狂騒劇 1
登場人物紹介
ルシア……ラスターがずっとショートカット美女と呼んでいた女性。抜群のスタイル。
「そうか。やはり、政治に染まってはおらぬな」
ネイハムは口元の髭を弄ぶようにしながら床に目を落とし呟く。
エイゼルの前でしか見せないような、人前ですることの無い癖だ。
「例え酔っていても、俺の部下では一生あの指輪を使うことはあるまい。奴らは教育が行き届いておるからな」
正規兵は王国の法に詳しくなければならない。
無論完璧ではないにせよ、彼らは研修施設で法知識や政治を叩き込まれる。
そして見習い期間中に兵士の身の処し方を先達から学ぶ。
「私はラスター様に嫌われてしまったかもしれません」
背筋を伸ばした一分の隙も無い立ち姿のエイゼルが、チラリと己の主に視線を飛ばし告げる。
若い傭兵の本心を聞き出すよう、ここまで誘導し、煽るようなことまでさせられたことへの皮肉か。
ネイハムは、己の腹心があまり見せない怒りの感情を見せたことに、低い含み笑いを漏らす。
「不満か。だが俺がやってもな」
「承知致しております」
「なら良いではないか」
再びおかしそうに笑う。
「コモーノといいお前といい、随分とラスターを気に入っているようだな」
「御館様こそ、指輪をお与えになられたではございませんか」
「お前達が言うからだ。繰り返すが何故だ?」
その崩れることの無い完璧な姿勢が微かに揺れる。
首を一瞬傾げ、不思議でございます、と呟く。
「お前にしては珍しいこともあるものだ。まあいい。俺にとっても使える男だということがこれではっきりした」
思ったよりも時間がかからなかったな、と再び口髭を触り思案の海に沈む。
安物のソファーの革は所々ひび割れている。
片方の指がそれをなぞり、行き来する。
「では行くとしよう。政治に正義など無いことを教えてやらねばな」
立ち上がったネイハムの向かう先には、既にエイゼルが扉に手を掛け控えている。
外に踏み出した時にはもう、先程までの緩んだ雰囲気は無かった。
室内には消沈した顔と、憤りの顔をした二種類の人間が居た。
シンファ達ソル・オ・デンサから来た3人は憤懣やるかたないといった表情だ。
レーベントから来た住人達は皆、うなだれている。
「一体いつまで閉じ込めておくつもりなのかしら。あの男と私達をどうするか相談してるんじゃないでしょうね」
ルシアさんが怒りを振りまく。
ショートカットさんの名前だ。
シンファさんが呼んでいたので分かった。酔っていたので名前を聞いたか思い出せず、名前何でしたっけ、と聞くのも憚られたので助かった。
「すまない。俺達のせいで」
「違うわ、こちらは悪いことは何もしてないはずよ」
針の筵だ。
俺を責める者こそいないが、指輪を付けた俺はこちらともあちらとも言えない立場に居る。
冷酷とも思える判決にも、胸が痛む。
ネイハム様がレーベントを守るつもりであのような判断をしたのではないか、という話に一度は皆不快感を抑えた。
しかしいつまで経っても控え室から退室の許可が出ないことに、一座の3人は怒りを再燃させていた。
「ルンカト公の評判もあてにならないわね」
シンファさんの言葉が痛い。
俺としてはネイハム様を知っているだけに違う、と言いたい。
だがそれは俺の表面的な感情にすぎない。
領主としてのネイハム様を知っている訳でもないし、俺はそんなに甘くないぞ、と言いそうな気もする。
真意を問いただしてきます、とも言えない。
そこまで出しゃばることを許された間柄という訳でもないのだ。
「領主様は立派なご判断をされたよ。噂通りのお方だとワシは思う」
うなだれた街の上層部の老人が顔を上げる。
「間違ったのはワシらなのだ。街の未来を考えれば、これで良かったと思う」
