第96話 敵か味方か
キアッフレードは、ヤナタから連れて来て部下として王城に紛れ込ませている影の報告を受け、政務室エリアへ向かった。
彼の所属する魔導部は王国騎士団と併せて師団室エリア、つまり王城を正面から見て右側にあり、真逆の左側に位置する政務室へ向かうことは滅多にない。
深い緑色の髪と魔導部の制服でもあるローブは、女性たちを中心とした多くの人々に彼を天鵞絨の貴公子などと呼ばしめた。
ゆえに、彼が通常ならいるはずのない政務室側を歩けば、通り過ぎる者たちの視線を奪い、どうしても目立ってしまう。
キアッフレードは内心で大きく悪態をついた。
(静かにしていたと思ったら、とんでもないことを仕出かしてくれたな)
【右丞相】、そう書かれた小さな札のかかる扉をノックする。
「だ、誰かな。ああ、イ、インサーナ卿じゃないか」
何も確認しないまま、扉が開けられた。
全く警戒心のない男だ、とキアッフレードは半ば呆れながら、ひょっこり顔を出したピッピ・ピッポに柔和な笑みを浮かべて見せた。
「こんにちは、右丞相。バウド書記官に用があったのですが、離席されてますか」
「バウッ! ラニッ! い、いいからちょっと入って、さぁ!」
ラニエロの名を出すと、見るからに狼狽してキアッフレードを室内へ招じ入れる。
廊下に誰もいなくて良かった。これでは事件が起きたと自ら喧伝しているようなものではないか。
キアッフレードは二度、呆れた。
「ま、魔導部統括実行部隊副長が、ど、どうしてラニエロ君に」
「はは、正式名称で呼んでくださる方は少ないので、なんだかむずがゆいですね。バウド書記官には妹君をご紹介いただく約束がありまして」
「ア、アニー嬢を? あぁ、そっか。君はヤナ、ヤナタの」
ピッピ・ピッポという人物は、吃音のせいか落ち着きのない視線のせいか、彼を知らない人間からの評価は高くない。
現在の右丞相という役職も、代々左右の丞相を務めてきた父祖のコネクションと、補佐たる書記官ラニエロ・バウドの手腕によるものだと思われがちだ。
しかしその評価は実際と少しズレがある。
彼はその温和なキャラクターで他者の警戒心を緩め、口を軽くさせてしまうし、頭の回転も記憶力も良く、あなどれない。
今、ここでヤナタという単語が出てくるのがもう、一筋縄でどうにかなる人物ではないことを証明している。
禁じられているヤナタの精霊信仰とアナトーリアを、いきなり結び付けて考える者など普通はいない。にも関わらずここでヤナタの名称が挙がるならそういうことだ。
だからこそ、キアッフレードの嘘も通用するのだが。
「それで、バウド書記官はどうなさったのです」
「あ、そ、そうだ。あのね、さっき騎士団が来て、ラ、ラニエロ君を連れて行っちゃったんだよ」
「騎士団……」
ピッポは慣れた手つきで茶を淹れると、鍵付きの戸棚から菓子を取り出してキアッフレードの前に置いた。
もそもそと焼き菓子を食べ、一通り突然のティータイムを楽しんでから、ちょこちょこと口髭を整える。
「あ、そ、それでね。ラニエロ君なんだけど、つ、連れてったのが第二師団だったと思うんだよ。お、おかしいよね。だ、第一でも第三でもないんだよ」
「第二……」
普段は近衛と呼ばれる立場にあるのが第一師団、諜報活動を主な業務とするのが第三師団であり、王城内に勤める貴族を捕縛するならそのどちらかである可能性が高い。
城の内外の警備、属国の管理、周辺海域の監視、それに戦時下にあればいち早く戦場に赴くなど、活動範囲が最も広く不定形なのが第二師団だ。
不定形と言えど、やはり第二師団が突然上位貴族を捕縛するような状況は考え難い。
まさかモーエン卿か、とキアッフレードが呟くと、ピッポもまた大袈裟に頷いた。
「そ、そうだね。見たことある人が何人かいたけど、あれはモ、モーエン君のとこの子だよ。それなら第二の第一連隊かな」
「確かに、それは少し気になりますね。ところで──」
キアッフレードが言葉をきってピッポに顔を寄せると、人の良さそうな右丞相は慌てて耳をキアッフレードの形の良い唇に近づけた。
「バウド公爵も捕縛されているらしいです」
「んんっ!!」
端的に伝えた言葉は、確かにピッポの心臓を止めてしまいそうなほどの衝撃を与えた。
