第一夜 ひぐらし
声あらば 現にとどまり 拐かされぬ
ひぐらしの 声さへ絶えなば 闇満てむ
[18:35:35] 音響解析:警告。指定帯域(4.5kHz〜6.0kHz)における生体音響シグナルの急激な減衰を検知。
「ヒグラシが、鳴いていない」
じいちゃんはそう言った。
真夏の十八時三十五分。この山奥の神社は、耳が痛くなる程の大音響で、ヒグラシの音が山津波のように周りを囲んでいる筈だった。
だけど、今日は聞こえない。
「拓海。機械を止めろ」
――五分前に戻る。
十八時三十分。
暑く湿って身体に纏わりついていた空気が、急に涼しく感じた。
西の稜線にもうすぐ夕日が沈みそうだ。やっと青梅の山間を縫うように涼しい夜気が降りてきた。
……もう時間だ。
杉山拓海は、ようやく最後の装置を枝に縛り付けた。
額にへばりつく汗を黒いTシャツの袖で乱暴に拭いながら、手元のタブレット端末をタップして、インカムをオンにした。
タブレット端末に状況が出力されて、少し遅れて音声読み上げがインカム越しに聞こえてきた。
[Mesh Network Status: 100/100 Online]
[LiDAR Sensor Array: Active (Class 1 Eye-Safe)]
[Spatial Audio Processing: Syncing... 99%]
[音声読み上げ]
『システム起動。LiDARメッシュネットワーク、全100ノードのオンラインを確認しました。特例届出期間内です。空間オーディオプロセッシング、同期完了。安定稼働中』
「……よし」
神社の参道には、樹齢百年以上の杉の木が何十本も植わっている。その幹の上、地上三メートルほどの位置に、自作の防水ケースに収めた手のひらサイズの端末を配置してある。海外製の安いマイコンモジュール・ESP32に、小型の赤外線LiDARセンサー、バッテリー、そして超小型プロジェクターを組み合わせたものだ。その数、百個。
電波法の特例申請はネットで総務省に届け出をしておいた。レーザーの出力は目に優しいクラス1で揃え、人の目を焼く心配もない。ご神木と本殿の奥だけは、光が絶対に漏れないように、プログラムで座標を遮断する「ジオフェンス」も設定してある。
タブレット端末の画面上で、予めマッピングしてある神社に、百個のノードが青く点滅している。
「……よし、きちんと動いている」
ノードを見つめながら、拓海は小さく呟いた。
プログラミングの専門知識なんて、文系の自分にはこれっぽっちもない。せいぜい必修科目のICTリテラシーでかじったくらいだ。プログラミング言語がわかれば就活に有利だと思ったけど、……自分には無理だった。
そんな拓海でも、AIに「秋葉原で揃うパーツで、百台連動のメッシュネットワークと空間マッピングのコードを書いて」と指示して、あーでもこーでもと、AIに相談をし続けてコードを作っていった。
それを基にした企画書を卒論テーマにすると言って、大学の教授も、市役所の観光課も、神社の氏子総代たちも、そして神主の祖父にも納得して貰い、協力してもらった。
拓海の卒論テーマは、
「伝統的地域イベントの持続可能性に関する実証研究 ―神社の夏祭りにおける自律型プロジェクションとAI活用による低コスト運営モデルの検証―」
拓海は、安っぽいスピーカーから祭囃子が流れる縁日や、薄っぺらい盆踊り大会が好きになれなかった。浴衣を着せられ、見様見真似でふらふらと回って、毒々しい色のかき氷を食べるより、涼しい家でテレビを観たり、ゲームをしていたかった。
祭りは地元の住人と新しく移り住んできた人たちが共に楽しむ場なんだ、そう祖父に言われても、拓海は全くピンとこなかった。だから小学校の高学年の頃には参加しなくなっていた。
そんな拓海がこの実証実験を汗だくでやっているのは。祖父に、後援会も商店街のメンバーが高齢化で、もう夏祭りは辞めるかもしれないと聞かされて、なんとかしなくては、という表向きの理由ではない。
祭りを外部に委託しようとすると、とんでもない金がかかるらしい。
巨大なプロジェクターをレンタルする。それを動かす電源の為に、煩くて排気ガスで臭い発電機を置いて。クリエイティブが大事とか言って、やっぱり高額を払ってデジタルコンテンツを作って、山ほど助成金をせびるらしい。その助成金が打ち切りになったらイベントも粗大ごみみたいに捨てられる。
そんな使い捨てみたいな地方創生だったらやらない方がマシだ、そう思っていた。
本当のきっかけはYouTubeの海外テック系動画で、廃墟になった教会で、数台のプロジェクターとセンサーを置いて自律制御するDIYナイトウォークの映像を見たことだった。
「これ、行けるんじゃん?」
カナダのクリエイティブ系の企業も、日本で同じようなことを手広くやっている企業も、要は何処か素敵な空間を借りて、そこに光を当てる仕組みと音で演出をしていた。綺麗で派手だけど金がかかってそうだ。もし、これを少子高齢化で人手が足りない地元の夏祭りでも出来るようになったら、それって卒論になるんじゃないか。低予算で運営出来る持続可能なイベント。良いんじゃないか?