「そうだよ。領主様に何とかしてもらおうなんて間違いだったよ」
すっかり意気消沈している。
3人も俺も掛ける言葉が無い。
実際その通りなのだ。
エティゴを何とかしたいだけなら、斬り殺すなりすれば良かった。
そうしなかったのは当たり前といえば当たり前だが、その当たり前を守ったのは、街の未来を考えたからに他ならない。
法を犯せば街道が通る可能性は限りなく低くなる。
この件が無かったことにされたことで、まだ希望を失わずに済んだのだ。
頭で分かっていても、自分達が訴えたかったことの本質が無視されたという感情は別だ。
加えてこの不可解な長時間の拘束という事態が、怒りに火を付けているだけにすぎない。
一座の3人も自分達の感情がただの癇癪にすぎないことは理解している。
だからそれ以上言い募ることはしない。
自分に何ができるだろうか。
一人、離れた椅子に座り、答えの出ない問いかけを繰り返す。
こうしていると段々面倒になってくる。
自分の欠点であることは自覚している。
最適解が見つからないと、自分の手には負えない、と全てを放り出してしまいたくなるのだ。
ガチャリ、と扉が開く。
兵士が入って来ると、扉の両脇を固める。
続いてネイハム様が姿を見せる。
ガタガタッ、と椅子を蹴る音が響き、室内に居た人間が床に跪く。
えっ。
今までネイハム様に跪くということをしたことが無かった俺は戸惑う。
考えてみれば当然のことだ。
やべ、と思いながら皆に続く。
「ああ、構わん。止せ。皆椅子に座るがいい。非公式の場だ」
ネイハム様の言葉に顔を上げる者はいなかったが、兵士がさあ、と全員を椅子に座らせていく。
兵士を室外に下がらせたネイハム様は椅子を一脚掴み、壁際へ運ぶ。
「長く待たせてしまってすまなかったな。詫びよう。この通りだ」
全員が息を呑む。
あの爺さん、心臓が止まらなければいいが。
広げた足に両手を置いて頭を下げたネイハム様が、下げていた頭を上げ全員の顔をゆっくり見渡す。
「前置きは省く。領主として、もう一度謝らせて貰いたい。レーベントの窮状を私は把握していなかった。その事について謝罪しよう。すまなかった」
再び頭を下げる。
先程よりも、居住まいを正した深く長い謝罪だった。
ガタリと椅子を鳴らし、老人が床に崩れ落ちるように跪く。
その目からは涙が流れている。
椅子を立ったネイハム様が静かに老人に近づき、肩に手を添える。
すまなかった、と再び小さく告げたその言葉に、あちこちから嗚咽やすすり泣きが漏れた。
ああ。
彼らにとって、これがもう一つの救いなのだな。
どんなに努力しても嘆願書は無視され、貴族や役人が目を向けてくれることもなかった。
訴え出ても、無かったことにされた。
それが初めて、自分達の声が届いたのだ。
冷酷な為政者ばかりではないことを知れただけで、彼らの過去の努力も、これから行う未来の努力も報われたに違いない。
涙を流し肩を震わせ、込み上げる思いを必死に押し殺すレーベントの人々にネイハム様が声を掛ける中、一座の3人は椅子の横に跪いていた。
不遜な態度を取ったことか暴言を吐いたことへの謝罪か。
どちらにせよ、さっきの形式的な拝謁とは違い、心からの敬意の表れだろう。
床に添えた手に頭を付けている。
俺も跪いている。
ネイハム様、お見事です。
これがネイハム様の、領主としての正義の形なのですね。
嘘だ。
跪き、顔を上げて。
美女2人の柔らかな曲線を堪能している。
まったく、けしからん姿態を晒すものだ。
劇団ソル・オ・デンサ
若い旅芸人達が立ち上げた勢いのある一座。ファンの間では期待の新星として注目されている。舞台に立つ役者以外にも裏方専門の人間も所属しており、王国の芸能を塗り替えんと精力的に活動の場を模索している。