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狂騒劇 10

 ソル・オ・デンサの公演2日目前日に、エティゴの屋敷にルシアさんと共に訪れる。

 当然ルシアさんは、エティゴを挑発するような格好はNGだ。

 庶民然とした、厚ぼったい服装をお願いしている。


「ほら、きちんとお詫びするんだ」

「も、申し訳ございませんでした、エティゴ様」


 ジロリと視線を下げたエティゴが膝を付いた俺とルシアさんを睥睨するのを探知する。

 相変わらずのイカレた服に身を包んだエティゴだが、その目は危険な光を宿している。


「エティゴ様。この女ですが」

「なかなか美しい顔をしているではないか」


 予想はしていたが、いきなりだな。

 顔を伏せたままのルシアさんを俺は静かに見下ろす。


「もう抱いたのか?」

「はい」

「そうか。それは良かったな」


 ギラギラとこちらを見据えてくる。

 マッチョの顔も一段と険しい。

 ここは霧の圏内だ。

 いざとなれば、叩きのめす。


「ではまず儂にどう謝罪するのだ? 女。ん?」


 下種な奴め。

 こんな言葉をルシアさんに掛けられるだけで腸が煮えくりかえる。


「なにとぞ、お許しを。エティゴ様のお申し付けに従いますので」

「ほう。ラスター、こう言っているが」

「馬鹿な女です。ご慈悲を」


「儂からこれ以上言うこともあるまい。女、寝室へ来い」

「お待ち下さい、エティゴ様」

「ボルグ。ラスターを押さえておけ」


 どうするの。

 横目でそう訴えてきたルシアさんに、どう答えればいいのか必死に考える。

 こうなることを予想はしていたが、口先三寸でなんとかなると高を括っていた。

 いざとなれば、という考えもここまでスピーディだと決断しにくい。


「エティゴ様、私が唾をつけた女ですが」

「だからどうした。儂は形あるものしか信用せん。許しを請いたいのであれば黙って差し出せ」


 そっと俺の手にルシアさんが手を重ねると、ポンポン、と叩いてくる。

 冷静になれ、と言っているようだ。

 エティゴに続いてルシアさんが部屋を出て行く。

 どうする。どうする。

 ルシアさんはどうする気だ。


 ルシアさんが目的のために体を差し出すことを厭わないつもりでいたとしても、俺は許せない。

 俺ならなんとかしてくれると考えていたら?

 焦りが募るが、考えはまとまらない。

 ここで動けば、計画は破綻しかねない。

 俺に任された依頼も、達成とは言い難くなる。

 


 ネイハム様――すみません。

 俺は自分の守りたいものだけ守ります。

 扉の前で仁王立ちし、俺から視線を外さないマッチョに歩み寄る。


「なんだ小僧。大人しくしてろよ。それとも勘違いさせちまったか?」


 黙って歩く。

 目と鼻の先。

 あの時は酔っていたが、今なら理解できる。

 ボルグとかいうマッチョはかなりやる。


「……クズ野郎が、何のつもりだ。死ねよてめえ」


 ギラリと光る眼光が、捨て台詞と共に沈んでいく。

 片足の力を抜き、ゆっくりと体を傾斜させながら抜いた足を前に踏み出す。

 右足の爪先が体重を支え、下ろしたままの右手に力が漲り、拳が跳ね上がってくる。


 俺の腹に一瞬で到達するはずだった拳は脇腹を掠めるように空を切る。

 同時に俺は右手の人差し指で軽くボルグの左目を突く。


「……っ! ぶぐぅっ!……ごっ、ご……」


 堪らず顔を背け、咄嗟に距離を取るように逃げるボルグの前に纏わり付くように回りこんだ俺は、股間に膝を埋め込んだ。


 悶絶し、崩れ落ちるボルグを尻目に扉を開け、廊下へ躍り出る。

 廊下の先に、今まさに入っていこうと閉まりかかる扉がある。


「エティゴ様! お待ち下さい!」


 バタンと閉まった扉の鍵が掛けられる前に飛びつき、思い切りノブを回し、引っこ抜くように扉を開ける。

 僅かな抵抗と共に、扉に引きずられるようによろめいたエティゴがぶつかってくる。


「な、なんだラスター! ボルグ! 何をしている!」

「エティゴ様、落ち着いて下さい」


 1階から使用人が数人、様子を窺っている気配がする。

 顔を出そうとするエティゴを体ごと押し込むように部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。


 そんな顔しないで下さい。

 困惑した顔のルシアさんを見つめる。


 ネイハム様、こんなやり方は間違いです。

 女性を餌にするなど、最初から失敗だったんですよ。

 

「ルンカト公に保護されている私にこのような真似をされるのですか?」

「何を言うか! 儂がルンカト公に一言言えば貴様は終わりだぞ!」

「何故です?」

「当たり前だ! 貴様立場を弁えておらんのか!」


 エティゴからすればネイハム様は今、すり寄って来ている状態だ。

 例えそれが本当かどうか疑っていたとしても、自らの背景も頼みにしているのだろう。


「落ち着いて下さい。私はルンカト公に逆らうつもりも、エティゴ様に楯突く気もありません」

「で、ではこれは、何だと言うのだ」

「私にとって唯一我慢ならないことは、女を奪われることです。それだけはご容赦を」


 フー、フー、と荒い息を吐くエティゴは怒りと動揺からか、形容し難い表情だ。

 微動だにせず、目だけを見開いている。


「エティゴ様。私に対するお怒りも、その女に対するお怒りも充分承知しております。しかし、私もルンカト公に保護を約束された身。このような無体なやり方以外で、矛を収めて頂く訳にはいきませんか?」


