『あるいは友情という名の馬鈴薯(ジャガイモ)』 作者 bigbear
一言
芋、それは救世の作物
芋、または悪魔の食べ物
果たして、その実態はーー!
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飢饉だった。それもかつてないほどに凄まじい、飢饉だった。山は火を噴き、雹が降り注ぎ、蝗が群を成す。王も、騎士も、民草も、誰もが平等に飢えていた。
故に彼らは、悪魔になることを決意した。再び故国に栄光を齎すために、民草を救うために、そして、嘗ての自分と同じ様に、飢えた子供らの腹を満たすために。
一人は知恵を、一人は剣を。互いに同じものを目指しながらも、彼らは全く逆の手段をもって己が道を突き進んだ。
そうして、十数年、彼らはあらゆる食物を見聞し、敵の血を流し続けた。その果てに、誰かが救われると信じて。
土を耕すものと剣を振るうもの。走り出した場所こそ同じものの、決して交わることのないはずの彼らの道は、再び交わることとなる。
飢饉を救う食物、ジャガイモによって。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジャガイモとは悪魔の食べ物である。
そうまことしやかに語られていた時代があった。
ただの植物の根であるはずのそれを、人々は恐れ、忌み嫌った。ただ彼らの神の言葉を書き留めた書物に記されていないというだけで彼らは、ジャガイモを、あらゆる背徳や人ならざる魔性と同列に置いたのだ。
荒地でも育ち、寒さにも強く、なおかつよく育つ。そんな食物をあえて遠ざける。それを愚かだと言い切るのは簡単なことだ。だが、その時代、その世界で生きて来た人々にとってはそれこそが正しいことだった。彼らを責めることは誰にもできない。人はいつでも信じたいことだけを信じるものだからだ。
それはどれだけ飢え、困窮したとしても変わらない。子供らがやせ細り、街辻には屍が放置され、国中から活気が消え失せたとしても、人は信じるものに縋り続けるものだ。
しかし、知恵あるのものとは疑う事を知るものでもある。彼は、嘗て、民を救おうと志した少年たちは神を信じてはいなかった。
「これが民を救うのだ、友よ」
「……前から阿呆阿呆とは思っておったが、とうとう耄碌したか、友よ」
十数年ぶりの再開早々、珍妙な根っこを手に楽しげにそう語る友に対して、剣士は厳しい顔に訝しむような表情を浮かべた。
手にしているのはなみなみと注がれた蜂蜜酒の木樽。それを一息に飲み干したというのに、剣士は顔色一つ変えない。彼にいわせれば、この程度酒の範疇にも入らなかった。
学士の書庫、そう呼ばれる館の一室。かつて共に机を並べたその場所で彼らは再会を祝していた。
「はは、いつも座学に身が入らないと師に怒られておったのはそなただぞ、我が義兄弟よ」
「ふん、俺もお前もともに阿呆よ。しかし、それはなんだ? 俺には商売女どもの笑窪にしかみえぬが」
「おぬしらしい物言いで安心したぞ。私もおぬしもまだ中身は悪童のままらしい」
互いに軽口を交し合いながらも、二人の顔には真剣みが増していく。二十年の昔、互いにこの困窮する国を救わんと決意した熱は未だ衰えていない、互いへの信頼もまた同じだ。
「これは馬鈴薯といってな、南方の国々では麦の代わりに使われているらしい」
「南方の? 異教の蛮族どもの食い物か? そんなもの食えるのか?」
「いやいや、蛮族の知恵も侮れんのだぞ。むしろ、農作や星見、航海においては我らのそれよりも優れておる。これもその一つよ」
「ふむ、この凸凹がなぁ……なんだ、水につけると膨れあがるのか?」
「はは! そんな都合のいいものなら私のような学者は用なしになろうて! これはなぁ、どのような土地でも育つのよ。無論、きちんと手入れをしてやらねばならぬが、この国の痩せた土地でもこれは育つのだ」
「この国でも……」
友の言葉に剣士が息を呑む。彼らの育ったこの国は、かつては大国の属領であり、度重なる戦乱の結果、国土の大半を荒廃した土地が占めている。辛うじて、独立を勝ち取りはしたものの、その戦いの余波はただ出さえ枯れた土地をさらに汚してしまった。
まして、近年は魔性が蠢き、息も凍りつく冬の暦が続いている。麦など育てられるはずもなく、王侯貴族ですら明日の食い物に困っている。これといった鉱山も、港も、特産物も持たぬこの国では誰もが飢えていた。
だが、もし、この国でも実る作物があるのなら、それは希望の光に他ならない。学士の言葉通りならば、明日の糧を得るために、国ぐるみで傭兵の紛いごとをする必要はなくなる。年端も行かぬ子供に物書きを習わせるより、先に剣を握らせずに済むようになるのだ。
「それは本当か……? 本当なのか、友よ……!」
