5
やわらかな風が撫ぜてゆく感触に目を覚ますと、またも、見知らぬ場所で寝ていることに気がついた。
(そうか、送られたか…)
押し寄せる不安に胃薬が欲しくなるが、あの悪魔と離れられたのだと思えば、少しは心が軽くなった。
ゆっくりと起き上がり、土埃のついた衣服を払うと、思わず舌打ちしたくなった。
(まったく、どう着せられたのか。酷い格好だし)
顔を歪めて視線を落とす。
麻のような少し黄色味がかったシャツに、ウール素材のようなダボダボの黒いズボン。
そして、長靴と見間違えんばかりにサイズの大きな革のブーツを履いていた。
いつもの癖で、ポケットに手を入れようと、忙しなく探してみるも見つからない。
「あー、煙草が吸いたい」
思わず呻いたが、勿論どうにもならない。
少し目線を上げれば、やわらかな緑の平原が限りもなく広がり、観光地にでもなりそうな景観だ。
もっとも、豊が立っている村を見れば、石造りの平屋ばかりが並んでいるのだが。
そして、目を覚ましていたときから、ずっと感じていた違和感の正体が分かった。
目を凝らせば、大柄な白人たちが闊歩していたのだ。
(おおい、戦国武将をお供にヨーロッパとかほんと勘弁してくれよ)
この地で目を覚ましてから、何ひとつ行動してないというのに、早くも心折れそうだった。
嘆きつつも村を見やれば、大きな木の柵に囲われた長閑な村だ。村の規模はかなりなものに見えるが、疎らに点在する民家から考えて、人口は少なそうに思える。
先ずは行動しないと。そう意を決するが、村内をぶらついてみるだけである。
まだ、自分の立場すら分からない。友好的な村なのか、それとも……。
村人と接触するのを恐れながら、慎重に歩みを進める。
小川に佇む水車小屋を眺めたり、馬小屋を覗いて見たりしつつも、警戒するのは忘れない。
羊の群れを眺めたり、村外れの果樹を触ってみたり、結構な範囲を移動したが、豊の過剰な臆病さによって、本当に何も起きない。
さすがに村人と接触するべきだろうかー。
そんな考えがよぎった頃、一際、異風で目を惹く建物が現れた。まるで観光地にある陣屋、いわゆる大名屋敷と呼ばれるものだ。
村の景観を損なうような屋敷に近づくと、緊張した声で呼びかけた。
「すいませーん、こんにちはー」
しばらく返事を待ったが、沈黙が応えるのみで、人の気配もしない。
あからさまに村の雰囲気から浮いている建物を見るに、どう考えても自分に関連がある。
豊は覚悟を決め、表門から挙動不審に入ってみる。
小藩と比べても更に控えめな敷地だったが、間違いなく大名屋敷であった。
小さくも計算された日本庭園は、水の代わりに砂利の上に流れを描く枯山水のタイプ。
庭園の隅には東屋もあった。
そして上屋敷と下屋敷があり、塀沿いには、いくつもの蔵も見える。通常は櫓を蔵としているが、この屋敷はそのまま蔵のようだ。
うろうろと敷地内を歩くのだが、無人であろう屋敷に上がりこむ程の勇気はない。
庭石に腰掛け、ひと息つく。
(これは、本格的にどうしていいか分からなくなってきたぞ。思い切って中に入るか、それとも、村人に尋ねてみるか)
得意の優柔不断を発揮していると、やおら人のざわめきが聞こえた。
速まる鼓動を感じながら気配を探る。
声からすると、数人の村人がこっちへ向かっているであろう様子だ。
(とりあえず不法侵入は不味い!)
咎めに来たのか、それとも偶然この近くを通るだけか、早鐘を打つ心臓につられて思考が回る。
駆け出て見れば、四人の村人たちが連れ立って歩いてくる。
真っ直ぐ豊に向かって、歩みを進めている。
(目線から察するにおれが目当てなのは間違いない!)
だが、田舎者ゆえの悲しさか、目前の外国人を見て緊張のあまり固まってしまった。