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2-5 異変

その日の夜だった。部屋でくつろいでいると、僕のスマホが軽快な音楽を流し始めた。画面には紗羅からの着信を知らせる文字が出ている。思わず時計を見ると22時を過ぎている。


「紗羅?こんな時間になんだろ……」


 なんとなく嫌な予感を感じながらも、僕はスマホを通話にして耳に当てる。


「もしもし?」


「おーちゃん?……ごめんね、今いい?」


 紗羅にしては遠慮がちな言い方に、ますます嫌な予感が膨らんでいく。


「うん、大丈夫だよ。どうしたの」


 そう言うと、電話の向こうでは紗羅が何か言いにくいことを言おうとしている雰囲気だ。


「……おーちゃん。あのね?なんだか、視線を感じるの。誰もいないんだけど、フッとした拍子に……」


山野旅館で見るからに怖そうな不良たちの霊にも、まったく怖がる様子を見せなかった紗羅がおびえている。そう感じた時、僕は思わず言ってしまっていた。


「ね、紗羅?ちょっとそっち行ってもいい?」


「……っ!」


 電話の向こうで紗羅が息を飲んだ。そして数秒遅れて僕は自分が言ったことの意味に気付いて慌てて言った。


「わ!ごめん、こんな時間に来たら迷惑に決まってるよね。忘れて!」


 僕は焦ってそう言ったけど、電話の向こうの沙羅からは思いもよらない返事が返ってきた。


「ううん……、その、私が行ってもいい?」


 遠慮がちに、でも本当に困っているのか。とにかくこの時の紗羅は凄く弱っているように感じた。その声を聞いた僕は断るなんてできなかった。でもどうやって……。さすがにこんな時間に紗羅を迎え入れたら親たちがびっくりするだろう。


 両親の部屋は玄関から近い。そっと出入りするのは難しい。


「紗羅……その、来るのはいいんだけど……」


 僕がそう言った時、窓の方からコンコンと音がした。急いでカーテンを開けると、そこにはスマホを持った紗羅が少し済まなそうな顔をして立っていた。


 慌てて窓を開ける。


「紗羅!」


「おーちゃん、しー!」


 思わず大きな声を出してしまった。紗羅が人差し指を口に当てて言う。僕は手で口を押さえながら、とりあえず紗羅を部屋の中に入れた。


「紗羅。ここ二階なのに……どうやって来たの?」


 そう。逢介の部屋は二階にある。梯子でもないと登って来れるはずがない。しかし紗羅は少しはにかみながら言った。


「私の部屋も二階にあって……。屋根伝いにここまで来た」


 紗羅の言葉に驚いて、僕は窓を開けて紗羅の家の方を見た。この辺は家と家が密集するように建っている。紗羅の家とは間に二軒ほど家があるが、どちらも平屋で逢介の部屋からまっすぐ紗羅の部屋が見えていた。

 黄色のカーテンが風になびいている。


「もう、紗羅。落っこちたらどうすんの?びっくりしたじゃん」


 思わずそう言うと、紗羅はしゅんとして小さな声で「ごめんなさい」と謝った。その様子にやっぱり紗羅の様子がおかしいと思った僕は、紗羅を座らせて隣に座った。


「ごめん、紗羅。何かあったんだよね?」


 そう言うと、コクンと頷いて話し出す。


「なんかね?部屋にいると誰かに見られてる感じがするの。でも変な気配はしないし、気のせいかなって思ったんだけど……。これ……」


 すっかり弱気になった紗羅が見せたのは、スマホのメッセージアプリの画面だった。そして1-3グルチャとタイトルがあるチャットが表示されている。そこには同級生の他愛のない会話があったが、一か所だけ違和感があった。チャットの部分ではなく、端にあるアイコンに赤い丸と8の文字。これは八件の未読メッセージがある事を示している。


 そしてそのアイコンは……個別チャット。しかも見ているうちに8が9になった。


「これって、もしかして……」


 僕がそのアイコンを指差して言うと紗羅は頷いた。


 僕は思わずそのアイコンを押そうとして、思いとどまった。いくらなんでも人のメッセージを見るなんてできない。しかし、紗羅はそんな僕の様子を見て首を傾げると、何の躊躇もなくアイコンを押した。


 画面が変わって、チャットのタイトルが個人名になった。斎藤くんとなっている。


 まだ起きてる?とか、もう寝たの?とかのメッセージが表示されている。


「家に帰ってから、一回だけ返事したの。帰りが遅いとか心配してるみたいだったから、もう家にいるよって……」


 眉を下げて紗羅は話を続ける。


「そしたら連続で来るようになって……その中に」


 震える手でメッセージを遡ると……おかしなメッセージがあった。


 くまさんのパジャマかわいい。似合ってる


 それを見た瞬間、僕の背中にまたビリっと痛みが走った。


「こ、これって……」


 そのメッセージを指差していると、紗羅は羽織っていたジャージのファスナーを降ろした。ジャージの下には……かわいらしいクマのキャラがプリントされたスウェットを着ていた。