「ああ、我が先祖に誓って本当だとも。既に、畑に作付けを終え、この目で確かめた。この作物ならばこの国を救いうる。今すぐではないが、そなたの子や孫は腹いっぱいに食べられる」
今にも拳を突き上げ快哉をあげそうな義兄弟に向かって、学士は冷静ながらも熱を込めてそう答える。無理もあるまい、彼等にはそれこそが夢だった。
何時の日か、この国を救う。ただそれだけを志してここまで来た。両手の肉刺も、一睡もしなかった夜の数々も、あるいは悼んできた無数の死も、全てこのためにあった。
「直ぐに王都へ向かおう! いまでも顔は利く。直ぐに謁見して、このことを申し上げよう。そうすれば直ぐにでも――」
「待て、駄目だ、もう少し待ってくれ」
「何故だ!? この日のために…………」
「わかっている、わかっているが、そうはできんのだ」
今すぐにでも自ら馬を走らせそうな友を学士は引き止める。その顔には飄々とした彼には似合わぬ苦悶と苦渋が滲んでいた。
「なぜだ! 如何にこの馬鈴薯とやらが優れておっても、我らだけではどうにもならん! 勅命によって奨励せねば民草の間にはーー」
「既に王都には知らせたのだ! だが、だがーー
っ!?」
「なっ、無茶をするからだ! 水を! 誰か水を持て!!」
激すると同時に、学士は背を丸めて、咳き込む。額には痛みと苦しさに脂汗が浮かんでいた。
「だ、大事ない……それよりも聞いてくれ、友よ。私の最期の頼みだ」
「……わかった、なんでも申せ。俺にできることならば、なんでもやってやる」
病だった。学士自身も、剣士も口することはなかったが、もはや長くはない。血の病、そう呼ばれるこれは、不治の病。一度、患ってしまえばあとは死を待つしかない。
「……教会だ、王都での謁見の折、彼奴等目が横槍を入れたのだ。異教徒の作物など認められぬとな」
「……合点がいったわ。どうせ祈っておれば土地が蘇るとでも宣ったのだろうよ」
「うむ、その通りよ。だが、王とて教会の傀儡ではない。私に条件を申し渡された、一年、一年の間でこの土地で育てられるだけ育ててみよ、と」
「あの方らしいな。ご自分で確かめねば何事にも頷かれぬ。して、それは果たせるのか?」
「童のころ駆け回った廃砦を覚えてあるか? あそこを埋め尽くす程度にはどうにか。あとは王の御心次第よ。だがーー」
学士はそこで言葉を切ると、覚悟を決めるように息を飲む。これから先を口にすれば、この実直豪胆な友がどうするかなど手に取るようにわかる。
だからこそ、迷う。それは友に向かって今まで積み重ねてきた全てを捨ててくれ、と命じることだからだ。
「教会の連中から邪魔が入ったのだな? 焼き討ちでも目論んだか?」
「ーーっそうだ。二度は追い返したが、三度目はそうはいかんだろう。僧兵や導師も出てくるはずだ」
だが、友は学士よりも早く覚悟を決めていた。いや、この館に久しく招かれた時から既に腹をくくっていたのだ。友の命を懸けた最期の願い、それを果たすために。
「あいわかった。俺の役目は其奴らを一人残らず切り捨て、この凸凹を守ることだな?」
「……すまぬ。そなたも私と同じく破門されることになるというのに」
「何を謝る。俺は俺の意思でお前の希望にかけるのだ。それにな、今更天上になどにいっては死んだ輩に言い訳が立たん。地獄で悪魔と一戦仕ると約束してしまったがゆえな」
それだけ告げると剣士は立ち上がる。言葉の通り、その瞳には迷いも後悔もない。ただ己が信念に準じる戦士の焔だけがそこには燃えていた。
「……ありがとう、友よ。死ぬなよ」
「誰に向かっていっておる。そなたこそ、己が仕事を見届けるまで死神に捕まるなよ」
「ああ、わかっておるさ。また会おう」
「おうよ。お主の代わりに民草を腹一杯にしてくるわ」
それが別れだった。愁嘆も涙もない、乾いた別れ。しかし、そこにこそ彼らの絆はある。お互いに命をかける、子供心に交わされた誓いは今もまだ生きていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
学士の耕した畑は小高い丘の上、かつて砦の築かれたその場所にあった。まだ世の窮状も知らず、ただ駆け回った童の記憶の上に、彼は希望を植えたのだ。
かつては城塞として活用されただけあって、砦へと続く道は一本のみ。鬱蒼とした林を進めないわけではないが、堅牢な石壁は今でも役割を果たしている。道幅も狭く、急勾配なその道は大軍の行軍には適さない。攻め難く守り易い、百年前に山間の街道が開通するまではこの場所は国一番の要害だった。
剣士が陣取ったのは、その坂の頂上。王より拝領した鎧を身に纏うことなく、旅装のまま、血と汗の染み付いた愛剣だけを手に泰然と佇んでいた。
「……生臭坊主どもめ、雁首揃えて来よったか」
眼下では、松明の群れが蛇のように連なっている。夜明け前の闇の中でも、その鱗の数まで見て取られた。
数にして、三百。軍勢としては決して多くはないが、それでもたった一人で相手取るにはあまりにも多い。
