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可憐なエルルーンが、不安な面持ちで溜め息を零していた。
ピノは居た堪れない気持ちで、愁いを帯びた顔を見つめるが言葉が見つからない。
エルルーンのもとへ案内される前に、今日はレッテリオに呼ばれたのだ。
「何やら要らぬことを吹き込んで、御心を悩ます輩がいるらしい。お前の方でエルルーンさまを慰めてさしあげろ」
表情なく告げられて、釘を刺されたのだ。
エルルーンの様子に心を痛めたが、迂闊なことは口に出来ないと、ピノの口数も少なくなってしまった。
商いをしつつも鬱々と日々を過ごしていたが、ここ数日は城下が騒がしい。
どうやら戦が始まるらしく、ピノは慌てて情報を集め、8領の兵舎へ馬車を向けた。
いつもの様に直家のもとに案内されると、先客の姿が見えた。
「お前も見知っておろう。気兼ねなく同席するがよい」
ピノが挨拶すれば、モデスト将軍の屋敷で会った若者である。
いつも老将軍の後ろに控えていた記憶があるが、それが何故、直家のもとにいるのか分からない。
「ここを訪ねたということは、いよいよ始まるようだな。市井の様子はどうだ?」
隣の若者に焦燥が浮かぶのを横目で見ながら、顔を伏せて気まずく問いに答える。
「領政を非難した三将軍に対して城下に兵が集っております。その、エルルーンさまが討伐の命を下したそうです」
「まさか!」
驚愕する若者を手で制して、直家は落ち着き払っている。
「勝敗の予想もあろう、領主の命があってはレッテリオの優位は動かぬか」
問われたピノは押し黙ってしまい、若者は居ても立っても居られないと声をあげた。
「ウキタ殿、急ぎ戻らねばなりません。賊徒とされた我らには、厳しい戦いが待つでしょう。もし、運命に見放されたとあれば…」
「ご安堵されよ。君側の奸を除かんと義に立った者を、我が殿は必ずや迎え入れる」
若者が厳しい顔でサッと一礼して去ると、恨めしそうな顔のピノが残った。
その様子に持て余すように苦笑すると、いつもの様に茶を勧める。
「私にそんな力はない。少し煽りはしたが、下地がなければ容易く乱れぬものだ」
無論、ピノも侵略を繰り返す9領に対して、ただ平和を願うなど馬鹿げていると思っている。
しかし、直家に声を掛けられてから、僅か一ヶ月ほどで内乱が起こったのである。直家に憎まれ口を叩くのも仕方ないというもの。
しかも、ピノが腹立たしいことに、肝心なことは透き通った笑みで煙に巻かれてしまうのである。
兵舎の練武場には、多くの兵士が地に伏せて息を荒げ、その背に罵声と叱責が乱れ飛んでいた。
ギルベルトも玉のような汗を流し、気儘に吹く風に委ねて体を冷やしていた。
「殿への目通りを終えたか、ふうむ、戻った早々に訓練とは、少しはゆるりと過ごすがよい」
「長らく虜囚の身でしたので、足腰が萎えております。お礼申しあげたのですが、ウキタ殿へ感謝するようにと。それで…」
向こう傷のある厳しい顔が、困惑して目線を泳がせている。
想像と違う領主の姿に、彼らが戸惑っているのをすぐに察して声を掛けた。
「我が大将は武勇で上に立つのではない。柔弱であるが、恩威ある大将だ。お前が仕えるのに不足ある御方ではない」
「あ、いえ…」
直家の言葉にも、歯切れ悪く口を開いて要領を得ない。自然、直家の声も冷えた。
「申してみよ」
顔を撫でて汗を拭うと、ギルベルトは漸く視線を合わせて声をあげた。
「拾われた命です。トノに命を捧げることに疑問はありません。ですが、その…、トノの村にオーガがいるのです」
「オーガ?」
「ご存知ないでしょうが、この地に棲まう魔物です。赤い体躯に角と牙、兵士が十人も組んで討伐するような獰猛な奴です。それが、何匹も…」
ギルベルトは話し終えても、信じられないといった様子で首を振っている。
目を細めて艶然と笑う直家は、頭の中の書と照らし合わせていた。
(角に牙、赤き鬼の姿。吉備津彦命に退治された温羅に間違いない)
「そのオーガは4の村で囚われておるのか?」
これが本題だと言わんばかりに、ギルベルトは生つばを呑んだ。
「驚くことに、トノは山名軍の兵であると」
「あっはははっ、そうか、温羅の兵か、ふふっ」
爆笑といった様子で目に涙を湛えていたが、やがて落ち着きを取り戻すと、村の様子や、豊やオーガの話を興味深く尋ねた。
豊の発想に刮目した思いだったが、この近辺で魔物を見るのは稀で、見かけても精々が魔狼くらいであった。
そして、豊は初対面でギルベルトを抜擢していた。
「そうか、殿が五十人長にと。余程に見込まれたようだな」
「ハッ、新参でありながら恐縮ですが」
「私の配下ではラウレンツだけだ。他も手柄をあげて十人長となっている。その者たちが納得する働きをみせてもらうぞ」
笑みを浮かべて肩を叩くと、遠景では鬨の声をあげた兵の群れが、行き乱れて槍を合わせている。
直家の目視では未だ百名に満たない。
9領の火種が燃えるのが想像以上に早過ぎて、まだまだ現状では厳しい。
しかし、戦いとは相対的なものであり、敵が弱体化すればよいのである。
直家は9領の内乱が長引き、敵が喰らい合うのを静かに待つ。