だから拓海は、壊れてもAmazonでパーツを買ってくれば誰でも差し替えられるように、スマホやタブレット端末だけで毎晩起動するような、持続可能な興行モデルを考えた。もし成功したらSNSでバズるし、卒論は優秀論文賞を取って紀要に紹介される。そんなことを取り組んだって言って就活も胸を張っていける。多分。
「拓海くん。頑張ってるねえ」
参道の方から、缶ビールのプシュッという小気味いい音が聞こえた。
振り返ると、首にタオルを巻いた男が、片手にプレミアムモルツをぶら下げてニヤニヤと笑っていた。既に大分飲んでいるようだ。彼は数年前に都内の大手広告代理店を辞め、「娘の情操教育のため」この土地に移住してきたらしい。
「まあ、学生の思い出づくりにはいいんじゃない?」
「ありがとうございます、山田さん」
拓海は愛想笑いを浮かべながら、ディスプレイから目を離さずに答えた。
この企画を何処で聞きつけてきたのか、事あるごとに絡んできてマウントを取ってくる。そのくせ、決して何も手伝わず、設営中も日陰でタバコを吸ってビールを飲んでいた。この人は今日、何本のビールを飲んでいるのだろう。
「でもさあ」
山田は、酒に匂いがする息を吐く。
「こういうデジタルアートって、大抵は2回目で飽きられるから。持続性がないんだよね。俺も現役時代、散々そういうの見てきたから分かるよ」
山田の吐く息が生ぬるい風に乗って拓海の周りに届く。それが拓海をなんとも不快な気分にさせる。
「山田さん。これは使い捨てじゃなくて、アップデートされ続ける仕組みなんですよ。維持費だって、月三千円もかかりませんよ」
「はいはい、口だけは達者だねえ」
山田は気のない返事をして、足元に目をやった。
「ほら、結依。あんまりウロウロすんなよ、迷子になるぞ」
山田の足元には、水色の浴衣を着た七歳の娘・結依が、買ってもらったばかりの綿あめを両手で握りしめて立っていた。くりくりとした瞳で、木々の間で淡く光る端末のインジケーターを物珍しそうに見上げている。
「お兄ちゃん、これ、なぁに?」
「……神様を呼ぶための、光の道しるべだよ」
拓海が少し遠慮気味に答えると、結依は「ふうん、いっぱい来ると良いね」と無邪気に笑った。
山田は満足そうに頷き、ビールを飲みながら拓海に顔を赤らめながら娘自慢を始めた。
「拓海くん、可愛いだろう?うちの結依は今度、芸能事務所に所属させるんだ。キッズモデルから始めて、将来はがっつりタレントに育てるつもりでさ。俺がプロデュースしてやるんだよ」
山田が酒臭い息を吐きながら一人で悦に浸っている。その後ろで、水色の浴衣が暗闇の方に向かっていくのを拓海は目の端で見たような気がした。
境内には、昔ながらの夏祭りの音が満ちていた。
拝殿の前で叩かれる和太鼓の重い振動、焼きそばのソースが焦げる匂い、駆け回る子どもたちの黄色い声。
拓海はそこに、彼女の凛が製作した音響を重ねた。境内の四方に設置したスピーカーから、太鼓の音に合わせるように、澄んだ水底を思わせるアンビエントなシンセサイザーの和音が幾重にも重なって広がっていく。
伝統的な音に、現代風のアートが重なって、洗練された空間の演出が出来上がりつつあった。
「よし、良い感じだ」
「……拓海」
ふいに、低く、掠れた声が背後から呼びかけられた。