教会に仕える僧兵。神の名のもとに異端を狩る破壊の軍勢。長く続く飢饉の中、ただの一度も飢えることのなかったものたち。剣士が相手取るのはそういうものたちだった。
「ーー何者か! 我等は主に仕えるものなり! 道を開けよ!」
「断る! 命が惜しくばすぐさま引き返すが良かろう!」
「な、なにを! 無礼であろう! 我等を誰と心得る!」
「生臭坊主と稚児どもに払う礼儀なんぞ持ち合わせておらん! ささっさと去れ!」
居丈高な使者に対してそう返す。剣士にしてみればもう賽は投げられているのだ、ここを退くときは死するときのみと決めている。
「ここを通りたくば、我が屍を踏み越えていけ、そう司祭に伝えい!」
「き、貴様、タダで済むと思うなよ!!」
自分たちに立ちはだかるものなど今の今まで一人としていなかったのだろう、白衣の騎士は面食らったようにすごすごと引き返していく。
僧兵たちは今目の前に立ちはだかるものの正体を知らない。この時点ではただの物狂いとしか思っていなかった。
その認識が文字通りひっくり返されるのは半刻後のこと。業を煮やして押し通ろうとした兵の首が宙を飛んだその瞬間だった。
「ーーか、かかれ!! あの物狂いを地獄に送るのだ!!」
「戯け! 地獄に行きなどとうの昔に覚悟しておるわ!!」
迫り来る軍勢と正面からぶつかり合う。この狭い道では一度に攻めかかれる人数はそう多くはない。それでも、雪崩と枯れ木のようなもの、本来ならば簡単に押し潰されてしまう。
されど、ここに立つのは常人ではない。かつて戦場において、無双と謳われた最強の剣士だ。
「ーーはっ!!」
「ギッ!?」
一番槍を切り払い、防御に回った槍ごと胴体を袈裟懸けに切り裂く。一撃決殺、容赦はないが、慈悲に満ちた一撃だった。
一太刀、二太刀、三太刀、刃を振るうたびに鮮血が舞い、屍が積み重なっていく。
鎧も盾も、まるで意味をなさない。剣聖の太刀筋はまるで稲妻のよう。絶命までは一瞬のこと、切られたことに気づくのは首と胴が離れた後だ。
「ひ、引け! 体勢を立て直すんだ!」
そうして、十数人を切り捨てた後、軍勢は踵を返す。彼らとて愚かではない。これだけの損害を被れば目の前の物狂いがただの物狂いでないことなど容易に想像がつく。
「ーーようやく一度か。まったく俺も鈍ったものよな……」
無論、いくら剣聖が強くとも限界はある。半刻にも満たない戦の中でおった手傷は無数。臓腑をえぐるような深手こそないが、それでも血を流せば後に響いてしまう。
限界は見えている、人と軍勢では本来ならば戦にはならないのだ。
「あと、三日、厄介な約束をしたものだ」
それでもなお、心から笑って、死地に立つ。
王の使者が到着するまでの日数、それを命に変えて稼ぐこと。それが剣士が自らに課した役目だった。
未練がないわけではない、命が惜しくないわけでもない、ましてや死を望んだことなど一度もない。ただの他の何事よりも、この約束が、幼心に交わした小さな誓いが、大事だったというだけ。そこには悔いも、嘆きもない。守ったものの未来を見られないのが少しだけを悲しくはあるが、その価値を思えば自然と力が湧いてくる。
「だが、感謝するぞ、我が友よ」
ここが死に場所。奪うことでしか何かを守れない人生だったが、それでも最後に最も価値のあるものを守って死ねるなら本望だった。
ましてや、友に殉じて死ねるなら尚更だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これより五年のち、かの国は飢饉より脱することになる。全て馬鈴薯のおかげ、というわけではなく、天候不順の回復と政治情勢の変化による他国からの支援が国を救った。作物一つで救えるほど国というものは単純ではないのだ。
だが、それでも、多くの民が、尊敬と感謝ともにジャガイモをこう呼ぶ、『友情の根』と。
栽培方法と特質を事細かに記した学士の手記と砦いっぱいの種芋、その二つにより爆発的に普及したジャガイモは確かに多くの民を飢えから救った。彼らの戦いは、決して無駄ではなかったのだ。
剣士の最期は、全身に矢を受けながらの立ち往生とも、天使に迎えられての昇天とも、あるいは、何処へなりとも去っていたとも伝わっている。彼の亡骸を目にしたのは、戦いの後に戦場を訪れた王の使者だけだった。
また、剣士の戦い、その詳細を語る書物もほとんど存在していない。王は剣士の意志を尊重し、教会は己が恥を隠すことを選び、生き残ったものは恐怖に口を噤んだからだ。ただ彼の行いは、周辺の村々での口伝と名付けられた地名にその断片を残すのみとなった。友情に殉じた二人の悪魔"の最期は寝物語に息づいている。
彼の墓とされる場所に咲き誇るのは、一面のジャガイモの花。墓標に刻まれたのは日付だけ。それは奇しくも、彼の友、学士が息を引き取ったその日付と同日だった。




