御茶ノ水アリサは青春したい 3
唇が切れているのは、空気が乾燥しているからではない。
はたから見たら一方的な暴力に屈したように思えるだろう。
ボロボロの俺を見て、すれ違ったクラスメートが哀れみの視線で見てきたが、いまはそんなことどうでもいい。
ともかく会わなければ。
俺を突き動かすのはシンプルなその言葉だった。
話すことなんて特に思い浮かばないけど、ただあの金髪と会えなくなるのは寂しいな、と思っただけの話だ。
階段は一段一段がとても重く傷だらけの俺の体力を無駄に削っていった。
放課後を迎えた校内は喧騒に包まれていて、ガヤガヤと無駄にやかましかった。
「あのガイジンまた来たらしいぜ」
「まじかよ、金くれるかな」
せせら笑いが聞こえてきた。
数ヶ月前に二日ほどしかいなかったにも関わらず、御茶ノ水は有名人だ。校舎から金をばらまけばそりゃ有名にもなる。
昔に比べたら無駄なお金は使っていない。彼女は彼女なりに考えてお金を使うようになっていたのだろう。
ようやく屋上についた。
普段は施錠されているのに、重たいだけで鉄扉に鍵はかかっていなかった。
蝶番をきしませて、もたれ掛かるように扉を押し開ける。
夕焼け空に包まれた屋上に御茶ノ水アリサは立っていた。
金網が揺れてジィジィと羽虫のような音をたてている。
影が長くなり、濃くなっていく。夜が近づき、風が冷たくなってきた。長居をするような場所ではない。
「……私は結局君たちと同じように暮らすことはできないみたいだ」
ビルの谷間に落ちていく夕日を睨み付け、瞳に赤色を閉じ込めた御茶ノ水は俺のことを見るともなしに呟いた。
「合理的に、……脳が考えるよりさきに体が動いてしまうのだ。どうやら、いまだに、……私には人の気持ちがわからないらしい……」
筆でさっと描いたような薄い雲が流れていく。バサバサと音をたて彼女の髪が巻き上がる。
「すまなかったヤマダ。人並みの青春を、君と一緒に歩みたいと、ただそう思っただけなんだ。迷惑をかけるつもりはなかった。それだけは信じてほしい」
また彼女の瞳から涙が溢れた。床にポタリと黒いシミが落ちる。
「私は、ダメだな……」
金網に力無くもたれて彼女は浅く息をはいた。
「ダメすぎて、いやになってくる。誰かのために生きたいだけなのに」
しゃがれた声で呟く。
「日本は私と相性が悪いみたいだ。もう帰るよ。安心してくれ、これで君の日常を無駄に引っ掻き回すこともなくなる」
空があまりにも綺麗で、赤く染まった屋上は、彼女の情熱によく似ているとクサイことを考えてしまった。
「それは困るな」
走ってきたので、声がかすれてしまった。それでもなんとか彼女に届いたらしい。
「俺はまだお前とちゃんと向き合ってないぞ」
うつむきがちだった御茶ノ水が顔をあげる。
「向き合うって……ヤマダ、なにをいっているんだ?」
「一方しか相手を見てなかったら、独りよがりになるに決まってるだろ。俺もしかり、だけどさ」
「……なんだそれ」
「だから、ちゃんと言わせてもらう」
「え?」
「帰るだなんて言わないでくれ。どうすればいいか二人考えよう」
どうすれば青春を歩めるか。
「一人じゃできないことも二人ならできるはずだろ?」
「……答えがでないことがあるってことくらい、私はわかっているつもりだ」
御茶ノ水はいつになく卑屈だ。傲然とした少女の姿はない。どうやらさっきはきつく言い過ぎたらしい。
「すまん」
「なんでヤマダが謝るんだ?」
「またやり直そうか。今度はちゃんと失敗しないように。俺も頑張るからさ」
言っていいかな。
言ったら後悔するかな。
まあいいや、自分の気持ちに素直になれば。
「だからさ御茶ノ水」
名前を呼ばれて少女はぼんやりとした瞳を向けた。
できるだけ笑顔を浮かべて応える。
「俺と付き合ってくれないかな」
御茶ノ水ははっと驚いた顔をした後で、みるみる耳まで真っ赤になった。ああ、ほんと、熟したリンゴなんかより、夕焼け空なんかよりも真っ赤だ。
柄にもないことを考えてしまった。
冬の屋上は冷えるけど、なんだか心は暖かった。
世界はどこまでも赤色だ。
日が沈む前には返事がほしいのだけど。
終わります。
何年ぶりの更新でしょうか。
気付いたら出来ていることもあります。
ご感想があればお願いいたします。
読了ありがとうございました。