1、鏡
オレは鏡が心の底から嫌いだ。
苦手とか、そんなレベルじゃない。
このアパートに引っ越してきて、まず最初にやった作業は、必ずといっていいほど洗面所や風呂場に貼り付けてある鏡を全部はがすことだった。鏡のあった場所は思ったとおり日焼けがなく、その部分だけ新品のように壁が白い。
実際、鏡が無くても全く困らない。
朝、起きて身だしなみを整える時も、鏡は使わない。鏡が無くてもスタイリング剤と手ぐしで髪の毛は何とかなるし、顔は水で洗ってしまえばいい。当然、風呂もシャワーでいい。
湯をはるのはダメだ。
湯船の揺れる水面からオレを見てるヤツがいるような気がするから……。
家の中はまだマシだ。街中は思ったより鏡が多い。というか鏡だらけだ。はっきり言って鏡地獄だ。そんな時は視線を向けなければいいだけのこと。
何故そこまで鏡が嫌いなのかは、オレ自身にも分からない。が、一つだけ分かるのは、鏡のナカの”オレ”は”俺”では無いという事だ。
小説やゲームなんかによく出てくる、もう一人の自分とも違う。
得体の知れない”俺”は口元を歪めながら目を爛々と光らせ鏡のナカにいる。そして”オレ”を喰らいつくそうと虎視眈々と、コチラの様子を伺っているように見える。
過去に一度だけ目が合ったことがある。瞬間、視線をそらそうとしても、鏡に貼りついてしまったかのように目が離せなくなった。
その時はたまたま来客の鳴らすインターフォンの音で、我にかえることができた。けど次に、鏡のナカの”俺”と目を合わせたら逃げることは敵わないだろう。
同じような理由で写真も嫌いだ。だからスマホの写メは景色や物ばかりを写してる。人間は絶対に画面には入れない。いや、入れたくない。
いつ”俺”と鉢合わせるか分からないからだ。
そんなことをつらつら考えながら今日は有給をとって布団にくるまってる。目はかなり前に覚めた。と言うより眠れぬまま、いつの間にか朝になってしまっていただけなのだが。
体調は悪くない。が、雨が降っているのだ。
雨。
雨はダメだ。
大雨ならば、まだいい。水たまりがあってもギリギリ”何か”がうつることはない。雨粒が地面と水たまりを激しく打ちつけ水面が揺れるから……。
問題は小雨とか、屋根のある場所にできる水たまりだ。
姿がうつるのだ。
そして。
“俺”と、目が合ってしまいそうになる。
あと窓ガラスも恐怖でしかない。
だから家のカーテンはきちんと閉めるし、戸棚のガラス扉も全て磨りガラスにしてある。会社も明るいうちに帰るし、避けられる全ての鏡っぽいモノはオレから遠ざけておくのがいい。
なんならテレビもいらない。
“俺”が昏い画面越しに、オレを見てる気がして落ち着かないからだ。
まぁ、スマホがあれば不便はない。
ピピピー、ピピピー、ピピピーピー!
噂をすればなんとやらスマホが早く起きろと言わんばかりに、けたたましく鳴りだした。八時に目覚まし設定をしてたんだった。
仕方なく、のろのろ体を起こし頭を緩く振る。毛布ごとベッドからズルズル這い出てラジオをつけた。
『……三月二十五日、あの事件から、もう二十年経ってしまったんだねー。そうなんですよ村上さん。しかもまったくと言っていいほど手掛かりもないそうです。早く犯人が見つかるといいけど当時は事故かと思われてたみたいだからね……』
「世の中、暗いニュースばっかだなぁ」
ふぅーっと息を吐き、ラジオのチャンネルを音楽に合わせる。とたんにDJの賑やかな声と共に音楽が聞こえてきた。
カーテンと窓を開けても雨の日は暗い。しかも雪じゃないのが不思議なくらい寒い。
「一日中、降りそうだな」
雨の匂いは嫌いじゃない。少し湿気った感じの空気は割と好きだ。
ピン……ポーンー……。
毛布を羽織ったままベランダに出て手すりにもたれ霧のような雨粒にあたっていると、まのびしたインターフォンがオレを呼んだ。
コンコンコン!
「速達でーす!」
「はい、はい、はい、今行きますよ! ッと」
床に積まれた本や書類を、ぴょんぴょん飛び越え玄関に急ぐ。実は片付けが苦手で、部屋中に色々なモノが散乱していたりする。当然、印鑑は行方不明だ。なので玄関先に転がるボールペンを拾ってドアを開けた。パジャマだし毛布を羽織ったままだし髪の毛も間違いなくボサボサだけど気にしない。
「露木竜志様でお間違いないですか?」
「はい。あーと、サインでもいいかな?」
「大丈夫です。こちらにお願いします」
サインをすると、夏の間にこんがり日焼けしたんだろう健康的な褐色肌の愛想のいい配達員はニカッと笑み「あざっした! ではこちらをお渡しします」と、元気よく封筒を渡して忙しそうに走り去っていった。まだ朝八時をまわったところだから、きっとこの後も配達があるんだろう。
「急ぎの用件なんてあったか?」
友人同士であればメールで済むはず。あえて速達を選んだということは、オレのメルアドを知らない人物からだろう。しかも封筒の裏に書かれた名前は覚えのないもので、少し警戒をしてしまう。できればハサミで開封したいが、やっぱり行方不明なので仕方なく指先で破り切った。
「……いつもは往復ハガキなのに、どうしたんだ?」
中身は拍子抜けするくらい普通の同窓会についてのお知らせだった。首をかしげながら読んでいくと、●▲中学校卒業して二十年目を記念して学年全体で地元のX旅館で集まりましょうみたいなことが書かれている。
「なるほどね。どうりで知らない名前だ。学年代表なんて興味なかったからなぁ」
と言うより同じクラスの友人以外の奴とは、あまり交流なんて無かったから覚えていないのも仕方ない。たぶんこの速達を出してきた学年代表者も、オレのことなんか知らないんじゃないかと思う。
「四月二日、場所は中部地方のX旅館か……。まぁ、土日はやることもないし行くか。あーと、サングラスは何処だっけか?」
中部地方の、土地名を言っても誰もピンとこないような山村にオレの実家がある。上京してから二十年、一度も帰ったことがなく久しぶりの帰省になるわけだが、鏡対策は万全にしていかなくてはならない。気やすめだが濃いめのサングラスは必須だ。そしてやっぱりサングラスも行方不明だ。昨日はあったから、その辺にあるはずだと思い床を這うようにして探す。
パキンッ!!
と、その時、足元で不吉な音が響く。ゆっくり音のした方を見ると、案の定サングラスが粉々になっていた。
「……やっちまった」
サングラス無しで行くしかなさそうだ。なんせ眼鏡屋は鏡だらけだから、できれば近づきたくない。この砕けたサングラスも会社の同僚に頼みこんで買ってきてもらったものだ。さすがに仕事中の同僚に頼める訳もない。