「え……?」


 僕は思わず絶句してしまった。


「おーちゃん、怖い」


 視線を落としてぽつりとこぼした紗羅の言葉に、僕の頭にカッと血が上った気がした。


「紗羅、さっきそのメッセージを見た時、また僕の背中にビリっと来たんだ」


 僕がそう言うと、紗羅の目が大きく開いた。


「今は?今は何か感じる?その、視線とか……」


 そう言うとおそるおそる紗羅は周りを見る。ひとしきり見て、首を振った。


「今は感じない」


「すると紗羅の部屋か……」


「え?」


 きょとんとする紗羅に僕は言った。


「これは仮説なんだけど、生霊ってやつじゃないかなって。僕も冬弥に無理やり聞かされただけで詳しくないんだけど、執着する相手や物の所に生きているのに霊体を飛ばす?なんかそんな事言ってたんだ」


 僕がそう言うと紗羅は顔を青ざめさせる。


「え……そしたら、斎藤君が私をずっと見てたって事?」


 ふらっとよろめいた紗羅を僕は慌てて支えた。紗羅の体は小刻みに震えていた。無理もないだろう、部屋着を見たって事は部屋にいる紗羅を見ていたって事だ。知らない間にずっと覗かれていたんだ。怖くないはずがない。


 「ちょっと待って、冬弥に聞いてみる。あいつなら詳しいことが分かるかもしれないから」


 僕はそう言うと、震えている紗羅をベッドに座らせて冬弥とメッセージのやり取りをした。すると冬弥から電話がかかってきた。紗羅を見ると頷いたから僕は通話を押してさらにスピーカーにした。


「冬弥?遅くにごめん。どうしても教えてほしくてさ」


 僕がそう言うと冬弥は普段より少し固い口調で言う。


「いや、気にすんなって。蒲生もそこにいるのか?」


「うん、一緒だよ」


 そう答えると、冬弥は少し安心したように言った。


「よかった。んで、生霊って事だけど……逢介の話を聞く限り間違いないと思う。まして部屋にいる時の服装を知ってるなんて、のぞきか生霊の二択だろう。あーそんでな?多分相手が斎藤って事も間違いないと思うんだが、斎藤は逢介ん家のことを知ってると思うか?」


 意外な事を聞く冬弥に僕は考えながら返事を返す。


「いや……。僕と斎藤君は何の接点もないし、知らないと思う。ね?」


 一応紗羅にも聞いてみたけど、紗羅も頷いた。


「そんならよかった。多分斎藤はどうにかして蒲生の家を調べたんだと思う。全く縁がないところには生霊も行けないらしいんだ。」


 じゃあここにいる限り安心だ。と僕は少しホッとしたが紗羅は違った。


「え……そしたら私はお部屋に帰れない。見られてるかもしれない部屋で過ごせない……」


 あー……そりゃそうか。俺でも嫌だ。


 衝撃を受けてすっかり弱っている今の紗羅からは、不良の霊を蹴り飛ばした時の迫力は微塵も感じない。ぐすっと音が聞こえて悄然としている紗羅はか弱い女の子だということを再認識させられた。


「ねえ、冬弥。例えば僕なら妨害できないのかな?見てるんならそこにいるってことだよね?見つけさえすれば……」


「いやー、俺もそこまでは詳しくないんだよなぁ。スマン!調べる時間が欲しい」


「あ、いや。こっちがお願いしているんだから……」


「でもよ。今のお前イイ感じだぜ?普段は絶対近寄ろうともしないくせに。見つけて妨害するつもりでいるなんてな」


 そう言ってクックッと笑う冬弥に、僕はなんだか恥ずかしくなってくる。ちらっと横を見ると紗羅も固まっている。


「とりあえず急いで調べるから。じゃあな!あ、蒲生はそこに泊めたほうがいいぞ。他人が見ている部屋で眠れないだろ」


 そう言うと冬弥は一方的に通話を切った。


 ――あいつ!言うだけ言って……。僕の部屋に泊められるわけないだろ。そう思って紗羅を見ると、紗羅も恥ずかしいのか深くうなだれている。


「紗羅、冬弥の言うことは気にしないで。紗羅の部屋じゃなくて別の部屋で寝ればいいだけ……」


 そこまで言った時、紗羅の体が揺れてベッドに倒れ込んだ。


「紗羅っ!」


 紗羅は僕を見て小さく言った。


「ごめん、おーちゃん。ありがと……」


 そしてすぐにすうすうと寝息を立て始めた。

 ……きっとすごく怖かったんだろう。ずっと気が休まらずに、限界を感じて僕に電話をしたのかもしれない。そう考えた時、もう紗羅を起こすなんて事はできないと思ってしまった。

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