場行きゃあええなも」
三位も笑顔で頷く。
それ以来、信長は早朝の暗いうちから、居住する奥御殿の庭で一人稽古を毎日二刻はやるようになった。
三位は時々、物影からそれを見に来る。
(おお、また一段と御手が上がっておる(技術が上達している)・・・御気勢も更に強くおなりじゃ・・・未だ曾て見た事も無い、稀有な御方じゃ・・・も、もしや・・・)
信長は何事も極めないと気がすまない性分だし、刀槍術の腕前が上がるのが嬉しくて仕方ないから鍛練を続ける。
続けると三位の評価が欲しくなる。
ある日の昼過ぎ、道場を尋ねると、三位は一人で木刀を振っていた。
木刀が空間を斬る音が物凄い。
覗いている信長に三位が気づき、手を止める。
「おっ、若様っ、如何なされました」
「うんっ、用は無ゃあけど、たまには御師様の御顔見てゃあもんで」
あどけなくはにかむ信長に三位は強い愛情を抱く。
「そは、勿体なき御言葉にて。有難きことこの上なく」
三位は感激で、そこで言葉が詰まった。
潤んだ目を信長にみえないよう擦る。
「若様には御精進を続けておられるようで、重畳と心得まする・・・せっかくの御見えなれば、一合わせいたしましょうぞ」
信長が頷(うなず、)き、場内へはいる。
三位が木刀を渡して言う。
「ひと目で若様の御手が上がっておるのが判りますれば、本日は手加減なしにて・・・よろしいか」
信長が頷き面持ちが真剣に変わる。
三位は青眼、信長は鋒をやや右上にして構える。
裂帛の気合と共に、三位の木刀が信長の頭に落ちてくる。信長はぎりぎりのタイミングで左斜め後ろに下がる。三位の木刀は生き物の如く、刃を返して下から左上に斬り上げてくる。信長はそれを下がらず踏み込んで躱す。
間合いに踏み込まれた三位の顔色が変わる。
信長が三位の横をすり抜けつつ向きを変え、膝を落とし、木刀の鋒裏に左手を添え、三位の喉を突く。
木刀の鋒は、三位の喉すれすれで止まる。
「参った・・・ま、参りました若様っ」
信長は一歩下がり、板敷に跪く。
「拙者は魂消ております・・・若様は尋常ではござらぬ。天賦、天禀が御有りです・・・つまり天より何かを授かって御生まれになったのでござる。ついては、ちと妙な事を伺ってもよろしゅうございますか」
信長に負けた事で、ある事を確信した三位は質問を決断したのだ。
三位に勝った興奮からか、赤ら顔の信長が頷く。
「されば、若様は野駆けや山野での狩りの折り、鳥獣のことのは(言葉)が聞こえる事が御有りですか」
「ある、ある・・・ひよやらもず、春は鶯がなんやら喋くっとるのが聞こえるんだわ・・・何言っとるかは判る時と判らん時あるけど・・・時節次第だけどよう、あっちの山桃やこっちの柿が食いごろとか、鷹や鷲はどこそこにおるとか言い合っとるの聞いた覚えあるがね」
「やはり・・・若様はその事誰ぞに話されましたか」
「言わん。言わん。たわけだのうつけだの言われとるのに、ほんな事言ったら、俺を嫌っとる者共が喜んでまって、廃嫡せよって、てて様に迫るに決まっとるもん」
「左様でござるな・・・それは良き御分別でござった。されば若様っ、その事は当分、出来れば永劫に隠ろへ事(秘密)になさいませ。拙者は殺されても言いませぬゆえ、若様が守れば出来る事でござる」
三位の表情は真剣だ。
「心得ました・・・決して誰にも言いませぬ」
信長は理由を問わないし、三位も訳を言わない。
三位は内心で思っている。
(まだ早い。いずれ御成長と共に御判りになっていくであろう・・知らずとも、若様には備わっておる。縁が続けば、わしがいつか御教えすればよい・・弾正忠家には朗報じゃ)
「それと、くどいとは思いまするが重ねて申し上げます・・・この後は只今の如き若様の御手並みを人に見せてはなりませぬ・・・刀槍術を使うは実戦の時のみ・・・鍛練は続けるが良でござるが、やはり一人稽古を。これを御守りになれば、術が更に活きまする」
信長はその後、三位の教えとアドバイスを長く続け、守った。
翌年、天文十六年。信長は十四歳になり、三河吉良大浜で、今川勢を相手に初陣を飾った。
初陣は儀礼的に行うのがこの頃の通例だったが、信長は敵よりすくない味方軍勢を効率良く采配し、勝ち戦を成した。
それで信長の家中での評価は上がった。