神主の正装である白衣と袴を身にまとった祖父、泰三だった。今年で七十五になる泰三は、普段の穏やかな好々爺の顔をどこかへ脱ぎ捨て、眉間に深い皺を刻んで参道の木々を仰ぎ見ていた。
「じいちゃん。もうすぐ舞殿の奉納舞の時間だよ。凛の準備も終わってるよ」
「拓海。機械を止めろ」
「え……? 何言ってんの。今から本番だよ。商店街の人たちもみんな待って——」
「……音が消えたんだ」
泰三は拓海の言葉を遮り、鋭い眼差しで鎮守の森を睨みつけた。
「ヒグラシが、鳴いていない。……まずい」
言われて、拓海も初めて気づいた。
真夏の十八時半。
この山の神社なら、耳が痛くなる程の大音響で、カナカナの音が山津波のように周囲を包んでいる筈だ。だけど、今日は聞こえない。
太鼓の音は聞こえる。人々のざわめきもある。凛が流すシンセサイザーの音も響いている。それなのに、自然の音、あのヒグラシの鳴き声は全く聞こえない。
「昔から、この祭りでは大きな音を立てる。太鼓を叩き、鈴を振り、人が声を張り上げる。そうやって自分たちの音で闇を埋めて、外から来る『無』に気づかれんようにやり過ごしてきた」
泰三の声は微かに震えていた。
「お前がそれに新しい音を重ねて、森の音を狂わせたのか……。音の隙間ができた。それでヒグラシが真っ先に逃げ出した」
「……そりゃオカルトだよ、爺ちゃん。今日は暑かったからまだ温度が下がってないんだよ。ヒグラシって二十五度くらいで鳴くっていうじゃん。たまたまだよ」
拓海はなんとか祖父の泰三を宥めすかし、タブレットを強く握り直した。
「俺の作ったシステムはきちんと動いているよ。見ててよ、これから盛り上がる祭りにして見せるから」
だが、泰三は拓海の答えを取り合わない。拓海の顔を一瞥すると、それ以上は何も言わず、青ざめた顔をしながら速足で、舞殿の方へ向かった。
白袴の裾は、夕闇の風にバタバタと煽られていた。
十八時四十分。
境内を照らすプロジェクションマッピングの光の粒子が、木々の幹に幻想的な波紋を描き始めた。
集まった観光客から「うわあ……!」と歓声が上がる。
スマホのシャッター音があちらこちらから聞こえてくる。SNSのタイムラインが急速にざわめき始めていく。拓海は手元の画面で確認しながら、手ごたえを実感していた。
「よし!」
なぜこのコードが動くのか、専門的なことはよく分からない。それでも、AIが書いた通りに作っていけば成功するという確信だけはあった。狙った通りだ。怖いくらいにうまくいっている。
——それなのに、拓海の胸の奥で、先ほどの祖父が残した言葉が、まるで冷たい氷のように溶けずに残っていた。
十八時四十二分。
舞殿の方から、奉納舞の神楽鈴の音が澄んだ高音を響かせた。
シャラン、シャラン、シャラン。
その三度目の音が、ふっと途切れた。
同時に、耳元のインカムから短い警告音が鳴り響く。
『警告。舞殿マイクの入力波形に位相の反転を検出。音響が相殺されています』
『LiDARアレイ041番、障害。……ジオフェンス境界線上に、未定義の遮蔽物を感知』
「……え?」
タブレットの画面上で、青く光っていた百個のノードのうち、本殿の真裏を示す数個のドットが、赤く点滅しながら次々と黒い空白へと呑み込まれていく。
ざわめく人々の頭上で、夜風が急に冷えていくのを感じた。