 まだ破綻した訳ではない。

 下手に出る。 

 こいつの計算高い頭を刺激するのだ。


「金でも構いません」


 ルシアさんの傍に移動する。


「あのシンファという女に思い知らせる為に協力するというのでは、ご不満でしょうか?」

「ラ、ラスター」

「黙ってろ、ルシア。お前も納得したはずだ」


 唇を噛みうな垂れるルシアさん。

 いいぞ。


「エティゴ様。私からエティゴ様に取引のように持ちかけるなど、思い違いも甚だしいと分かっているつもりです。しかし私も使える力は使わせて頂きます。どうか、何卒ご理解を」


 静寂の中、エティゴが肩を上下させる背中を見つめる。

 誰も何も言わない。

 やがて時間が過ぎ、エティゴがこちらを見ずにベッドの傍の机へ歩き、水差しから水を呷る。

 フー、と息をついたエティゴが向き直る。


「いいだろう。だが、納得はできん。信用もできん」


 頭が冷えたか?

 顔は到底そうは見えないが。


「ラスター、思い上がるなよ。貴様など、儂がその気になれば簡単に消せるのだぞ」

「はい。どうか、お許しを。私も必死だったのです」


 床に膝を付く。

 ルシアさんも俺に続く。


「ふん。儂に2度と逆らわぬと誓えるか」

「誓って、そのようなことは。ただ、命や女のことだけは」

「それは分かった。それだけはまあ、勘弁してやろう」


 部屋の椅子に座り尊大な態度をエティゴは取り戻している。

 これでいい。


「いいだろう。儂に頭を下げに来た貴様らは特別に、許してやろう。ルンカト公に免じてな。ただし、儂の言う通り動け。裏切ったら、どうなるかは言わん」

「はい、承知しております」

「ありがとうございます、エティゴ様」


 床に平伏するルシアさんと肩が触れる。

 大した女性だ。


「ルシアといったな。仲間を売る覚悟ができておるのか」

「は、はい。でも、どういう」

「ルシア」


 上体を起こし、ルシアさんの顎に手を掛け、俺の顔の前に引き起こすように持ってくる。


「お前が協力してくれなければ俺も困る。エティゴ様に無礼を働いたのはこちらなんだ。その罰は受けなきゃダメなんだ。わかるだろ?」


 ルシアさんの瞳が笑う。

 似合わないってか。


「シンファも学ばなきゃいけない。劇団の為にもだ。それを理解できないならお別れだ」 

「待ってよラスター! 私、言われた通りするから!」


 あまりにも安っぽい芝居だが、俺にできるのはせいぜいこの程度だ。

 恥ずかしいな、ったく。

 エティゴに顔を向ける。


「エティゴ様、失敗は私が責任を負います。こいつは、この件が済み次第劇団を辞めさせますので」

「そうか。しっかり手綱は握っておけよ」



 上手くいった、のだろうか。

 分からないが、ルシアさんが俺の駒であることを印象付けられたのであれば、俺の利用価値は増したはずだ。


 逆らったことで不興を買ったかもしれないが、俺が言いなりになるだけではないと分かったことで、適度な距離感を持ってくれればいい。


 奴にとっては2度目だ。

 俺が、下手に突けば暴発する男だと理解できたはずだ。

 キャラには合ってないけどな。

 ネイハム様がちらつく男でもあるはずなので、これで冷静に利用してくれようとすればいい。

 最後上手くいくかはどうせ分からない。

 

 ルシアさんに向き直る。


「いい子だ。俺を信じて任せるんだ。いいな?」

「うん。わかった」


 さて。

 少し手に力を込め、ルシアさんの顔を近づける。 

 ルシアさんの瞳が近づく。

 囁くように宥めるようなことを言って聞かせるフリをする。

 うん、うん、とルシアさんも芝居に乗ってくる。


「おい、部屋に戻るぞ」


 苛立ったようなエティゴに続き、部屋を出る。

 エティゴ様にもしっかり楽しんで頂きますよ、お任せくださいなどと追従する。


「女の扱いには長けているようだな。失敗しました、では済まんぞ。お前は2度、儂に歯向かったのだ」


 さっきの部屋の前で思い出したようにエティゴが振り返る。


「ラスター、ボルグはどうした?」


 不審そうな表情だ。


「見かけ倒しですよ。隙だらけだったので急所を蹴ったらあっさりと。変えた方がいいのでは?」


 ボルグめ、何をやっている、と苦々しげな顔で呟くと扉を開け、中に入る。

 壁に手を付いたボルグがギラリとこちらを睨みつけてくる。


「ボルグ。なんだそのザマは。もういい、下がっていろ」


 ボルグの左目は真っ赤に血走っている。

 使えん男だ、と吐き捨てたエティゴがソファへ腰を下ろす。

 獰猛な笑みを浮かべたボルグがおかしそうに肩を震わせながら、部屋を出て行く。


 ルシアさんを背にかばっていた俺は、ほっとしながら息を吐いた。


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