トドだかペンギンだかを連想させるつぶらな瞳を細め、止まりかけた心臓を押さえながら、ふたつみっつと深呼吸をする。
「さ、宰相はきょ、今日この後は陛下と茶会のはずだよ」
「そうですか」
「……インサーナ卿は何が目的なのよ。も、もう。仕方ないなぁ」
今にも泣き出しそうな顔をしながら、不承不承という様子で立ち上がると、袖や腰回りにできた衣類のしわを撫でつけた。
王国騎士団に属し、騎士爵であるレオフリック・モーエンはボナート派の中心人物である。
モーエン伯爵家は中立を建前にしながら、決定的な場面では優位派閥につく完全な日和見貴族であったが、次男のレオフリックがボナート派に属したことでそのやり方は通用しなくなった。
一方でピッポはバウド派の筆頭であり、彼が右丞相という立場にいられる理由の何割かには、周囲の評価どおり片腕であるラニエロの存在が挙げられる。
ボナートの罠にかかってバウド父子が失脚するようなことになれば、ピッポもまた無事ではいられないのだ。
「へ、陛下のとこ行ってくるよ……。どうせこれボナートの暴走で陛下は何もご存じないんでしょ」
「さぁ……私にはちょっと状況が理解できておりませんので」
「イ、イケメンはみんな食えないからき、嫌いだ」
右丞相の部屋を出ると、キアッフレードは真っ直ぐに内務室へと向かった。
内務室は王族の身の回りの世話をするような部門も含めて、王城全体の日常を維持することが主目的であり、王城を正面から見た場合には中央が業務エリアになる。
そしてそれは、近衛と呼ばれる第一師団の面々の主な仕事場でもあった。
キアッフレードが探し回るようなこともなく、目的の人物はすぐに見つかった。
休憩用に、長い廊下に一定の間隔で設置されるベンチに腰かけたその人物は、爪先を苛立たし気に上下に動かして床を叩いている。
「コンテスティ卿」
「……天鵞絨の貴公子が何の用だ」
キアッフレードが声を掛けると、カロージェロ・コンテスティは緩慢な動きで頭をゆっくりと動かして彼を睨みつけた。
「フィルディナンド殿下は」
「魔女討伐だそうだ」
「……第二師団と?」
「どこまで知ってる。そういえば貴様はクララの周りを嗅ぎまわってたようだが」
カロージェロからの鋭い視線に気づかない振りをして、キアッフレードは彼の横に座った。
キシ、とベンチが乾いた音をたてる。
「エスピリディオン島の新しき女王は、魔女などではない」
「知ってる」
「いつから?」
「クララがアニーを魔女と呼んだときからだ」
いつの間にか、外は暴風雨とも言える様相を呈しているようで、正面の窓には雨粒が叩きつけられ、その向こう側に見える木々は大きく傾いでいる。
耳を澄ませば、どこかの扉や窓の隙間から風が細く高い悲鳴をあげているのが聞こえた。
「フィルディナンド殿下、クララ・フィンツィ男爵令嬢、ボナート公爵父子、そしてアナトーリア嬢。この中に……助けたい人物は?」
「いる」
「では行きましょう。もうすぐ宰相が戻られるはずだから、正式に許可を貰ってね」
暫く真意を探るようにキアッフレードを見つめたカロージェロであったが、そのうち小さく息を吐いて頷くと、ふたりは立ち上がって政務室エリアへと向かった。
「ボナートはおかしい。ロクな手続きも踏まずに、連隊ひとつまるごと動かした」
「島にはどれほどの規模が?」
「モーエンのところの全て。一部は王城で時間稼ぎ、残りの二個大隊が島に」
「……では、こちらも連隊ひとつ申請してみましょうか」
キアッフレードの言葉に、カロージェロは一瞬目を瞠ってから豪快に笑う。
見慣れない取り合わせのふたりが足早に王城内を駈け、通り過ぎる者はみな一様に飛びのいて道を開けた。
「天鵞絨の君も動かせよ、大隊のひとつやふたつどうにでもなるんだろ?」
「それでは彼らの倍の戦力になってしまうが、まぁいいか」
「構わない。この国にボナートはもういらないし、モーエンは気に食わないからな」
今回はピッポ伯が大活躍でしたね!
仕事中にすぐティータイムを始めてしまうので、普段はお菓子の入った棚の鍵をラニエロ君が管理しています。まぁ、ラニエロ君のいないときは勝手に引き出しから鍵出してティータイムにするんですけどね。